ついてない男
本所の捨て場でユンボのオペをしていた箭内は間一髪で難を逃れた。秘密の逃げ道を確保しておいのだが、崖上でサーチライトが灯されたを見てとっさの機転で薮に潜んだ。警察が現場を去った後も怖くてすぐには動けなかった。高校時代のバイク事故の後遺症が二年前から左脚に麻痺が出ていたので警察を振り切って逃げる自信がなかった。藪の中に何時間もじっとしているのはかくれんぼしたまま友達に置いてきぼりにされた子供の心境だった。夜明けになるといくらか心が軽くなって冷えた左脚をかばいながら恐る恐るユンボまで戻ってみた。いつも暗いうちに引き上げる捨て場はすがすがしい朝日を浴びて別物のように輝いていた。ボリュームをマックスにしたままの無線機から波が砕けるようなアナログのノイズがこぼれていた。畜舎の影に停めておいたワゴン車に警察から物色された様子はなかった。新聞配達の原付バイクが県道をうなるように走り抜けて行くのが見えた。畑に播いた堆肥や付近の畜舎のねばつく臭いがぷんとただよい、家畜の群のあがくようなうめき声が聞こえた。田舎育ちの箭内にはどれもが懐かしい風物だった。本所と組んでこの現場を開いて二か月だった。深夜に廃棄物を受け入れて夜明けまでに奥へ均し上に赤土をまぶして隠す。仕事はそれだけだった。真っ黒なダンプが数珠繋ぎになって廃棄物を搬入してくる異様な光景も目が慣れてなんとも思わなくなった。
箭内は単なるオペではなかった。捨て場になった山林は倒産した亡父の会社名義だった。本所がゴミの話を持ち込んだときには天の助けかと思った。道路もなく売るに売れない斜面が宝の山になるというのだ。まんまとそそのかされて不法投棄の片棒を担ぐはめになったが、なんだかんだと理屈をつけて本所は儲けの大半を持っていってしまった。それでも怖くて抜けられなかった。警察に踏み込まれたのはかえって福音かもしれなかった。これでやっと抜けられる。そう思うとまぶしい朝日が自分への励ましのように思えた。箭内は朝陽市の隣の椿海市の生まれだった。広大な田んぼの真ん中にオアシスのような溜め池があり、その周囲に農家の屋敷林が十数軒密集していた。箭内の自宅はその中でも本家筋にあたり溜め池に南面した豪邸だった。もともとは農家だったがバブル経済の時代に父親が造園業に転じて成功し、さらに不動産会社まで起こし一時期は実業家気取りだった。しかしバブルが弾けると同時に破綻し、借金を残したまま心筋梗塞で急死してしまった。新社長として会社を立て直そうとした時、造園業をやるには致命傷となる左足の麻痺が出て心が折れてしまった。不法投棄の片棒を担ぐようになったのも父親が残した借金のせいだった。
住まいは五年前に結婚したときに建てた離れだった。主がいなくなった母屋には母を一人で住まわせ、狭い離れに妻と住んでいた。家業が傾いて箭内が自暴自棄になってから妻とは不仲になっていた。まだ明け方だというのに妻の瑤子は不在だった。最近は外泊が続いていた。姉の家に泊まっていると聞いていたが真実が怖くて確かめられなかった。離れの前に車を停めると、溜池に零れんばかり庭に積まれた廃棄物が見えた。警察署から追い返されたダンプが本所の誘導で帰りがけに産廃を置いていったのだ。疲れきった箭内はシャワーも浴びずにベッドに身を投げ出し、そのまま眠りについた。
夕暮れ時になってやっと起きだした箭内は身じまいを整えて地元のスナック・アガットまで車で出かけた。JRの線路を背にした三軒長屋の貸店舗の真ん中の小さな店だった。電車が走るたびに基礎が震える安普請の店なのだがカラオケの喧騒で全く気にならなかった。
「いらっしゃあい」最近なじみになったホステスのアケコが走り寄ってきた。まだ二十歳そこそこのトランジスタ・グラマーだった。長身の妻の瑤子とは正反対の外見と性格が気に入っていた。スナックは風俗営業ではないので接客は禁止なのだが、そんなことはおかまいなしにアケコは箭内の隣に密着して座りニッカの水割りを作り始めた。箭内がミニスカートの裾に手をおいても気にしなかった。田舎のスナックはキャバクラと区別がないのだ。
アガットの入り口に向こう傷の男が仁王立ちになった。愛想を言おうとして近寄ったママが男の異様な形相にたじろいだ。
「てめえ、なんで遊んでんだよ」本所は箭内に歩み寄っていきなり胸倉をわしづかみにした。
「なんでって今夜は休みでしょう」箭内はおずおずと抗弁した。
「勝手に決めてんじゃねえよ。誰がそんなこと言った」
「だって」箭内は店内に居合わせた全員が自分に注目しているのに気付いた。
「とにかく出ませんか。ここじゃ話になんねえし」
「話なんかねえよ。いつもの場所に来いや」本所は掴んでいた胸倉を離すと店を出て行った。
「また来るわ」ばつが悪くなった箭内は万札を一枚アケコに渡して逃げるように本所を追った。
「今夜また入れるぞ」
GS裏の空地に集められた本所の仲間はびっくりした。警察に踏み込まれたら意気消沈してしばらく休むのが普通の神経だが、彼は筋金入りだった。
「おまえもやるよな」本所は箭内を見た。
「俺はもう十分すよ」箭内は藪の中に隠れていたときの恐怖が忘れられなかった。
「ばかやろう、お前の借金返すためにやってんだろう」
「逮捕されたら身も蓋もねえし」
「捕まったところで罰金払えばいいんだよ。それ以上に稼げばいいだけじゃねえか。ソロバンなんだよ」
「だけど女房に逃られちゃいそうなんですよ」
「てめえはアホか。ゴミなんて女はなんも関心ねえよ。てめえに金がねえから愛想をつかされたんだろう。金を掴めば戻ってくるよ。女なんてそんなもんだぞ」
「ほんとに夕んべは怖かったんすよ。もう勘弁してくださいよ」
「現場に来るのがやなら、てめえの家の庭にまた積むぞ」
「冗談やめてくださいよ」
「案外いいかもしれんぞ。夜のうちにてめえの家に運んでおいて昼間片せばいい」
「ほんとに勘弁すよ」
「てめえは地主なんだからどうあがいたってもう抜けられねえんだよ。ゴミはずっとあんだからな」
「じゃあせめて分け前を折半にしてくださいよ」
「あ? てめえにダンプを集められんのか」
「いえその」
「地主にぶつ金なんざなほんとは五十万がいいとこなんだよ。残土で埋めれば平らないい土地になるんだよ。そしたら売っぱらえば何千万かになんだろうよ」
「だってゴミじゃないすか」
「残土だよ。わかったか。十一時にまたここに集合だ」
「さっきはゴミって言ったじゃないすか」箭内はむくれたように言うと愛車のワゴンに戻った。
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