初めての夜パト

 夜間パトロールの当夜になった。夜七時から胴着に染みた汗で蒸せるような朝陽警察署の最上階の道場に関係者が集まり、パトロールの打ち合わせが始まろうとしていた。本課からは清宮警部、花山警部補、宮越班長、黒岩技師が参加した。全体の指揮は清宮警部が執ることになっていたが、宮越が何かと口出しをしている様子が伺えた。県警からは所轄だけではなく本庁の生活経済課も参加していた。

 「今年は気合が違うねえ。夜の現場に突入したいなんていったいどういう風の吹き回しだい」仙道の顔を見るなり県警本部生活経済課の弥勒補佐が声をかけた。環境事犯十年以上のキャリアを持つ県警本部きっての環境通で仙道とはツーカーの間柄だった。

 「活きのいい若いもんが増えたんでね。ちょっとガス抜きというところですかな」

 「行政が前に出てくれるのはありがたいよ。警察はややこしい法律はわからんからね」

 伊刈は同じ県庁からの出向組みのよしみで宮越に声をかけようとしたがほとんど無視されてしまった。実は伊刈と宮越には因縁があった。伊刈が海の家訴訟を担当した時、宮越も同じ海岸管理課にいたのだ。訴訟が始まってマスコミの脚光を浴びる伊刈に対して宮越は目立たない存在だった。プライドの高い宮越はそれ以来何かにつけて伊刈をパフォーマーだと揶揄し続けていた。今度こそ犬咬の不法投棄対策で目立つのは本課に出向している自分だという意気込みがあったのだ。

 「ターゲットは本所ですね」所轄の植草警部補がぼんやりしている伊刈に現場の班長同士のよしみで挨拶した。本部から弥勒補佐がお出ましとあって所轄の生活安全課はやる気十分だった。

 「そうなんですか」本課から何も段取りを聞いていない伊刈が聞き返した。

 「そりゃあそうですよ。だけどやつは前がありますから気を付けてくださいよ」

 「ええわかってます」

 「現場には所轄から先に突入していいですね」

 「お任せしますよ」

 安心警備保障の蒲郡部長も不法投棄を目撃しながら何もできなかった日頃のフラストレーションを晴らすチャンス到来と意気軒昂だった。

 「これを車両間の連絡用にお使いください」蒲郡がパトロールに参加する各車両に配ったのはトランシーバだった。電波法の免許が要らない低出力無線機だが警備保障会社の備品だけに子供の玩具とは比較にならない本格的なものだった。トラック無線や携帯のように遠くまで電波は届かないが現場を包囲したときなど一斉通報ができるので重宝しそうだった。

 「現場の様子はどうですか」伊刈が蒲郡部長に尋ねた。

 「どこがやられるかわかりません。どこもみな動きそうな気配です」

 「女王と本所の関係はどうでしょうか」

 「それがはっきりしませんでね。女王は手口がなかなか巧妙でいろいろな待機場所を使うんです。広い田んぼのど真ん中なんかにわざわざダンプを遠回りさせたりね。あれじゃ目立ちすぎてかえってこっちも隠れることがままならないです。海岸通りを迂回させることもありますよ」

 「漁港のダンプ溜まりを使ってるんですか」

 「使うこともありますが毎晩じゃないですね。岩篠をターゲットにするなら海岸からは遠いです。本所が呼び込むダンプなら工業団地かGS裏の空き地にダンプを待機させる可能性が高いです」

 警察署の道場の防具の汗の臭いというかカビの臭いというか、お世辞にも座り心地のよくない畳の上に円座を囲んで打ち合わせが始まった。

 「本日は3810(サンパイゼロ)作戦にご参加いただきご苦労様です」実際のパトロールには参加しない本課の鎗田課長も挨拶のためにだけ訪れていた。長身でダンディ、新市長の覚えもめでたく、市プロパーの中でも生え抜きのエリートと目されていた。しかし本人のネーミングだという3810作戦には失笑を禁じえなかった。

 打ち合わせは大雑把なものだった。市庁主催の夜間パトロールなので、市に出向中の清宮警部が全体の指揮を執ることになっていたが、これも名目上のことで実際には警察が市の指揮下に入ることはありえなかった。便宜のために参加機関の車両には一号車から五号車までナンバーが割り当てられた。本課のパジェロが一号車、東部環境事務所のXトレールが二号車、所轄のスカイラインが三号車と四号車、安心警備保障のCR-Vが五号車となった。タイムスケジュールも簡単なもので、二十三時までは各地区ごとに分担して巡回パトロールを実施し、二十三時以降は各機関が連携して本所が活動している岩篠をターゲットに絞り込み、可能なら作業員と運転手の身柄を押さえることになった。

 打ち合わせが終わり長嶋が運転する事務所のXトレールは担当地区として割り当てられた海岸通りのパトロールに向かった。岩篠からは一番遠く、故意に事務所がメインターゲットから外されたとも思われた。長嶋がハンドルを握り、仙道が助手席に乗り込んだので残りの三人は後席で寿司詰め状態だった。

 「ダンプです」長嶋がすぐにすぐに走行中のダンプを発見した。

 「よし追跡してみろ」仙道が命じた。

 「やっぱり夜は違いますね。こんなにすぐにダンプが見つかるんですね」伊刈が興奮ぎみに言った。発見したダンプは地元のナンバーで海岸通りの坂道を北上していた。

 「重そうですね。積荷は土砂でしょうか」坂道で息切れしたように徐行するダンプのテールランプを見ながら後席左側の遠鐘が言った。

 「深ダンプに土砂を満載したら五十トンになります。積載オーバーなんてものじゃないですね」後席真ん中で身を細めながら喜多が言った。

 「気をつけろよ。バックされたらつぶされるぞ」

 「標準のエンジンじゃとてもこの坂は登れませんよ。きっとオーバーホールしてますね」自動車のメカに詳しい喜多が続けた。

 坂道を登りきって平坦な道に出ると突然ダンプが停車した。

 「気づかれたでしょうか」長嶋もブレーキを踏んだ。車間距離は二百メートルだった。

 「それならそれで仕方がない。しばらく待機しろ」仙道が命じた。五分ほどじっとしているとダンプが再発進した。長嶋は追跡を再開した。

 「海岸通りから離れますね。どうしましょうか」長嶋は仙道の指示を仰いだ。

 「まだパトロールは始まったばかりだ。海岸通りからあまり離れるな。あのダンプはどうせ積荷は産廃じゃない。ゴミはあんなに重くないからな」

 「それならUターンします」長嶋はダンプの追跡を中断し海岸通りに戻った。

 伊刈は秋葉原で仕込んできたハンディレシーバを取り出した。スピーカーからこぼれるノイズを聞いて仙道が振り返った。

 「ほうそれを買ったのか」

 「はい」伊刈は秘密兵器を見咎められてほくそえんだ。

 「アマチュア無線の免許は必要ないんだったよな」

 「聞くだけですから大丈夫です。ラジオと同じです」

 「他人の通話を聞くのはラジオと同じじゃねえだろう。傍受罪(電波法59条情報の保護)になるし、プライバシーの侵害ってことにもなるの知らねえのか」

 「技監が買ってこいって」

 「冗談だよ。傍受した内容を言いふらさなければ罪はならない。どうやって使うんだ」

 「ダンプが使ってる433メガをサーチすればいいんです」

 サーチボタンを押すと液晶の表示が間歇的に動いては止まり、ノイズがかぶった無線通話が聞こえてきた。

 無線の声1「どうすか?」

 無線の声2「いつもとおんなじだよ」

 無線の声1「おまえどこにいる」

 無線の声2「いまセブンすけど」

 無線の声1「だったら中通りから猿楽町に上がれよ」

 無線の声2「いつごろ入れますか」

 無線の声1「扉は開いてるよ」

 無線の声2「了解っす」

 「なんだいきなりダンプが仲間を集める通話だな」仙道が言った。

 「だってこんなとこで無線を使ってるやつ、産廃のダンプしかいませんよ」伊刈が答えた。

 「猿楽町って言ってたな」猿楽町は千年の歴史を誇る猿楽神社にちなんだ町名だった。この地域には古代からアイヌ討伐の前線基地として知られた鹿島、香取の二つの神宮を初めとして由緒ある神社が多かった。アイヌはいわばイギリスにとってのアイリッシュ、アメリカにとってのインディアンで、古代には関東以北の東日本を支配していた。

 「残念ながら無線で集めているダンプは海岸通りには来ないみたいですね」

 「いや海岸からは一本中の通りだからすぐそこだ。行ってみろ」仙道は意外にフレキシブルな指示を出した。

 「いいんですか技監」長嶋は清宮警部の指示を無視するのを躊躇した。

 「せっかく無線を聞いたんだ。早く行かないとダンプを見失うぞ。一号車はずっと遠くだ。猿楽町方面に来ることはないよ。それから無線機のことは本課には内緒だ」

 「了解しました。猿楽町に向かいます。二号車は技監がボスっすからね」長嶋はハンドルを切って四車線の海岸沿いの国道を離れ、もともと旧国道だった中通りに向かった。

 「この通りのほうが確かにダンプが来そうですね。海岸通りは見通しがよすぎます」伊刈がワクワクするような声で言った。夜間パトロールに一番興奮しているのはやっぱり伊刈だった。

 「待機中のダンプがいます」後席真ん中の喜多が最初に言った。

 「ああ確かに」長嶋が相槌を打った。県道から農道に折れる交差点にダンプがテールランプを消して停まっていた。交差点は長年の大型車両の通行で、ちょうどダンプが一台待機できるスペースができていた。夜闇にまぎれるために真っ黒にラッカー塗装された巨大な改造ダンプはまるで軍用トラックだった。

 「そのままやりすごせ。停まると怪しまれる」

 「わかってます」仙道の指示で長嶋はダンプ脇を通り過ぎた。

 「あのダンプどうしますか」伊刈が後部座席右側から仙道の横顔を伺った。

 「伊刈、逆におまえならどうする」

 「そうですね。たぶんあのダンプは猿楽町の畜産団地の奥の捨て場が開くのを待ってると思うんです。ダンプがあそこにいたんでは現場に先回りができません。倉本駅の方から回りこんで農道を逆走すればダンプに気付かれずに捨て場に先に着けるかもしれません」いつのまに覚えたのか、伊刈は地理に明るかった。

 「なんでそんなに詳しいんだ」

 「まあこっちにはいろいろ馴染みがありまして」伊刈は曖昧に答えをはぐらかした。

 「なるほどな。警部補、班長の案でいきましょう」

 「了解です。あのそれから」

 「なんだ?」

 「警部補って呼ばれるのちょっと。自分は今警察官じゃないですし、警部補なんて階級ってほどの階級でもないですから」

 「わるかった、気付かなかったよ」

 「いえいいです」警察では警部(管理職)以上にならないと階級では呼ばない習慣だったが、長嶋もそこまでは言わなかった。

 Xトレールは中通りを大きく迂回して倉本駅裏の細い農道にたどりついた。

 「あれダンプのテールですよね」目のいい喜多が後席から身を乗り出した。

 「先回りは失敗か」遠鐘が言った。

 「いやさっきのとは違うダンプすね」長嶋が言った。どうやら夜目が利くのは長嶋と喜多の二人だけだった。

 「追い越すわけにはいかないし、こっちのダンプをしばらく追跡してみようか」伊刈が言った。

 「了解です」長嶋はダンプに接近する前にヘッドライトを消した。ロックオンしたダンプは巨体をゆすりながら細く荒れた農道を最徐行で進んでいた。闇の中に浮かぶダンプのテールランプを頼りの追跡となったが長嶋はさすがに慣れていた。Xトレールの車幅ですらときおりドアミラーが路肩の藪をこするほど細い道だった。先行するダンプは嵩上げした荷台で沿道の木立の枝を折りながら強引に進んでいった。

 「畜産団地とは逆方向に曲がっていきますね」長嶋が言った。

 「その先はJRの線路に隔てられて行き止まりのはずです」伊刈は暗い車内でペンライトを頼りに地図を確認した。

 「おまえなんでそんなに道に詳しい。怪しいなあ」仙道が伊刈を振り返った。

 「ダンプ停まってますよ」後部座席から身を乗り出した喜多が長嶋の耳元で言った。線路を見下ろす小さな高台で待機しているダンプが見えた。長嶋は道路を封鎖するようにXトレールを停めた。

 「相手に接触する場合は一号車の指示を仰ぐはずですが」遠鐘が冷静に仙道を見た。

 「そんなこといちいちしてられっか。報告は後だ。行くぞ」仙道の判断で全員が車を降りてダンプに近付いた。運転席からカーステレオのサウンドが聞こえてきた。

 「市のパトロールです。運転手さん車を降りてください。運転手さん...」長嶋が何度か叫ぶと運転手はこっちを見た。

 「なんか用かい」窓が開いたとたんR&Bのビートが大きくこぼれだした。

 「産廃のパトロールです。積荷はなんですか」長嶋がビートに負けまいと大声を張り上げた。

 「さあ知らないね」運転手は空とぼけた。

 「ここは処分場じゃないですよ」伊刈が積荷が産廃だと決め付けたように言った。

 「だからどうした? 産廃なんて知らねえっつってんだろう」運転手はいらついて答えた。

 「その先の空き地に産廃が埋まっているようなんですが、積荷を調べさせてもらっていいですか」

 「俺には関係ねえし」

 「それじゃここで何をしてるんですか」

 「ちょっと休憩してただけだし。もう行っていいかな」

 「免許証と車検証を見せてもらえますか」長嶋が警察官の身分を秘して丁寧な口調で職質した。

 「そんな必要あんのかよ」

 「ナンバーは控えさせてもらいましたよ。車両の所有者はそれでわかりますが、あなたの名義ですか」

 「わかんならそれでいいだろうよ」

 空き地を調べに行った遠鐘が大きく手を振った。「産廃、埋まってまあす」

 「おい、ここは不法投棄現場みたいだな」長嶋がいつもの口調に戻って言った。

 「だからそんなの俺には関係ねえっつってんだろうよ」

 「とにかく免許証を出せ。そしたら帰っていいよ」警察官らしい有無を言わせぬ口調だった。

 「あんたオデコかよ」

 「そうだ」長嶋はようやく警察バッチを示した。

 「面倒くせえな」運転手は諦めて免許証を提示した。長嶋はすぐに内容を控えた。

 「ダンプの写真撮りますよ」喜多がカメラを構えた。

 「あんでだよ」

 「産廃積んでるからですよ」

 「ちっ」運転手は舌打ちしただけでもう拒否しなかった。「顔は撮るなよ」

 レンズを向けると運転手は腕で顔を覆った。「あんたら今夜はここらへん回ってんのか」

 「そうだ」長嶋が答えた。

 「そっか」運転手はしたり顔に頷いた。

 「不法投棄なんかやらずにまっすぐ帰れよ。それから無線でほかの車両に通報したりするな」

 「んなことしねえよ。ここらにダチはいねえしよ」

 「免許証は返すよ」

 運転手はひったくるように長嶋から免許証を受け取ると窓を閉めた。

 「おい車をどけてやれ」仙道の指示で喜多がXトレールを路肩に寄せた。ダンプは行き止まりの道を器用に切り返して帰っていった。

 「ここはマークしてる捨て場か」仙道が伊刈に聞いた。

 「いいえ初めて来ました」

 仙道は線路際の現場に向かった。「どんな様子だ」

 「小さな現場ですが線路に向かってゴミが崩れてます。これ以上積むと危ないです」遠鐘が説明した。

 「明日にも地主を調べておけ。寄り道したが、これから畜産団地の奥に行ってみるぞ」

 「了解です」再びハンドルを握った長嶋がXトレールを発進させた。

 ダンプを追い返したのとは反対方向に農道を五百メートルほど進むと三叉路に出た。そのまま直進すれば無線で仲間を集めていたダンプが待機していた県道との交差点に戻るはずだ。左折すればこの地域で最大級の畜産団地がある。

 「さっきのダンプはもう移動したでしょうか」伊刈が言った。

 「わからんがとにかく左折だ」仙道が指示した。

 左折するとすぐに両側に延々と鶏舎が続く猿楽町の畜産団地の道路に出た。もともと仮舗装されていたはずの路面だが、産廃ダンプの走行で破壊されたまま放置されていた。この荒れようでは鶏卵を運搬するトレーラの走行にも難渋することだろう。路面の窪みのいつくかはガレキを投げ込んで普請していたが、尖ったガレキのせいで普通車両にとってはいっそう走りにくくなっていた。農道は畜産団地の先の山林に入ったところで行き止まりになってしまうため、Uターンしてくる大型トレーラとすれ違うための待避スペースが鶏舎の脇にいくつも設けられていた。それがかえって産廃ダンプの便宜にもなっているようだった。畜産団地を過ぎると農道の周囲は真っ暗闇になった。行き止まりのはずなのに道幅は広いままで路面もかえって走りやすく修複されていた。

 「この先の左右の山林は全部不法投棄現場ですね。十か所くらいあります」長嶋が言った。

 「ああわかってる。森井町、高岩町につぐ第三の産廃銀座だな」仙道が自ら真っ黒に塗り潰した地図を手元で確認しながら言った。

 「今夜活動するとすれば右の二番目、塀で囲われてる捨て場だと思います」長嶋は目星をつけた処分場にゆっくりと近付いた。

 「まだ動きがないようすね。門扉も閉まっていますし、ダンプが待機している様子もありません」

 「おまえならこれからどうするか言ってみろ」仙道が伊刈を振り返った。

 「畜産団地の出口あたりに隠れてダンプが入ったところで退路を塞げばいいと思います」

 「なるほど。長嶋さんの意見はどうですか」

 「海岸通りの動きも気になります。担当地区に戻るべきじゃないでしょうか」長嶋は清宮警部の指揮から外れた行動を軌道修正したい様子だった。

 「うん。それは正論ですな。喜多はどうだ」

 「僕は班長に賛成です」

 「遠鐘はどうだ」

 「僕は海岸通りに戻るほうがいいと思います」

 「二対二か。わかった。海岸通りに戻るか」

 「了解です」長嶋はXトレールをUターンさせようと路肩に車を寄せた。

 「ヘッドライトです。ダンプかもしれません」喜多がバックミラーに一瞬映った光を見逃さずに叫んだ。長嶋はとっさにヘッドライトを消して木立の中にXトレールのノーズを突っ込んだ。路上で切りかえしている暇はなかった。全員が息を潜めてリアウィンドを覗いた。喜多が見つけた光はダンプのヘッドライトではなく軽自動車のものだった。しかしその軽に先導されてダンプの車列がゆっくりと進入してきた。

 「一台じゃないみたいですね」喜多が言った。後から後から続くダンプの車列はさながら深夜の巨象の行進だった。

 「全部で五台だ」喜多が後席の真ん中から荷台へ身を乗り出すようにして台数を確認した。

 「ほんとに夜のサファリだな」伊刈が蒲郡部長の言葉を思い出しながら言った。

 「二号車より一号車へ。猿楽町の畜産団地奥の林道へダンプが五台進入したところを確認しました」仙道は初めてトランシーバーを手にした。

 「一号車だがいますぐに応援はできない。現場の動きを報告せよ」清宮警部が応答した。

 「現場はまだ開いていません」

 「退路を塞いで待機せよ。こっちが応援に行くまで職質は控えるように」

 「聞きましたか」仙道は長嶋を見た。

 「了解しました」長嶋は車をバックで農道に戻しダンプの退路を封鎖するように停めた。先導車の軽と五台のダンプは長嶋が目を付けていた現場の前に縦列駐車していた。先導車のワゴンRがXトレールに気付いてUターンしダンプの脇をすり抜けて近付いてきた。黒いドアが開き長身の男が一人降りて近付いてきた。

 「あんたら警察か」男はXトレールの運転席を覗き込みながら叫んだ。

 「警察と市の合同パトロールだ。あんたは」長嶋が窓を開けて答えた。

 「俺は犬塚だ」男は堂々と名乗った。

 「おまえ不法投棄の前があるだろう」長嶋はドアを開けて車外に出た。他のメンバーも車を降りた。

 「旦那はオデコすね」

 「あのダンプはなんだ」

 「俺が集めたんすよ」

 「何を始める気だ」

 「しょうがないっすね。まだ産廃は降ろしてないんだから今回は勘弁してくれませんか。俺が必ず帰らせますから」犬塚は悪びれる様子もなく言った。

 「ともかく運転手から話を聞きたい」

 「勘弁してくださいよ旦那。ほんとに帰らせますから」

 「運転手に免許証持って降りるように言え。そしたら帰っていいから。さもないと全員署に引っ張るぞ」

 「しょうがねえなあ。わかりましたよ」犬塚は一台一台ダンプに近付いて降りるように運転手を諭した。

 「警部はまだ来ませんが成り行きなので人定を取ります」長嶋が仙道に言った。

 「いいだろう」

 長嶋は運転手一人一人に免許証を提示させ写真と顔を照合して内容を内容を控えた。

 「ここは処分場じゃないぞ」伊刈が運転手の一人を捕らえて言った。

 「こんなとこだって知らなくて間違って来ちゃっただけですよ。もう来ませんから」

 「不法投棄はもってのほかだが産廃を積んで運搬するだけでも許可が必要なんだよ」

 「知ってますけど何でも運ばないとローン払えないじゃないすか」

 「ローンのためなら法を犯してもいいのか」

 「そりゃ悪いと思ってますけど」

 「犬塚にはいくらだって聞いたんだ」

 「捨て料のことっすか。それならニイゴ(二万五千円)すよ」

 「それがここらの相場か」

 「それはわかんないすけど」

 「逮捕されたらローンどころじゃなくなるぞ」

 「そうすね。もう来ませんよ」

 長嶋が職質を続ける間に喜多と遠鐘はダンプのナンバーを撮影していた。仙道は犬塚とは敵味方ながら旧知の仲なのか、何かこそこそと立ち話をしていた。

 「よし今日は帰っていいぞ」長嶋の号令で、ダンプが大きな車体を切り返して林道を戻って行った。ダンプを見送ってから犬塚の軽も消えた。

 Xトレールに戻った伊刈はハンディレシーバのスイッチを入れた。すると今追い返したばかりのダンプの通話が聞こえてきた。

 運転手1「どうする? また戻るか?」

 運転手2「今夜はやばいんじゃないか」

 運転手1「朝まではいないだろう。鍵を外しとくから勝手に棄てていいって犬塚さんが言ってたよ。オデコなんてどおってことないよ」

 運転手2「だけど免許証見られちまったし、とりあえず戻ったふりはしないと」

 運転手1「ゴミには名前がねえんだよ。誰が捨てたかなんてその場で見てなきゃわかりっこねえだろう」

 懲りない連中の不埒な相談を聞いていると怒りと空しさが入り混じった複雑な感情で胸がむかついてきた。

 伊刈の作業服の胸ポケットで携帯電話が鳴動した。さすがに今夜だけはトレードマークのスーツを脱いでいた。

 「蒲郡です。女王のロードスターを見つけました。ダンプを誘導してます」

 「どこですか」

 「海岸通りを行司岬に向かってます。追跡を続けますから、お手すきなら合流してください」

 「わかりました。海岸通りが担当ですからすぐに向かいます」伊刈は運転席の長嶋を見た。「ロードスターが海岸通りに現れたそうです」

 「了解」長嶋が運転するXトレールは畜産団地を離れ、海岸通りに急行した。

 「漁港の駐車場に向かうようです」蒲郡からまた連絡が入った。

 「技監、自分に考えがあるんですが、漁港を見下ろせる灯台に向かってもいいでしょうか」長嶋が助手席の仙道を見た。

 「なるほどそれもありですな。よし行ってください」

 「了解です」長嶋は指示を待つまでもなくアクセルを踏み込んでいた。

 太平洋を一望できる行司岬の灯台はカフェやプチホテルが立ち並ぶ絶景スポットだった。展望台からは夏場の磯牡蠣、白魚、アンコウなど高級魚介の水揚げで知られる飯丘漁港を俯瞰できた。断崖すれすれの路肩にXトレールを停めるとロードスターがダンプを先導している様子が眼下にはっきり見えた。釣り客の便宜のために漁港の奥に整備された駐車場が格好のダンプ溜まりになっていた。

 「ロードスターはやはり漁港へ入りました」蒲郡から連絡があった。

 「新漁港の駐車場に入りましたね」伊刈が応答した。

 「えっどこで見てるんですか」蒲郡が驚いたように聞き返した。

 「岬の上から見てます。ここからだと駐車場の照明でロードスターの赤いボディがはっきり見えますよ」

 「なるほどやりますね。これからどうしますか」

 「ロードスターが動いたら連絡します。安警は巡回パトに戻ってください」

 「わかりました」

 安心警備保障のCR-Vが漁港道路を離れて国道に戻っていくのが見えた。昼間や日没時には観光客でにぎわう灯台脇の飲食店はとっくに閉店し、周囲はひっそりと静まり返っていた。いつダンプが動き出すかわからないので長嶋はエンジンを止めた。とたんに車体が崖を這い上がってくる潮騒に侵食された。

 「動きませんねえ」駐車場の奥の暗闇の中に溶け込んだダンプの黒い車体に目をこらしながら喜多が言った。

 「焦るなって」伊刈が諭した。

 「でもなんだかわくわくします。夜間パトロールって不謹慎かもしれないですが面白いです」

 「こんなのパトロールじゃねえよ。夜のクジラウォッチングってとこだろう」仙道が意外なジョークを返した。

 「それじゃ僕らはキャッチャーボートですね」

 「なにがキャッチャーボートだ。丸木舟に竹槍を積んだ程度じゃねえのか」

 「今にクジラ採りの名手になってみせますよ」伊刈が言った。

 「そう願いたいもんだね」

 「技監、さっきの運転手、不法投棄の相場をニイゴと言ってましたよね」

 「ああそうだな。それがどうした」

 「偶然かもしれませんが、どのダンプも同じなんです。椿がエターナルクリーンの大伴社長に高岩町の処分場を売り込んだときにも一台二万五千円だと言ったそうです」

 「なるほど。しかし実際はどうだったんだ」

 「実際にはわかりませんが」伊刈はユキエから入手したエターナルクリーンの裏帳簿を解読したことを誰にも内緒にしていた。あの裏帳簿でもダンプ一台の棄て料は二万五千円だった。「仮に犬咬の不法投棄が一台二万五千円に決まっているんだとしたら面白いと思いませんか。不法投棄なのに相場があるなんて」

 「不思議はねえだろう。闇の経済にだって相場もあればルールもあるぞ。そうでしょう長嶋さん」

 「ええそおっすね。クスリにだってなんにだって相場がありますよ。不法投棄に相場があっても不思議じゃないです」

 「それじゃ誰がその相場を決めるんですか」

 「班長それは需要と供給じゃないですか」喜多から経済用語が出た。

 「つまり経済学か。やっぱりおもしろいなあ」伊刈は何かを悟ったようにほくそ笑んだ。

 「不法投棄って、いったいいくら儲かるんでしょうね」

 「おまえ興味があったら自分で研究してみたらいいじゃないか。誰もそんな研究したことねえんだから」仙道が思いつきのように言った。

 「ロードスターが動きました」漁港の駐車場をじっと睨んでいた喜多が叫んだ。

 「ダンプはどうだ」仙道が聞き返した。

 「ダンプは動きません。ロードスターだけ動くようです」漁港の街灯に照らされた赤いボディが漁港道路を疾走して国道方面へ向かうのが見えた。

 「警部補」

 「了解です」長嶋が仙道の指示と同時にエンジンをスタートさせた。Xトレールはフルスピードで坂道を滑り降り国道に出る交差点を左折した。次の瞬間赤いロードスターが信号を無視して漁港道路から飛び出してきた。

 「危ない」喜多が叫んだ。長嶋はかろうじてロードスターとの衝突を回避して路肩によけた。ロードスターはスピードを緩めず国道を旧市街方面に向かった。

 「追いますか」長嶋が仙道を見た。

 「いや、ムリするな。それよりダンプを確認しよう」

 「了解です」長嶋はそのままゆっくりと漁港道路を進んだ。

 その時、一号車の清宮警部から仙道の携帯に連絡が来た。「技監いまどちらですか」

 「漁港のダンプ溜まりを見張っています」

 「猿楽町のダンプはどうされましたか」

 「人定を取って追い返しました」

 「そうですか。応援に行けなくて申し訳ありません。今からすぐに岩篠交差点手前の公民館に来ていただけますか」

 「でもこっちもダンプを見張っているんです」

 「予定より早めに作戦Bを決行します」作戦Bとは本所の現場への突入作戦だった。

 「わかりました。捕鯨をやるんですね」

 「捕鯨? なんですか?」

 「いえこっちの話です。すぐに向かいます」

 漁港に溜まっているダンプに未練はあったが一号車の指示に従ってXトレールは海岸通りを離れた。

 岩篠公民館は市道から奥まったところにあり深夜の作戦会議にもってこいの場所だった。駐車場に着くと公民館に併設された氷川稲荷神社のコンクリート製の鳥居の前で安心警備保障の蒲郡部長が待っていた。

 「一号車はまだ来ませんか」伊刈が蒲郡に尋ねた。

 「さっきまでいたんですが産廃街道のパトロールに出ました。二号車は岩篠交差点で張り込んでくれということです。本所の現場に行くダンプは必ずそこを通過しますから」

 「わかりました」

 「海岸はどうでした」

 「ロードスターだけ国道を旧市街方向に向かいました。ダンプはまだそのままです」

 「偵察に行ったんでしょうね」

 「途中でロードスターと鉢合わせになり危うく衝突するところでしたよ」

 「ニアミスですか、よほど縁があるんですなあ」

 「本所は動きそうなんですか」

 「動きますね。GS裏に二台、工業団地に四台もうダンプが待機してます。無線を使っていないので正確な動きはわかりませんが深夜になればやると思います」

 「少しそこらを流してみますか」

 「清宮警部から長嶋さんに伝言です。作戦Bでダンプを捕まえたら現場で調書を取らずに所轄まで誘導するそうです」

 「了解です」

 安心警備保障の蒲郡も公民館を離れ工業団地のダンプ溜まりの監視に戻った。伊刈たちは岩篠交差点に張りこむ前に付近の様子を伺ってみた。蒲郡部長の情報どおり確かにガソリンスタンド裏の空き地に待機中のダンプ二台の車影が見えた。車内では運転手が捨て場からの連絡を待ちながら仮眠を取っているのだろうと思われた。

 Xトレールは岩篠交差点に戻り、付近に車両がないのを確認してから植木畑に隠れた。通過する車両をかろうじて判別できる距離だった。夜空を覆う雲に街の明かりがうっすらと反射しているほかは漆黒の闇夜だった。窓を開けると遠くから豚舎の喧騒が聞こえた。伊刈は手持ち無沙汰にレシーバを操ってみたがダンプの通話は拾えなかった。警察車両の動きはわからなかったが一号車と連携しているに違いなかった。各車両は突入の指示を待った。

 「喜多、気分はどうだい」仙道が喜多をからかうように言った。

 「最高ですよ」

 「これから現場に踏み込むんだよ。普通なら怖くて足がすくむけどね」

 「そういう実感がわかないんです」

 「工業団地内道路にダンプ五台の待機を確認」安心警備保障からトランシーバに一斉通報があった。

 「こちらは一号車、産廃街道からダンプ一台を追跡中。岩篠交差点に向かうと思われるので二号車は通過確認せよ」清宮警部からも通報があった。五分後ダンプが岩篠交差点を通過するのが見えた。

 「ダンプの通過確認しました。直進です」喜多が言った。遅れて本課のパジェロが交差点を通り過ぎるのが見えた。

 「追跡中のダンプは本所の現場を素通りして高岩町方面に向かって走行中のようだ」清宮警部がトランシーバから報告した。

 「あっまた別のダンプですよ」喜多が叫んだ。確かに深ダンプが国道方向から交差点に進入し、左折のウィンカーを出しながら赤信号で停まったのが見えた。その直後予想外のことが起こった。人影がするすると近付いて運転席の窓を叩いたのだ。

 「今の見たか」仙道が言った。

 「呼び込みだ」喜多が言った。

 「路上でキャッチなんておもしろいですね」伊刈が言った。人影は信号が変わる前にすっとダンプから離れた。

 「どんな男だった?」伊刈が言った。

 「ずんぐりしてました」暗がりでの喜多の視力は抜群だった。

 「もしかしたら本所なのかもしれないな」伊刈が言った。

 「ダンプがまだ来ますね。全部で三台です。全部左折するみたいですね」喜多が言った。

 「追いますか」伊刈が技監を見た。

 「一号車の指示を待て」仙道が言った。

 伊刈はトランシーバを手にした。「こちらは二号車です。ダンプ三台が国道方面から岩篠交差点に進入。左折して本所の現場方面へ向かいました。本所らしき男の姿も見かけました」

 「こちらは一号車。そのまま待機してくれ。こっちはさっきのダンプの追跡を放棄して逆走中だ」

 本課の一号車とダンプ三台がすれ違った。バックミラーに農道へ左折するダンプのテールランプが写った。

 「本所の現場にダンプ三台の侵入を確認した」トランシーバから流れる清宮警部の声がにわかに緊迫した。

 「各車両は0210(まるにいちまる)時まで持ち場に待機後、一斉に現場に突入する」とうとう突入決行の指示が出た。

 「二号車了解です」長嶋が答えた。

 「こちら所轄の植草です。本所の現場でユンボが動き出しました。最初のダンプがバックしています」初めて所轄からの報告だった。植草はずっと動かずに何時間も本所の捨て場だけを見張っていたのだ。作戦Bの決行を早めたのもユンボがスタンバイしたのを植草が通報したからだった。これが警察の仕事だった。

 「0215時突入変更なし。本部の車両が先行する。各車両は現場進入路に向かえ」清宮警部が号令した。パジェロが再び岩篠交差点を通過したのが見えた。

 「いくぞ」仙道の号令でXトレールも発進した。交差点を抜けると弥勒補佐の乗った所轄車がフルスピードで農道を現場に向かうのが見えた。そのすぐ後を追う本課のパジェロも見えた。所轄車はすでに現場付近に張り込んでいるはずだ。伊刈は時計を見た。突入決行時刻の十五秒前だった。現場に着くのはXトレールが最後だろう。遅れを取ったと思った。

 「オデコだ、逃げろ」付近を軽自動車で巡回していた本所が警察の突入に気付いて無線で現場に通報した。

 「くそっ」モギリはとっさの機転で門扉を閉鎖した。その直後に弥勒補佐が乗った所轄車が到着した。

 「警察だ、開けろ」先頭を切って車を跳び降りた弥勒補佐の怒号を聞いてもモギリは扉を開けなかった。

 「開けないと蹴破るぞ」弥勒はなおも怒鳴った。

 「おいどんな様子か応答しろ」モギリの持ったレシーバから本所の怒声が響いた。

 「警察が入って来ましたよ」

 「ばかやろう早く逃げろ」

 オペはユンボを捨てて崖に渡しておいた梯子を駆け上がろうとした。そのとたん崖上で待ち構えていたもう一台の所轄車がヘッドライトを点灯した。オペは驚いてとっさに近くの藪の中に飛び込んだ。植草が車を飛び出して藪に隠れたオペを追ったが惜しくも取り逃がした。植草はオペを諦めてダンプ運転手の確保を支援することにした。本課のパジェロも遅れること十五秒で門扉前に到着した。

 「おい早く開けろ。中にいるのはわかってるぞ」清宮警部がトタン板を張った扉を激しく叩いた。植草が崖上からのサーチライトで場内を照らし出した。それを見てモギリは現場を包囲されたと観念しようやく閂を外した。

 「おい逃げたか」呆然と立ち尽くしたモギリが握り締めたレシーバが本所の声に震えた。

 「捕まっちゃいましたよ」

 「逃げろばか」

 Xトレールが到着したのはちょうど門扉が開いたときだった。長嶋がエンジンも切らずに現場にかけこんだ。

 「本所はいるのか」弥勒が清宮に聞いた。

 「ここにはいないようですね。軽で周辺をうろうろしていたようです。長嶋が交差点で本所らしい男を見てます」

 「残念だが初日としちゃあまあまあか」

 「こいつは自分が」ようやく合流した長嶋がモギリの身柄を確保した。

 「頼んだ」弥勒補佐と清宮警部は捨て場の奥に並んだダンプの確保に向かった。

 ダンプの運転手たちはドアをロックしてダッシュボードの下に潜り込んでいた。

 「おまえら何やってんのかわかってんのか」伊刈にとっては耳慣れた甲高い声が聞こえた。本課に出向した宮越がダンプからなかなか降りようとしない運転手をどなりつけていたのだ。さすがに宮越も初体験の夜の捕り物に興奮しているようだった。

 伊刈は何をするでもなく、ダンプアウトされたばかりの産廃が散らかった現場をゆっくりと歩いてた。サーチライトに照らされた産廃の山が不気味な銀色に輝いていた。

 合同夜間パトロールチームはモギリ一人と運転手三人の身柄を拘束して朝陽署に任意連行した。ダンプに署員が同乗し本人の運転で駐車場まで移動させた。国道沿いの警察署の狭い駐車場に深ダンプの巨大な車体が三台並ぶ様子は目立つことこの上なかった。

 会議室を使って連行した四人別々の取調べが始まった。ここは警察官の独壇場だった。

 「氏名、生年月日、住所、電話番号、携帯電話番号を言いなさい」長嶋が運転手の一人に尋ねた。

 「はあ」運転手はわざと要領を得ないようにはぐらかした。

 「今夜の現場に来たのは初めてじゃないだろう。前回はいつ来た?」

 「初めてっすよ。間違って入ったんです」

 「現場は誰がやってんだ」

 「知らないっすよ。前のダンプについていっただけっすよ」

 「知り合いなのか」

 「いえたまたま国道走ってて見かけただけっすよ」

 「どこで産廃を積んだ」

 「解体現場っすよ」

 「どこの?」

 「都内っすけど俺埼玉っすから場所がよくわかんなくて無線に誘導されただけっすから」

 「許可がないと廃棄物を運べないのは知ってるか」

 「自分の解体したものならいいんすよね」

 「おまえが解体したのか」

 「違いますけどちょこっとは手伝ったってことにできないすか」

 「ばか言え」

 「そおっすよねえ」運転手は頭を掻いた。肝心なことをはぐらかした堂々巡りの尋問が続いた。他の運転手も似たり寄ったりだった。

 「班長、何か聞きたいことないですか」事情聴取の様子を見守っていた伊刈に長嶋が声をかけた。

 「解体現場ではいくらもらったんだ?」伊刈が長嶋の隣に座りざまに尋ねた。

 「ちょうどっすよ」

 「ちょうどっていくらだ?」

 「十万っすね」

 「捨て場は誰がやってんだ」

 「さっきも言いましたよ。俺は今夜初めてだし誰の穴かなんて知らないっすね」

 「捨て料はいくらか聞いたのか?」

 「ええそりゃあね」

 「いくらだ」

 「ニイゴっしょ。ここらの穴はみんなニイゴっすよ」運転手はあっさり答えた。

 「二万五千円てことだな。やっぱりどこも同じみたいだ。相場は誰かが決めてんのか」

 「誰が決めたか知らないすけど、だいたい穴の相場が自然と決まってんすよ」

 「ずっとニイゴなのか」

 「前は三枚でしたがテンゴ(五千円)下がったんすよ」

 「どうして?」

 「競争じゃないっすか。穴が増えましたからね。俺らは安ければ安いほどいいんすけどね。今日の穴もね、噂じゃ二枚(二万円)ポッキリとかイチゴ(一万五千円)とか聞いてたんすけどね。結局入ったら一緒っすよ」

 「ここらへんの最終処分場の正規料金は十トン車なら二十五万だぞ」

 「へえ十倍っすか。そんなのムリっすよ。俺ら十万で受けてんのに二十五万払えるわけないっしょ」

 「おまえふざけてんのか」モギリの事情聴取を担当している清宮警部の怒鳴り声が会議室に鳴り響いた。

 「だって知らないもんは知らないっすよ」

 「このレシーバはなんだよ。親方から預かったんだろう」

 「そうすけど」

 「誰から預かったか言えねえのか」

 「だから知らないって」

 「じゃどんな人相だった」

 「それもねえ車ん中から手だけ出したからねえ」

 「ふざけやがって。じゃどんな車だった」

 「黒だったかガンメタだったか忘れましたよ」

 「車種はなんだ。軽か普通車か」

 「さあねえ」

 「日当は貰ったのか」

 「捕まっちまったのに貰えないっしょ」

 「いくらの約束だ」

 「さあねえ俺今夜が初めてだし」

 「それじゃここらの相場はいくらだ」

 「そうっすねえ、オペが二万見張りやモギリが一万てとことじゃないっすか」

 「いままで何回モギリをやった」

 「だから初めてだって。パチンコやってたらね、いいバイトがあるって携帯でダチに誘われてね」

 「ダチって誰だ」

 「言えるわけないっしょ」モギリの男は自分の名前以外何も言わなかった。

 結局警察署に拘引された四人は誰一人確定的な証言をしないまま作成された面前調書に拇印を押し明け方に全員が解放された。ダンプは産廃を満載したまま国道に消えていった。

 「いやあ、おもしろかったですねえ。久々に胸のつかえがすっとおりましたよ。また時々やってくださいよ」安心警備保障の蒲郡部長はダンプを見送りながら上機嫌だった。

 「せっかく捕まえたのに釈放ってのはなんだか釈然としませんね」伊刈は不完全燃焼だった。

 「まあ、それは仕方ありませんな。今回は検事には相談なしなんでしょう。検事の了解がないと逮捕はできないんですよ」

 「検事にはノルマがあるんですよね」

 「っていうか検察のキャパですかね」

 「ほんとにそうなんだ。どうりで現行やらないわけですね」

 「私の現役当時はね、不法投棄なんて検事が全然食ってくれなかったけど、霞ヶ関(警察庁)から通達が出てだいぶましになったんじゃないですか。これからは環境の時代だからねえ」

 「警察ってべつに検察の出先じゃないでしょう。検事のノルマなんて関係なしにどんどん捕まえちゃえばいいじゃないですか」伊刈が毒のある言い方をした。

 「そりゃそうだけどさ、せっかく逮捕したって検事に起訴してもらえないんじゃ意味がないですからねえ」

 「警察も大変なんですね」

 「下っ端の巡査部長とか警部補とかにはどうだっていいことだけどさ、警部から上となると出世のことも考えるからねえ。検事とうまくやれないんじゃ話になんないでしょう」

 「もしかして役所より難しいとこなんですか」

 「役所は自由ですよ。伊刈さんみたいなのは警察じゃ全く通用しないですよ。長嶋がね、いつもみなさんがうらやましいって言ってますよ。それにしても今夜だけでも随分ダンプを捕まえてたみたいじゃないですか。伊刈班長やるじゃねえかってみんな思いましたよ」

 「それお世辞のつもりですか? 仕切ったのは本課でしょう。うちはお手伝いだから」

 「けっこう二号車は勝手にやってたみたいに見えましたけどね。今年はほんと楽しくなりそうですね。みんななんだかんだ言って伊刈さんには期待してんですからね。頼みますよ大将」蒲郡は伊刈の背中をぽんと叩くと意気揚々と引き上げていった。

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