第4話 運命の扉

運命の扉


 中学一年の終業式が終わった。

 おさむは、自分の部屋で大の字になって仰向き、いましがた貰ってきた通信簿を見た。どの科目も評価は〝2〟だ。さいわい、1までは落ちていない。それでも、一学期と比べると、えらい違いだ。

 ……あたりまえじゃ。毎日学校の椅子に座りに行っとるだけじゃさか。オレは、学問を投げた。これで、いいじゃないか。

 そう考えた。だが、張り切って中学一年になったときのことを思うと、心のどこかに、いいようのない寂しいものが残っていた。

 たとえ、短い間にせよ、学ぶことに意欲を燃やし、実際実行した。結果、かなりの成果をおさめた。同時に、そのことで、周りからも評価された。それまでの、独りぼっちの生活から、にわかに陽の当たる場所に立って夢見心地になっていた。地に足がついていなかった。ふとした気のゆるみが盗みを起こした。おそらく、平常心を失っていたのだ。

 ……誰が決めたかしらんが、オレは、こういうふうになっとるんじゃ。

 一種の、あきらめの気持ちに考えを移した。だが、やはり、甘い感情が心の隅に残った。

 実は、感性の鋭い彼のこと、希望に胸ふくらませて中学一年をむかえたときの情景が、絶えず自分自身を苦しめていることに、はやくから気づいていた。しかし、それは、どうしてでも忘れなければならないことだった。それで、全エネルギーを放出して、真夜中の土方仕事に体当たりした。限界まで、極限まで自分の肉体を酷使して、何もかも忘れようとしたのである。実際それは、少しずつ功を奏していた。なかでも、区長との出会いは、学問とは違った方面で、彼に大きな希望を与えた。

 ……オレは、きっと、何かをやってやる。

 そう、心に刻み付けた。


 玄関戸が開いて、もとゑが昼飯の支度のため、畑から帰ってきた。

「母やん、通信簿見せたろか」

 おさむは、わざと陽気に振る舞って、通信簿の端しっぽを二本の指で挟んでヒラヒラさせながら差し出す。

 もとゑは、ちらっと見て、だまって返した。

「うまいこと、2ばっかり、ならんどるやろ」

「夜さの仕事しよるんやもんな……無理じゃ」

「中学は、義務教育やさか、出席だけしといたら卒業できるよって、卒業証書だけは貰えるやろ。オレそれでいいんじゃ」

 もとゑは、水がめから洗いオケに水を張って、採ってきた野菜を放り込む。

「オレ、火焚くわよ」

 おさむは、竈の前に座り、細い木の枝をポキポキ折って火を起こした。

 通信簿のことは、それきりとなった。

「母やん」

「なんや」

「オレ、今晩現場行ったら、区長さんに頼んでみようって思とることあるんじゃ」

「何を?」

「春休みの間、昼働かして貰お、思うんじゃ」

「昼間は、本職の職人ばっかりやど」

「オレ、間知積の手元できるさか、日当も、じゃり持ちの倍あるしのお」

「おまえ、間知石みたいな重いもん、よう動かすんか」

「母やん知らんやろけど、去年の夏休み、ちょっとだけ職人の手元したんじゃ」

 手元とは、助手のことである。本職の石積み職人のそばで、材料の石を運んだり、固定したりする作業のことだ。

 おさむは、去年の夏休み、薪作りの材料集めに、毎日製材所へ通った。そのとき、すぐ近くで路肩の間知積が行われていた。その職人が、かつて、請川中学の堤防工事で世話になった大将の息子だった。それで、薪作りの合間に、手伝いを兼ねて、石の動かし方を教えてもらったのだった。

 間知石とは、石垣を積むために加工された専用の石のこと。形は四角錐で、奥が細くなっている。細くなったほうを内側にして、一個一個正確に積み上げて石垣を築くのだ。このやり方を、間知積という。石一個の重さは五十キロ近くあった。

 この作業は、大人でもそうとう慣れないと、思うように石を操ることができない。ましてや、中学生にはどだい無理な仕事であった。だが、おさむは自信があった。わずかな時間にコツをのみこんでいたのだ。

「きみが、その気なら、昼の責任者に頼んだるけど、ようやるか。じゃり持ちとはちがうぞ。職人相手じゃさか」

 いつもの通り朝まで砂利持ちをして、勘定のとき、おさむは区長に仕事の変更を頼んだ。

「オレ、やったことあるさか。自信あるんじゃ」

「君は、馬力あるさかのお。出来るかも知れんが、……とにかく、いっぺんだけやってみるか」

「はい、おおきに」

「きょうは、聞いといたるさか、明日の朝から、やってみるか」

「オレ、朝飯食うて、今から仕事してみるけどのお」

「なんやて! 一晩中働いて、このまま仕事しとったら、君、たおれるぞ。きょうは休んどけよ」

「大丈夫や。春休みじゃなかったら、今から学校へ行くんじゃさか、平気や」

 区長は、おさむの申し出に苦笑した。

「中岸おさむ、ちゅうのは、どいらい中学生じゃのお」

「おおきに!」

 おさむは、ぺこんと区長に頭を下げた。

 そうときまれば、しめたもんとばかりに家に帰り、大急ぎで朝飯をかきこんで現場へ。そこには、区長はいなかったが、彼の姿を見て、でっぷり太った中年の男が近づいてきた。昼の部の工事責任者だ。

「中岸君ちゅのは、君か?」

「はいっ!」

「区長から聞いた。とにかく、どんだけ出来るかやってみ。あかなんだら、また、砂利持ちせえよ」

 男は、低音のしわがれ声でいった。いかにも土方の大将という風貌だ。

「よし、見とったる。わしの目の前で石回ししてみ。仕事に使えるかどうかの試験じゃ」

 笑いながら、いった。若造に何ができるか、という表情だ。

 おさむは、間知石のひとつに手をかけた。石まわしとは、石を自由自在にあやつることだ。この動かし方ひとつで、手元の技術が決まる。

 まず、この石独特の形をフルに利用する。つまり、細くなった方を持ち上げる。これは、片手で充分だ。ちょっと力をかけるだけで石がひとりでに立ってくれる。だが、ここで完全に石を立ててしまうと、動きがとれなくなるので、すこし手前で支える。次に、空いたもう一方の手を、下になった四角形の角にかけて回転をかける。五十キロの石が、いとも簡単に転がる。

 おさむは、それを、楽々とやってのけた。それを見ていた男、

「おー、うまいもんじゃ。兄いは、石まわし初めてじゃないな」

 監督は、意外な顔。

「去年、ちょっとだけ、やったことあるさか」

「よっしゃ! 日当も一人前とはいわんけど、はずんだるさか、しっかりやれや」

 合格だ。あっさりしたものだ。土方仕事は学問じゃない。むつかしい理屈抜き。仕事が出来るかどうかで決まる。

 こうして、約半月の春休みの間、職人のなかに入って働くことになった。

「兄い、ええからだしとるけど、年なんぼや」

 おさむが、手元をすることになった職人は、大阪弁だ。土方の人夫は、そのほとんどは言葉づかいが荒く、地元民からは〝よそもの〟と呼ばれ敬遠されていた。素性も分からず年齢も定かではない。腕一本で飯を食って各地を渡り歩く。時々ケンカもするが、根っからの悪人はいない。特に、仲間意識が強く、おさむのような若いもんには特別目をかけてくれる。

 おさむは、仲間から“竜ヤン”呼ばれるその人とコンビを組むことになった。

「そーか、まだ中学か。十三やな。俺も、十三のとき、この仕事しとったんや。おれ、学校行けへんかったからな」

 おさむは、そんな竜さんに、親近感を覚えた。日焼けしたその顔は三十過ぎに見えた。

 毎日が、おさむにとっては、新しいことの発見の連続だった。土方仕事に関しては、具体的には石回しが出来る程度の彼にとって、竜さんが教えてくれるその他のことに非常に興味があった。同時に、それらが、すんなり自分の腹に収まった。不思議に苦もなく理解できた。一週間もすると、かなりの知識が身についた。べつに習おうとして仕事をしているわけではなかったが、自然に会得していたのである。間知積の段取り、手順をすべて自分のものにした。つまり、仕事の先が読めるようになっていたのである。

「兄いは、ええカンしとるやないけえ」

 竜さんは、日に何度も、そういった。

 ……オレは、この仕事に向いとるかもしれん。

 ある日、ふと、そんな気がした。

 毎日が楽しかった。これまでのように他人の目も全く気にならない。反対に、なぜ、あのときは、そんなに気をつかっていたのかと思った。そんな現場仕事が幾日か続いた。おさむは、いままで感じたことのない、なんとも不思議な雰囲気のなかに自分が居ることに気付いた。

 ……なんだろう、この、甘いような、切ないような、落ち着いた気持ちは。

 こうだと、説明がつけばいいのだが、それができない。朝、仕事現場に立つと、その感じが、益々強くなる。気分が落ち着いて、スッキリしてくるのだ。夜のじゃり持ちと違い、昼の仕事は休憩時間もたっぷりある。職人というのは、昼飯どきの他、午前中に一回、午後に一回の長い休憩をとる。おさむも、それに倣った。別段疲れは感じなかったが、これも仕事のうちと思った。休んだからといって賃金が減るものでもない。やはり、砂利持ちよりは、格が上だと理解した。

 竜さんは、昼寝を決め込んでいる。たいがいの人夫は、所構わず寝ころんで仮眠をとる。おさむは、土の上に直に胡坐をして、時間をつぶした。

 何気なく、目の前の土を掴む。春の陽光をいっぱいに吸い込んだ一握りの土は、ほんのりと温かい。甘いような温もりが、手の平から腕を通して胸にしみこんでくる。その土を、力いっぱい握りしめる。指の間から、はみ出た土くれが足の甲に落ちる。同時に、手の皮膚に新な感触が起こる。

 おさむは、生まれて初めて確かな手ごたえを感じたように思った。

 いままで、何を掴みかけても、スルッと指の間から抜けてしまった。たまに、しっかり掴んだと思い、その手を開いてみると、掴んだはずのものが、いつの間にか消え失せていた。そのあとには、寂しい孤独だけが残った。そして、絶えず孤独の谷間をさまよった。なまじ感性がつよいため、その分余計に孤独の谷が深くなるばかりであった。

 真夜中の砂利持ち……おさむは、これに逃げ場を求めた。金儲けは表面の口実。もちろん、家計がひっ迫していたことは事実だったが、単に、それだけの理由では過酷な深夜労働にかりたてるだけの原動力にはならなかった。

 一瞬の気のゆるみが起こした万引行為。それにより、点火された嘲難の炎は一気に燃え広がった。村一番の貧乏一家。母、もとゑの警察騒動など材料にはこと欠かない。

『やっぱりなぁ、あれじゃ大人になっても、ろくなもんにならんぞ』

 学校での無視に加えて、彼の耳に届く人々の声。ご丁寧に、尾にヒレまで付いている始末。心の傷が深ければ深いほど、その表面は平然としているものである。おさむは、極力そのようにふるまった。

 だが、ものには限界というものがある。彼は、今自分がギリギリの処に立っていることを悟った。そして、暗く寂しい孤独の谷間を彷徨った。何でもいいから手応えのあるものを掴みたい。どんなことでもいい。変化が欲しい。なにもかも忘れて飛び込めるものは、ないだろうか。疲れ果てた心でそう願っていた。それは、祈りにも似たものだった。

 おさむは、真夜中の砂利持ちに飛びついた。それは、暗い谷間にポッカリ開いた逃避の扉だった。全エネルギーをふりしぼって仕事をした。ものを考える余裕などない。学校が春休みになるまで、我を忘れ、とに角目の前にあるじゃり持ちという仕事だけに没頭することで我をわすれた。結果として、金もうけにもなった。

 春休みに入って、うまい具合に、昼間の仕事が来た。ちょっとでも生活費を得るためだ。昼の仕事は時間的に余裕があり、あれこれ考えながら作業した。竜さんが土建のことを色々教えてくれるのが、たまらなく楽しく感じられた。初めて味わう他人との語らいの時間。のみならず、現場に居るだけで、何かしら気持ちがなごんだ。春の陽気のせいじゃない。心の底から、じっくりと落ち着いた気分に浸れるのだ。それで、現場で一晩野宿してもいいと、まじめに考えたりした。それほどに、土に接していると、身も心も満ち足りた思いでいっぱいだった。それは、このところ、何時も感じている不思議な雰囲気と関係あるようにも思えた。

 おさむは、再度足元の土を掴んだ。確かな手応えが返ってきた。適度に湿り気を含んだ土は、力まかせに握りしめて、そっと手を開くと、そこには、指の跡がクッキリと残る。二、三回同じことを繰り返す。そうしているうち、ふと、からだのなかが空っぽになったような気がした。土を握っていることで、誰からも相手にされない辛い気持ちが少しずつ消えていくような気分だった。側では、本音で話をしてくれる土方人夫の竜さんが、気持ち良さそうに寝息をたてている。この村とはかかわりのない遠い他所の人ではあるが、今の彼にとって最も大切な人だ。

 ……あゝ、ここは素晴らしい!

 この感じは、明確に説明できないが、これまでの世界とは、まるで違うところに居る自分を感じた。

 ……こんな、いい気分は初めてだ。

 そう感じた。このときは、除け者にされている自分、また、村一番の貧乏一家、

村人の冷淡な目、それらの全てが消え失せていた。

 ……これは、土のせいだ。

 毎日、ここに来ると、何かしら心が軽くなるのを感じていたのは、土がオレを待っていてくれたからに違いない。きっとそうだ。何も喋らず黙したままの土だが、オレの思い通りになってくれる。握りしめれば固まる。解すとパラパラと指の間からこぼれ落ちる。何といっても、手に伝わる感触が気持ちいい。

 ……あゝ、オレは、土が好きだ。

 土を握ったまま、目を閉じる。どっちを向いても辛いことばかりのなかで、やっと一つの拠を見つけた。そう確信した。確かなものにすがりつくことが出来た。

 ……土と、この土と一緒に生きたい!

 頭のなかで、ピカッと何かが光るのを感じた。

 目を開けて、手の中の土を見る。

 ……オレは勉強では見込みない。そやけど、この土とだったら成功できるかも……。いや、きっと出来る。よし、土で成功したる!

 孤独の谷から抜け出そうと、がむしゃらに飛び込んだ土方仕事。そこに、彼の一生を決定づける『運命の扉』が開いたのである。



報われた!

 ついこのあいだまで、春がすみのなかで、うとうと居眠りをきめていた野や山がにわかに芽吹き、それとともに、むせ返るような新緑の香をたっぷり含んだ青い風が、熊野川の川面を、ためらいがちにわたり始めた。

 昭和二十七年五月。……終戦から七年の歳月が流れ、その間、多くの古いものが消え失せ、それらの何倍もの新しいものが、次々生まれていた。

 天皇の人間宣言、新憲法のもとでの男女同権、自由と平等。国民は、一瞬にしてどこか見知らぬ国に迷い込んだように、目を見張り驚きの声をあげた。新しい決まりごとは、あたかも、雨後のタケノコのように林立した。それらは、大きく重要な取り決めから些細なことまで、おびただしい数にのぼった。これらのなかで、五月五日の端午の節句なども、二十三年七月には〝子供の日〟と改められ、国民の休日の仲間入りをした。

 政府や地方自治体は、新しい制度を広く国民に浸透させる目的で、色んな催しごとや記念事業に取り組んだ。この、子供の日に関しても例外ではなく、第四回めをむかえて、各地で多彩な行事が繰り広げられていた。

 人々は、ようやく、敗戦がもたらした飢餓地獄から脱出しつつあり、こういったことにも目を向けられるようになっていた。新しい時代の息吹を感じ取り、消化するだけの余裕ができ、同時に、復興の二文字を心に刻み込んでいた。すべてが、新しく生まれ変わることに、明るい希望を抱いていた。

 そんななかで、おさむは、義務教育最後の年、新制中学三年を迎えていた。すでに、背丈は、父松一よりはるかに高く伸び、土方仕事のせいで、肩幅も広く頑強な体格になっていた。だが、全てのものが新しい風に乗って羽ばたいている渦中にあって、彼だけは依然として、そんな世間に、そっぽを向けていた。

 いくらかは楽になったとはいえ、あいかわらず家は火の車だった。去年、学業のかたわら土方をした。それで、どうにか人並の生活には至っていたが、しかし、一時も賃仕事を休むことができなかった。休めば即生活費が底をつくからだ。実際、このごろでは、母はもとより、父までもが、おさむの稼ぎをあてにするようになっていた。そんなおさむには、世の中がどのように変化しようが関係ないことだった。わかっていることは、

 ……オレが働かなんだら、家族は人並に生活できない。

 ただ、それだけだった。

 兄や長女の美千代は都会暮らしだったが、それぞれが所帯を持っていて家に仕送りどころではなかった。自分たちが生きていくのに精一杯だったのだ。

 中学三年になると、進学や就職の話題が多くなる。保護者との懇談会なども、ぼちぼち始まっていた。生徒は、将来に目を輝かせ、親たちは、真剣に、わが子の行く末を考えていた。だが、これも、おさむには関係ないことだった。周りの光景を、別世界のこととして眺めた。彼としては、卒業証書さえ貰えれば、それが全てだった。もちろん、両親が教師との面談に出かけることもない。担任も、その点は心得ていたとみえ終始無言。中学一年の時起こした万引のことが尾を引いていたのである。

 日曜と子供の日が続いたため、二日間の連休となり、おさむは、父と二人で商売用の薪つくりをした。去年、燃料販売店の依頼ではじめていたもので、松一の本職、山仕事がなくなると、この仕事をしていた。松一にとっては、本職が出るまでの、つなぎ仕事だった。

 区長の紹介で始めた土方仕事が終わってからというもの、おさむは、この薪つくりに精を出した。今の彼には、薪つくりが全てだった。それで、一束でも多くつくり納品することに専念した。納品すれば確実に収入になった。

「おさむ、あしたなぁ、樫の大きなやつ倒す予定やけど、おれ一人じゃ無理じゃさかいに、学校休めんか?」

 山からの帰り道、松一はいった。大きな木を切る場合、松一だけでは危険だったのだ。

「休んでもええけど、また、うるさにいわれるしのお」

 このところ担任から、出席日数の不足を度々注意されていた。あまり休むと卒業できんぞ、といわれていたのだ。

 学校は、おさむにとって、ただの机と椅子でしかなかった。毎日、ボケーと座るだけのものだった。授業が終わるまで黙って座る。ただそれだけの存在だった。それでも、卒業証書がかかっているので、そのためだけに登校した。証書だけは、どうしても欲しかった。

 それで、父にはすまんが、翌日は何時もの通り登校した。自分の席に座り、カバンを机の横に引っかけて、一応は勉強の形だけはとる。おさむにとって、単なる時間つぶしでしかない退屈な一日が始まろうとしていた。まだ、担任が来ていない教室内は、やはり進路の話が飛び交っていた。

 ……あーぁ、オレには関係ない。そう小さく呟いたとき、

「中岸君、中岸おさむくんは来とるか!」

 突然、廊下で大声。見ると、用務員のおじさんが立っている。目が合うと、こっちに来いと手招き。あわてて、椅子を蹴って廊下へ。

「中岸君、校長さんがきみを呼びよるさか、すぐ校長室行け!」

「校長が、このオレを……」

 一瞬、頭のなかが真っ白。

 ……入学以来、こんなこと初めてや。オレに、何の用や。

 用務員にいわれるまま、廊下を早足で歩きながら考えをめぐらす。いくら考えても、おもいあたることが無い。

 校長室の前に立つ。引き戸がすこしだけ開いている。でも、すぐ入るのをためらう。なんといって入ればいいのか。なにせ、初めてのことだ。とんでもないことに巻き込まれたように思った。時間が経つ。早くしないと。

 ……来い、といわれたから来た。それだけのことじゃないか。

 そう思った。

 ……よし、こうなったら何でもいい。

 意を決して引き戸に手をかけ、第一歩を踏み込んだ。見ると、校長は、窓際にでんと据えられた大きな机に向かって何やら書いている。

「あのー」

 おさむは、小さな声でそれだけいった。

「おぉ、中岸くんか。こっちに来なさい」

 校長は、そういって手招き。その様子から、悪いことじゃないなと直感した。

「きみ、これを見給え」

 緊張しているおさむに、校長は一枚の新聞を差し出した。見ると、記事の一か所に赤鉛筆でまるが付いている。さらに、よく見ると、記事の最後ちかくの行に赤線。何と、自分の名前が載っているではないか。

「これ、オレの名前書いとる」

 おさむは、思わず大きな声を出し、校長の顔を見た。こんな間近で校長の顔を見るのは初めてだった。

「きみは、そこに書いているように、第四回子供の日記念行事で、県知事様から表彰されることに決まったんじゃ。すばらしいことだよ、これは」

「ひょうしょう……この、オレが」

「うむ、ちゃんと、中岸おさむと書いてあるから、まちがいないぞ」

 おさむは、あらためて紙面を見た。たしかに、自分の名前だ。

 ……どうして、どうして。およそ、こんなことには縁のあろうはずがないオレが。万引なら、欠席ならしたことあるのに、表彰なんか、まるで思い当たることが

ない。

 校長の前に居ることも忘れ、あんぐり口を開けて呆然としているおさむに校長は、

「親孝行児童として、本宮村からの推薦だよ」

 訳わからん、という顔で突っ立っているおさむに校長はやさしくいった。

「すいせん?」

「きみは、小学校のときから働いて親をたすけてきただろ。村長さんや助役さん、それに、区長さんが、きみを見守っていたということだ。途中で不名誉なこともあったが、きみの努力が、すべてに勝ったんじゃな。学校としても名誉じゃ」

 ……オレが、このオレが親孝行を。

 おさむは、とっさにその意味がわからなかった。親孝行したおぼえが無かったからだ。ただ、そうしなければならなかったので、無我夢中で働いただけだった。中学入学の時も、自分のためにしただけだった。去年の土方もそうだ。いちおうは、金儲けの名目ではあったが、本心は孤独の寂しさをわすれようとしたことだった。結果として家計をたすけることになったわけだが、本来の目的は、そうじゃなかった。

 おさむは、校長の机の上に広げられた新聞を見つめたまま、この降ってわいたような『表彰』という事実に、どう対処したらいいのか見当もつかなかった。

「この新聞、大事にとっておきなさい。記念になるからね」

 校長は、そういって引出しから事務用の大きな封筒を取り出し、これにいれとくからねといって、なおも、棒立ちになっているおさむに、新聞を折りたたんで入れ、手渡した。

「おおきに」

 これは、人にものを貰った時の言葉だ。ほとんどがこれで通じる。しかし、この場合は、「おおきに」ではなく、「ありがとうございます」というべきところだったが、緊張のため、つい普段の言葉が口をついた。

「知事殿からの表彰状は、わしが、きみの代理として新宮へ下って貰ってくる。きみには、来週月曜日の朝礼のとき、全校生徒の前で渡すようにするから、そのつもりでな」

「はいっ」

 おさむは、ただ反射的にいった。

「とにかく、おめでとう」

「はいっ」

 また、反射的にいった。

「さあ、うれしい報告はこれまで。教室に戻って勉強じゃど」

「はいっ」

 一礼して、校長に貰った封筒を脇に挟み部屋を出た。戦時中に何かで見た兵隊さんのようだと思った。校長の一言一言にただ、「はいっ」という以外彼の頭のなかには言葉がなかった。

 廊下を歩きながら、大きく息を吸ってフゥーと吐いた。廊下が斜めになっているような錯覚を起こした。


「おさむ、お前の事書いとる新聞読んでくれ」

 その夜、夕飯の食卓を囲んだとき、松一はいった。

 おさむは、学校を終えると、まっすぐに薪作り現場へ走った。大木を切り倒すため、おさむの来るのを松一は待っていたのだ。表彰のことは、まだ誰にもいってなかった。家族みんなが揃ってから、発表しようと思った。山で父を手伝いながら、

「おれのこと、新聞に出とるんや。今晩みんな居るとこで、読んだるさかいに」

 それだけ、父にいった。それで、山仕事を終えて家に帰ってからも黙っていた。

「おさ兄いのこと、新聞に載っとるんか?」

 祥子は、不思議そうに父の顔を見た。ついで、おさむを見る。

「祥子、今読むさか、よー聞けよ」

 もとゑは、何の反応も示さない。まるで関係ないという表情だ。どうせ、つまらん遊びぐらいにしか、思っていないのだ。

 おさむは、自分の部屋から、今朝校長にもらった茶色の大きな封筒を持ってきた。みんなから、少し離れたところで正座した。封筒のなかの新聞紙をとりだす。

「この新聞、きょう、校長先生からもろたんや」

 そういった途端、椀に汁をついでいたもとゑの手が止まった。ようやく、普通でないことに気付いたようだ。

「兄やん、早よ読んで」

 五年生の公が、催促する。

「よし、読むぞ。……えー、善行をたたえて二十名表彰。……新しく定められた『子供の日』を祝って県では、県下善行児童二十名を表彰することになった。この十日、午前十時から県庁で表彰式をあげ、小野知事から表彰状と記念品を贈呈する。」

 おさむは、文面どおり読み上げた。このときは、両親ともに、それが家と何の関係があるのだ、という怪訝な顔。その静寂をやぶって、松一が、

「まさか、おまえ……」そういって、おさむを見る。

「おさ兄い、表彰されるんか?」

「祥子、ここ見てみい。二十人の住所と名前が書いとるやろ」

 おさむは、そういって、校長が赤鉛筆で印をつけたところを指さす。皆の顔が一斉に集まる。

「あっ、兄やんの名前書いとるぞ!」

 公が大声をあげた。

「ほんまに、おまえ、表彰されるんか」

 松一が、新聞とおさむの顔を交互に見る。まだ、納得しかねる様子だ。おさむは、首を大きくたてに振った。

「善行児童って、どんなことなんや」

 と松一。

「親孝行したからやと。校長いうとった」

「そんなこと、誰が決めたんじゃ」

 松一は、さらにたたみかける。

「それは、村長さん、助役さん、区長さんらが相談して、オレのこと推薦してくれたんやと」

 おさむは、校長にいわれた通りに説明した。松一は、おさむの手から新聞をとって、老眼鏡をかけた。

「本宮村、中岸おさむ(一四)か、まちがいない。歳まで書いとる」

 そういって顔をあげ、再び紙面を凝視する。

「おさむ、この広い和歌山県で、たったの二十人だけなんか。……そのなかに、おまえが、はいっとるんか」

 松一は、声の調子が、普段と違っていた。大変値打のある表彰をわが子が貰うことになったという事実に、嬉しさよりも、戸惑っているようだった。

「そういうたら、里の国道でじゃり持ちしよるとき、役場の人が来て〝きみ、からだ大丈夫やろな〟いわれたの思い出した。……あのとき、オレのこと、調べよったんかも」

 おさむが、そういったとき、もとゑは、何を思ったのか急に立ち上がって、神経痛の足を引きずりながら、流し元に立った。

「よかったなぁ……おさむ!」

 もとゑは、流し台に掴まって、絞り出すような声でいった。いうが早いか、エプロンで顔を覆った。

 ……報われた! あゝ、良かった。

 この時の彼女の脳裏には、厳寒の真夜中、父松一の仕事着を着て、いそいそと石段をおりていくわが子の後姿が、まざまざと浮かんだ。それは、彼女にとって一生消えることのない残像だった。同時に『わしら、いくらなんでも、わが子を牛や馬みたいに、よう働かさんわよ』と嘲るようにいった村人の声が耳の奥でこだました。

 親として、ひとりの母として、拭ってもぬぐいきれない苦しみだった。

 ……村長さん、助役さん、区長さん、……ありがとうございました。これで、家族みんなが救われました。

 もとゑは、心のなかで手を合わせた。

 からだの芯から、一気に熱いものがこみあげてきた。とめどなく、涙があふれた。

 それは、あたかも、無念のかたまりが溶けだすかのように……。
















独自のわざ



 三日ほど前から断続的に降っていた雨が日増しに強くなり、その日は、とうとう未明から猛烈な豪雨となった。

 おさむは、はげしい雨音に混じって、家の壁に何かがぶつかる音を聞いて目覚めた。彼が寝ている部屋は、家の裏側で、壁の直ぐ傍まで裏山がせまっていた。

 急いで飛び起き、窓から外を見て、あゝっと声をあげた。まるで大川の真ん中に居るような錯覚をおこした。山の斜面を滝のように流れ落ちる水は、屋敷の周囲に掘られた溝を満杯にして、家の床下を瀬のように流れている。家の南側では、次郎蔵の谷が水煙をあげてゴウゴウと吠える。二、三か所、流れに突き出した岩に当たった水が、まるで噴水のように空に舞い上がり家の軒にふりかかっている。ときどき、急な斜面を転がってきた、こぶし大の石が壁にぶち当たって大きな音をたてる。

 おさむは、生まれて初めての大水に目を見張った。見ると、山の斜面を大小の石くれが、まるで、熊手でかきおとすかのように、水に乗ってずり落ちてくる。いまにも大量の土砂が家をのみこんでしまうのではないか、という不安にかられた。

 急いで土間になっている台所に走る。こんな大降りでも家族は誰も起きてこない。とっくに夜は明けていたが、まだ、何時もの起床時間には間があった。土間は浸水で小さな池になっている。下駄や草履が玄関の隅にかたまってプカプカ浮いている。

 おさむは、裏山が気になった。いまにも大音響とともに山津波が襲ってくるのではないかと心配した。

 炊事場の横が、おさむ以外の家族の寝室になっている。以前は、間仕切戸はなかったが、おさむが働くようになってから、障子戸を設けていた。勢いよく戸をあけたので、その音でもとゑが目を覚ました。

「どしたんな、こんな早ように」

「母やん、えらい降りじゃど。家の裏見てみい、滝みたいやど!」

「そんなに、どいらいか?」

 もとゑは、寝巻のまま台所へ。松一は、起きる様子がない。おさむは、裏山が気が気でない。それで、父の枕元で、

「父やん、起きてくれ。山ぐえてきそうなんや」

 と、大声でいった。その声で、祥子と公も起きた。

「そんなに、水出とるか」

 松一は、きょとんとした顔でいった。

「父やん、早いとこオレの部屋から山見てくれよ。どいらい水やさか」

 松一は、おさむの部屋の窓から裏山の様子をしばらく見ていたが、やがて、

「きづかいないぞ、この山は岩ばっかりやさか、滅多なことで崩れたりせん」

 長年の経験からでた父の一言で、いくらかは気休めになった。

 おさむは、縁側に出てみた。台風とちがって梅雨末期の雨は風がほとんどない。そのかわり、雨の量がすごい。まるで滝壺の前に立っているようで恐怖を感じる猛雨だ。家は村の高台で見晴らしがいい。眼下の熊野川は、いつもの姿が消え、川幅いっぱいに濁流が渦を巻いて動いている。これは、流れるという表現があたらない。巨大な池が幾つかの渦巻を伴ってゆっくり移動しているといった様相だ。とくに、大斎原の向こう側は、一段と川幅が広くなっている。そこに、大渦巻が現れ、大小絡み合いながら下流へ。ときたま、対岸にぶつかって新たな渦をつくる。

「どいらいなぁ」

 気がつくと公が側に立っていた。

「公、きょうは学校休みじゃな」

 おさむは、初めて見る大川の変貌ぶりに、気が動転していた。

「おさ兄い、あそこ、あの白い石垣のあたり、兄やんら仕事したとこやろ」

 公は、大斎原のすぐ横の堤防を指さした。見ると、真新しい間知積の堤防が濁流をかぶって見え隠れしている。その堤防は、社会人となったおさむの初仕事の現場だった。


 この春、中学を卒業したおさむは、卒業式の翌日、村内に事務所を構えていた土建屋に就職した。就職といえば聞こえはいいが、その実、臨時雇いにすぎない。そのときの工期が終われば、たちまち失職。業者が他府県の会社のため、一つの仕事が終われば次の現場へと移ってしまうのだ。

 今のおさむには、じっくり腰を据えて、ちゃんとした就職先を探すほどの余裕がない。それで、人夫募集の張紙を見てとびこんだ。応対した土建屋が目を丸くした。臨時人夫に、新制中学卒業生が来るなど前例がなかったからだ。

 戦後復興に沸き立っている国内事情で、中学卒業生は金の卵といわれ、ひっぱりだこだった。おさむのクラスでも、ほとんどの者は就職。昼間の高校進学者はほんの一握りといった状況だった。そんななかで、おさむも一度は考えたことのある定時制高校に通う者もかなり居た。新しい時代に向かって走り出した社会に参加するには、どうしても高卒程度の学力が必要だ、といった考えをだれもが持っていた。このようなとき、仮に就職のみを考える卒業生がいても、土方人夫を選ぶ者は滅多にいない。土方は、事業そのものというより、だれでもできる仕事という意味から、低く見られていた時代だった。正直なところ、おさむが行った、真夜中のじゃり持ちなどは、農家の主婦でも、すぐ間に合ったからだ。

「中岸くん。今度の仕事は四か月ほどで終わる予定やが、その間の臨時やけと、きみ、それでもかまへんか?」

「はいっ。これ終わったらまた他の仕事探すさかいに」

「そうか、それやったら、もう一つ、仕事してもらう前にいうとくけど、うちの職人は、九州や大阪から来た気性の荒いやつばっかりやど。かまへんか。どいつもこいつも刺青いれとるぞ」

「オレ、知ってます。ここの国道工事のとき、そんな人と一緒に仕事したさかい」

「今卒業したとこやろ。そやったら、中学通いもって仕事したちゅうことか」

「臨時じゃったけど、……オレ、間知積の手元できるけど」

 土建屋は、へぇーと驚いた顔でおさむのからだを、品定めするように見回した。

「オレ、先で、土建屋やりたい思とるんです」

 おさむが、そういった瞬間、相手はパンと膝を叩いた。日焼けした顔が笑った。

「よし、その意気買うたろ。兄ちゃん、明日から来てくれ。日当は三百円や」

 こんなやりとりで面接が終わった。

「兄やん、若いけどええ根性しとるな。土方の親分になりたいそうじゃないか」

 仕事はじめの日、頭の禿げあがった人夫頭がいった。おさむは、この人について石積の手元をした。その仕事ぶりを見た頭が、

「今からみっちりやったら、ええ土建屋になるぜ。兄い、頑張れよ」

 ほかの人夫連中も、若いおさむを励ましてくれる。刺青モンや他所モンやと地元の人々に敬遠されている連中だが、彼らのなかに入ると案外素朴で思いやりのある男達だ。特に、おさむの〝やる気〟が気に入られたふうで、わざわざ質問しなくても、ここはこうだ、これはこうせよと、実に細かなところまで教えてくれる。おさむにとって、わが意を得たりの境地だった。

 本職、プロの技術が、実践を伴ってどんどん頭にたまる。どんな小さなことでも、聞き逃すものか、というドン欲なおさむと、休憩もいとわず教えてくれる人夫たち。与える側と受ける方の呼吸が見事に一致。おさむは、日の経つのを忘れた。気付いたとき、すでに堤防が出来上がっていた。つい一週間前のことだ。


「おさむ、朝めし食わんか」

 家の中から松一の声。麦飯と味噌汁だけの朝食。それでも、ひところと比べると食事内容が大幅に向上していた。

「おさ兄いら造った堤防、崩れやせんか?」

 公が、心配そうにいう。

「あのぐらいの水やったら、大丈夫やけど、堤防超えだしたら、もたんかも……」

「せっかく作ったのに、もし流れたら勿体ない」

 公が、そういったとき、突如役場のサイレンが鳴りだした。短く尻切れの調子で幾たびも繰り返す。不気味な緊急信号だ。

 まっ先におさむが縁側に飛び出す。

「うわっ!」

 悲鳴に近い声。その声で、みんなが縁側に集まる。何と、川が無い。田んぼが無い。一面だだっ広い濁流の海だ。そのなかに、大斎原の杉木立が、ちょうど池に浮く水草のようにゆれている。それも、梢がほんの少し見える程度。左手の国道はすでに水没。道路沿いの民家は、かろうじて屋根だけ見える。なかには、家全体が浮き上がってゆっくり移動しているのもある。

「あっ、あの家流れやる!」

「ああっ、沈んだ!」

 公と祥子が、叫びながら指さす。もはや、堤防の心配どころではない。大変なことになった。

 おさむは、初めて見る光景に言葉をなくしていた。明治何年かに、今回と同じような大洪水があって、それで、今の大斎原にあった熊野本宮大社を高台に移したことを聞いていた。今みたいに、頑強な堤防がなかったから冠水したんだな、程度に考えていた。いつも見慣れた熊野川がこんな状態になるなど、想像できなかったのだ。自然の力に背筋の寒くなるのを感じた。

『明治二十二年以来の大洪水。熊野川水位九・六七メートル。流失倒壊家屋百六十余』

 翌日、昭和二十八年七月十九日付新聞は、写真付で報じた。

 このとき、村の中心部は、家屋はもちろんのこと、その他、ありとあらゆるものが根こそぎ流失、その様は、あたかも空襲の焼跡そのものと化した。同時に、おさむの初仕事、つまり記念すべき堤防も、跡形を少し残すのみでほとんど流れ去った。

 村人にとっては、開(かい)闢(びやく)以来といっても決して大げさな言い方ではないほどの、大きな驚きであり恐怖であった。

 それで、洪水発生日を名付けて、『二十八水』という言葉がうまれ、いまなお言い伝えられている。


 三里、本宮、請川など、流域の村々は応急復興を開始、あちこちに土木の現場事務所や飯場が建った。秋の台風シーズンを控え、復旧工事は急を要した。今のままで再び大川が増水すれば、さらに大きな被害が予想される。村内の後片付けも必要であったが、とにかく、堤防をかためることが第一だった。

 おさむは、かつて、六年生のときじゃり持ちをさせてもらった請川の土建業者のもとで働くことにした。この工事で、応急工事のやり方を知った。手早く、より強固に、それでいて工費を最小限度に抑えるやり方だ。

 それから約二か月の間、被害を受けた村々は多忙を極めた。夜を日に継ぐ応急工事で、決壊した堤防はほぼ完成した。

 季節は秋にかかり、本格的な台風シーズンにはいった。応急ではあるが、一応の備えはできた。人々は一息いれた。これで、とりあえずは安心と安堵した。このとき、まさか再び洪水に襲われるとは、誰も夢想だにしなかった。ところが、一度背を向けた水神様は、そうたやすく振り向いてはくれなかった。災難は続くのたとえだ。即席で仕上げた堤防の上に残った地下足袋の跡が消える暇のない九月二十五日、突如発生した台風三号が、病み上がりの被災地に、非情の大打撃を加えた。前回ほどの大洪水にはならなかったが、さんざん痛めつけられた後だけに、かなりの被害となった。必死の思いで、応急工事した箇所は、見るも無残に崩壊した。度重なる災禍に住民の疲労は限界まで達していた。だが、いつなんどき、次の台風が襲ってくるわからない。重い足を引きずって、二度目の復旧に着手した。 

 堤防、砂防、傾斜地崩壊対策、宅地造成、中小河川改修、農林道整備など、多くの土木工事が目白押となった。

 誰にも、その一生には、一度か二度は素晴らしいチャンスがあるという。往昔(むかし)からそのように言い伝えられてきた。迷信や信仰ではなく、永い歴史経験から生まれた言葉だ。

 おさむは、今まさに、その千載一遇の真っただ中に居た。災害は歓迎すべきものではないが、土木の工法について、何でもドン欲に吸収したかったおさむには、これは、絶好の機会だった。

 経験やカンの積み重ねで生まれた貴重な土木技術、職人の技がズラリと目の前にならぶ。のみならず、ちゃんと一人前の給金が出る。

 目標を持たない者には、ただの日当稼ぎにすぎない土方仕事だが、おさむにとっては、宝の山を掘り当てたような興奮であった。のどから手がでるほど、欲しくてたまらないものが、毎日自分をむかえてくれる。日増しに知識の袋がふくれていった。

 夜遅くまでノートをとる。その日の収穫を余さず書きつける。図や絵入りである。雨が降ると、仕事が休みになる。そんな日は終日机に向かい、これまでの整理をした。幸い身体だけは人一倍健康。多少の無理は何でもなかった。

 ひとつのことに取り組むと、とことんやり遂げなければ気が済まない性格。水中の泥をスコップで効率よく掬い上げる方法、足場の組み方、じょれんの使い方、担い棒の太さなど、どんな小さなことでもノートに記録した。二年余り経った時、彼の机には、それらのノートが二十冊以上積みあがった。



 昭和三十一年秋、母屋の横に離れ屋を新築した。玄関、炊事場、六畳の居間兼寝室だけの小さな家だ。

 ……兄貴らは、都会でおったらええ。オレは、土木やるんやさか、この本宮でがんばる。

 誰にいわれることなく、自分でそう決めていた。実際、土建業者として看板を揚げるのは、大都会は舞台がでかすぎる。生まれ育ったこの地でこそ、オレの本領が発揮できる。そう考えた。この思いを決定づける意味から一大決心して自分だけの城を建てた。こうして、大望の第一歩を踏み出したのである。

 この年、『本宮町』が発足した。昔から〝川丈五か村〟と呼ばれていた五つの村、つまり、三里、本宮、四村、請川、敷屋(一部分)の各村が、合併促進法によって一つとなり、旧本宮の名をとって、本宮町となったのである。

 おさむの城、〝離れ屋〟に畳を入れた。中岸家には初めての試みだった。イ草の香が鼻をつく。物心ついたときから、冷たい板間に座っていた。長い間その生活が続いた。

 ……いつかは、畳の上に座りたい。

 心の隅でそう思っていた。わずか一部屋でも、それが実現できたことに満足した。師走のある日、机など自分の持物を移した。約四年にわたって続いた災害復旧工事が、ようやく終わりに近づいた。年内は、新たな仕事の気配もないので、終日自分の城で過ごした。

 これまで書き留めたノートをもとに、自分なりの土木工法を考えてみたいと思い立ったのだ。それというのは、初めのうちは、色々見聞きしたことを忘れないためにメモのように書いていた。そのうち、知識が増えるにしたがい、何かしら物足りない思いや、オレやったらこうしてやる、という改善の余地ありと思えるところが見えてきたからだ。およそ、八百頁ほどにたまったノートに赤鉛筆の印をつけていき、自身の疑問符をとりだす作業に没頭した。

 ……こんなこと、どうして気付かんのやろ。ここでこうしたら、もっと工期短縮出来るのに。この工事の段取りは順序が逆と違うか……?

 おさむは、熱中した。時間の経つのも忘れた。一つの事柄を整理すると、次々に新しいアイデアが浮かぶ。彼の思考は、一か所に留まっていない。これが一番いいやり方だと思っても、必ずしも満足しなかった。まだ、もう一段上に、より優れた工法があるに違いないと考えた。あくなき追求の精神だ。

 やがて、その年も暮れ、新年を迎えた。

 正月休みが過ぎ、一月も末になったが、町内での土木仕事は出なかった。昨年暮までぶっ続けで行ってきた災害復旧で、ほとんどの仕事が出尽くしていた。

 おさむは、昨年来からの作業に没頭した。今の彼には、少し位仕事にあぶれても貯えがあった。それで、独自の工法を編み出すことに専念した。将来の独立自営の夢がかかっていたからだ。仕事は、これは特段、土木事業に限らないが、重要なことは『段取り』が第一ということだった。この段取りの良し悪しで全てがきまってくる。このことは、経営者の常識だったが、一番苦労するところでもあるのだ。

 おさむは、この四年間、色んな段取りのもとで仕事した。ほかの人夫たちが酒に我を忘れる時刻、時には夜の明けるまでノートをとった。一介の人夫にすぎない彼は、親方に口出しできない。それで、今携わっている仕事をモデルにして、自分が施工者になったつもりで、あらゆる角度から最良と思われる段取りを組んでみた。その結果、多くの無駄がでていることを発見した。果たして現場に立ったとき、それが実証できるのか、という疑問はあったが、今の彼には確かな〝無駄部分〟が見えていたのである。工事場所の環境、資材の搬入経路、人夫の配置、工期の短縮、それによる利益の増加等々、考えを深めていくうちに次々アイデアが浮かんできた。

 ……みんなは、何でこんなこと、分からんのやろか。

 そう思えるようになっていた。限界まで無駄を省く工法……これで工事を進めれば通常工期の三分の二、あるいは、半分に近い施工期間で、遜色のない工事ができるはずと確信するに至った。

 のちに、彼が独立し、他業者が手を付けない難工事を軽々とやってのけたとき、「中岸のスピードには太刀打でけん」と、同業者を驚嘆させることとなった彼独特の思考回路による『独自のわざ』は、このとき編み出されたものであった。

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