第81話 彼を探す人
宿を出ます――
そう言った俺をランディさんとジーナさんは引き留めた。
自分のせいじゃないってことは分かっているだろうと、俯く俺にこんこんと言ってくれた。
「あんたはもううちの子みたいなもんだからね、このくらいで追い出すことなんてしないさ、それにあんたがいなきゃ死んでたんだよ」
「そもそも俺のせいで――」
「いいや、俺のせいだ」
ランディさんは深く眉間にシワを寄せながら重苦しい顔で言う。
「ジーナを守るのは亭主の俺は……」
「ちょっとあんたまで落ち込んでどうすんのよ。強盗のせいに決まってんでしょ。まったく男どもは湿っぽくてダメね。
レオ、あたしが大丈夫って言ってんだから大丈夫なの。まぁ少し身体がだるいからその分手伝っては貰うけどね、さぁ宿はやってんだから行きな、あたしは眠いからもう少し寝るわ」
心配させないようにジーナさんは俺たちに笑いかける。彼女の気遣いに俺たちは小さく頷いて揃って彼女の部屋を後にした。寝室から出ると手伝い賃よろしく酒を飲みだした冒険者たちの賑わいの声が聞こえる。そんな声に何故だか日常を感じてしまう。ランディさんも同じように思っていたのか小さく行きを付いて横に立っている俺を見た。
「いい女だろう?」
「はい」
「やらんぞ」
「いりません」
「おいどういうことだ」と口をとがらせていうランディさんに俺は笑いながら、荒れた宿を片付けてくれた人たちに、礼を言うべく広間へと向かった。
***
一週間後の夜、ハンデル領主城の前にとまる一つの馬車があった。
月の光すら反射するほどの艶やかな毛並みの四頭の馬が引いてきた馬車には、近年急成長し大商家とまで呼ばれるようになったグレーシャル家の文証が刻まれている。
訪問の予定なしに停められた商家の馬車に門番をしていた兵士たちは眉を顰める。領主に平日の夜中に約束無しに平民が合いに来ることなど許されてはいない。
追い返してしまおうか――門を守っていた兵士たち全員がそんなことを思っていた。
成金趣味よろしくピカピカに磨かれた真新しい馬車からは、これまた上等な服を着た御者が下りてくる。御者は商会の人間を相手にするとは思えないほどに礼儀正しく馬車にお辞儀をした後に、商家の文証が刻印されている馬車の扉を開いた。
馬車から降りてきたのは美しいえんじ色のドレスを着た女性。
ハンデル城の門兵を任されていた兵士たちは、その人物を見るなり誰に言われるでもなく、揃って敬礼をした。
何も彼女が誰かを知っていたという訳ではない。黙って門兵に敬礼させるだけ、彼女は美しく気品あふれていた。
固まっている門兵を見て、小さなバラ色の唇がゆっくりと弧を描く。
「――ベネット様に会わせていただける?」
新人の門兵は、名乗る事すらしない商家の者で、しかも女性である彼女を前にしているというのに、
商家の馬車はいまだ止まっている。誰もが現れた女性が庶民であることを分かっているのに、爵位のある騎士である門兵たちは誰一人として、現れた女性を邪険に扱うことができなかった。
彼女の全てが、今まで彼らが目にしてきた人間と、すべてが違っていたのだ。
立ち姿に歩く姿、うねる金色の髪に垂れた青い瞳、歩くたびにスカートから覗く足先や、桃色の指先に至るまで、何から何まで他の人間とは違う。
理想のすべてを詰めた絵画から出てきたような女性が、そこにはいた――
広間にすぐに通されたその女性は、このハンデルを収める領主、ベネット・ハンデルと接見することとなった。突然の訪問に急いで来客着に着替えたベネットのシャツは少し乱れていて、慌てた領主などほぼ見たことがない兵士たちは少し驚いていた。
持っている物の中で一番高価なスカーフを首に巻いたベネットは、ぎこちない笑顔でやってきた女性に笑いかける。そんなベネットとは対象的に、女性は何の屈託もない美しい笑顔を彼に向ける。
「久しぶりですね」
「……久しぶり、シスカ」
彼女の名はシスカ・グレーシャル、旧姓はシスカ・モリス。
誰もが振り向くほどの、絵画から現れたような美しい女性は、レオナルドの実の姉であるシスカであった。
(一体、何年会っていなかったのだろう)
シスカを見ながらベネットは一人思う。自分の両親が死んだと知らせたがお悔やみの手紙が一度来ただけで、領主になってからベネットは元婚約者とは一度も顔を合わせてはいない。
数年ぶりに会ったかつての何も変わらない姿だと思う。いや、より一層美しくなったように思えた。年を経て10代のあどけなさを感じさせなくなった姿は、本物の大輪の高嶺の花であった。
「突然の訪問にも関わらずベネット様直々に接見してくださったことに感謝いたします。……ご両親のお葬式にも出れなくてごめんなさいね」
「いや……いいんだ……」
もう何年も前の自分の両親の葬式、元婚約者でもあったシスカにベネットは訃報を知らせたが、お悔やみの手紙が帰ってきただけで彼女と顔を合わせることはなかった。そもそも、平民に嫁いでしまった彼女を領主の葬式に呼ぶことなどできない。仕方ないことだった。
「元気だったか」
「えぇ、それなりにね」
複雑な心境が少し顔ににじみ出ているベネットと違いシスカは全く表情を崩していなかった。昔と変わることのない凛々しい様で彼女は立っている。
「今日突然来てしまったのはね、あなたに少し聞きたいことがあったからなの」
「……何かな」
「風の噂で、弟がこの街にいると聞いたのだけれど、覚えているかしら、レオナルドよ。ふわふわ頭の小さな子だったけれど、そういう子の噂は聞いたことない?」
「君の弟は、確か……家で長く
「……あぁ、そういうことになっているのね」
シスカはまるで一人事のように小さく呟いた。
実のところレオナルドは死んだことになってはいない。
家から出された直後に死んだとなれば、世間は当主が自分の実の息子を殺したと思うだろうと、死んだことを公表されはしなかった。小さかったレオナルドの遺品である血にまみれたマントを一族の墓に埋葬したが、家族だけのひっそりとしたもので、家の者以外はレオナルドが死んだことを知らない。
そもそも貴族は長男がしっかりしていれば他の姉弟が注目されることは少なく、レオナルドが病でずっと臥せっていると噂されるようになったのもここ一年の話だ。
学園に通う歳になったはずのモリスの次男が見当たらない――そういえば社交の場で一度も見たことがない――昔家に招待されたときに見た彼は小さくてか弱そうだった気が―― そんな噂がまことしやかにささやかれている。
けれど誰も直接は尋ねることはしない。もうモリスの家の者は社交界に出入していないからだ。社交界に席は置いていようとも、ここ数年、当主もその妻も忙しさを理由に賑わいの席を避けていた。
「とにかく心当たりはない? 目元とか髪質とか私に良く似ていたはず」
「一応モリスの名前を出したなら僕に報告が上がっているはずだけど……領主になってからは一度もそういう話は聞いていないよ」
「……この街に来たのはあなたのご両親が亡くなられる前の事かもしれないの、とにかくモリスの名前は出していないはずなの。誰もいない? 金色の髪で、くせっけの……」
シスカの長い金色の睫毛が下がる。伏目がちになりながら、何かを恥じるように目線をそらすその態度に、ベネットは只ならぬ事情があることを察した。
(シスカの弟――数回見たことがある。確か自分の妹より小さかったような……)
記憶を辿っても彼女の弟の姿を思い出せはしなかった。けれど、ベネットの頭に提示された条件に当てはまると言えば当てはまる人物が、ひとり思い浮かぶ。
数年前ベネット領主夫妻が殺された日、妹を助けてくれた妹の命の恩人。妹がなついている市井の少年――
「――シスカ、ひとりだけ思い当たる人間がいる」
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