第80話 たからもの

 

 「これが、偽物、だって……?」

 

 思ってもいなかったことを言われて俺は目を丸くして肥えた商家の男を見た。日にあまり当たっていないような白い肌はこのハンデルの商人たちと違う。ニタニタとした笑顔は俺の足元から上ってきて、靴や服を見ると見定め切ったようにいやらしい笑みを浮かべる。

 

「残念だけどね、いい造りをしているけれど本物ではないね」

「そんな、偽物なはずがないだろう、それは、俺が直に注文したものだ」

 

 男は肉に埋まりそうなほどに細い目を、またぐっと細めて俺をみた。

 

「この花瓶が高価なものだという保証はどこにもない。確かに窯元の刻印はされてはいますが、この窯元が作るものは豪華絢爛を基調としたものばかりなんですよ。作りは確かに丁寧で個人的には気に入りましたけどねぇ……いやぁ残念です。これ一つでトランクを買い戻せると思ったんでしょうが、これだけでは、まだ足りませんねぇ

 けれど本当に偽物と言えど個人的には気に入りました。相場より多めの額で買い取りますから安心してください」

 

 含み笑いをしながら肥えた豚は言う。丸め込めるとでも思っているのだろう。男は俺が差し出した花瓶が高価なものだと分かっているはずだ。貴族ともそれなりに取引をする商家であるならば、これほどの名品を見分けられないわけがない。単に平民の少年が持ってきた予想外に高価なものを、安くせしめる交渉でしかない。

 ついでにトランクの中身の一部すらせしめようとでも思っているのだろう。

 

「それは本物だ。あんただって分かっているだろう…!」

 

 ぶちぶちと頭の血管が切れるような音がする。もし怒りというものが人の眼に見えるものだとすれば、きっとこの広い部屋は俺のドス黒い怒りで満たされていたことだろう。

 殺気が漏れているからか、男の額には少しだけ汗がにじむが、商家の者として相手がどれだけ怒ろうが、交渉の手は緩める気はないらしい。

 

「しっしかし、本物ならお前のような平民が持っていていいような品ではない! 何処で入手したのか知りませんが偽物に決まって――」

 

「誰が、いつ、平民だと言った……?」

 

 頭に血が上る。

 確かに俺が聖女様に贈った品を偽物だと言われたことにも腹が立ったが、それ以上に頭に浮かぶのは血を流すジーナさんの姿だ。

 

 ――俺がもう少し遅ければ彼女は死んでいた。

 

 捕まった犯人は処刑されるだろう。けれど彼女が死にかけた事実は何も変わりはしない。俺がもう少し遅れていたらあの人は死んでいた。今回助けられたのは運が良かったからにすぎない。そうと思えば、身体の底から湧き出してくる怒りを抑えきれなくなる。

 

「まさかモリスの名前を知らないわけじゃないだろう」

 

 一緒に働いているジェリーとトーズが狙われなかったのは、襲うなら俺の金の方が容易く盗めると思われたからだ。

 

「……なんだ、突然大貴族の名前なんかを出して、お前のような身分の者がその名を使うという事がどういうことか――」

「駆け出しの成金商家はモリス家の構成を知らないのかと言っているんだ」

 

 もっとしっかりしていればよかった。今回はたまたま俺がジーナさんが亡くなってしまう前に帰ってこれただけだ。俺はもう少しで自分のせいで、ずっとよくしてくれていた人をうしなうところだった。

 

「こうせ、い? どういうことだ」

「子は何人いると思う」

「三人だったはずだ……跡取りと嫁いだ娘と…あとは……死んだと噂の次男……」

 

 そこまで口にすると、男ははっと言葉を止めた。そうして俺の顔をまたまじまじと見た後に、顔色が徐々に青くなってゆく。

 

「それで……俺が、聖女様に、粗悪品を贈るとでも?」

 

 豚は細い目をぐっと見開き俺を見ている。言われたことを理解するのに頭が追い付いていないらしく、間抜けに口を開いている。

 

「豪華な花瓶は家に腐るほどあった。それは特別に窯元を呼びつけて作らせたものだ。しとやかな聖女様に似合うようにとな。

 それで……お前はこの花瓶を鑑定できないばかりか、この俺が盗んだものだと言いたい。そうだな?」

 

「ままままさか、そんな、いえいえそんな、でもこんな場所にお忍びでいらっしゃるとは」

「この地に俺が居たらなんだ、何が言いたい」

 

 自分が何を言ったのかやっと理解できたのか、豚が顔を青くしてぶんぶんと首を横に振る。

 俺は男の前にある机をガンッと蹴り上げた。

 

「何もタダでトランクを渡せと言うんじゃない。この花瓶はくれてやる。価値は十二分に分かっているだろう?」

「え、はい、はい、そうでございます」

 

 疑い深かったはずの豚は、悠々と座っていた質のいい椅子から立ち上がるとぺこぺこと、まるで魔法で決められた動きをなぞる人形のように頭を下げる。そうして盗人から買い取ってしまったトランクを見て更に顔を青ざめさせる。

 大手の商家が盗人から盗品を買う――そのまずさを理解したのだろう。ただの平民の荷物ならば大したことはない、けれど貴族に知られれば商家としての評判は一気に落ちる。

 

「強盗なんて下賤なものから品を買ったことは……その……」

 

 ぴたりと豚は頭の上下をやめて、目線を上げる。

 その目線は俺に向けられているのではなく俺の後ろ――

 つられるようにして俺も後ろを振り返る。そこには今までいなかった筈の俺の友人がいた。

 

「……ジェリー、トーズ……」

「よぉ、一人で屋敷に入ってったっていうから様子見に来たんだけどよ。終わったみたいだな、さっさと回収して帰ろうぜ」

「外のみんな心配してたわよ」

 

 ――今来たところなのだろうか、俺が貴族だと名乗ったことを聞いていないのだろう、あまりにもいつもと変わらない様子の二人に、俺は内心ほっと胸をなでおろした。

 

 突然現れた少年少女に商家の豚は怪訝な顔をして俺を見る。どうやらまた俺を疑い出したようだ。今度は貴族と身分を偽ったとでも思っているのだろうか。

 

「身分を偽るのは……」

「死罪だろう? 馬鹿にしているのか、知らないわけがないだろう」

 

 貴族と身分を偽った場合は一律死罪だ。

 堂々と言い放った俺に、豚は本当に貴族だと信じ込んだのか、それともこの場は一旦信じることにしたのかは分からないが、きゅっと口を閉じる。

 俺は持ってきた花瓶を机の上にそっと置くと、念を押すように男を睨みつけた。

 

「これはあの人の遺品だ。盗品を買ったことは黙っておいてやる。俺が買い戻しに来るまで売るなよ。わかったな?」

「え、えぇ、はい! それはもちろん、もちろんですとも」

 

 ぺこぺこと頭を下げる豚を見ながら、部屋の脇に置かれていた木製のトランクを両手でぐっと掴んだ。本がたっぷり詰まった箱は重いけれど、もう身体魔法を使わなくても持てるようになった。

 俺はひょいと重いトランクを持ち上げて、そのまま出口へと向かう。

 

「ジェリートーズ、帰ろう、用はすんだ」

「わぁったよ、豚は殴らなくていいのか」

「ただの商人だ、放っておいていい」

 

 商人は張り付けた笑顔で、俺たちが出てゆくのをじっと待っている。彼の要望に応えるように、俺はたちは屋敷を後に宿へ戻った。

 

 

 ***

 

 

 荒れ放題だった宿、尾っぽ邸にはこの宿に世話になった冒険者のみんなが片付けに協力してくれているようだった。疲れたような顔をしたランディさんは手伝いの冒険者たちに「その荷物はこちら」だの「その机はこっち」だの指示を出しながら、自身も忙しそうに片付けに追われている。

 

「レオ、おかえり大丈夫だったかい?」

 

 ランディさんは疲れ顔ではあるがそれでも笑顔を帰ってきた俺に向けてくれた。自分の妻が殺されそうになったというのに、その原因は俺だというのに、彼はそんなことを微塵も表に出してはいない。

 申し訳なさだけが募って、俺は眉尻を下げランディさんに深々と頭を下げた。

 

 まわりの冒険者たちも俺たちの重い空気を察したのか、少しだけ動きが止まる。けれど場を和ませようと思ったのか、気のいい中年の冒険者が机を運びながら俺に声を掛けてくる。

 

「俺らはレオの部屋までは掃除してやんねぇから自分で片付けろよ~ぐっちゃぐちゃだったぜ。まぁ銀貨払ってくれるならやってあげなくもないけどなぁ!」

 

 中年の冒険者の言葉に乗るように、調子のいい冒険者たちは次々に声を掛けてくる。

 

「俺は銀貨10枚くらいでやってやんぜ、オラ雇えよレオ」

「うーんオレは金貨くれぇは欲しいなぁ」

「俺ァ割り引いて銀貨9枚で請け負ってやるぜ?」

 

 陽気な男たちはガハハと笑いながら、それでも片付けの手を止めず言う。湿っぽい雰囲気を全て吹き飛ばしてしまう彼らの態度に俺は少しだけ口元を緩ませた。

 

「雇わないって、自分でなんとかするさ」

「カッーー! これだからケチは」

 

 ガハハと笑っている男たちに内心頭をさげて、俺は地下室兼自室へと降りると、取り戻した宝物を部屋の隅へと置いた。

 大切な俺と聖女様をつなぐ唯一の物。彼女と過ごした小屋はもうない、手元にあるこれだけが、もう声も思い出せない大切な人を思い起こさせる宝物。

 

「にしてもひでぇな、ベッドも何もかもぐちゃぐちゃじゃねぇか」

 

 はーっと息を吐きながら俺の後ろにいたトーズが部屋を見渡しながら言う。トーズの言う通り常に綺麗に使っていたはずの俺の長年過ごした部屋は見る影もない。ぐちゃぐちゃになったベッドに本棚から乱雑に投げ落とされた本たち、インク瓶は割れて、真っ黒なインクがカーペットに染みている。

 

「ひどい荒れようだろう?」

「まぁ片付けはあたしたちが手伝ってあげるわよ、タダでね」

「ありがとう、ふたりとも」

「お礼は貴族のマナーを教えてくれる事でいいわよ。商人になるとそういう機会もあるそうなんだけど、あたしマナー知らないし」

 

 ジェリーがなんでもないように口に出した言葉に俺は固まった。

 

「……聞こえて、たの」

「あの距離だぜ? 聞こえてないわけないだろ。俺への礼はなぁお前が一日子分になるとかでどうだ?」

「それは死んでもいやだけど」

 

 トーズが「どんだけ嫌なんだよ」と唇を尖らせながらぶつくさ言っている横で、ジェリーはいつものように笑っている。本当に普段と変わらない日常風景過ぎて、困惑してしまう。もっとこう、俺が貴族だと知れば戸惑ったりすると思っていたのだ。

 

「それより、何か……俺が貴族って知ったことで反応とかないの?」

「なんとなく察しはついてたわよ、レオは商家っていう割にはよく街の人にボられちゃうし、没落した貴族なのかなとは思ってたけど」

「俺もある程度は気づいてたな、さすがに大貴族だとは思わなかったけどな」

 

 ケラケラとトーズは楽しそうに笑う。ジェリーもまるでクイズに正解したような雰囲気でトーズに「だよね」なんて相槌を打っている。ボられてたのは初耳だが、本当に予想外の反応に戸惑ってしまう。友人だと思っていた相手に身分を偽られていたのだ、もっと怒るとか失望されるとか、距離をとられるとかすると思っていた。いくら親しくても、いや親しければ親しいほど、秘密にしていた期間が長いから悲しい態度を取られてしまうと思っていた。

 

「レオ、俺らがお前を貴族だと知ったら離れていくとでも思ってたのかよ」

「それは……」

「はぁーーお前なぁ、全然俺らのこと信用してねぇな」

「信用してないわけじゃないよ、ただ俺の元の身分はそれなりに特殊だと思うから……」

 

 大貴族のモリス。建国時から続く由緒正しい家系で、それこそおとぎ話にだって先祖が登場する。召喚を担う有名貴族を知らない人間なんてきっとこの国にいないだろう。領地も分家も持たず初代から実直に召喚の役目をはたし王に仕えてきた、古い古い家――

 

「自分で言うのもなんだけど、結構とっつきにくい身分だと思うんだけど」

「俺が盗賊の息子ってのも世間じゃとっつきにくいぜ? 罪人だしな」

「それは生まれ場所の問題でトーズは関係ないだろ?」

 

「な?」

 

 トーズは悪戯っぽい笑みを浮かべて俺の脇腹をつっついてくる。

 

「そんな事で今更レオを嫌ったりしないよ、あたしたち友達でしょ」

「そうそう。友達ってやつは身分とかそんなもんにこだわらねぇって実践で俺らに教えたのはお前だろ」

 

 なんでもない事のように笑う二人につられるように、自分の表情も柔らかくなる。

 あの日、家を追い出され知らない土地に置いて行かれた日、ハンデルで出会ったのが二人でよかったと、俺は緩む口元を手で押さえながら照れていた。

 

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