第79話 VS北の商人


 聖女様の遺品が盗まれた――


 その事実に俺は顔を青くし震えながら嗚咽が漏れそうな口元を覆った。

 背中にはだらだらと冷や汗が流れ、安物のシャツに吸い取られてゆく。


 地下に隠れるようにある俺の部屋の中、一つだけ厳重に鍵がかけられていたトランクは、さぞ魅力的に映っただろう。

 本当に大切なものだから、入っている物が本当に重要なものだから、俺は厳重に鍵をかけていた。それこそ宝物庫に使うような魔道具の錠まで使って。鍵は自分の首にかけて決して盗られないようにしている。

 何しろあのトランクの中には聖女様の遺品――彼女の言っていたコロンブスの卵が入っているのだから。


 俺はぐるりと荒れた部屋を見渡す。

 あまりにも荒い仕事。

 まるで苛立っているようにひっくり返されたベッド。なぎ倒された花瓶、金目のものがないかと本棚から適当に出された本たち。


 俺が図書館に行って書き留めただけの本に装飾なんて無く、はした金でしか売れないとわかったのだろう。ぞんざいに床に投げ落とされているだけだ。


 -目当てのものがない、見つからない、時間がない。

 何しろ上で女を刺したのだ。-


 そんな苛立ちが荒らされた部屋からは伺えた。そして厳重に鍵がかけられていたトランクをきっと上等な物だと思い持ち出したのだろう。


 例えば、押し入った人間が、聖女様の物を探していたのなら、ジーナさんを無理に傷つける必要はない。

 僕が”聖女様の遺品を持っている事を知っている立場の人間”ならば、一言、彼らに命令するだけでよかったはずだ。権力というものはそういうものだ。


 俺は床に転がっている飾り気のない花瓶を手に取った。低い位置から落下したことが幸いしてか傷ひとつ付いていない花瓶を眺めながら思う。

 これは俺が子供の頃、聖女様に差し上げた花瓶だ。

 素朴な聖女様に喜んでいただけるように王都の名工に作らせたものだ。確か金貨二枚だっただろうか……まぁそれなりの品だ。

 そんな物の価値にすら気づかない稚拙な強盗に大切な人が殺されそうになった。その事実に、全身の血が煮え立つのを感じた――


「必ず償わせる――」


 ランディさんの大切なジーナさんを傷つけた。殺そうとした。俺の大切なものを奪い去った。自分達が何をしたのかを分からせる必要がある。



 ***



 ジーナさんを刺した奴らは案外すぐに見つかった。

 もともと白昼堂々と行われた犯行に、大きなトランクを持ち歩く二人組の男を何人かが目撃していたのだ。

 それでも、それだけではきっと、これほど早く犯人が見つかることはなかっただろう。騎士は市井の人間ひとりが重症を負ったくらいでは総出で動いてはくれない。

 強盗達はきっと長年の経験から、盗品を金に換えて、得た資金で少しだけ腹を膨らませ次の街に行く――いつも通りの手はずだったに違いない。


 ただ相手が悪かった。

 ランディさんとジーナさんを慕う冒険者は多い。彼らはただの貧乏宿の店主とその妻ではない。駆け出しの冒険者たちのためになるべく安く部屋を回していて、その恩恵にあずかり成長していった冒険者は何人もいる。


 ジーナさんが刺されたと知ったその瞬間から総出で犯人捜しが始まり、あっけなく犯人は捕まったのだ。それなりに力のあるベテランの冒険者も犯人捜しに出たことにより、騎士達も動かざるを得なかった。

 ふだんより厳重になった街の門、探し回る冒険者たち……強盗達は捕まった時目を白黒させていたらしい。


「俺のトランクはどこだ」


 騎士に融通してもらい、強盗二人に面会を許された俺は会うなりそう口にした。

 彼らは一切悪びれる様子もなく、ケッと悪態をつく。


「ねぇよ!」

「どういうことだ、どこかに隠したってことかな?だとしたら場所を吐かせるまでだけど」

「あの重てぇだけで開きもしない役立たずの箱なら売っちまったよ!!!いい値段でな」

「誰にだ」


 俺が彼らに聞いたからか、強盗達は素直に教えてくれた。

 俺の質問の数々に対して、受け持った騎士は何も言わなかった。どのみち奴らは、良くて鉱山労働悪ければ極刑だ、誰も何も気にしないのだ。



 ***


 強盗がトランクを売り払ったのはとある商家。

 最近北からハンデルに進出してきたブラチーノ商会だ。

 いい噂はあまり聞かない。

『お貴族サマ御用達の坊ちゃん商家がこのハンデルにまでやってきたぜ』

 なんて船乗りたちが茶化すように言っていたのを聞いたことがあった。


 この数年で交易都市としてさらなる発展をしたハンデルに、こうして進出してくる他領の商会は珍しい話ではない。いやむしろ最近多いくらいだ。ハンデル領主――ベネットが打ち出した商人に対する減税が効いているらしい。

 俺は聖女様の遺品であるトランクを返してもらうべく、部屋の中で無事であった高価な花瓶を手に持って、ブラチーノ商家の元に走って向かった。


 ***


 細やかな木彫が施された立派な扉をノックすれば、この陽射しの強いハンデルでは珍しい、日に焼けていない白い肌の女性が出迎えてくれた。


「何か御用でしょうか、本日の業務はもう終了しておりますが」

「今日ここに流れてきた品物を買い戻したい。今すぐに。責任者はいるか」

「え、えぇいるにはいますが……」

を買い戻したい。意味はわかるな」


 暗に「この商家が下賤な盗人から盗品を買い取ったと流布されてもいいのか」と聞けば、女性は少しだけ顔を青くして「少々お待ちください」と奥へと引っ込んでいった。

 少しだけ待たされた後に女性に商会内部へと通された。階段を上り二階にある責任者の部屋へと俺を通すと、女性は深々と頭を下げて出てゆく。


 大きな部屋の中心には立派な机があって、俺がやってきたことに少しも動じる姿勢を見せないふくよかな男が、机の前で腕組をして俺を見ていた。

 その傍らには大きな木の箱――聖女様の遺品が置かれている。


「それは盗品だ。返してもらえないだろうか」


 まっすぐに箱に向けて指をさして言った。

 ブラチーノ商会でハンデル支部を任されているであろう、ふとった男はぐっとその元々細い瞳を細めて俺の身体を足元から上半身へとゆっくりと嘗め回すような眼つきで見つめた。


 -商人は取引相手を見定める-

 世話になっているトニックさんも他の商人たちも良く言っていたが、ここまであからさまな目線は初めてだった。

 そうして全身の味見をすましたというような顔で、目の前の男は「ふっ」と笑って見せた。お前を見定め終えた――なんて言いたそうな顔で。


 少しだけ苛立ちながら、それでも要件を済ませトランクを返してもらおうと、俺は極めて冷静に持ってきた花瓶を男の目の前に置いた。


「何もただで返せと言っているんじゃないんだ。知らないとはいえ、強盗に金を支払ってしまったんだろう? その代金は俺が返すよ。だからトランクを返して欲しい。そう言っているんだ」

「ほう? この花瓶は支払い代わりに?」

「……そうだ……今はこれしか手持ちがないから……」


 溜めた現金はトランクの中だ。それを男に行ってしまえば決してトランクは返してもらえないだろう。

 本当は自分と聖女様の思い出の品を手放したくないが、それでも聖女様の遺品の方が何倍も大切だ。

 太った男は俺が差し出した花瓶を手に取りくるくるとまわし、状態を確認する。そして底に刻まれた職人のサインを見て、その細脂肪のまとわりついた目を開いた。多分本人としては大きく目を見開いているのだろう。

 彼は教養のない強盗と違いこの物の価値がわかるのだ。現に適当に花瓶を持っていた男の手が、今はしっかりと花瓶を持ち直している。

 それならば話は早い。きっとこの男はトランクを返して――


「はっーー こんな偽物、出されましてもねぇ」


 肩頬をつりあげた半笑いの豚が、嫌らしい目つきで、俺にそう告げた。



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