第78話 それぞれの宝物
ハンデルに来て7年、俺もすっかり市井に馴染んできた。ハンデルの商人たちともうまくやっているし、冒険者たちともそれなりにやっている。
大体駆け出しの連中は大抵ランディさんとジーナさんの宿にお世話になるので、必然的に俺とも顔見知りになる。粗暴な人たちが多いが根はいい人ばかりだ。
王都で出会った教会の少女、スズとはあれ以降一度も会えてはいない。
実力が認められるようになってきた為か転属されたりとなかなかに忙しいらしい。スズの出身のボロ教会経由で手紙を交換しているので、事情を少し知っている。
トーズと言えば、スラムの悪ガキからすっかりスラムを統括しているボスのような存在になっているし、ジェリーはスラムの子供たちを自立させようと世話する一方、商人たちに可愛がられ最近ではどこの商会に入るのかと連日聞かれるほどだ。
ジェリーとトーズはこの街で知らない人間が居ないほどの有名になっていた。
俺はと言えば……どうなのだろう……
スラムの連中と親しい元商人の子供だと、いまだに思っている人もいるだろう。けれどそれでいい俺の出生をこの街の人間に知らせるつもりはない。
特に自分の家族と深い関わりを持っていた領主が居る、ハンデルというこの街では……
「今日もがっぽり稼いだな」
「あの子たちにおなか一杯食べさせられるしチョークも新しく買えるかも!」
「よかったね、ふたりとも。獲物が沢山とれるし東の森はやっぱりいいね」
ごろごろと手押し車11号を押して俺らは街に戻った。ちなみにハンデルに来た当初に俺たちに戦いを仕掛けたゲススは、大工見習から無事木工職人になり、それなりに成功しているそうだ。
どうでもいい話だが、手押し車を破壊するのは毎回トーズなので、トーズはゲススに相変わらず嫌われている。
「今日は旨そうな角ウサギもとれたし、レオも俺らのところで食事してけよ。メリーが美味く作ってくれるぜ」
「あの子の料理美味しいよね」
「あっあたしだって上手になったんだからね」
「ははっ知ってるよ」
ジェリーを見ると少しだけすねたように頬を膨らませている。子供のころからたまに見かける愛らしい仕草だといつも思う。
「でも今日はいいかな、試験に向けて勉強したいし」
「あ、そっか、もうそろそろだもんね」
「頑張れよ。まぁお前なら落ちることはないと思うけどさ」
「気は抜けないよね。じゃあ、また明日」
「おう」
「じゃあねレオ」
もう何度繰り返したか言葉を言い合って、分かれ道で俺たちは解散した。彼らはスラムに、俺はと言えばジーナさんとランディさんのいる宿へと帰る。
一応宿代は支払っている客ではあるが、子供のいないジーナさんとランディさんは俺を実の子のように可愛がってくれている。
貴族社会の両親しか知らない俺にとってみれば、なんとも可笑しいくらいに彼らは俺に良くしてくれた。最初の一年で、これまでの人生で家族としてきた会話数を彼らは優に上回ったような気さえする。実家では両親と喋るときなど夕飯時しかなかったから余計にそう思うのかもしれない。
角ウサギを三羽手に持って、俺は家路を急ぐ。きっと喜んでくれるはずだ――
「おいっお前しっぽ邸のせがれのレオだろ!?」
突然大きな声で男に呼び止められた。しっぽ邸というのはランディさんとジーナさんの経営する宿の名前だ。長く住んでいるのでここ数年の間にこの街に移り住んだ人間は俺のことをあの宿の息子だと思っているが――
「なにか…あったの?」
男の只ならぬ雰囲気から俺の背筋には、つぅっと冷や汗が伝う。
すごく、すごく嫌な予感がする。
男は震える唇で何があったのかを告げる。
「――強盗が入った、宿のおかみさんが危篤だ。俺は治癒師を呼びに行こうと……」
男が言い終わらないうちに俺は駆け出した。
どっと背筋に脂汗を伝うのを感じながら全速力で走り、たどり着いた宿には、人だかりができていた。そして中から野太い男の泣き声が聞こえた。
「ジーナっ!!ジーナっ!!」
野次馬をかき分けて俺がたどり着いた先には、腹から血を流しているジーナさんと必死に彼女に呼びかけているランディさんがいた。
「ランディさん、どいて」
「だめだ、れお、ジーナ、いきしてな」
とぎれとぎれに嗚咽を交えながら話すガタイのいい小さな男の横にしゃがむと、人目も気にすることなく治癒魔法を使った。
ランディさんも俺が治癒を使えることは知っているけれど、彼らの目の前では小さな切り傷くらいしか治した事はない。
-傷を塞げ、血管もすべて繋げろ-
傷口に魔力を流し込む。
ジーナさんの体に触れた手にはべったりと彼女の生暖かい鮮血がついて、指の股からあふれてこようとしてくる。
-大丈夫、大丈夫、きっと間に合う死なせはしない――
青白い魔力発光を伴って傷口がふさがってゆく。近くにいる者しか俺が何をしているのかは分からないだろう。それほどまでに治癒魔法も素早く正確になっている。
傷がふさがると、俺は素早くジーナさんの胸に耳を当て心音を確認する。
-何も、聞こえない。-
全身の血の気が音を立てて引いてゆく感覚を覚えながら、俺は血まみれの手をジーナさんの胸の上にのせて体重をかけて何度も押し出す。
いつだったかスズに聞いた心臓マッサージだ。
ズシ、ズシ、と体重をかけてジーナさんの肋骨が折れることも気にせずにマッサージを続けると、彼女は「かはっ」と口から喉に詰まっていた血を吐いた。
ジーナさんは苦し気な息を吐きながら、とろりと焦点の定まらない目をランディさんの方に向ける。
「ごめんなさいね、ランディ、レオ」
虚ろな目で一言だけそういうと、大量の血液を失った疲れからか、ジーナさんはすっと意識を失った。
「ジーナ! おいジーナ!」
「寝てるだけだよ、寝かせて体力を回復させてあげよう?」
「……そうか、そうか、よかった……もうだめかと」
ぼろぼろと大粒の涙をこぼしながらランディ―さんは、ぎゅうっとまるで宝物を抱えるようにジーナさんを抱きしめた。その光景を見て心臓が締め付けられるような痛みが走る。
俺が、もう少し遅ければ、今頃ほんとうに――
「ランディさん、寝室までジーナさんを抱えられる? 俺がやろうか」
「いいや、こいつは俺の女房だ、それくらいはできる」
ランディさんはジーナさんを抱き上げるとしっかりした足取りで夫婦の寝室へと運ぶ。
ジーナさんの身体をベッドにゆっくり下ろし、袖口で涙をぬぐったあと、彼は深呼吸を一度して複雑な表情で俺に向き直った。
「レオ、誰かに恨みを買ったことはあるか?」
「……どういうこと?」
「強盗が聞いてきたんだ、金目のものを出せと……ここに住んでるレオっていうガキがたんまりため込んでいるだろうって。
ジーナをこれ以上傷つけられたくなくて、俺は宿の売上と、お前の部屋を教え――」
ランディさんが言い終わらないうちに、俺は顔を青くして地下室へと走った。
足がもつれそうなほどの勢いで
部屋に唯一ある小窓から差し込む薄暗い部屋、長年過ごしてきたその場所に、もう日常はなかった。
机の上に置いてあったはずの本や道具は散乱していて、本棚の本もすべて地面に投げ落とされている。ベッド下まで金目の物を探したのかシーツやマットまではがされていた。
ベッド脇に置いてあった野花を生けた花瓶は、乱暴に落とされたのか床に転がっている。この部屋の中で花瓶が割れていない事だけが唯一の幸運な事かもしれない。
荒れ放題の部屋、それほど価値が高くないものばかりだから、ほとんど何もなくなってはいない部屋……
けれどその中に本来あるはずの、聖女様から託されたトランクだけが、綺麗さっぱりなくなっていた。
「せいじょ、さま」
ぐちゃぐちゃになった部屋の中で、彼女を呼ぶ声だけが妙に響いたような気がした。
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