第77話 伸びた背丈


 清々しいはずの朝の鳥の鳴き声に起こされたのに、どんよりと気分が沈む。

 最悪の眼覚めだな、と思いながら俺は目をこすって布団をぞんざいに身体の上からどけた。


 何度も見る温かく幸せな夢の最後は、いつだって冷水を掛けられたような現実を突きつけられて目覚めてしまう。


 ぐっしょりと寝汗をかき肌に張り付いている寝間着を脱ぎ棄て、素早く普段着に着替える。余裕があるサイズを買ったというのに、いつの間にか八分丈になってしまった服に腕を通して、ほとんど自分所有の部屋になってしまった借り物の部屋を出た。


 昔は地下の部屋と地上の部屋をつなぐ、階段の手すりをずいぶん高い位置にあると思っていたものだが、今はすっかり掴みやすい位置に来てしまっている。

 日中でも暗い階段。その壁にある俺が貼り付けた魔法石にぴとりと手を当てれば、光石は間接照明のように光りだし暗い道筋を照らす。


 あくびをしながら階段を上って扉を開けば、早朝だというのに珍しく台所からはカチャカチャと、誰かが作業をする音が聞こえた。


「あらレオおはよう」

「ジーナさん今朝は早いね」

「ええ今日団体さんが来る予定だからね、はりきらなきゃって。あぁそうだレオ、棚の上のもの取ってくれる?」

「まかせて」


 いつの間にか棚の上にある鍋を取るのは俺の仕事になった。

 ジーナさんの夫であるランディさんは妻が自分ではなく俺に頼るのが不服なのか、その時だけは俺をまるで間男を見るような眼で見てくるので、毎回少し苦笑いしてしまう。


 少しだけジーナさんを手伝って、いつものように港に行く。

 港にはいつの間にか俺たちが授業を行う設備ができていて、なんと商人たちの融資で作られた屋根までついている。青空の下で授業していた頃と比べれば様変わりしていた。


 いつもより寝坊してしまったからか、待ちくたびれた様子の二人が見えた。

 朝日のような真っ赤な潮風に痛んだ髪が海からの強い風に煽られて揺れる。

 その隣には硬そうな髪質の濃い蒼ディープブルーの短く切りそろえられた髪が揺れている。


 俺が来たことにいち早く気づいたのか、青い髪に褐色の肌を持つ少年は振り向いて、眼つきの悪い顔を向けてくる。その首元には大切にしている三角の形をしたサメの歯がぶら下がっていた。


「っせーぞレオ」

「ごめんトーズ、寝坊しちゃってさ」

「レオが寝坊なんて珍しいね」

「うん、まぁ昨日遅くまで……」

「またタニザさんの家?」

「うん。シショーの家」


 ふわぁと俺はあくびをして、かしかしと頭をかく。

 ほぼ毎日海に入っているからか、夢で見た子供時代よりパサつくなと思う。聖女様は俺をお日様の匂いがすると言っていたが、きっともうしないだろう。


「俺もたまに教えてもらうけど、ほんっとレオはあのババァとやっていけるぜ」

「自分でもそう思うよトーズ。今度付き合ってもらうよババァって言ってたことも報告してあげるね」

「うっげぇ」


 赤いベロを出してトーズはあからさまに嫌な顔をする。そんな様子を隣にいたジェリーはけらけらと笑う。

 僕と違ってジェリーの髪は少し艶が出てきたように思う。少なくとも、もうぼさぼさの枝毛だらけの髪じゃなくなった。くせっ毛なのかぴょんぴょんと跳ねていて、潮風に痛んではいるけれど綺麗だ。彼女の瞳は新緑の茶葉のような綺麗でくりくりとしていて、赤く長い睫毛が被っている。


 この街一番の美人を教えてくれ、と聞かれたとするなら一番に思い浮かべるのはジェリーの姿だと思う。街一番のかわいい子を聞かれたらメリーだろうか、彼女もジェリーと同じく美しく成長している。


 出会った頃のがりがりだった彼らの面影はもうない。

 どう見ても健康に一般家庭で育った子供たちにみえるだろう。それほどにスラムの環境は一変していた。



 あの日、ハンデルに置いて行かれてから7年。俺はもうじき15歳になる――




 ***



「レ―――オ――――!!」



 毎朝の日課になっている船掃除と授業を終え、一休みしていたところに甲高い声が響く。

 その声だけで誰が来たかわかり、俺はぐっと眉を顰めた。


 勘弁してくれ……

 いったい何度言わせれば気が済むんだ。俺が立場上の問題で強く言えないことを逆手に取ってくる相手にほのかな怒りしか出てこない。

 特にあの女が来ると商人たちが委縮してしまい、仕事になりにくいと先日トニックさんに言われたばかりだ。


「うげ」

「あーほら、お姫様だぜレオ」

「……あの子よく来るね」


 少しだけ頬を膨らませてジェリーは言う。

 いや、なにも呼んだわけじゃないんだよ。となぜか言い訳のように僕は二人に弁解した。

 高い位置で二つ結びにしたレモン色の髪を揺らして、桃色の上等なドレスに身を包んだ少女は俺に駆け寄ってくる。背丈は伸びたというのにどうやら服の趣味は変わっていないらしい。


「レオ! あたくしが来てあげましたわよ! 嬉しいでしょ」

「……あー…そうですね」


 フリアを助けてから数年、よほど友達がいないのか現領主の妹に大変になつかれていた。

 フリアの父が亡くなり、領主が変わってからというもの、ハンデルは交易都市として更に活気づき、景気も良好。現当主様の人気は高く、その妹がこうして下町に来ることに直接文句を言える人は一人もいない。

 俺だってやんわりという事しかできない。


「最近良く来るね、なんで? 前はたまにくる程度だったのにさ」


 お前が来るとちょっと距離置かれるんだよ、やめろ。と思いながら俺はいつもと変わらない口調と表情で言う。

 そういうとフリアはぷっくりと頬を膨らませる。


「だって、もうそろそろ14歳になりますのよ……王都学園に通わなくちゃいけないもの……レオと会えるのも、そんなに多くないじゃない…」

「あーそうだね」


 フリアは俺の一つ下。この国の第一王子と同じ歳だ。

 俺も多分同じ学園に通う気でいるよとは言わなかった。まだ決まった訳じゃないのだ。俺たち平民は厳しい試験を突破しなくては学園に通えないのだ。


「まぁ君が学園に通い出してもきっと会えるさ、だから心配する事ないよ」


 第一王子が入学する年、俺も学園に入学するつもりだ。入学すればたぶんフリアとは毎日顔を合わせる事になるだろう。

 あと、あの教会で1人頑張っている、彼女とも……

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