第72話 貴族の少女


 気絶している少女をのせて馬車はハンデルへと向かう。

 放置するわけにもいかなかったし、さすがに可哀想だと思ったのだろう、傷ついた小さな女の子を同乗させることに誰も文句は言わなかった。

 うなされている少女の額にじわりとにじんできた脂汗を、僕は持っていた布を水で湿らせてそっと拭ってあげた。

 ふたつに結んだ長くてきれいな淡い金色の髪、薄桃色の上等なドレス。上質なサテンのドレスの裾は土で汚れていて、木の葉がひっかかり、細い糸で編まれていたであろうレースはぼろぼろだった。それだけで小さな少女が現場から必死に逃げてきたことがありありとわかる。



 あのあと、大男を殺した僕は一応何が起こったか確認しなきゃ、と言いひとり茂みの中に入って行った。冒険者の男は仕事だから馬車から離れられないと青い顔で言っていたが、僕も派遣された冒険者すらいない馬車が、何かに襲われても困るだろうと、自分も危険だとは思いつつも単独で現場を確認した。


 ――そこはひどい有様であった。


 胸を貫かれて死んだ夫婦が、互いに抱き合うような体制で地面に転がっていた。夫とみられる男も妻とみられる女性も、保護した少女と同じく上等な服を着ており、婦人の上質なオーダーメイドのドレスには通常、つけているであろう首元の宝石は見られなかった。


 彼らを殺したのはきっと強盗だ。彼らは商家の家の者……いいや貴族だろう。

 肌艶もよく日にも焼けていない。大きい商家であろうとも、それなりに外をかけずりまわっているはずだからだ。


 抱き合う死体の姿は悲劇そのもの。

 嫌なものを見たな、と死体のそばにある複数の足跡だけを確認して僕は馬車に戻った。仲間が殺された事で強盗達はどこかに逃げてしまったのかもしれない、周りに人の気配はなかった。


 深追いする必要はない。

 気絶している女の子を一刻も早く安全な街に運んであげたかった。僕は死体はそのままに手も触れることなく馬車へと引き返した。


 僕が見た抱き合う死体こそが、たぶん今、僕の目の前で眠っている少女の両親なのだろう。

 脂汗を布で拭いながら、どうか悪夢にこれ以上苛まれませんようにと、祈りながら馬車の激しい揺れに寝苦しそうにしている少女の顔を見つめる。

 乗り合わせている他の乗客たちも心配そうに遠巻きに少女の様子を見守っていた。


 長い金色のまつげがふるえる。

 ――あ、起きそうだ。と思った瞬間、ばちりとローストしたてのアーモンドのような瞳と眼があった。


「おうじ、さま」

「……ちがうかな」


 少女の第一声を僕は即座に否定する。

 少女は状況が分かっていないのか、きょろきょろと虚ろな瞳であたりを見回す。とりあえず自己紹介をしようかと、安心させるように少女に笑いかけた。


「僕はレオだよ、君は――」

「この馬車は一体どこに向かっていますの!?」


 間を開けて惨状を思い出したのか、僕の言葉をさえぎると、カッと目を開いて詰め寄ってきた。


「ハンデルだよ。わるいけど乗り合い馬車だから王都に行きたいなら、ハンデルで乗り換えてもらわないと……」

「いいえ、一刻も早くハンデルにっ……お兄様にお知らせしないとっ!!」


 少女の顔は強張っていた。あの光景の中から逃げてきたのだ。脳裏にあの惨状が焼き付いているはずなのに、両親の死を前にして泣き出したってなにも不思議じゃないはずなのに、なのに少女は滲みだした涙をぐっとこらえて、強い目線で僕を見据えた。

 恐怖からか、紫色になった少女の小さな唇は弱く震えていた。


「この馬車はいったいいつハンデルに着くの!?」

「あと3時間くらいはかかると思うけど」

「そんなに!? まったくトロイわねっこれだから庶民の馬車はっ!!」


 レモン色の髪をしたツインテールの少女は金切り声を上げる。


「速度を上げなさいよぉ!!」

「そんなこと言っても無駄だって、この人数なんだから、馬も早くは走れないんだよ?」

「それなら全員下りればいいでしょ!? そんなことも分からない愚図なの!?」


 殆どパニックに近い癇癪を起す少女を前に僕は内心慌てながらも、冷静に説得しようと試みた。


「君以外の全員を下ろすなんてできるわけがないだろう? いいから座ってなよ」

「なんですって、あたくしに意見を言うつもり!? 庶民の分際で」


 庶民庶民庶民。王都で散々貴族社会に生きている連中にも言われたが、王都を出てもまだ言われるかと辟易としてしまう。だが、両親を殺されたであろう少女を目の前にイラだちをぶつけるという訳にもいかずに、僕は黙って今の言葉は不快だと示すように眉を顰めた。

 そんな様子を見ていた同乗者たちは見かねたのか、僕の代わりに少女に詰め寄ってくれる。


「おまえなぁ!!この坊やに世話になっておいてその言い草はねぇだろ!」


「そうよそうよ、あなたが寝てるときずっと看病していたのはこの子よ!?」


「馬車に乗せようって言ったのもこいつだ!」


「それどころかアンタを追ってきた悪漢を殺したのも坊やよ!! あんたこそ何様よ!! お金持ちかなんだか知らないけれど! 助けてもらっておいて、そんな言い方ある!?」


 僕は同乗者たちが口々に言う言葉に、内心「そうだ! そうだ! もっと言え!!」と思っていた。

 一斉に同乗者たちに責め立てられた少女は、本来ならば愛らしい顔に青筋が浮かべて小さく震えている。それは先ほどの恐怖や焦りからではなく、明確な怒りだった。


「あたくしが、何様……ですって? よくもまぁそんな口を聞けたわね」


 まるで真冬のような冷たい空気が一瞬で広がった。蛇に睨まれたカエルのようにその場にいたもの立ちが一斉に凍り付く。すっと品定めでもするように細められた冷たい瞳で、少女は告げた。


「あたくしの名前はフリア・ハンデル

 ――早くハンデルに着きたい理由は、もうわかりましたわね?」


 街の名前を苗字に持つ少女。それはつまり彼女が僕らが向かっている街の、領主の娘だったことを示していた。



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 台風の影響で数日間停電しておりました。更新が出来なかったにも関わらず待っていてくれてありがとう。

 今年は本当に災害が多いですね、北海道の方も本当に大変だと思います。

 何が起こるか分からないので、ろうそくは持っておきましょうね!

 更新停止中はげましのコメントくださったりハートをくれてありがとうございます。すごく励まされました。

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