第69話 墓標前の再会



 聖女様の好きな野花を摘む。

 もう記憶がおぼろげな小さなころ。屋敷のエントランスの花瓶にあった豪華な花を盗み出し、聖女様へ差し上げると「飾られるために育てられた花より強く生きている野花の方が好きだわ」そうおっしゃられた。

 あの小さな小屋で挫けないように、野花なんてものを愛でていたのは、きっと彼女なりの矜持だったのかもしれない。


 沢山引き抜いた色とりどりの野花を抱えて、僕はまた聖女様の眠る場所に来ていた。

 あの後スズには忙しいのか会えなかった。祈りの魔法のことも聞けていないが、実は少し思い当たる節がある。


「聖女様、空間把握だけの"神の眼"に、魔法を乗せるなんてこと……可能だと思うかい?」


 答えが帰ってこない聖女様の墓標に投げかけたのは荒唐無稽な話。

 きっと教会の者に言ってもひと笑いされただけで、切り上げられてしまいそうなありえない話。けれど僕にはスズが行った治癒が"神の眼"を使ったとしか考えられなかった。


 “神の眼”――箱の中に入れられた物を当てる教会の魔法。

 魔法の粒子を魔力発光すら起こさせない程に細かく散りばめ、繊細な魔力制御を行いながら、魔粒子をちりばめた空間上に何があるのか把握する……それだけの魔法だ。

 魔力発光がないので一見すると魔法を使っているようには見えず、箱の中身を当てるので”神の眼”と呼ばれている。教会の一部の者だけが使える秘儀に近い魔法。


 もし、もしもだ、散りばめた魔法の粒子にもう一段魔法を上乗せすることができれば……魔力発光を起こすことなく治癒ができるのではないだろうか。


 あの時、怪我をした騎士やウィルだけでなく、僕のまで治っていた。それも神がスズの祈りを聞き入れ、近くに居る人間を無条件に治癒してくれたと言われれば、納得せざるを得ない。

 だが違っていたら?

 魔力発光なしに行う魔法で神の奇跡を演出していたとすれば? 王子を救ったとなればスズをあの場に派遣した上層部の株が上がるのではないだろうか。王子へのパフォーマンスとしては最適ではなかっただろうか。


 一応考えてはみたが、そんな事できるわけがないと思っている自分もいる。まだ「神へ祈りを捧げて奇跡で叶えてもらいました」の方が現実味がある。


「普通は無理だよね聖女様……」


 だってあなたにできなかったんだから――

 萎れかけの白い花が添えられている墓標の前。枯れている野花の山に、持ってきた野花を置いて僕は眉尻を下げて眠っている最愛の人を見つめた。


 ――チリン


 どこかから鈴の音が聞こえた気がした。



「レオ……?」


 聞き覚えのある愛らしい声色に、僕は目を大きく見開いて後ろを向いた。振り向いた先には同じように驚いた顔をしているスズが居た。


「なんで……」

「……それはこちらの台詞ですよ」


 ――聖女様の墓標の前、僕たちは再び出会った。


 


 なぜここに……?

 互いに見つめあい僕もスズもそう思っていただろう。


 そういえば、スズと一番最初に会った時、彼女は聖女様の伝記を探していた。それに美味しいスープだって聖女様の本からヒントを得て作ったと言っていた。

 この墓の場所を提供したのだって教会だ。スズが知っていてもおかしいことはない。


「レオも、翻訳師のエリさんのお参りですか?」

「え、あぁ、うん……」


 にこりと笑って言ったスズに思わず頷いてしまった。

 翻訳師エリ――聖女様の仕事と本名だ。この墓標に刻まれている名前。けれど僕にとっては違和感しかない呼び方。


「初めてここで人と会いました。お花の山があったから、誰かがお参りに来ていることは知っていたんですが、まさかレオだとは……

 ここ、見つけるの大変だったでしょう?」

「あー、うん……」


 スズに、僕が聖女様の葬式に立ち会ったことは言えなかった。

 聖女様の葬式に立ち会えたのは召喚した家の人間だけだ。聖女様の墓の場所を知っていた理由を言ってしまえば、おのずと僕が貴族であったことも告白することになってしまう。

 僕がモリス家の人間であったことは、できることなら誰にも言いたくはなかった。


「僕、が好きなんだ」

「え、今……エリさんのこと聖女様って……レオ、まさか、翻訳が前聖女様の行っていた仕事だと知っているんですか?」


 目を見開いてスズは僕に聞いてきた。ぜん聖女と言われるのは気にくわないが僕は小さく頷いた。翻訳の仕事を知っていたのは事実なのだから。

 頷いた僕にスズは顔を赤く染めてキラキラと瞳を輝かせている。


「同じくらいの歳で彼女の功績を知る子は珍しいのに!! ああうれしい!」


その言い方に違和感を覚えた。

聖女様は肩書なしで翻訳の仕事をされていた。誰も聖女様がお仕事で翻訳をしていると知らないと思っていたからだ。


「功績って? どういうこと?」

「歴代の勇者様や聖女様が書かれた異世界の書物の翻訳ですよ。小説であったり、暮らしの知恵であったり、勇者や聖女好きの間では有名なんですから!」

「待って、そもそも翻訳はエリ名義だろう? なんで君は翻訳者が聖女様だって知ってるんだい?」


「大人たちは口にしないだけで知ってますよ。元々が異世界の言語で書かれた本の翻訳なんですから――

 ただ誰も口にしないだけです。言ってはいけないことのように……」


 そう言ってスズはすっと目を伏せてしばらく俯いた。

 ぱちりと瞳をひらいて僕を見ると、大きな夜空のようなを向けてくれる。その顔は心なしか何かを期待しているように見えた。


「――やっぱりレオも前聖女様の翻訳された物語が好きで……? に?」

「聖地巡礼の意味がちょっと分からないけど、そうだね、聖女様の本は大好きだよ」

「でしたらツインライトは読まれましたよね? あの吸血鬼のロマンチックな恋愛小説! どうでしたか!?」


 ぐいぐいっとスズは寄ってくる。

 キラキラと目を輝かせているスズは、どうやら十数年前に一世風靡した異世界の小説のファンのようだった。そういえば図書館でもスズは恋愛小説を読んでいた。

 聖女様の書いた本が好きと言いつつ代表作を読んでいないのはおかしいか、と僕は彼女に合わせることにした。


「え、いやーまぁ、僕まだ子供だし、恋愛はあんまり分かんなかったかな、うん……」

「えー」


 スズは明らかに落胆した様子で少しだけ頬を膨らませていた。自分の好きなものを認めて貰いたかったのだろう。

 同じ作品を好き同士になってやれなかったのは申し訳ないが、魔法や他の技術の習得に忙しく、恋愛小説を読む時間を作る気にはなれなかった。

 ふくれっ面なスズに僕は気になっていたことを聞いてみることにした。


「あぁ、そうだ君に聞きたいことがあったんだ」

「何ですか?」

「祈りの正体についてだよ」

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