第60話 美味しいスープと説法
王都の端の端。貴族であった頃の僕が踏み入れたこともないような庶民街の端の端に、スズの拾われた教会はあるらしい。
据えた
もうすっかり慣れてしまったスラム独特の臭いの中に、少し美味しそう香りが漂う。その香りに連れられるように、わらわらと人々はぼろ教会の前に集まってゆく。
そこらの民家より敷地が広いだけのように見える場所は、教会のシンボルである砂時計のような標識さえなければ、ここが教会だと誰も思えないだろう。
いい香りが周囲に漂う、人だかりができている教会前。法服に身を包んだ子供たちは集まった人々を列に並ばせるように声掛けを行っている。
「寄付してくだされば早めにスープが飲めますよー」
「寄付してくだされば多めに注ぎますよー」
「寄付してくだされば説法を前列で聞けますよー」
小さな教会の法服を着た子供たちは、寄付金を集める係と器を渡す係になってお金を集めている。教会へ寄付をすれば少し大きめの器を渡されて早めに食事にありつけるというわけだ。
長蛇の列に並ぶのも嫌だったし、教会に来て寄付金を渋るほど生活に困窮しているわけではないので、快く昼飯の代金を教会の子たちに支払う。
「じゃあ寄付しようかな。ところでスズはいる?」
「ありがとうございます! スーさんなら教会内で説法をされていますよ」
寄付金を入れる箱に王都で食べる昼めし代より少し多めにお金を入れる。教会の経営が見るからに大変そうに見えたし、貴族であった頃の習性か寄付金をケチるのは恰好悪いように思えたからだ。
ちゃりんちゃりんと音を立てて銀貨が投入されてゆくのに、教会の子供たちは目を丸くした後、満面の笑みを浮かべ、僕の顔程の大きさの器を渡してくれた。
成人男性がおなか一杯になるほどにスープを継がれそうになったので、慌てて普通の量でとお願いする。
注がれたスープから香る匂いにゴクリと自然に喉が鳴る。
細かな野菜と豆が入っているスープだというのに、たまらない香りが鼻孔をくすぐるのはなぜだろうか。
ついつい生唾を飲み込んでしまうほど、おいしそうな香りを吸い込みながら、僕はスープ口に含んだ。
「お、坊主、寄付の大皿じゃねぇかちょっと分けてくれよ」
話しかけてきた見知らぬ男を無視して、僕はふたくち、みくちとスープを飲み進める。
口の中に広がるのは何重にも重なった"おいしいもの"の層。料理なんて焼くくらいしかできない僕には、どういう作り方をしているのか一切わからない。
けれどハンデルで毎日食べる貝のスープよりも味に深みがあり、獣が入っていないというのに、動物の味を感じる不思議なスープ。
懐かしい味だ。なんの味か……しばらく食べて理解する。
「……なんで貴族が食べる鳥のスープなんて出せるんだ……?」
空を飛ぶ鳥は、天にいる神に近い存在。貴族や上流階級の者が好んで食べる動物であり、逆に言えば森で狩らない限り庶民は一切口にできないものである。
ごくり、喉を鳴らしながら最後の一滴を下品に器を傾けながら飲み干す。貴族としては絶対にやってはいけない作法だが、今は咎める人もいない。
「美味しかった」
ぽつりとつぶやいて、食器を回収係の子たちに渡す。
ボロ教会にも関わらず、肉は浮いていないが鳥の味がするスープを出せる意味がわからなかった。そんなものを出せるのならば、こんな酷い見た目の教会を修復するだろうからだ。
一人で疑問を抱えても仕方がない。あとでスズに直接聞けばいいのだ。
教会内はほとんどの人が立ち見状態で、狭い部屋は埋め尽くされている。その中に響く愛らしい声がする、スズの声だ。
「――善を行うもの者は女神様に愛される者であり、悪を行うものは女神様に愛されることのない者です。神を愛するなら愛されたいと思うのなら善を行ってください」
寄付をした人間は前列の方で説法を聴けるからか、比較的裕福層な人たちが前列で聞いている。かなりの盛況ぶりだな、と思いつつ僕はその後ろの席に腰を下ろし、スズの説法に聴き入った。
「正直に生きることこそ、神の教えであり素晴らしい毎日を送れるよう私たちに神が
昨日夜出かけた時と全く違う修道女としてのスズの声色が響く。
「嘘には優しい嘘もあるといいますが、結果を考えれば正しいとは言えません、人に正直に、自分に正直になる事こそ天へ近づく道なのです」
ふっと思わず笑ってしまう。そんな事を実行できている人がいったいどれだけいるのだろうと思ってしまう。
スズはできているのだろうが、少なくとも街の人々も貴族社会もそんな神の教えを守っている人なんて殆どいないだろう。
教会に来るのなんて数年ぶりだが、やはり好きになれないな。と美しい絵画に描かれた人のように、微笑みながら説法をしているスズを見ながら思う。
話半分で聞いている僕と違い、信者たちはスズの言葉に相打ちをしながら熱心に聞き入っている。
よく躾けられた子のように、説法を聴きに来ている人たちは老若男女問わず、黙ってスズの話を聞いている。
僕もハンデルで子供たちに教えているからよくわかるが、普通話を聞いてもらうのはなかなかに大変な事なのだ。
スズの話し方、薄暗い教会内にある窓からスズに降り注ぐ光が神秘的に見せているのかもしれない。
恍惚といった表情で聞き入る信者たちと共に、僕はまるで舞台でも見ているような、そんな感覚がした。
「では今日の説法は終わりです。余裕のある方はぜひ寄付してくださいね、スープが豪華になりますよ」
パチンとウィンクをしてスズが奥の部屋に引っ込んだ途端に、人々は
「今日の説法はよかった」「ためになった」「今日もかわいかった」「救われた」そう口々に感想を言い合っている。
信者たちにはぼろ服ではない、商人のような裕福そうな人もいて、彼らは多くの寄付金を籠へと入れてゆく。
小さな子供のアイドル性を利用した集客なのか、それともスズ本人が教会の人間としてかなり優秀なのかはわからないが、スズが平民の身で
感想交換に熱中している信者たちをすり抜けて、僕はスズが引っ込んだ部屋の前にいる、教会の青年に声を掛けた。
「スズはいる? 今日約束してたんだけど」
青年はいぶかし気に僕を見つめたあと「聞いてきます」と奥に引っ込んでゆく。
少したてば、青年は僕を奥へと通してくれた。
小さな談話室のようなその場所。
僕の家の使用人室の方がきっと上等なものが置かれているだろうと思えるような質素な部屋の中。小さな茶のみテーブルの前に座りハーブティーを飲み、ひとり
「久しぶり」
「もう、昨日ぶりですよ」
僕を見て笑ったスズは、先ほどの修道女としての姿としてじゃない、どこにでもいる少女のように見えた。
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