第59話 幸せな肖像画


 僕の"呪い"を解くにはどうした方がいいだって――?


 意味が分からずに僕は黙って目の前にいる女性を見つめる。母は寝起きという事もあってか、虚ろな瞳をこちらに向けていた。

 このまま誤解されても嫌だなと、一応弁解をしておく。


「呪いなんてかけていないよ」

「いいえいいえ、あなたが死んでから、この家はもう……こうして幽霊として出てくるのなら、どうか呪いは私だけに……あの人の分も私に――」


 久しぶりに会った母は、僕の知っているとした大貴族の妻としての母とはまるで別人であった。いいや、これが本来の彼女の姿なのかもしれない……

 気高い母は目の前にいない、弱弱しく肩を震わせる一人の女性が目の前にいる。彼女の言葉に、一応子供である僕が死んだことへの悲しみの念はくみ取れない。今生きている最愛の人――父のことを慮っている。


「もう、召喚は無理だよ、元の生活には戻れない。あきらめた方がいい」


 虚ろな目をする母に、僕は素直に思っていることを告げる。そういえばこの人と最後に話したのはいつだっただろうか――朝食と夕食、茶会の時にしか会わない母親。


「全部犠牲の上に成り立ってたんだ、僕たちは――

 異世界から人を呼ばなくたってやっていけるはずだよ、父様と領地に帰るんだ、いいじゃないか大貴族じゃなくなったって」

「いいえいいえ、それはあの人が望まないの」


 母は茶色い髪を振りながら言う。わかっている。父は根っからの大貴族だ。

 代々受け継がれた召喚という一大仕事を誇りに思っている。だからこそ手放せないのだろう。そして王も、仕事を放棄し領地に引きこもるなど許してはくれないだろう。


「……母様、あなたたちは正しい事をしていると思っていた。僕だってそうだ、好きか嫌いかは置いておいて、恨んだことは一度もないよ」


 殺し屋をさし向けてきた兄は別だが。


「さぁ眠って。

 僕は誰も恨んではいない。

 呪いをかけてもいない。

 レオナルドはもう死んだ。

 あなたは悪い夢を見たんだ……


 僕は、あなたのことを嫌いではなかったよ――」


 ゆっくりと近づいて母の細い腕に手を触れる。薄い皮膚越しに自分の魔力を注ぎ入れば、かくんと糸を切られた人形のように母は崩れ落ちる。

 地面に倒れてしまわないように腕で支えてゆっくりと下ろした。

 長い茶色の睫毛。ずいぶんと老けてしまったが、昔の凛々しい彼女の面影を感じる。胸をきゅっと締め付けるような罪悪感を感じつつ、僕は「仕方ないことなんだ」と自分に言い聞かせた。


 きっと今、召喚を潰す前夜に戻れたとしても、僕は同じことをするだろう。それは変わらない。けれど誰かを不幸にしたかったわけじゃない……誰にも言えないような言い訳を心の中で唱えながら、僕は召喚の間を出た。


 廊下には僕がまだ彼らの家族だったころの絵画が飾られている。

 幸せそうに笑う母、厳しそうだが口を綻ばせている父、凛々しく笑う兄と姉、そして――何も知らず幸せそうに笑っている僕の姿だ。


 切り裂いてやろうか――

 そう胸に入っているナイフに手を掛けたが、母に「これは夢だ」と説明した意味がなくなってしまうので止め、そのまま急いで家を出た。

 次に様子を見に来るときは誰とも会わない深夜にしよう、なんて思いながら。



***



 召喚の間で倒れている母親を発見したのは、レオナルドの兄ブロリスであった。父が母が居ないことにやけに慌てている姿を見て、なんとなくアタリを付けてきた場所で母親は眠っていた。

 ブロリスは妹が嫁ぎ、弟が死んで以降、たまに母が自分達華族の幸せだった頃の絵画をよく眺めていたのを知っていたのだ。

 アタリを付けた召喚の間で眠っている母を発見したブロルドは、面倒だと思いながら揺り起こす。


「起きてください、なんて場所で眠ってるんですか」


 揺り起こされた母はぼーっとした視線のままにきょろきょろと辺りを見回す。


「夢を、夢を見ました」

「こんな場所で夢ですか……?」


 最近元気がないのは知っていたが夢遊病までとは、とブロルドは内心でため息をつく。


「レオナルドの夢です……

 家に帰って来てくれたのよ……誰も恨んでないと言ってくれたわ、仕方なかったのだと……」


 ひゅっと、ブロルドは息を吸い込んだ。


「レオナルドっ、だとっ……!?!?」

「えっ、えぇ、どうしたの? 夢よ?」


 突然声を荒げたブロルドに母親は肩をびくつかせ驚く。唇を噛みしめる自分の息子を見て、母は困惑の表情を浮かべる。弟のレオナルドのことをそれほど可愛がっていない事は知っていたけれど、今の反応の意味が分からなかったのだ。


「そう、そうですね、ゆめですか」


 自身の歯型がうっすらとついたままの唇で弧を描き、ブロルドはその晴れた日の空のような瞳を細めてほほ笑んだ。その瞳の奥にはふつふつと揺らぐ灼熱にも似た感情があるが、母はそのことに気づくことはない。


「元気そうでしたか、俺の弟は」

「えぇ立派になってました、本当に……」

 じわりと涙目を浮かべる母から見えないようにブロルドは血が滲むほど拳を握りしめる。


「疲れているのね。こんなところまで来て、死んだあの子の夢をみるなんて」


 顔が強張っている自分の、今はもう一人息子を安心させるように母は微笑む。


「そうですよ。さぁ父上が探していました、早く安心させてあげてください」

「えぇ、ありがとうブロルド」


 しゃんとした足取りで母が歩き、部屋を出てゆく様子をブロルドはじっと見つめる。閉まった扉をしばらく眺めながら、唇を噛みしめる。握りしめられた拳からは血が滴りおち、唇にも血がにじむ。

 目を見開いてわなわなと肩を震わせるブロリスは先ほど自身の母親に向けていた顔とは違い、今にも人を殺さんばかりの表情であった。


「しかた、仕方なかっただと…!?!?」


 びりびりと部屋中を震わせるような怒号が響く。

 弟の暗殺を命じたブロルドだけはレオナルドが生きていることを知っていた。


 ブロルドは、仕事を終えて帰ってきた専属の使用人であるララリィに「死体はどうしたか」と聞いたのだ。ララリィは涙ながらに「逃げられましたが致命傷は与えました」と言っていた。生きている可能性があったのだ。


 父に血のべっとりついたマントを渡し、ひどい状況であったことと、死体の様子から連れて帰ってくるのは無理だったことを告げた。

父は黙って目頭を押さえ俯き、それ以来レオナルドの話は一切しなくなった。

レオナルドが描かれた絵画にはカーテンがかけられ、誰の目にも弟の姿は触れなくなった。

母は時折、幸せであったころの肖像画を見に来ていたようだが……


「仕方ないですまされるものかっ!!!」


 どろりとした感情を目の奥に抱きながら低い声がブロルドの口から出てゆく。


「レオナルドお前のせいで、俺がどれだけっ、どれだけっ……」


 もうブロルドに専属の使用人はいない。お気に入りであったララリィも半年を待たずに解雇された。召喚の失敗以降、ブロルドの手から滑り落ちたものは多い。

 ぽたりぽたりと、ブロルドの形のいい唇から零れ落ちた鮮血は、召喚の魔法陣に溶け込んでいった。

 



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