第58話 修復された召喚の間



 裏口から屋敷に入ったのは初めてだった。まだ厨房に人も立っていない中を新人の使用人は先導して進む。


「屋敷の中に入ったらフードは取りなさい。まだ子供だから分からないかもしれないけれど常識よ」

「あぁすいません、頭にひどい火傷があるもので……すこし、その……こんな朝に見せるようなものでは……」


 この使用人は僕の顔を知らないが、他の使用人と出くわさないとも限らない。さすがに次男の顔くらい覚えているだろうし、フードをなるべく取りたくはなかった。


「……そうなの。でも執事長の前ではちゃんと取らないといけないわよ? あの人マナーに厳しいから」

「はい、すいませんありがとうございます」


 知ってるよ。と心の中で呟きながら、新人に微笑みかけて、先を進む彼女についてゆく。


 僕は今まで自宅の厨房に立ち入ったことはない。聖女様が欲している食事や食品は、僕が料理人を呼びつけて言っていたからだ。

 貴族は使用人の生活空間に入ることはない。彼らにも生活があるのだ。主人が近くにいては安心できないだろうと、父は徹底していた。

 最も、兄は専属の使用人を近くに置いていたみたいだが……

 厨房を抜け、使用人が食事を取る広間に案内される。さすがに僕らが住んでた場所には案内しないか、と思いながら笑顔だけは新人に向けた。

 見慣れた貴族としての生活空間よりも絢爛けんらんさには欠けるが、質のいいものばかりで作られた使用人の空間であった。


「ここで待っているといいわ」

「はい、ありがとうございます」

「じゃあ私は朝の仕事に戻るから、おとなしく待ってるのよ」

「はーい」


 僕が笑顔で返事をすると新人の使用人は去ってゆく。誰よりも早起きして仕事をしなければいけないのは大変だな、なんて思いつつ、僕は使用人が出ていった側とは反対の扉を見つめる。

 使用人のための広間は出入口が二つある。一つは自分達の生活空間に向かう方、もう一つは、貴族の生活空間に向かう方。

 扉一枚隔てたその場所は僕の懐かしい場所だ。


 女が出ていった扉が閉まるのを確認すると僕はすぐに立ち上がり、貴族側の扉を開いた。

 ワインの色をした絨毯がまるで早く進めと言わんばかりに出迎えてくれる。急いで扉を閉めて、僕は急ぎ足で懐かしい我が家の中を進む。この時間誰も起きてはいまい、だからこそ早く済ませたい。


 今、モリス家はどうなっている――



 速足で向かったのは召喚の間。

 召喚の間に入る前に僕をじっと見つめるのは、ほぼ等身大の大きさに描かれた肖像画。

 固そうな灰色の髪をした鋭い眼をしたお爺様、定規で線を引いたような綺麗な茶色の髪をしたおばあ様。二人とも僕が生まれる前に亡くなっている。

 そんな二人の中心に立っているのは、ちょうど僕と背丈が同じくらいの、真っ白な肌をしたふわふわの髪を持つ子供の姿。空を映したような青い瞳羊の毛を太陽色に染めたような髪。

 ――今の僕と瓜二つの父の姿だった。


 鏡のようだと、身長が同じくらいになった今は余計に思う。

 今のように威厳はなく、気が弱そうな子供……そんな幼い父の横を一瞥して通り過ぎる。見慣れた絵画に気を取られるつもりはない。

 僕は絵画たちを無視して、召喚の間の扉へと手を掛けた。



 踏み入れた召喚の間、鍵はかかっていなかった。

 あの日、次の異世界人を呼び出すときに壊れた壁や床はもう修復されていて、その部分だけが真新しい色をしている。

 床に刻まれていたはずの召喚の魔法陣も不完全ではあるが修復されていた。


 その魔法陣の中心に立ち、目深にかぶっていたフードを取り、袖口で顔のすすをぬぐう。

 ぐるりとゆっくりとまわりながら、修復されている魔法陣を解読してゆく。


「ははっ」


 修復された魔法陣を読み進めてゆくと、思わず笑い声が口から洩れる。

 歴代の当主が書き残した本を頼りに何とか修復したのだろうが、僕からしてみれば全然ダメな魔法陣だ。


 なにしろ僕が儀式前にわざと書き換えた部分がそのまま残っている。重要な書物は儀式を潰した際の爆風で修復はできなかったらしい。試行錯誤して、これだけ年数を掛けてもこれか……と、僕は魔法陣の真ん中でふっと笑った。


 この様子では10年、いや100年経ったとしても召喚なんて夢のまた夢だ。

 そのことに心底安堵する。


 家が落ちぶれたことには確かに多少罪悪感は感じるが、それはすべて今後聖女様のような人を生み出さないために仕方のないことだ。罪悪感よりも、聖女様との約束が果たせたことに、僕はホット胸をなでおろした。


 自分はひとまずは聖女様の望みを叶えることができたんだと、壊れた術式を眺めながら、魔法陣の中心で、僕はふわりとほほ笑んだ。


 ――ガチャリ

 突然召喚の間の扉が開けられた音に僕はびくりとして目線だけ扉へと向ける。



「レオナルド……?」


 開いた扉、そこに立っていたのは。ずいぶんと懐かしい人の姿だった。

 顔に少しシワが刻まれていて、美しかったまっすぐな茶色の髪には少しばかり白髪が混ざっている。

 ――母だ。


 けれど僕の知っているシャンとした姿の母ではない。弱弱し気に眉尻を下げて、うつろな目でこちらを見ていた。

 まさか会うことはないと思っていた僕は、少し固まってしまう。再会に驚いて固まったのではない。今の状況をどう切り抜けるかを必死に考えていた。


 叫ばれれば終わりだ。さすがに落ち目といえども騎士は家の中に常駐している。騎士数名に飛んでこられては、足が速いつもりの僕も捕縛されてしまうだろう。


 僕は久々に会った母を目の前に哀愁に浸ることもせずに、切り抜ける方法だけを考えていた。

 そんな僕を前に、母は唇を震わせながら、か細いが響く透き通った声で僕に話しかけてきた。



「――あなたの呪いを解くにはどうしたらいいの」





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