第53話 はじめてのでーと



 ずらりと屋台が並ぶ市民街の一角。

 労働者たちが仕事終わりに食事を買い疲れ顔で休息をとったり、仲間と談笑するこの職人街の屋台群。木で組まれた骨組みに、元は白であったであろう茶色に変色した厚手の布がかけられている。

 今日は"働かなくていい日"の初日という事もあってか、平日であった昨日よりも疲れ顔の人はいない、みんながみんな楽しそうに談笑しながら木箱の椅子に座り、雑に作られたテーブルを囲って麦酒を片手に笑いあっている。


 港街ハンデルとさほど変わらない見慣れた景色に僕はなんだかほっとする。

 王立図書館の前や貴族街は暗くなりだすと出歩く人間はいなくなるが、ここは違う。あかりと言えば店や屋台の柱にかけられている松明だけの淡い光しかないと言うのに、人で賑わっている。


 あたりに充満する小麦粉を焼いたような香ばしい匂い、肉を焼いた食欲をひたすらそそる香り、アルコールのくらくらするような匂い。どこかから漂う花の香りはきっとここに食事に来ている娼婦のものだろう。

 木箱の椅子に座った人々はナイフやフォークすら持たず、小麦を円形に焼いたパンもどきを手でちぎって肉を包んで食べている。


 娼婦たちが客引きをしている横を通り過ぎ、僕は小さな手を引いて進む。小さな僕らの身体は引き離されてしまえば雑踏に紛れ、再びあえなくなってしまうだろうから、小さな手を僕はしっかりと握っていた。


「こういう場所に来るのは初めてです」


 顔を紅潮させて、少しだけうわずったような声でスズは言う。

 屋台の両端に灯されている橙色と赤い光が真っ黒な瞳に移されてキラキラと輝く。元々下がり気味の眉を下げて、自然とあがったような口角で、楽しそうに笑うスズを見て僕はなんだか誇らしげな気持ちになった。


「王都にいるのに来たことはないんだね」

「それどころか外で食事をとるのも初めてですよ」

「ずっと教会にいるからか……そうだよね、じゃあ何か食べたいものある?」

「あの、私……持ち合わせが」

「知ってるよそんなこと」


 申し訳なさそうに目を伏せたスズに僕は「ぷっ」と吹き出してしまう。戸惑っていたのはそんな事だったのかと。ある程度一緒にいればスズが修道女として金銭を持ち合わせていないのは分かる。

 たぶん教会としてのルールみたいな物なのだろう。スズは恋愛の本だけではなくマドウ書のような物も読んでいた。そういう物を読むには普通書き留める為の紙やペンを持ってくるが、スズの手持ちにそれらはなかった。高価な紙やペン、インクなどを個人で所有することは許されていないのだろう。


「僕、実は教会の治癒師をしてるスズに聞きたいことがあったんだよね。教会の人間の時間をとるには寄付をしなきゃいけないだろ? これはその寄付と同じ」

「寄付とおなじ」

「そう。家に呼ぶときもそれなりに寄付して来てもらうだろ? それの前払いかな」

「お金持ちの商家なんですねぇ」


 はーと関心したようにスズは言う。

 どういう事だろうか、と一瞬思ったがすぐにスズが僕の育った家が裕福だった理由に気づいた。教会の人間を家に呼ぶのはある程度地位のある人間のすることなのだ。現にハンデルでも街の人たちは治癒して欲しい時には自ら教会へと足を運んでいた。家に教会の治癒師を呼べるような商家の家の子だと思ったのだろう。

 門兵と同じくスズも服装から僕のことを貴族ではなく商人の子だと思ったのだろう。


「んーまぁそうだね。だから寄付分はたっぷり食べてね」

「ふふっ、ありがとうございます」


 頬を少しだけ赤らめてスズは笑う。図書館の職員や門兵にも気に入られていたが、その理由が少し分かる気がした。手を差し伸べたくなるような小さい少女、その少女に優しくすれば誰よりも愛らしく笑ってくれる。

 おいしい物を食べたらもっと笑ってくれるのだろうか、となんだかムクムクと好奇心に似たような感情がわいてでる。


 僕らは焼けた肉の香りが漂う屋台へと向かう。テントにはツノウサギの絵がかかれており、ジュージューと音と煙が漂っている。鉄製の机のような鉄板の上では赤子の拳大の肉の固まりが踊る。屋台に訪れた人たちは金を払うと、その肉を3つ串にさしてもらい渡される。


「おじさん串焼き二つ」

「おーぼうずデートか」

「うん」

「マセガキだなぁ。銅貨3枚あるのか?」

「あるよそれくらい」


 見くびられて少し頬を膨らませた僕を見て、ケラケラと楽しそうに店主は笑いながら肉を串にさしてゆく。銅貨を店主に手渡しすれば、肉塊を4つずつ刺した串を渡される。


「これはおまけだ。うまくいくといいな坊主」

「うん。ありがとう」


 はたしてデートでうまくいくとは、どういう意味なのだろうか。楽しいことをするというのが"デート"という認識だったので、ちょっとよくわからない。

 父や母、姉とその婚約者は時折デートをしていて、帰ってくると決まって機嫌がよかったから、二人で遊ぶことの総称だと思っていたのだが、なにか違うのだろうか。

 少し首を傾げながら振り返ってスズを見れば、赤い顔でなにやら照れている。


「あの、そんな、わたしたち出会ってまだ一日で……っ」

「? よく分からないけど座って食べよう」


 顔が赤いスズを引き連れて、広場の端にある子供の腰ほどの高さの石垣へと座る。テーブルは酒を飲んでいる大人たちで占められて、五月蠅くゆっくり食事をとれるようには思えなかったからだ。

 石垣に腰を下ろし、串焼きを持ったスズは、足をぶらぶらと揺らしながら楽しそうに屋台にいる人たちを見ている。


「お祭みたいですね」

「国王生誕祭とかの? もっときらびやかだったような……」

「私の故郷では祭事があるとこうやって外でみんなが食事をとるんですよ。小さな頃に親に連れられてよく行ったものです」

「へぇじゃあ王都では毎日が祭事ってことだね」

「そうかもしれません」


 ふふっとおかしそうにスズは笑う。

 石の上に座り二人で一緒に夕食をとる。串刺しにされた肉はまだ熱く、口に入れた瞬間に濃厚な肉汁が口の中に広がる。塩味もいい具合でなかなかに美味しい。ハンデルの宿でジーナさんが作ってくれるご飯も美味しいが、この料理もいける。

 スズは気に入ったかな? とちらりと見れば、ほっぺたを押さえて目を輝かせている。


「ん~~~~!! おいひい!」

「よかった」

「教会れは、おにくぜんぜんでなくて!」


 急いで肉を何回か噛んで、ごくりとスズの首元が動く。そんなに急がなくてもいいのに、と微笑ましい気持ちになりながら、小さな口が再び開かれるのをゆっくりと待つ。


「こんな上等なお肉食べられないので、すごく、すごく美味しいです」

「そう? こういうのでいいの? それなら今度僕が掴み取りしたツノウサギあげるよ」


 スズが喜びで大きな目を見開く。いや、喜びじゃなくて驚きだろうか……


「あの、ツノウサギってすばしっこくて捕まえられないから、罠でるんじゃ……」

「罠?初耳。 ウサギは掴み取りするものだよ。常識だよ?」


 教会にいるせいできっと外の常識も知らないのだろうスズは、僕を見てなぜか苦笑いをしていた。


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