第52話 不遇の修道女の忠告



「待って――!」


 スズの声が耳に届き思わず身体を止める。

 僕の拳はソバカス顔の鼻先に触れる寸前でピタリと停止した。拳を押し出したときに巻き起こった風が少年の茶色い髪を揺らす。


 突然の出来事にそいつは目を見開き、ぺたんと尻餅をついた。


「ひぃい」


 僕の前から這い出るように、逃げるように階段を下りてゆき、逃げてゆく弱弱しい背中を見送る。追い打ちをかけることも出来たがしなかった。僕は地面に倒れ込んでいるスズに向き直る。


「なんで止めたんだ?」

「いいんです、わたしはいいんです。私は大丈夫だから」


 そう言ってスズは本当に何でもないように笑って見せた。自分に対する仕打ちを、すべて受け入れているような彼女を前にして、言いようのない感情が身体の奥から湧いて出て抑えることができない。


「どうして怒らないんだっ!!」


 あんな奴をかばおうとするスズに腹を立てて声を荒げてしまう。

 彼女に対して怒るなんて間違っていると思うのに、それでも、ぞんざいな扱いを受け入れているその姿に、どうしても、どうしてもイラつきを止められない。

 声をあげてくれれば、助けてと一言言ってくれれば、不遇な扱いを受けていたって、僕でも手を差し伸べることが――


「今は一時的に教会にいるだけで、貴族社会に戻る人には逆らえません」


 なんでもないというような顔でスズは笑う。倒れた時に地面に落ちた教会の帽子とベールを拾い、少しだけ汚れた法服のひざ元をポンポンと叩いて砂を落とす。ちらりと見えた膝は固い地面でり下ろされたのか、真っ赤な色がにじんできている。

 そのあかを見た瞬間、どろどろとした黒い感情とイラつきは消え去り、罪悪感とむなしさが自分の胸に広がる。

 本人が一番つらいのに、僕が激昂して彼女の立場をなくしてどうするんだ……


 立ち上がったスズの前に、僕は膝をついてしゃがむと、彼女の小さくて白い膝に手を当てた。


 スズだって治癒魔法は得意分野だろう。

 けれど僕が治したかった。彼女に自分ですべてを完結させないで欲しいのかもしれない。手を差し伸べる人がいると知ってほしかったのかもしれない。

 白くて小さな膝小僧は、ひんやりとしていて血が通っていないと感じさせるほどであった。そんな冷たい肌に手を触れて、心の中で詠唱を行う。


-傷を塞げ、汚れ痕も何もかも、すべて消え去れ-


 青白い光は傷を包み込むように覆うと、みるみるうちに傷がふさがってゆく。すぐにつるりと茹でた卵のような膝が現れる。

 傷跡が少しも残らなくてよかった……そう胸をなで下ろして、いい事をしたような気分で僕は顔をあげた。


 スズは微笑んで治癒に喜んでくれると思っていた。

 けれど僕の想像と違い見上げた先には、強張った顔で唇を震わせているスズがいた。

 その夜空のような目を大きく開き、唇をぎゅっと噛みしめている。


 傷が痛かったからではない。

 怪我をしている時はそれこそ、なんでもない平気ですというように微笑んでいた。つまり表情が変わったのは、僕が傷を治してからだ。


「ソレ、絶対に私以外の教会の人間の前でしちゃだめ」


 今までにない強い口調で、きりっと強い目力でスズは言う。


「え?」


 思っていたのと違う反応に、間の抜けた声を出してしまう僕に、スズは真剣な顔で続ける。


「大貴族くらいじゃないと、教会からの要請は断れない。

 治癒魔法が得意だったばかりに親元から離された子たちは沢山いるの。今の生活がいいなら、教会で一生を過ごす覚悟がないのなら、ぜったいに、外では使わないで」


 満点の星が輝く夜空を映したような瞳は、迫りくる危機を教えるように真剣に僕を見つめている。吸い込まれそうな真っ黒な眼を前に、僕は黙って頷くことしかできなかった――



 僕が頷くのを確認すると、スズはぱぁっと花が咲くように笑顔を見せてくれた。

 そしてスズは慌てるように、先ほど自分の口から言った教会への不信ともいえる言葉を払拭するように、慌てて両手を身体の前で「ちがうちがう」と振りながら焦りだした。


「もっもちろん、教会は素晴らしい場所ですので、神に仕えたいという謙信的な心があるなら、教会へ修道士として入ることを歓迎しますよ」


 先ほどの緊迫した顔から打って変わり、スズは愛らしい声と表情に戻りほほ笑んだ。胸に下げられた教会のシンボルに手を添える姿は、もうどこからどう見ても敬虔な修道女にしか見えなくなっている。

 一応教会に歓迎すると言ってくれたスズに僕は首を横に振った。


「別にいいかな。神様に興味ないし」

「そうですかそれは本当に残念ですね」


 神に興味がないなんて言われたのに、スズは嬉しそうに顔をほころばせて笑う。そんなんじゃ教会の修道女として駄目じゃないかと僕は可笑しくなって少し笑ってしまった。

 今はスズが真剣に言っていたのは僕にもわかる。後ろ盾がなければ強大な教会という力に、いいように使われるという事なのだろう。それを教会内部にいるスズはよく知っているのだ。


「さっきの奴がいる教会に素直に帰るのもなんだか嫌だね、教会って何時までに帰らないといけないとかあるの?」

「今日は夕飯係でもないので、夕食後のお祈りが門限といえば門限でしょうか」

「夕食時にはいなくていいのかな?」

「どのみち今日は夕食抜きなので」


 聞けばスズは苦笑いしながら言う。

 夕飯が抜きになるのは、あの貴族出身だという少年に逆らったからなのだろう。僕が手を出したのが原因だろうけれど、暴力を振るわれている女の子を前に見ないふりはできなかった。

 夕飯抜きになってしまったかわいそうな少女に僕はひとつ提案を持ち掛けた。


「じゃあお祈りお時間まで、僕と遊ぼう」

「いいですね、デートですね」

「そうデートだよ」


 僕が言ったことを、冗談だと思っているようでスズは可愛いらしい声でくすくすと笑っていた。



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お読みいただきありがとう(^_-)-☆

次は「はじめての♡デート」回です✨

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