第51話 不遇の修道女



 「スー」と大声で名前を呼ばれ、びくりと、スズの肩が震える。


 "スー"というのはスズの愛称だ。図書館のみんなスズのことを"スー"と呼んでいた。けれど親しみを込めてそのあだ名を呼んでいる、というよりは勇者スズキと同じ響きを持つ"スズ"いう人名を呼ばないためにあだ名で呼んでいるように思えた。

 図書館から揃って出てきた僕らに、声を張り上げた僕と同じくらいの年の少年は、スズと同じように教会の法服を着ていた。男だからか頭にはベールはなく六角柱の帽子だけが被られている。つややかな茶髪とソバカス顔の少年はスズの顔をとらえると眉間にシワを寄せ歯をむき出しにして、どこからどう見ても怒っている様子であった。

 スズは握っていた僕の手をゆっくりと放し、礼儀正しくにっこりと、怒っている少年に対して笑顔を向ける。


「待っていてくれたんですか?」

「待っていてくれたんですかじゃ、ないだろ! どれだけ待たせれば気が済むんだ!」


 少年は質のよさそうな小さい靴で、石張りの地面を鳴らながら、ツカツカとこちらに寄ってくる。

 なぜ少年が憤慨しているのか少しもわからなくて、僕は小声で隣のスズに少年のことを聞いた。


「友達?」

「私がお世話を命じられた、貴族出身の者です」


 少年の方を見たまま笑顔を崩すことなく、僕の方をちらりとも見ることなくスズは質問に答える。


「よくもそんな髪で出歩けたもんだなぁ!!」


 スズのざんばらの髪は確かに少し変だが、罵倒するほどでもないだろうと、僕の眉間には自然と皺がよる。

 僕らの目の前にやってきた憤慨している少年は、スズに詰め寄ると、突然――


 スズの髪の毛を鷲掴みにした。


「いたいっ、いたいですやめてください!!」

 目の前の少年が何をしているのか、考える暇もなく痛がるスズの声を聞いてとっさに、少年の日に焼けていない生白い手首をつかむ。

 一拍置いて、突然女の子の髪を鷲掴みにしたと理解してからは、ふつふつと怒りが沸いてきた。


「何してるんだ!!! 手を離せ!」

「ああ? 平民風情が俺に歯向かっていいと思ってるのか! 痛いぞ汚い手を放せ」

「身分は関係ない、僕はスズの髪から手を離せって言ったんだ!」


 声を張り上げるがソバカスの少年は一向にスズの黒髪から手を放そうとはしない。自分の額に青筋が初めて浮かび、感情が昂ぶる。

 頭に血が上がっているというのに、僕は妙に冷静に少年の白くい手首を眺める。


「僕の言ったことが聞こえなかったのか? 切り落として欲してしまおうか」


 本気で切り落としてしまおうと、僕はふところのナイフを取るために服に手を入れれば、ソバカスの少年は慌ててスズの髪から手を離した。

 素早く後ずさりをした少年は、僕が言ったことは脅しなんかじゃないと気づいたのだろう。僕はいつもと変わらない無表情で少年をじっと見つめた。

 騒ぎを見ていた門兵はやっと動き出して慌てた様子でやってくる。


「揉め事はやめてくださいよ」

「階級は? 身分はどこだ」

「騎士ですが、それでも――」

「騎士風情が伯爵家の人間に意見する気か!?」


 門兵は引っ張られた髪を痛そうにさすっているスズをちらりと見ると、眉間にしわを寄せ、目を伏せ「すみませんでした……」と小さく口にした。

 伯爵家の人間だという少年は、ふふんと門兵の謝罪を半笑いで受け入れると僕に向き直る。


「スズなんだそいつは、たぶらかしたのかこのクソ女め」

「……舌もいらないみたいだな、今すぐ切り取ってあげよう」


 ナイフをぎゅっと握りしめて数歩距離を詰めると、僕が本気だという事に門兵も気づいたのか、さっと僕と少年の前に割って入る。

 今朝、僕をぞんざいに扱っていたはずの門兵は額に汗を浮かばせ眉尻を下げて、悔し気な表情をして小声で僕に話しかけてきた。


「気持ちはわかるが、絶対に手を出してはいけない。堪えろ」

「ひどい目にあっている子を放って僕に抑えろというのは筋が違うだろう!」

「だとしてもだ、お前みたいな商人の子じゃ太刀打ちできない。伯爵家の人間に手を出すのは絶対にダメだ。ひどい目に合うだけなんだ」


 聞き分けのない子どもを論するように「たのむから」と声を小さくして門兵が言う。その声色には、なにも自分の保身ばかりではなく僕に対する心配の気持ちも交じっているようであった。門兵の気持ちを汲み取って、僕は悔しいがナイフを懐にを仕舞いこんだ。


 僕がここで手を出せば、目の前の子供の唇と舌を切り取ってしまえば、僕だけじゃなく門兵そしてスズにまで迷惑がかかると、門兵は忠告しているのだ。


 ギリギリと音がなるほどに歯を噛みしめる。


 おかしいと分かっていることを正せない。間違っているのは向こうの方なのに、身分なんて下らないものが邪魔をする。涙目になっているスズを前に僕は何も出来ない。


「はっ、平民風情が逆らうからだぞ! おい底騎士! そいつを懲らしめておけよ!」

「はい、のちほど……」


 唇を震わせながら悔しそうに門兵は口にする。何も僕だけが悔しい思いをしているわけではないのだ、けれど身分という壁が邪魔して何もできない。

 腹が立って仕方がない。僕の知っている貴族代表のような父や兄も保身ばかりの腹が立つ存在だったが、目の前にいるこいつは僕の知っている貴族とはまるで違う。


「帰るぞ!! スー、来い!!」

「はっはい」


 緊張した面持ちでも笑顔を崩すことのないスーは、少年のそばへ急いで寄ってくる。

 僕はギリギリと歯を食いしばりながら、言う事を聞くスズの様子を見る。なんでそんな奴に従うんだ。なんで僕に何も助けを求めないんだ。ソバカスの少年は怒り心頭である僕の顔を見て、勝ち誇ったように、「ふっ」と笑って見せた。


「お前一人で帰って来い」


 そう言うと、少年は小さなスズの背中に手を回し、勢いをつけてスズの身体を前方へと押しこんだ。

 突然のことによろけたスズは、舗装された石畳の図書館前の地面へと落ちてゆく。肉と石がこすれる嫌な音をさせながら、倒れこんだ小さな女の子は、酷い仕打ちに文句ひとつ言う事なく、その小さな唇を噛みしめながら「はい」と弱弱しく返事した。


 ぶちん、と自分の血管が切れる音を初めて聞いた。


 大きな門兵の脇をすり抜け、一瞬でクソ野郎の前に駆け寄り。

 僕は握りしめた拳をソイツめがけて思い切り振りかぶった――――


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