第49話 鈴を転がすような
青い芝の生えた中庭には、ちょうど昼時と言うこともあってか多くの人で賑わっていた。大きな傘が備え付けられている真っ白なテーブルは身分の高そうな人たちで埋め尽くされており、少し下の階級の者は傘がないテーブルに行く。僕も昔はあの傘の下で昼食をとっていたな、となんだか感慨深くなる。
門兵をたしなめてくれたゴーク将軍は、何やら目を輝かせた男たちに囲まれて落ち着かない様子で傘のないテーブルで食事をとっている。一般的には恐れられているようだが、一部の者たちからは人気者なのだろう。彼のまわりで少年のように目を輝かせているおっさんたちを見て、なんだか少しだけゴーク将軍に同情してしまった。
僕より先に中庭に来たはずの教会の女の子も、図書館の職員に声を掛けられてにこやかな表情で立ち話をしている。表情だけは柔らかいが、立場上貴族に引き留められれば断れないのだろうな、と少女にも少し同情した。
僕は貴族が絶対に座ることのない木陰に腰を下ろす。やわらかな芝生の上でカバンから干し肉を取り出した。
紙やインクにお金がかかる。そのうえ王都は物価が高く宿代や飯代もそれなりにかかる。昼飯に豪華なものを食べれる余裕なんてものは今の僕にはなかった。
がじがじと木の皮に似た干し肉をかじる。カラカラの干し肉を徐々に唾液でふやかしてゆくことで、やっと肉の味が出てくるという。顎を鍛えるためだけに用意されたような食事で我慢するしかない。
まずいな、と眉間に自然としわが寄る。これと比べると、ハンデルで毎朝食べる貝スープがどれほど美味しいか……
「となり、いいですか?」
春の小鳥のような愛らしい声がした。干し肉を凝視していた目を声のする方に上げれば、教会の法服に身を包み透けるベールを頭にかぶった、黒髪黒目の少女がそこにはいた。
短いと思っていた髪は、耳ほどの長さで
自分で散髪でもしたのだろうか、切り口がバラバラで、つややかな髪に似つかわしくなく、変に感じた。
ちらりとだけ少女を見た後、僕は不愛想に返事をする。
「どーぞ」
好きにしなよ、と思いながらぶっきらぼうに答えたのに、黒髪の少女はにこにこと笑顔を浮かべ頷いた。変な髪型の黒髪の女の子は少し離れればいいのに、僕の隣に腰を下ろした。
別に王都で誰かと親しくするつもりはなかったので、僕は横に座る彼女を気にしない様に干し肉を唾液でふやかすことに集中する。そういえば聖女様の世界にはガムと言う噛む度に味がする甘いお菓子があったらしい。この干し肉もそんなのだったらいいのに、なんて干し肉の味から気をそらすために考える。
隣に座る女の子を見れば具をパンで挟んだ、今の僕にとっては少しだけ豪勢な食事ととっていた。そんな彼女は木陰にいるというのに、通りかかる図書館の職員たちによく手を振られ声を掛けられている。
「またたのむよ」「こっちで一緒に食べないかい?」「君が来てくれて肩こりが楽になったよ」なんて声をかけては去ってゆく。女の子は「神の祝福がありますように」なんて宗教的な言葉を返しながら、柔らかな笑顔をその人たちに向けていた様子を思い出す。
なるほど、そういうことか。
「さながら僕は魔除草だね」
「あの効かない、で有名な?」
僕の考えている事を、少女はわかっているようでくすくす楽しそうにと微笑んだ。
その時初めて、僕は少女の顔をちゃんと見つめた。
黒くて艶やかな髪は、別に珍しいわけではないが、目を引いたのは、彼女が黒い目をしていたこと。
真っ黒な法服と同じ黒い目、彼女の肌の白さが引き立つためだけに配色されたかのように、黒い大粒の眼玉は僕を見つめていた。
芝生の緑や空の色が目に移り、キラキラと揺れる夜空の様だった。
引き込まれるような黒い瞳をまじまじと見つめてしまったのは、何も色が珍しいからじゃない。図書館の二階で彼女を見たとき妙に既視感があった訳が分かった。その眼を以前、見たことがあったからだ。
忘れるはずもない、『聖女様好感度調査』の【好き】という欄の一番上にいる。聖女様のことを初めて好きだと発言した少女と同じ瞳だった。
「……髪切った?」
思わず親し気に声を掛けてしまう。これでは港町ハンデルによくいる、初対面の女性を口説く男のようではないかと少しだけ恥ずかしくなった。
少女は少し目を丸くした後に、下がり気味の眉尻を下げて涼しいであろう自身の首元に手を添える。
「はい、昨日……やっぱり、一目でわかりますよね……?」
元々下がり気味であった眉を下げ、少しだけ目を伏せている様子からは、好んでこの髪型にしたのではないという事がありありとわかる。
「ちがうよ、そうじゃなくて、僕小さいころ図書館に来ていた君を見たことあるんだ」
「え?」
「聖女様の伝記を探していなかった?」
少女は考えるように後ろ髪を触る。
覚えてないのか……いやそうかもう一年以上前に、図書館で一度であった人間の顔なんて普通覚えてはいない。僕だって、彼女の眼が珍しい配色であったからと聖女様のことを初めて好きだと言ったからこそ、覚えていただけで、目の前の少女はそうではない。
王都で誰とも親しくなる気はなかったが、聖女様のことを好きと言ってくれたこの子とは仲良くなりたいと思えた。
黒目の少女の名前を聞きたい。聖女様のことを好きだなんて言ってくれる人と今度いつ会えるかなんてわからない。
「僕はレオ、君の名前を教えてよ」
周りを通りすぎる大人たちはいつの間にか少女に声を掛けることはなくなっていた。けれどなにやらニヤついた顔をして無言で去ってゆく、まるで何か微笑ましい光景でも見るように。
月のない夜空のような、星々をちりばめたように日の光を反射する黒い瞳が僕を見つめる。薄紅色の唇がゆっくりと開く。小ぶりな口元の奥には白い八重歯が見えた。
「……スズ、それが私の、名前です」
鈴を転がすような愛らしい声で、少女は言った。
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