第20話 商人トニック



 潮風が心地よい港に着けば、まだ目覚めていない街とは違い、早朝だというのに、せわしなく働く商人たちの姿が見えた。どうやら商人になるには働き者でなくてはいけないらしい。


「だいたい、俺らならまだしもレオが命張るほど金払いがいいわけじゃないだろ」

「朝だけで大銅貨5枚ならいいほうなんじゃない? 煙突掃除は一本掃除して銅貨8枚だったし」

「は?」

「確かに大銅4枚じゃ前の宿にも泊まれないし、安いよね、そうだよね、でも他の依頼は受けれなくてさ」

「ちげぇよ、船掃除は、大銅貨3枚だろ?煙突掃除は銅貨5枚だし、太っ腹な奴が銅貨8枚か9枚払ってくれるくらいで……」

「え?ギルドからの仕事より安いの? あぁ……そういうことか、なるほど」


 通常ならばギルドをかいさずに仕事を請けていたトーズの方が、受け取る金額は高いはずだ。けれど現状はそうではない。そういうことはつまり


「本来、貰えるはずの金額を貰えてなかったってことだね」

「ボラれてたってことかよ!」

「うん、そうだね。本来ならギルドを飛ばしている分、手数料が浮いて、少し高い金額で雇えるはずなんだけでど、逆に安い値段で雇われていたみたいだね」

「許せねぇ……」


 握りこぶしをワナワナと振るわせるが、僕には仕方ないことのように思えた。ギルドへ行き依頼札の一枚でも見れば、正規の値段で雇われていないことなんて、すぐに分かるようなことなのだ。


「今回から気をつければいいさ。次からは雇い主が提示した金額とギルドに張り出されている金額を比較したほうがいいよ」

「そんなはなから無理なことを言うなよ。」

「別に無理じゃないだろ?ギルドの人に迷惑をかけるようなことでもないはずだ」

「あのね、レオ、あんたは分かってないみたいだから言うけどさ、あたしたち文字読めないんだよ。というか文字が読めるなんて商人や騎士様くらいのものさ」

「初耳なんだけど……この国の識字率ってそんなに低いの?」

「シキジリツが何か知らないけど、レオって相当世間知らずよね」


 ジェリーがあきれて言う。やはり自分の貴族としての常識は市井の人間とはかなりズレがあるらしい。

 ゾーダが言っていた周りを良く見ろといっていた意味が良く分かる。ジェリーやトーズと関わらなければ世間とのズレを長く持ったままだっただろう。そしてそのズレという名の無知は、何を引き起こすか分からない。それこそボラれるのは自分かもしれなかったということだ。ボラれなかったのは運がよかったのかもしれない。



「でも文字が読めるとか、魔法が使えるとか、あんまり言わないほうがいいよ。あたし達みたいに後ろ盾ない子は攫われて売られちゃうから」

「家を出る前にも言われた。笑うな、魔法使うな、さらわれるぞって」

「それを言った奴は良くわかってんな。お前なんて警戒せずに街を歩けば、3秒で誘拐されてその1秒後には売り手が付いてるぞ」

「それけなしてるの? 褒めてるの? どっち?」


 3秒で攫われる間抜けさを貶されているのか、1秒後に買い手が付いた価値を褒められているのかさっぱり分からない。トーズはケラケラと楽しそうに笑っていた。さっきまで怒っていたはずなのに愉快な奴である。


 ギルドで説明されていた船着場に行けば、屈強な獣人の男たちが忙しそうに重そうな木箱を担ぎ、船の降り場から陸へとかけられている板をきしませながら、働き蟻のように荷下ろしをしていた。

 そのかたわらには声を出して何やら指示を出している男がいた。良く響く低い声を張り上げている、むき出しの腕や頬に傷のある筋肉隆々きんにくりゅうりゅう男がいた。彼らがここで仕事をしていなければ「海賊だ! 逃げろ!」と叫んで周りに伝えなきゃいけない義務感に駆られるほど、強面こわもての男達であった。

 だが強面には剣術の教師であったゾーダで慣れていたため、僕はその人に近づくと、声をかけた。


「ギルドから依頼を受け、船掃除にきました。レオナルドです」

「おう、ガキじゃねぇか、その後ろの汚いのもか?」

「汚いって俺らのことかこのっ……」

「トーズ、おさえて、ここは僕に任せて」


 汚いの、というのはジェリーとトーズのことだろう。怒るのも理解できるけれど、今は声を荒げる場面ではない。初対面に侮辱を受けいちいち怒っていては先に進まない。

 僕は軽くトーズはをいさめて、盛り上がった筋肉に傷を蓄えた男と話を続ける。彼は強面ではあるが一介いっかいの商人だ。少なくとも話は通じるはずだ。


「彼も船掃除にきました。けれど彼はギルドで依頼を受けずに僕が声をかけて連れてきました」

「なら大銅貨3枚でどうだ?」

「彼はギルドを介してないんですよ?ギルドで受けたら大銅貨5枚のものを大銅貨3枚なんて法外すぎる

ギルドとの差額分の得を考えて大銅貨5枚と銅貨2枚でどうですか? 彼は貝落としのコツも得ているそうなんで」


 筋肉の主張が強い男は、あごに蓄えたひげを擦りながら品定めをするように僕たちを足元から上へとジロジロと見つめる。考えているのだろう。

 ギルドへの依頼の手数料がどれほどかは知らない。けれど10%程度は取っているだろうと考えて、ギルドの取り分より低めに、報酬を要求した。


「商人の息子がなんで冒険者なんかやってる?」

「……長男じゃなくちゃ家を継げないのはどこでも同じじゃないですか?」


 うそは言っていない。否定しなかっただけだ。下手に勘違いを訂正して足元を見られては適わない。

 今までの僕にとっては大銅貨1枚や2枚ははした金であった。それこそ聖女様の小屋に移されるまでは、最小の単位は銀貨であったし、小屋に住みだしてからは必要なものは全て与えられてきたので、お金は持ってもいなかった。

 金額の交渉なんてしたことないけど、商人の子だと思ってくれれば報酬上げてくれるかな。なんて考えていた。


***


 腕に無数の傷がある男――トニックはレオナルドの思惑通りに考えさせれていた。


 7歳程度の年齢の子供が大人顔負けに自分の強面の顔にも怯えず、対等な立場のように交渉しようとしているのだ。


 その言葉遣いや態度から、目の前の子供が相応の教育を受けていることは分かる。汚い子供たちをつれているのは、金持ちの道楽か、身分を越えた友情かは分からないが、少なくともスラムに混じるような汚い子供たちの横に立っているのは、一目で不釣合いであると分かる程度には、雰囲気から態度言葉遣い清潔げな髪質の何をとっても、そう感じさせられた。


 子供にも関わらず、考える素振りもなしに、適正価格とも言える数字を口にしたことと、一方だけではなく両者が徳を得るという商人が最も納得しやすい形で案を出してきた事から、下手な商人見習いよりも商売というものを知っていると思えた。そしてその事からある程度豊かな商人の息子だと予測できた。


 めんどうだな――


 それが数々の厄介な仕事を潜りぬけてきた男の正直な感想であった。


 そこそこ力のある商人の息子らしき子供を雇っていいものか、事故が起こった場合が面倒だ。けれどギルドから派遣されてしまっている以上、明確な理由なしに危機回避のために追い返せば今後ギルドに仕事の発注がしにくくなる。

 それは更に面倒な事態になることを考え、男は決意した。


「汚い小僧は大銅貨5枚と銅貨1枚だ。これ以上は無理だ。あと俺も子供に船掃除をさせて万が一にでも死んじまっても困る。一筆書いてもらおう」

「分かった。交渉成立かな?」

「あぁ交渉成立だ」


 トニックは強面の顔をにっこりと笑い白い歯を見せる。

 野獣が獲物の首元に喰らい付く寸前のような顔をして笑うので、トニックは女にモテなかったが、目の前の少年はたじろぐこともなく手を差し出して交渉成立の握手を求める。

 肝が据わっている――


「レオナルド、だったな。俺ァ、トニックだ。海賊も泣きだすウォルター商家のトニックだ」

「よろしくトニックさん。あと、汚い小僧じゃなくて、トーズだよ、彼女はジェリー」

「分かった汚い小僧ってのは訂正しよう。ただし正規料金を払うんだ、しっかり働けよ? トーズ」

「わぁってるよ」


 ぶっすりと拗ねた顔で頬を膨らませるトーズを見てトニックは内心微笑ましいと笑う。

 彼らがごっこ遊びではなく、本当に対等に接しているのが分かったからだ。どういう経緯か縁かは知らないが、育ちのいい者が身分さを飛び越え、恵まれない者に向けて優しくすることはあっても、対等に接するなんてことはそうそうない。


 船掃除をする奴が死のうが死ぬまいがどうでもいいと思ってはいたが、この子たちは死んで欲しくはないなと、美しい文字で書かれた、死亡事故に関する同意書を見ながら思っていた。


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