2-007 ヤミツロ北関所でのちょっとした出来事


 それは不思議な青年だった。


 王都の外れに店を構える父の跡を継いで、10年ほどになる。

 固定した店を持たぬキャラバンとして、父の顧客を回って、それなりに利を得ている。

 2代目と言われていたのも過去のこと。

 父の顧客も自分の顧客という認識が定着してきて、最近は少し新しい顧客開拓に力を入れ始めていた。


 今わたしが居るのは、ヤミツロ領とプラホヴァ領の間にある関所。

 わたしは良く使うルートだった。

 通過税があるので費用はかさむが、王都とプラホヴァ領を最短で行けるルートなのだ。

 移動日数というのは、護衛を雇っている以上、存外バカにならない費用が掛かる。

 つまり、最短で行けると言うことは、それだけ安くつくと言うこと。

 それに治安の悪いヤミツロ領内では、武具の需要が高く、少し高値でも売れる。

 そう言った理由で、武具を積んで、この関所を通ることは良くあることだった。


 ただ、今回違ったことは、先般、通過税が引き上げられた、という役人の宣告だった。

 これまでの5倍程の額が要求され、どうしようもなく、わたしは途方に暮れた。

 ヤミツロ領で売るために、仕入れをしたところでお金がない。

 課税分を考えて多めにお金を残しておいたとは言え、予想の5倍も残していない。

 どうしたものか……


 そんなわたしに対して、下卑た笑いを顔に薄く貼り付けた役人は、わたしの耳元で囁いた。

 その言葉を聞いて、そして役人の視線を追って、わたしは憤りを覚えると共に、ある意味、遂にこの時が来たかと諦念を抱いていてしまった。


 ここはそう言うところだ。

 今までは運良く、彼らの餌食にならなかっただけで、いつ搾取されてもおかしくなかったんだと。

 しかしながら、わたしは納得できても……


 引き返すという手はある。

 だが、今さら引き返すという話を出すと、彼らはその行為を咎めるだろう。

 怪しいヤツと言われて捕らえられてしまう危険すらある。

 領主に目の付けられない範囲で、自分の欲望のままに権力を振りかざして搾取する。

 ここに居るのはそういう人達なのだ。

 そして、人が変わってもそれは同じこと。

 役人が腐っているというのはそういうものだ。


 ここで何とか、早急にこの状況を覆す必要がある。

 納得させられるだけの物をわたしが用意できるか……

 焦燥に駆られながら、そう頭を回転させ始めたときに、後ろに並んでいた青年から声を掛けられた。


「お困りですか?」


 なんと……

 普通は有り得ない。

 ここの役人は非常に面倒だ。

 自分の身に降りかからないように、見て見ぬ振りをするのが普通だろう。

 この辺りのことを知らないのだろうか……


 そう思ってまじまじと青年を見定めてしまった。

 見知らぬ青年で、不思議な空気を纏っていた。


 こんな緊張感を孕んだ場所に居るのに、彼の顔には優しげな表情が浮かび、穏やかな雰囲気を振りまいている。

 あまり荒事が得意ではなさそうに見える。

 少し大きなカバンを背負っているものの、中身がそれほど入っていないのか、あまり重そうには見えない。

 後ろに2人の女性を連れているようだが、彼女らも小さなカバンだけで武器も持っておらず、腕が立つように見えない。

 近くには、馬車も護衛の傭兵やハンターも見受けられない。


 不思議だ。


 近くの人だろうか?

 それなら、この場所がどんな場所か知っているはずだ。

 知っているなら、声を掛けてきたりしないだろう。

 役人の仲間でもなければ。


 そう思って役人を見ると、心底訝しげな視線を青年に向けている。

 演技ではなさそうだ。

 ここらの役人が演技をするとしたら、もっと態とらしい。

 なぜなら、演技がバレても良くて、ただ遊びで演技をしているだけだから。

 演技することでわたしたちがより困れば良くて、それが失敗しても、結局わたしたちに元の要求をもう一度言えばいいだけだからだ。


 つまり、彼は彼自身の狙いがあって声を掛けてきたことになる。


「お金で困っているようでしたら立て替えますが、どうでしょうか?」


 金貸しだろうか?

 あまり向いていないように見えるし、それを生業とした人間特有の金臭さが見受けられない……

 自分の商人としての直感が、金貸しではないと告げている。


 彼が何がしたいか分からない。

 分からないが、この青年の不思議さは、商人として好奇心を刺激される。


 ここは少し、彼の提案に乗ってみようではないか。



◇◆



 それは不気味な青年だった。


 俺は関所に勤める役人だ。

 貴族でも何でも無い、ただの役人だ。

 俺はこのヤミツロ領内の中央にある、領都ヤミツロで生まれ育った。

 領都と言っても、この領は殆どの人が農業に就いていて、俺も農家の息子だった。

 農業をして人生を終わらせるのが嫌で──育てた作物を領主に収め続けて死ぬのが嫌で、領主の手先になって働く道を選んだ。

 難関試験に合格して、役人になったわけだが、コネのなかった俺は、こんな領地の端で仕事をすることになった。

 ここには領都のような華やかな物は何も無い。

 辺境の地で、興味もないキャラバンや貴族やハンターを相手にしているだけだった。

 結局、俺は領主に時間を搾取されているような気がし、せめてこの立場を利用して、美味しい思いでもしなければやっていられないと思うようになっていった。

 ただ、中央から目を付けられると、解雇にされた上で得た財産まで没収されてしまう。そうなったヤツを何人も見てきた。

 だから、結局のところ、それほど美味しい思いも出来はしない。

 袖の下わいろを少し得たところで、気持ちは晴れることなく、不満は募る一方だった。

 後は女で楽しむぐらいしか、不満がけない。


 そんなときだから、武具を満載にした小さなキャラバンが来たときに、鴨が来たと思ったのだった。

 要求に対して困り切った顔の商人を見て、これはいけそうだと思ったときに、そいつは現れた。


 さえない風貌に、こんな場面だというのに、締まりのない笑顔を浮かべている。

 金を持っていそうな口振りだが、身なりは田舎者のそれで、軽そうなカバンを持ち、女を二人連れていた。

 見た目と態度に違和感のある、奇妙な男だ。


 ただの世間知らずか?

 何をしたいのか分からないなら、関所でやるべき事を教えねばならん。


 武器も持たず、傭兵もおらず、馬さえない。

 しかし、連れてる女は美人だ。

 益々持って、ここでやるべき事を教えねばならんようだ。


 役人としての感が、この軟弱そうな不審者一行を、洗いざらい取り調べねばならないと告げていた。

 不審なところが無いと確信できるまで。

 不審な物を持っていれば、全て没収もせねばならんとも言っている。


 だから、俺は、この胡散臭うさんくさい男を捕らえるため、怪しげな行動を止めさせることにした。



 ◇◆



「助かります、思ったより税額が高く、持ち合わせが無かったもので」


「不審な男め、そこで止まれ。おかしな行動をとるな」


 僕は、商人と役人から立て続けに話しかけられた。


 正反対の内容だ。

 えっと、僕はどうしたら?


 すると、二人はにらみ合うように向き合って、まずは商人が口を開いた。


「お役人様、常識的・・・に考えて、まずはわたしの税を徴収することが先ではないですか? その為には、彼の方からお金を借りる必要があります」


「いや、待て。お前の番は次に回す。常識的・・・に考えるなら、まずはこの不審な男を何とかするのが先だろう」


「こんなに朗らかな笑顔を浮かべている彼が、不審だとはとても思えません。常識的に考えるならやはり順番を守るべきでしょう」


「常識的に考えるなら、この男が不審かどうか判断するのは、役人である俺だ。こんな風変わりな行動をする時点で、既に不審だろう」


 2人とも自分の思惑を取り混ぜた常識で、相手を説得しようと試みているようだ。


 商人は、役人の言葉に絶望しかけていた割に、元気に役人と言い合っている。

 チャンスで劣勢でも攻勢に出られるのが、商人として上手く行く秘訣なのだろうか。

 かといって、役人も簡単に引き下がらない。

 役人も役人で、自分の主張を曲げないからこそ、こんな関所で仕事していられるのだろう。

 このまま口論していると、たぶん業を煮やした役人が、商人もろとも僕らを不審と断定して捕まえてしまうだろう。

 そうなると僕としても困る。

 ミレルとスヴェトラーナも、緊張を含んだ面持ちで行く末を見守っている。


 僕はアホなんでは?


 問題が起きたら逃げようと思っていたのに、自分から問題を起こしに行ってしまった。

 そりゃ、少し自虐的にもなるというもの。

 でも、僕もミレルも、商人を見捨てられなかったから仕方がない。


 後ろを見れば、並んでいる人たちは更に多くなっていた。

 心なしか視線が痛い。

 特に、1番後ろにいる、魔石を積んだキャラバンからの視線が。


 口論を早く終わらせるためにも、まず僕が不審で無いことを証明せねば。

 こんな時のための、重要アイテム──身分証明書と国王の書状だろう。


「僕は不審者じゃないですよ。これがプラホヴァ領主に発行して頂いた身分証明書と国王陛下からの召喚状です」


 後は世間に広まっている噂を利用すれば、分かってもらえるかな?


「こう見えても僕は魔法使いでして、第三王子の治療の件でお役に立てるかもしれないので、王都に向かっている途中なのです」


 重要アイテムと僕の説明で、2人の僕を見る目が変わった。


 商人は期待度を上げて、役人は不満度を上げた。

 役人はまだ疑っているのか、自分の主張を簡単には取り下げられないからか、僕の手から国王の書状を引ったくって、中身をつぶさに確認し始めた。


 その間に、商人が僕へ話し掛けてくる。


「いやぁ、やはりご高名な方でしたか。武器も持たず護衛もいないようですから、さぞかしお強い方だと思っておりました」


 調子の良い商人だ。

 でも、そういうことが嫌味なく言える商人で、言われて悪い気はしなかった。

 ついでに、武器を持っていないことが不審に映ることも教えて貰えたわけだし。

 日本では武器を持ってることが即犯罪だったけど、異世界では旅をすること自体が危険だから、武器を携行していない方がおかしいみたいだね。

 これは何か持っておいた方が良さそうだ。

 だからと言って、ミレルとスヴェトラーナが、カボチャとカトラリーを携行するわけじゃないよ。

 丁度目の前に、武器を扱う商人がいるわけだし、関所を越えたら売ってもらおう。


「いえいえ、村の外に出たことが無かったので、武器の選び方も分からない素人なだけです。これも何かの機会ですので、後であなたの商品の中から、武器を見繕ってもらえると助かります」


「うちは良品が揃っていますよ! 買って頂けるなら幾らでも見繕います! ……とその前に、その武器の通過税を払って関所を越えなければならないわけですが……最近税率が上がったとかで、いつもの5倍近くの額を要求されましてな、流石にそんなに見込んでいませんで、手持ちのお金が足りなくて困っているのです……」


 5倍!? 税金をそんなに上げないでしょ!

 領主様から聞いた額って、そんなに高くなかったような……

 と領主様の言葉を思い返していると、役人が書状を読み終えた。


「お前が怪しいヤツでは無いことは認めよう。武器を持っていない理由も理解した」


 疑いは晴れたみたいで良かった。


「だが、王都まで行くのに、荷物が少なすぎるのがまだ怪しい。まさか、その格好で国王陛下に拝謁するわけではあるまい?」


 あー……魔法でいつでも作れるし、邪魔だからと思って、プラホヴァ領で荷物を揃えなかったことが、こんなところで裏目に出るとは……

 だからと言って、こういうところで嘘をつくと罪が増えるもの。

 必要なところだけ答えるしか。


「それは王都で揃えるつもりでしたから。なので、王都でその高価なものに化けるものを持っているわけですよ」


 そう言いながら、カバンの中から金貨を6枚ほど取り出す。

 プラホヴァ領都の食事を考えれば、これだけで1年暮らせてしまう額だ。


「王都で使う予定ですから、王都までに返してもらう必要はあるのですが……こちらを商人さんにお貸しすれば、ここを早く通れるのかなと思いまして」


 役人の視線が金貨に釘付けだ。

 役人ほどではないけど、商人も若干驚いた顔をしている。


 てっきり、役人はさっきのキャラバンから、金貨1枚ぐらいせしめてると思ったんだけど……それなら、1年もここで働いたら、こんな仕事辞めて遊んで暮らしてる気がする。

 6枚でこの反応って……このカバンの中身は、殺してでも奪い取られる可能性があるわけだね。


 現に前にいる役人は、今にも手を伸ばしてきそうだ。

 それなら、尚のこと、役人には正しい判断をして貰う必要がありそうだね。

 役人が次の余計なアクションを起こす前に、ここは抑えてしまおう。


「昨日、課税対象とその税率が上がることは、領主様から聞いてきましたけど、高い品目でも2倍程度だったと記憶しているのですが?」


 僕の言葉に、役人が顔を青くさせ、商人は役人をじろりと睨んだ。


「いや、そうだったな? も、もしかしたら、見積もりを間違えて、多い額を言い渡してしまったかもしれない。もう一度、積荷を良く見せてもらおう」


 役人は僕の発言を否定せずに、冷や汗を垂らしながら弁明する方を選んでくれた。

 これが、領主様と国王陛下の威光ってやつかな。

 今の今まで信用できないとしていたのに、僕が本当に国王陛下に会う予定で、その準備資金もしっかり持っていることを認識したから、更にその先を予想したのだろう。

 チクられたら自分が咎められると。

 彼がチクられない為の他の手段を、取らなくて良かった。

 これなら、すぐに解決するだろう。


 ところで、見積もりを誤ったって、課税の仕方が価値ベースなのかな? もしそうだとしたら、どうやって物の価値を測っているのだろう?


 役人が商人に睨まれながら、積荷の説明を受けている。

 その様子をじーっと眺めていると、役人は懐から筒状の物を取り出して触り始めた。


「ふむ……こんなもんで……これの倍だから……」


 役人が独り言を呟きながら作業を終えると、神妙に頷いてから商人に耳打ちした。

 答えを聞いて商人の片眉が跳ね上がった後、懐から硬貨を幾つか取り出して役人に手渡した。


「お前達も通って良いぞ」


 え? あれで終わり?

 最初のキャラバンは、荷物が載っていないことにして通したのかと思ったけど……載っていてもこれなのか。

 記録を付けることもなければ、領収証を返すこともない。

 つまり、役人が納得するかどうかだけで決められてるわけだ。

 不正の原因はシステムにもあるようだね。

 全部が全部、その人個人が悪いわけでも無いか。

 記録も何も無いなら、彼自身が領主から苦汁を飲まされることもあるだろう。


 後ろで成り行きを見守っていたミレルとスヴェトラーナを呼んで、先に門を通ってもらった。

 そして僕は、またカバンの中で精製した木製の水筒を取り出した。


「領のやり方が悪いのも分かるけど、ほどほどにね」


 僕は労い半分呆れ半分にそう言ってから、役人に水筒を渡して、門をくぐった。

 あまり面倒なことにならずに済んで良かった。


◇◆


 門の向こうには、商人が待っていた。


「いやぁ、本当に助かりました! 危うく余計に払わされるところでした!」


 危機を脱した朗らかな笑顔で、商人はお礼を言ってきた。

 言われた額の半分以下になったのか、それとももっと少なく済んだのかは分からないけど、とにかく無用な不幸は生まずに済んだようだ。


「僕も早く抜けたかったですし、丁度良い縁にも巡り会えたようですし」


 そう言いながら馬車の方に視線を送る。

 さっきの今で、僕が武器を購入すると言ったことを、商人も忘れていないだろう。


「わたしも願ったり叶ったりです。ここでは何ですから、ヤミツロ領都への道すがらお話ししませんか?」


 商人の提案に乗って、僕たちは彼のキャラバンと一緒に、次の街まで行くことになった。

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