1-SP2 事件関係者のその後


 息子ネブンが起きたという知らせを聞いた時、すぐにわたしはあの子の寝室に向かった。

 部屋に入って、ベッドに身を起こしたネブンを見た瞬間、涙すら浮かべて飛びついたものだわ。


 ネブンが目を覚まして、わたしはとても安心したわ。

 悪魔が祓われた我が子は今までと全然違って、優しくてしっかりしていた。

 嬉しいことよ。

 我が子が慕ってくれるのは。

 小さいときは、いつもわたしにくっついて来る甘えん坊だったし、とても優しい子だったのだから、正に元に戻ってくれたと思えたわ。

 そして、仕事をし始めた息子を見ていると、嬉しくなってくるのよ。

 この子もしっかりするようになったんだなって。


 でも、お城に戻ってから、ストワードが居なくなったことを聞いて……そして、わたしは分かってしまった。

 我が子の目を覚まさせる為に、ストワードが、ボグダンさんの言ってた『犠牲』になったことを。


 悲しいことだわ。

 優秀な家令として、ネブンのサポートをしてくれることを、願っていたのに……


「母上、お身体の具合が悪いのですか?」


 お茶に付き合ってくれていたネブンが、心配そうにわたしの顔を覗き込んでくる。

 そんな風に心配してくれることに嬉しく思いながら、わたしは首を左右に振った。


「いいえ、この夏は色々とあったから、少し考え事をしてしまってね」


「そうですか……ご心労をおかけして申し訳ございませんでした」


 ネブンが立ち上がって頭を下げてくる。

 その行動にわたしは静かに微笑みを返した。


 悪魔が落ちてから、真面目で優しくなったのは良いのだけれど、少し不遜さが抜けすぎてる気がするわね。

 悪くは無いのよ、悪くは。

 でも、簡単に利用されたり、弱みにつけ込まれたりしそうで、今までとは違った心配が出て来てしまうわ。

 これも、親心かしらね?


 上の貴族に対して、従者のように従ってはダメだから……


 ふとボグダンさんに、自分で言ったことが頭をよぎった。

 わたしは我が子の顔をじっと見つめた。


 わたしの視線を知ってか知らずか、ネブンは窓辺へ向かい、天を掴むように両拳を挙げて、大きく伸びをした。


 わたしの視線に少し困惑気味ね。


 その時、息子の腕で何かが光った。


 ブレスレット? 随分と豪華な造りだけれど、あんな物有ったかしら?

 それに、あのチャーム、どこかで見たような……


「そろそろ仕事に戻ります。良い息抜きが出来ました、ありがとうございます。よろしければ、またお誘いください」


 我が子は口早に告げて、部屋から出て行ってしまった。


 そう……そうなのね。

 そう考えると、どことなく仕草がストワードに似ているわね。

 彼もちゃんとそこに居るのね。

 それなら、安心だわ。

 2人ならきっと上手く行くもの。




◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



「ボグダン様、今日はご足労頂きありがとうございます」


 祭りの後、領主との褒美の話が終わった後、場所をネブンの部屋へ移して二人になった途端、ネブンさんに頭を下げられた。


 二人きりになったから丁寧に話すっておかしくない?


「親しい間で目を気にする必要がなくなったから、と仰るなら、砕けた話し方になるのが自然なのですけど?」


 ネブンさんは少し困った顔をしてから口を開いた。


「普段から丁寧に接したいのですけど、立場上それが出来ないから無理して振る舞っているだけです。こんな時ぐらい、許していただけるなら、このままお話しさせて頂きたいのですが……」


 丁寧にしていた方が楽ってこと?

 変わってるというか……そういう接し方が家令として身に染み付いているからかな。


 とりあえず、なぜ呼ばれたのかも知らないから、話を進めてもらおう。


「奴隷の処遇について話をしたく、ご足労願いました」


 奴隷って……スヴェトラーナのこと?


「やっぱり何か罪に問うのですか?」


「いえ、そのようなことは致しません。ただ、彼女はお屋敷の使用人ではなく、わたしネブン様の所有物でしたので……」


 あー、なるほど……所有者が自分になったものの、どう扱うか困っているのか。


「そのままお屋敷の使用人として働いてもらっては?」


「そういう手もあるのですが……わたしは、ボグダン様のところで使っていただけないかと思っております。今回のお礼も兼ねて。もちろん、使用人としての教育はわたしが責任を持ってしっかり行ってからお渡しします」


 んー? なんか言い方がペットみたいなんだけど……奴隷ってのはそういうものかな?

 そういえば昔テレビでやってた歴史番組で、しつけされた奴隷は子供を取り上げても何も言わない、みたいな話を聞いたような。

 こういう世界や時代では、常識なのだと思う。


 生物の存在そのものに上下はないけど、自然の摂理として強弱があって、強い者が弱い者を喰う食物連鎖が行われていく。

 自然界としても、普通なのだから。

 それに抗って、全てが平等だと唱えるのは正しいことなのか?と疑問に思うこともある。


 でもやっぱり、同じ人として、弱い立場の者がいるという状況は、僕の感性的には反発したくなる。

 これは日本という環境で育ったため作られたものだ。

 その僕の常識をこの世界で押し付けることは、転生神様に言われたことに反する。

 でも、この世界の常識を押し付けられることも違う気がする。

 常識を知って、この世界から排斥されないようにする必要はあるけど、この世界に染まれという意味でも無かった。

 スヴェトラーナを僕が引き取るのなら、僕の好きにさせてもらえば良いのだろう。


「彼女はネブン様が寝ていらっしゃる間に、既にお屋敷で働いていました。基礎は出来ていると思えるので、そのまま引き取りたいのですが?」


「し、しかし、お礼としてお贈りするのに、ボグダン様に失礼があっては……」


 うーん……そう言うところが相容れないから、そのまま引き取ろうと提案しているのに。

 僕が常識を押し付けなくても、相手が押し付けてくる可能性はある。

 こういうときはどうしたら良いものか。

 ネブンさんの場合は、まだ僕が良いって言い切ってしまえば問題無さそうだけど、もっと攻撃的な人が相手だったら、本当に押し付けられてしまう。

 異文化が交わるような外交の場では、強気に行かないと不利な条件を呑まされるのが世の常なので、こういう貴族が領地を統治している世界では、攻撃的な人が多そうだし。

 そういうときは、自分も我を通すしかないか……


「僕が彼女をもらい受けるのであれば、彼女をどう使うかも僕の勝手ではないですか? それとも、ネブン様は僕の好みがお分かりなのですか?」


 僕の言葉にネブンさんの表情が緩む。


 あれ? ここは緊張感が出る場面じゃないの?


「ボグダン様のお好みは、ミレル様以外に御座いませんのでは?」


 え?


「調べさせて頂きました。ミレル様と一緒になられてから、ボグダン様は大きく変わられたと。それほどに──自分を変えるほどに、愛されていらっしゃるのであれば、ボグダン様の好みは、まさにミレル様だと思えるのですが?」


 いや、まあ、そりゃ、嫁さんは好きですよ?

 とてもとてもカワイイ存在ですよ?

 何物にも代えがたい存在ですよ?

 でも、それはミレルと共有した時間が造り上げたもので、例え同じ人物であっても、出会いが違えば結果は違ってたはずで……

 ましてや、スヴェトラーナは別の人間なんだから、僕の好みの性格に仕上げたところで、僕が好きになるとは限らないよ。


 なのに、なんでそんなに良い笑顔なんでしょうか?


「とにかく! 僕は今のままのスヴェトラーナを引き取ります! 僕がそれで困ることはありません!」


 ついつい声を荒げてしまった。

 だと言うのに、なぜかネブンさんは笑顔のまま。

 僕を不快にさせたくなかったんじゃないのかね……


「承知致しました。では、すぐに連れて参ります」


 そしてそのまま、僕はスヴェトラーナを連れて帰ることになった。



 ◇◆


「ボグダン様? 今何と仰いました??」


 スヴェトラーナを家に連れて来て、僕たちの現状を話したら、彼女がそんな風に聞き返してきたのだ。


「ぶっちゃけ、スヴェトラーナにやってもらうことはない、って言ったんだよ。僕もミレルは自分の身の回りのことは自分でするし、医院の仕事もあるし、家事も魔法ですぐに済ませちゃうしで、来てもらってたお手伝いのデボラさんも、今はやることがないから宿屋に行ってもらってたぐらいだし」


 理由を挙げれば、彼女がメイドをしないで言い理由がいくらでも出て来そうだ。


「そんな……わたしはまだ、この衣服をもらったお礼も出来ていないのに……そ、それでしたら、ボグダン様はなぜわたしを引き取ったのですか??」


 自分の着ている服を摘まみながら、心底分からないという表情で、スヴェトラーナが僕に聞いてくる。


 そういわれても、自分が自分らしく行動した結果なだけなので、そっちの理由は出て来ない。

 彼女がプラホヴァ領に帰って、変わったとは言えネブンの元で上手くやっていけるかどうかが、気がかりだったからってところだ。


「ボーグ、仕事が無いのは可哀相よ?」


 ミレルがちょっと伏し目がちに言ってくる。


 そういうもんなのかな?


 仕事が無くて嬉しいのは最初だけ、って会社を辞めてニートになった先輩が言ってた気はする。

 意外に仕事ってのは、やりがいになってたりするんだよ、とも。


「うーん……分かった。でも、家のことをしてもらう必要は無いから……」


 暇なときにも部下へ仕事を渡さないといけない上司の気分、ってのはこんな感じなんだろうか……

 僕に与えてあげられる仕事なんて、あんまり無いんだけど……?


「ちょっと考えさせてもらえるかな……? 2、3日中には答えを出すから、その間は休んでてくれたらいいよ。お屋敷での仕事も大変だったろうし」


 僕のとりあえずの答えに、ミレルとスヴェトラーナが顔を見合わせて肩をすくめ合っている。


 何その「変なの」って言いたげな表情は?


「その間は、わたしがこの家のことを色々教えておくわ」


 う、うん、そうしてもらえると助かります。

 心なしかスヴェトラーナも嬉しそうだし、とりあえずなんとかなりそうだ。


 こうして、スヴェトラーナがシエナ家の一員となった。

 そして、彼女が大変な仕事に就くことになるのも、そう遠い話ではないのだった。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る