1-003 異種族は異世界の常識なようで


 朝になっても嵐は続いていた。

 まるで台風のように、壁や屋根を叩く強い雨の音や木々の揺れる強い風の音が室内にいてもうるさいぐらいだ。


「いつもこんなもの?」


「そんなことないわ。強い雨が降るのは珍しくはないけど、それほど長引かないのよ……」


 ミレルが不安そうに眉根を寄せながら答えてくれた。

 待望の雨だろうけど、多過ぎて強過ぎるのは不安となるよね。

 正確な天気予報も無いし、経験則による予測しか出来ないなら、イレギュラーというのは本当に恐いだろうし。

 心配だから畑の様子を……というフラグは無しの方向でお願いしたい。

 とは言え、護岸工事もされてないようだし、河川が氾濫する危険もあるのか……

 それは村としてどうなんだ?

 村人の安否確認や危険地域の把握、それに非常食の配給。災害対策として基本的なことな気がする。

 村の災害訓練を受けた人がするんだろうけど……この村だと衛士ぐらいかな? 避難場所と言えるところも無さそうだし……これは大きな課題だな。

 災害時の対応方法をしっかり決めておかないと被害が増えるだけだからね。

 今すぐに決められることでもないし、今度村長おとうさんに進言しておこう。


「畑が心配?」


 念のためミレルに確認してみる。


「少し……まだ小麦を収穫した後だから良いのだけど……収穫直前だったら飛び出していったかもしれないわ……」


 やっぱり不安そうにミレルから答えが返ってくる。

 この村の食糧事情からすると、小麦畑が被害を受けると言うことは生きていけなくなるということだし、当然と言えば当然なのか。

 日本の基準で災害対策を考えてしまったら危険なんだろうな……この件は村長だけでなく、村民全員で相談する必要がありそうだ。


 家政婦のデボラおばさんへは、昨日のうちに、天気が回復してないようなら来なくて良いと伝えてある。

 家が近いとは言え、嵐の中出歩くのは危険だからね。

 なので今日の食事は、作るための食材もあまり無いことから、ミレルにおねだりされて非常食の栄養バランス食品──カロリーバーにした。

 この黄色い箱に入っていそうなカロリーバーは、なぜかみんなに好評だ。非常食がご馳走って幸せだよね。


 そんな嵐のお陰で、今日はやることもなく、ミレルと二人きりでまったりのんびり過ごしている。

 久しぶりの完全なオフの日かもしれない。

 医院はすぐ横の建物だし、何か用事があったらこちらに来てくれる。

 それまでのんびりしていよう。


 僕は魔法の研究をしながら、ミレルにおねだりされるまま太らない程度に、飲み物や食べ物を用意して、外の嵐を気にすることなく緩やかに休みを消化していった。



◇◇



 次の日、早朝から再び空は晴れ渡っていて、今日は問題なく温泉造りが再開できそうだった。

 村には舗装されていない道しかないのであちこちに水溜まりが出来ていたけど、居住区側では川の決壊や冠水などもなく、みんな無事だったようだ。

 もちろん川は増水しているけれど、それでも日照りが続いていたから、元の水位から少し多くなった程度で問題ないみたいだった。

 畑の方は水溜まりが酷いけど、いつものことらしいので気にされていなかった。

 後は、転生初日に見た中洲が、完全に水中へ没していて、曰わく付きの巨木がまるで水中から生えてるような幻想的な光景になっていたけど、中洲は人が入らないので、これも気にされていなかった。自然の驚異とか風情とか感じませんかね。


 さて、造りかけの温泉がどうなったかだけど──

 魔法で保護しておいたのだから崩れるようなこともなく、多少土が流れた程度で、ほぼ一昨日の状態が維持されていた。

 温泉自体に問題はなかった。ただ──


「誰か倒れてるわ!?」


 ミレルが先にそれを見付けた。

 造りかけの温泉の岩場に人影があった。

 性別は恐らく女性。

 うつ伏せに倒れていて、緩いウェーブのかかった珍しいアクアマリン色の長い髪を岩場に広げている。

 しかしながら、魔法で視覚強化された僕の目には、それ以上に珍しい物がはっきりと見えていた。

 小走りで近寄っていたミレルが、その人影が何なのか分かるにつれて、速度を落としていく。


 ミレルが僕を振り返って困った顔を見せる。


「ボーグ……この人? 人魚マーメイド……みたい?」


 そう、倒れている女性は、ワンピースから出ている足が1本の尾ヒレのようになっていて、魚のような鱗に覆われていた。


 マジ人魚、マジ異世界!

 エルフが居るとは聞いていたけど、人魚もいるとは!!


 この異世界に来てから、初のファンタジー生物との遭遇だ。

 テンションも上がるというもの。

 しかし、山に人魚って……なんでこんなところに?


 いやいや、それより先に容態の確認だった!


 医者の本分を思い出し、慌てて人魚のバイタルを確認する。

 脈拍、呼吸ともに異常は無い……と思う。

 人魚の正常値が分からないから確証はないけど、安定はしているから大丈夫だろう。

 意識は……無いというか、人間なら寝てると言える状態だ。

 ちょっと触れたぐらいでは起きないようなので、意識を失っているということなのかな?

 ところで、水から全身出てるけど、呼吸が正常って……人魚って肺呼吸なの? 基本水中で暮らしてるんじゃなかったっけ? でも、苦しそうでもないし……


 色々と疑問に思いながらも、人魚を仰向けにして、外傷の確認も続けて行う。

 多少ワンピースが破れていたりするけれど、上半身の怪我は擦り傷程度だった。

 下半身は……きらきら輝く綺麗な鱗が数カ所傷んでいるけど、血が出ているようなところはない。

 嵐の中を泳いでこの怪我って事は、やっぱり人の肌より丈夫なのか。

 あとは……ワンピースを脱がして確認かな?


 裾をつまんでミレルに視線を送ると、悩ましげな表情で近付いてきた。


「ミレル、代わりに見てくれる? 怪我がないか確認するだけなんだけど」


「……分かったわ」


 ミレルとしても、異種族だからどう接して良いのか悩ましいのだろう。

 作業がしやすいようにミレルへ身体強化の魔法を、彼女に断ってから掛けておいた。良く使うのでミレルもその変化に慣れたものだ。

 彼女はすぐに作業に取りかかり、人魚の身体を起こしてワンピースを脱がせ始めた。


 嫁さんが確認している間、僕は一応後ろを向いて別のことを考えていよう。

 人魚は腰から下が魚のようになってるけど……男性と女性ってどう見分けるんだろう? 胸が小さかったけど、女性だよね……?

 いやそんなことより、生物的な成り立ちが気になる。どんな進化をすればこの姿になるんだか……ワンピースを着てるって事は人間と同じように文化を持ってそうだし。

 海で暮らしてる生物がこの姿になるとは思えないから、人間が海で暮らすようになったらこうなったのかな? 足が進化するほど長い世代を海で生活してたなら、えら呼吸になりそうなものなんだけど……

 さすがに見た目だけからの想像では分からないな。

 進化で説明するなら、もっと魚っぽい半漁人的な姿の方が納得できるんだけど。

 人間の遺伝子を改造して人工的に作ったって言われた方がよっぽど納得できる。

 僕が勝手に、人魚は海の生物だと決めつけてるだけかな?


「終わったわよ?」


 ミレルに声を掛けられて振り返る。

 元のワンピース姿に戻った人魚が仰向けに寝転がっていた。


「どうだった?」


「上半身には擦り傷程度の怪我しか無かったわ。下半身も鱗が所々剥がれてたりはしたけど、怪我なのかわたしには分からないわ……」


 んー、僕の見立てと同じか。

 念の為、治療ヒーリングだけ掛けておこう。


 魔法を発動すると、擦り傷は綺麗に治っていった。

 でも、剥がれた鱗はそのままだった。


「ミレルは人魚って見たことあった?」


「いいえ、初めてよ。お伽噺で聞いたぐらいで……」


 山奥だし、普通は見ないよね。

 嵐で進む方向が分からなくなって川を昇ってきてしまったのかな……?

 それなら帰してあげたいんだけど。

 どこから来たか意識が戻ったら聞きたいところだ。

 その為にも、まずは安全の確保だね。

 視診や触診では分からないことがあっても困るから精密検査もしておきたいし──


「医院に運ぼうかな……でも水辺の方が良いのか……?」


 今の岩場で寝てる状態が大丈夫なのかも分からないし、未知の生物相手の医療って難し過ぎる……


「ボーグ、今造ってる温泉には、休憩所みたいなのは造らないの? ほら、長い間お湯に浸かってると気持ち悪くなったりするじゃない……?」


 そう言えば最近お風呂でのぼせてたね、そんな姿も可愛かったよ。

 じゃなくて、それか!!

 さすがミレル! さすが僕の可愛い嫁さん!!

 ここに病院が来い、という考えか。


 僕はミレルに一つ頷きを返してから、救護室を造る予定の場所を確認する。

 それほど離れていないし、先に造ってしまって、そこで寝かせておこう。

 ミレルに一声掛けてから、僕は魔法でパパパッと救護室を造っていく。


 温泉の救護室だから、ベッドが幾つかと診察室兼検査室があれば良いかな。症状が重ければ医院に連れてきて貰えば良いし。

 今回は普通のベッドに加えて寝風呂?が必要っぽいけど。

 人魚がどういうところで寝るのか良く分からないけど……培養槽に全身浸けるわけでは無いだろうし、かと言って布団じゃないだろうし……なので寝風呂にしようと思う。


 魔法で家を造るのも慣れたもので、こだわらなければ積木を積むような感覚で出来てしまう。

 振り返ると、既にミレルが人魚を肩に担いですぐ近くまで来ていた。

 まだ身体強化が効いているのか、ミレルの細い身体からは考えられないほど安定して運んできた。


「とりあえず検査したいから診察室のベッドに寝かせて」


「分かったわ……毎回思うんだけど、ボーグの魔法はホントに──溜息が出るほどにすごいわね……」


 尊敬の眼差しでさらりと旦那を褒めてくれる嫁さん可愛いです。

 呆れの溜息でないことを祈りたい。


「じゃあ、検査を始めるね」


 診察台に寝かせた人魚に向けて、僕が今知ってる範囲で最大の検査魔法を発動する。

 ミレルの悪魔検査で使った、閃術『身体精密検査カラダスキャン』だ。

 日本基準の医療で言うなら、色々な周波数帯での画像診断を同時に掛けて、データベース上のサンプルデータと遺伝子情報も含めて細かく比較してくれる。

 原理は良く分からないけれど、粘液や血液採取すら必要が無いので、患者への負担は無いらしい。放射線は?と思ったりもするけど、そこは魔法だから何か違う方法なのだろう。


 検査結果が人魚の上にAR表示される。


 その結果を見て、僕の頭は一瞬白く染まった。


 異常は無い。

 多少の外傷としては打撲があるようだけど、脳や内臓は問題なく機能している。

 骨も問題ないらしい。

 魔法のデータベースは多種族対応なのか。優秀だ。

 多少お腹が膨れているようだけど、これは妊娠でなく食べ過ぎのようだ。

 魔法が示す異常は、疲労程度しか記載されていない。

 性別も女性で予想通りだった。


 ただ、魔法のデータベースは異常と判定しなかったけど、僕の常識では正常と言い難い表記があった。


 種族『人魚マーフォーク

 系統『オーケータ』

 原種遺伝子情報『人間ホモサピエンス

 付加遺伝子情報『適合化済魚(オーケータ種)』

 遺伝子付加魔法『空気変換チェンジトゥエア』『身体力学強化ダイナミクスブースト』『流体操作ハイドロキネマ』…………


 僕が適当に想像していたとおり、本当に人魚は人間から創られたようだ。『付加』の文字がそれを物語っている。

 肺呼吸なのも、水中では遺伝子に付加された魔法を使えるからなのだろう。


 魔法が異常と言われず、異種族が当たり前のように暮らしているのなら、この世界ではこれが正常なのだ。

 例えそれが明らかに遺伝子操作によって誕生した生物だとしても。


 僕はもう少し、日本の常識を忘れないといけないらしい。


 この検査魔法で神様が創った時の情報が見えてるだけかも知れないし……その場合は、神様が創造したという意味で人間と同じなわけだし。


 僕は実際に神様と言えるような存在に会ったんだ。

 その可能性は否定できない。


 可能性というなら、転生神様は『人の可能性とその世界の常識』の話をされていた。

 ならばこの異種族も人の可能性の一環かもしれない。


 なんとなく違和感を感じるけど、これは僕が日本で培った知識の所為で、人間のエゴイズムなのだろう。


「ボーグ?」


 余計なことを考えてる間に、ミレルが心配そうに僕の顔を覗き込んできていた。

 診察結果を告げてなかったから異常が見つかったと思ってるかもしれない。


「何でも無いよ。異種族だから診察が難しかっただけだから。彼女に異常は見られないから、専用のベッドに運ぼう」


 僕は笑顔で答えて、人魚を担ぎ上げた。

 人より足が少し重くバランスに戸惑ったけど、それ以外は問題は無かった。

 触れてみたところで生物として違和感は無いし、見た目も自然だ。

 これがこの世界の『自然』なのだろう。


 その世界の常識を学ばなければいつか排斥される。

 転生神様と話した内容が脳裏に浮かんだ。


 この世界で、遺伝子操作された者が可笑しいと訴えたら、ただの異種族差別者になるだけだろう。

 確かに、自種族至上主義思想としてこの世界に存在はするだろうし、一定の支持を得られるかもしれない。

 でも、それは戦争の火種になるだけで、そんなこと僕は望んでいない。


「ボーグ?」


 また心配そうにミレルが僕を見つめていた。

 思考の淵を彷徨っていたので、また余計な心配を掛けてしまったみたいだ。


「わたしも人魚になった方が良い?」


 あ……心配してたのはそれでしたか。

 人魚をジッと見つめてたからね。


 僕はミレルの頭を優しく撫でる。


 少し慰めておかないと。

 当然、可愛い嫁さんより人魚が良い、なんてことは無いからちゃんと伝えておこう。


「大丈夫、ミレルが一番可愛いよ」


 僕の言葉に、一拍遅れてミレルの顔が朱に染まっていく。


 おかしな事言ってないよね?


 ミレルは隣の出来たてベッドに顔を埋めてしまった。


 うんうん、その反応も可愛いから全然大丈夫。


 ニヤける頬を引き締めて、人魚のことはミレルに任せ、僕は温泉造りを再開した。


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