1-004 人魚にとって水の味は大事なようで

 温泉造りも一通り終わって、山を削って出て来た大量の石や土砂を圧縮する作業も完了した。

 基本的に析術の物質変換は質量保存の法則が適用されるみたいなので、僕の知ってる中で、一番密度の高い標準状態で固体の害のない金属インゴットに変換してみた。お陰で10分の1以下の体積になった。質量は同じなので魔法が無ければ運べないだろうけど。

 多分この金属はこの世界でも貴重だと思うので、これは後で地下室に金庫でも作って保管してしまおう。

 インゴットを運ぶ準備を終えて、救護室に戻ろうと思ったら、ミレルに呼ばれてしまった。


「ボーグ、あの子が気が付いたわ!」


 慌てて駆け戻ってみると、好奇心旺盛に周りを見回していた人魚と目が合った。


《管理者設定により自動でプリセット──》


「人間、2人目ケ? ここはどこかケ?」


 安直な語尾キタ-!!

 でもなぜ「ケ」? 人魚だから「ウオ」とかじゃないの?


「やあ、おはよう。僕はボグダンって言うんだ、よろしく。ボーグで良いよ」


 警戒させないように、努めてのんびりとした口調を心掛けながら、右手を差し出す。

 横でミレルが驚いているけど、僕の態度にか?


「名前? ボーグケ? わたしはキシラと言うケ。よろしくケ」


 そう言ってキシラは、楽しそうに僕の手に自分の手をぱしぱしと当ててくる。表情の良く変わる子だ。


 握手は人魚の文化にはないのかな?


「ここはシエナ村と言って人間の村だよ」


 とりあえず、彼女の最初の質問に答えておく。


「シエナ村? 良く分からないケ。人間の村は殆ど知らないケ。普通は人間とは喋らないからケ」


 人間とは喋らないとは? 交流がないということか?


「ボーグは珍しいケ。人間なのにわたしの言葉が分かるケ?」


 キシラの大きなマリンブルー色の瞳が僕を興味深そうに見つめてくる。


 あれ?

 もしかして、さっき自動発動したのって……翻訳魔法だったの?


 ミレルへと視線を向けると、顔に疑問符を貼り付けたように首を傾げている。


「ボーグはこの子がなんて言ってるのか分かるの?」


 だから驚いていたのか……慌てて僕を呼びに来たのもそれが理由か。

 僕は統術『魔法辞書検索サーチディクショナリー』で翻訳魔法を検索しながら、ポケットから温泉造りで余った魔石を2つ取り出す。

 すぐに目的の魔法が見つかったので、閃術『翻訳』を付与して1つをミレルに渡す。

 ミレルに魔石の説明をして、彼女に魔石を起動してもらってからキシラとの会話を再開した。


「僕は魔法使いなんだ。だから、魔法で言葉も分かる」


「そうなのケ!? 人魚マーフォークはほとんど魔法が使えないケ!! ボーグは凄いんだケ!!」


「分かる! わたしにも分かるわ!」


 女性二人がそれぞれに驚きを返し、更にお互いの言葉が分かることに驚いて、僕と相手を交互に見ている。


 そりゃ、事前に言われても、突然分かるようになったら驚くよね。

 ミレルが「ケ?」とか言ってるけど、理由は分かるからそこには触れないでおこう。


 でも、キシラは「人魚は魔法を使えない」と言ったか?

 遺伝子に組み込まれた魔法は、もしかしたら意識して使う物じゃないのかな?

 呼吸するのと同じように、普段何気なく使っているのかもしれない。意識的に止めることも出来るのか気になるけど、その考察は一旦保留にして──


「じゃあお近付きの印にこの魔石を進呈するよ。翻訳の魔法が込めてあるから、起動させれば人間と話できるようになるよ」


 ついでに適当な紐と留め具を魔法で精製して、魔石をネックレス状にしてから手渡した。

 そしてミレルには魔石を停止してもらった。何となく不満そうな顔をしてるけど、キシラが魔石を使えば喋れるから問題ないと思うんだけど……


「ありがとうケ!」


 満面の笑顔で少し顔を赤くしながら、キシラが尾ヒレを左右に振った。

 ぱしゃぱしゃと軽く水が跳び散って床に雫を落とした。


 これは犬が尻尾を振るのと一緒なのか……?

 つまり喜びの表現と見て良いのかな?

 異種族コミュニケーションレベルが1つ上がった気がする。この異世界にパラメーターは無いけどね。


「ところでキシラは何でこの村に来たのかな?」


 キシラは一瞬、きょとんとした顔で目を瞬かせていたが、すぐに我に返って慌てた様子で話を始めた。


「これは危険なのケ! この川の危機ケ!!」



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 わたしはキシラ、誇り高きオーケータ族の人魚マーフォークなのだ。

 少し前に成人して故郷の湖を旅立って海に出ている14歳、立派な大人として素敵な男子マーマンと出会うために、海や色んな川を泳ぎまくっているところ。

 だから、故郷の湖では味わえなかった美味しいものに夢中なのは秘密なのだ。


 海や川の危険なモンスターを避けながら、他の人魚を探してみたけど、なかなか出会えない。

 決して、美味しい魚介類だけを追っているのが理由ではないのだ。

 海が広いのが悪いのだ!

 男子が見つからない理由は間違いなくそれなのだ!


 男子捜しを急ぐ必要は無いから別に良いのだけど、お婆ちゃんは子供を見るととても嬉しそうな顔をするから、早く孫を見せてあげたい気がしてるのだ。

 そんなことを考えたら、お婆ちゃんに会いたくなったから、一回故郷に帰るのだ!


 そう思って、故郷の湖へと続く青い石が目印の川を上り始めたら、川の異変に気付いた。

 広い川の真ん中で、水面から顔を出して空を見上げてみると、強い雨が顔にぺちぺちと当たる。


 少し川が荒れるかも?


 でも、人魚のわたしには関係ないのだ。

 川の流れが激しくなったり、温度が下がったりするくらいでは、オーケータ族の人魚はびくともしない! 温水育ちのアオセラリス族とは違う!

 周りが見えにくくなったり、魚が少し捕まえにくくなるのが嫌なだけなのだ。

 遠くの岸で人間達が何か叫んでいるけど、何を言ってるのか分からないからどうでも良いのだ。

 魚の捕れない川に用はないから、さっさと上ってしまうのだ〜


 ん??


 上っていくと枝分かれした川から美味しそうな雰囲気を感じる。

 故郷の湖に繋がっていない支流だけど……何があるか行ってみないと分からない!


 わたしは好奇心から、知らない川を上り始めた。

 この川は人魚が通らない川みたいで、わたしを見付けたときの魚の反応がいつもとちょっと違う。

 もしかしたら、人が多く住む場所に繋がっているのかも知れない。

 人魚は普通、人の住む地域に行かない。

 何故かは知らないけど、言葉が通じないからだと思ってる。


 でも、わたしはこの美味しそうな雰囲気の理由を知りたいのだ。

 段々、川を上るにつれてそれが濃くなってきている気がする。


 わたしは期待に少し身体を赤く染めながら、尾ヒレを叩きつける勢いに任せてどんどん川を上っていった。自分の感覚を頼りに、更に支流へと入り込んでいって──遂にその場所へと辿り着いたのだ!


 何故か嫌な雰囲気がする深い湖を横切って、泳ぐには少し浅い川に入ったところで、今までに無いほどの感覚がわたしの舌を叩いた。


 水なのだ!

 美味しいのは水だったのだ!


 その水は、幾つもの浅い池に分かれた不思議な岩場から流れてきていて、わたしは源泉へと進むのが難しくなった。


 こんな時ばかりはこの大きな身体が恨めしいのだ。

 近くを泳ぐ魚──クラップのように小さければ、源泉へと辿り着けるのに。

 でも、ここで充分だった。ただひたすらに水が美味しくて、わたしはその川の水を、お腹がはち切れそうなほど目いっぱい飲んだのだ。


 飲んでるそばからわたしはふらふらしだして、ふわふわとした良い気持ちになって、眠くなって……悪魔の水だと気付いたときには、耐えられなくなって近くの岩場でそのまま眠ってしまったのだった。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



「だから危険なのケ! この川の水は人魚を虜にする水ケ!! 悪魔が作り出した水ケ!!」


 身体を赤く染めて熱弁を振るうキシラから視線を外してミレルを見れば、彼女は眉を寄せてちょっと不安そうな顔をしていた。


 また悪魔か。

 色んな悪魔がいたもんだ。


 でも、その悪魔は……結局僕なんだよね?


「あー……キシラ? その今浸かってるお風呂の水は、どんな味がする?」


 僕の言葉に促されて、キシラは素直に自分が浸かっている水を口に含んだ。

 もう少し警戒しても良いのでは……?

 そして、驚きに目を見開いて僕を見る。


「美味しい!! 昨日飲んだ水と同じケ!!」


 やっぱり……成分調整して無害な水を流していたつもりだけど、人魚にとっては美味しすぎる水になってたのか……


 後悔半分反省半分で、排水をどう調整したものか考えている間も、キシラは少しずつ水を飲んでいる。


 この子が単純に食いしん坊なだけでは……?


 そんな疑問が頭を掠めたけれど、キシラを見ていると徐々に変化が現れてきた。

 身体が少し赤くなり目がとろんとしてきている。


 酔っぱらってるのか?

 でも、アルコール成分は入ってないんだけど……水分中のミネラル類で酔っ払うとは思えないから、何か他に入っているのだろう。後でしっかり調べてみよう。

 単純に酔っ払うだけならそれほど害はないと考えて良いとは思う。

 でも、とりあえず彼女を止めないと、へべれけになってしまいそうだ。


「キシラ? 美味しいのは分かったからその辺にしておいて?」


「むりなのケ〜 この水はおいしすぎるのケ〜」


 我慢できない子なんだね。

 やっぱり食いしん坊なだけのような……

 いくら美味しいからって、普通はお腹が張るほど飲まないよね?


 とりあえず何の成分がそうさせているのか分からないので、僕は魔法を発動して寝風呂の水を純水に替えた。


 ちびちびと飲み続けていたキシラは……


「何だか味が分からなくなってきたケ〜」


 それでも飲み続けていた。

 いつの間にかお酒を水に差し替えられたことに気付いていない。酔っ払いそのものだな。

 ホントにこの子大丈夫かな……


「キシラ。身体に異常が無いか教えてくれないかな? 痛いとか気持ち悪いとかはない?」


「全然そんなことないケ〜 気持ちいいケ〜」


 上機嫌でそう言いながら、器用に尾ヒレを動かして寝風呂をごろごろ転がっている。そんなに広くないからその場で回転しているだけだけど。

 回転するたびに少しずつ寝風呂から床へと水が零れていっている。

 酔っ払いの行動は何がしたいのか分からなかったりするけど、本人はいたって楽しそうだ。


 回り続けるキシラをミレルと一緒に眺めていると、寝風呂の底に引っ掛かったのか尾ヒレから1枚鱗が剥がれて浮かんできた。

 見かねたミレルがキシラへと声を掛ける。


「暴れるから、鱗が剥がれちゃったわよ? 昨日もそんな感じだったから、鱗がところどころ剥げてるんじゃないの??」


 とろんとした目のキシラは、ミレルの言葉を聞いているのか聞いていないのか良く分からないけど、自分の鱗が目の前に流れてきたのを見て鱗を拾い上げた。


「キレイな鱗ケ〜 誰の鱗ケ〜??」


 自分の鱗を見て感動してるけど……


「確かにキレイなのだけど、それはあなたの鱗よ?」


 ミレルの言葉を聞いても、キシラはしばらく楽しそうに鱗を眺めていたけど、言葉の意味を理解したのか表情を強張らせてゆっくりと自分の尾ヒレに視線を動かした。

 キシラの顔の赤みが引いていく。


「ケっケーっ!! 何なのケ!? 何でこんなに鱗が剥がれてるのケーー!!!!」


 えっと……この子アホの子なの?


 僕とミレルは視線を交わして、同時に溜息をついたのだった。

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