第29話 やっぱり僕は殺されるようで



 眠れない……

 眠いのに眠れない……

 今日はとても気分が重い……

 それはきっとお腹が重いから……


 悪魔が出て来ようとしているから。


 怖い……

 怖い怖い……


 恐怖と不安と眠気と……色んな物が頭を巡って思考が散っていく……


 ボーグと一緒に何かしているときは気が紛らわされて良かったのに。


 一人になるとダメ……

 もうダメ……


 ビアンカやダマリスだって明るくなって、先に進んで行ってる。

 他の子達もあんなにキレイになって嬉しそうだった。

 アレックスさんもボーグに感謝してたし、村長おとうさんもボーグを信頼してきてる。


 上手く行ってる。

 なのに……

 上手く行ってる人が妬ましくなったり……そんなこと考えたくないのに……

 過去のイヤなことも思い出してどんどん沈んでいく……


 これは悪魔の所為?


 つらい……

 くるしい……


 きっと、『あいつ』の中に悪魔が居て……『あいつ』を殺してしまうようなわたしは悪魔に認められて……わたしに悪魔が乗り移って……子供として生まれて来れる日を待ってるんだ……

 首元の痣も消えないし、これは悪魔に認められた証拠なんだ……


 アレシアさんが言ってた通り、わたしが悪魔を産むんだ……


 なんでこんなことになったのかな……?


 全部『あいつ』が悪かったはずなのに……

 『あいつ』は悪魔に取り憑かれていただけ?

 わたしが殺したから悪いの?

 みんなを救うためだったはずなのに……

 わたしが殺したいから殺しただけだったのかな……?


 だってわたしは、あの人になってからも数回殺そうとしたのだから……

 やっぱり殺したかったからなだけじゃないのかな……

 でも、悪魔を殺すためで……あの人の中に悪魔が居ないことにまだ気付いて無くて……

 悪魔があの人を殺そうとした?

 そうかも知れない……


 悪魔はあの人を警戒してて、殺せる時を待ってるんだ。

 だからあの時、あの人にこの痣を見られる前に隠したんだ……

 見られたかもしれないと不安になったんだ……!


 わたし、もう乗っ取られてきてるのかな!

 怖い!!


 また、お腹が疼いて!

 悪魔の存在を強く感じてしまう!


 イヤだ!!


 わたしはいずれ乗っ取られて……イヤだ!!


 考えたくない!!


 あの人を殺すの……怖い!!


 怖い怖い怖い怖い!!


 教会に祓ってもらえば……

 それは結局殺されるだけ!!


 悪魔になるのもイヤ!!

 祓われて死ぬのもイヤ!!

 どっちもイヤよ!!


 わたしはあの人と一緒に居たいの!!


 誰か助けて!!!!




 ボーグ……


 わたしも助けてよ……



◆◆◆◆◆◆



《管理者設定によりプリセット統術『血流分路ブラッドバイパス』レベル3およびプリセット析術『空気変換チェンジトゥエア』レベル2を発動します》


 ん??


 僕は久し振りに聞いた自動発動魔法の脳内アナウンスで、眠りの海から浮上した。

 最近の睡眠不足が影響しているのか、意識が中々覚醒しない。

 僕の意識は眠りの海へとに帰ろうとする。


 眠いしこのまま寝ても良いかな……


 待て待て!

 魔法が自動発動したんだろ!?


 僕は何とか意識を保つ。

 少し浮遊感にも似た感覚が続いた後、僕はその違和感にようやく気付いた。


 首に何かが巻き付いている。


 僕はようやく危険を感じて目を見開いた。

 ぼんやりとした視界に見えてくる人影。


 僕の傍に誰かがいる!


 いや、誰なのか、なんて分かりきっている。

 はっきり見えなくても……

 僕が信じたくないだけで……


 焦点が合ってくると、予想していた人影がそこに立っていた。


 ミレルだ。

 ミレルが僕の首を絞めている?!


 なぜ……?

 もちろん、理由は分かっている。

 その理由ですでに何度も殺されているんだから。


 でも、なぜ……?

 そう思ってしまうのは思い上がりだろうか……

 関係が改善されている気がしたのは、僕の自惚れだったのだろうか……


 そうだろう。

 そんな簡単に恨みが無くならないのは知ってたはずだ。

 僕は日本で、昏い瞳が簡単に戻らないことを見ていたはずだ。


 だから僕は、ミレルとの距離を保とうとしていたんだから。

 自分の中の彼女へ近付きたい想いを感じながらも、彼女にとって一緒に居たい相手では無いだろうと思って。


 ミレルはあくまでも、僕を殺すために、そしてそれが不可能だと分かった時点からは更生させるために一緒に住んでいるんだ。嫌だろうに『こいつ』と夫婦だとか子供がいるだとか嘘を吐いて、一緒に住むのが自然だと僕に思わせるようにしてまで。


 ビアンカやダマリスだって……

 ビアンカがたまたま根から明るい子で、ダマリスがたまたま強い子だったから、2人ともすぐに前を向けるようになったかもしれない。

 でもそれは、僕を赦すこととは別だ。

 そのことに囚われなくなるだけで。

 罪や過去が無くなるわけではない。


 それは分かっていたはずだ。

 なのに少し上手く行っているから勘違いしてしまった……ミレルも徐々に認めてくれていると。

 本人の気持ちを確認せずに。


 それがすれ違いを生んで、ミレルが赦せない思いを募らせていったのかも知れない……


 ミレルはどんな想いで、今僕の首を絞めているのだろう。


 そこで僕はようやくミレルの表情を窺った。


 ミレルの目は髪の毛に隠れて見えない。でも、目の前の僕を見ていないような、僕の後ろ──ここではない遠くに、過去の恨みを見つめているように思えた。


 力が入った腕は……

 震えているような気がする?


 力の入れすぎ……?

 という感じでも無い。

 首に巻き付く手は静かに僕の首を絞めている。


 ミレルが立っている側の服に違和感を感じた。

 僕の服の肩口が塗れている気がする。


 なぜ?

 僕が血でも吐いたのかな?


 いや、首を絞められてそれは無い……


 なら、なぜ?


「…………」


 微かなミレルの声を耳が捉えた。

 何を言っているのかは分からないけど、何かを訴えている。


 僕はそっとミレルの腕に手を添えた。


 ミレルは変わらずに──力を強めるでも弱めるでもなく僕の首を絞め続ける。


 僕が腕を掴んでいることに気付いていない?


 僕の服に雫が跳ねた。


 それはミレルから落ちてきているようで……


 ミレル、泣いてるのか……?


 そしてまた、ミレルの口が動いた。


「……ボ…………た…………て……」


 微かに聞こえた。

 とてもとても小さな声だった。

 でも、確かに聞こえた。


 ミレルが僕に……


 助けを求めている!


 僕は少し強くミレルの腕を引っ張って、拘束を緩める。


「ミレル! どうしたんだ? 何があった?」


 腕を強く揺さぶりミレルの意識を僕に向けさせる。

 びくりと身体を震わせて、ミレルの手から力が抜ける。


「ボーグ!? わ、わたし、こんなことをするつもりじゃなくて!! でもわたし──」


「落ち着いて。僕は大丈夫だから」


 そう言いながら、僕はいつも寝ているソファに座り直した。

 そして、混乱しているミレルの手を取って優しく握る。

 またミレルはびくりと驚いて、手を離そうとする。


「ダメ!! わたしは! わたしは──悪魔だから!!!!」


 え?


 悪魔??


 何の話し??


 僕に手を握られることを拒否するにしては、突拍子のない表現だ。

 ミレルの様子からしてもかなりの精神的な混乱が見られる。

 しかも僕の首を絞める行為を無意識下に行っていた。

 これは深刻な症状な気がする。

 心療内科系は難しいから怖いんだけど……そう言ってられない。


 僕は可能な限り優しい声で、ゆっくりと安心させるように問いかける。


「どういうことかな? ミレルが悪魔って……元から悪魔なの? これから悪魔になるの?」


 症状にもよるけど、こう言うときはなるだけ感情を変化させないような問答が必要だ。

 相手の言ってることを理解していることを伝えながら、なるべく直接的な否定せず安心できる方向に誘導していかないと。


「分からないの! もう悪魔かもしれないし、まだ悪魔じゃないかもしれないの!」


 ミレルは髪を振り乱しながら首を振り、酷く焦った様子で答えてくる。


 悪魔をどこかで見たわけでも、ミレル自身が悪魔だったわけでもないということかな?

 何か自身の変化を悪魔化だと感じている……?


「ミレルはどうして、ミレルが悪魔になっていってるって思ったのかな?」


 僕は子供に質問するように、目線を合わせて、簡単な言葉を使って質問を続ける。


「アレシアさんにわたしが悪魔を産むって言われて! 怖くて怖くて……段々わたしが悪魔なのかもしれないって思って……」


 恐怖ストレスによる混乱とトランス。

 外部要因だけど、妄想性障害と解離性障害かな?

 最近調子が悪そうに見えたのはこれが原因なのか……

 もっと早く相談に乗ってあげられていれば……


 後悔しても仕方がない!

 今は現状を把握してミレルを安心させることが先決だ!


 しかし、アレシアさんはなんでそんなことを言ったんだ!

 悪魔が信じられているような世界でそんなことを言ったら不安になるだろうに!

 でも、アレシアさんはお人好しっぽいから本人の意向とは違う伝わり方がしたのかも知れないけど……


「アレシアさんはなんでミレルに悪魔を産むかもって言ったのかな?」


「わたしが聖女だから……教会の人じゃない聖女は悪魔を産むんだって……」


 会話をしてミレルが少しずつ落ち着いてきている気がする。

 良い傾向だ。


 ミレルが聖女ってのも謎だけど……教会外の聖女が悪魔を産むってのは、聖女を教会下に置きたいから言う教会の方便だな。

 信仰が重要な教会にとって、教会以外で信仰されるような対象はいない方が良い。

 僕の知ってる教会を持つ組織は、一番過激な時代は異教を排斥するために戦争をしていたぐらいだし、最悪直接的に排除してもおかしくない。

 何かしらの理由で、教会はミレルが信仰の対象になり得ると思って排除しようとしているのか?

 でも、なぜ?

 しかもなぜ、わざわざ聖女と言った?

 信憑性を持たせるためか?


「そうなのか、ミレルが聖女だからなんだね。アレシアさんはミレルが聖女だと思う理由を言っていたかな?」


「それは湖でアナスタシアを助けたから。ボーグが生き返らせたって言ったんだけど信じてもらえなくて、わたしが息を吹き込んだから生き返ったんだって。だから聖女なんだって……」


 原因は僕じゃん!

 心肺蘇生法ってそんなに歴史が浅かったんだっけ……?

 充分助かる命を救うのもいらぬ誤解を生むのか……

 信じてもらえなかったのは『こいつ』の所為だろうけど、主原因を作ったのは僕だったのか……


 でも、なんでミレルは自分が悪魔だと思ったんだ?

 今の話だけなら自分が聖女かもしれないで済む話だ。

 悪魔化の兆候を何か感じたのか? それは何だ?


「息を吹き込むのは僕がミレルに言ってやってもらったことだったね。僕が説明すれば良かった、ごめんね。でも、ミレルはどうして、自分が悪魔かも知れないって思ってるのかな? 何かそうだと分かることがあったのかな?」


「わたしのお腹には赤ちゃんがいるでしょ? 産むって言ったらそれしか思い付かなくて……悪魔を産むならわたしも悪魔なのかもって……」


 原因は『こいつ』じゃん!


「昔のボーグは悪魔かってぐらい酷い人だったから、悪魔に操られてたのかも知れないなって。でも、今のボーグは全然そんな人じゃないじゃない? だから、その悪魔がどこに行ったのかと考えたら……その人を殺そうとしたわたしに乗り移ったんじゃないかって! ボーグに魔法掛けてもらって傷を癒してもらったのに消えない痣があるし!! それで悪魔はわたしから新しい形を得て産まれる出るのを待ってるんじゃないかって!!!!」


 ミレルは叫びながら泣き始めてしまった。


 やっぱり元を辿れば『こいつ』が悪いんじゃん!

 っていうか、妊娠は嘘じゃなかったのか……他のことと併せて僕に首輪を付けるための嘘だと思ってしまっていた。


 いや、今はそれは良い。ミレルに混乱が戻ってきてしまいそうなのを何とかしないと。


「大丈夫。僕が何とかするから、大丈夫だよ」


 お腹の中から出て来ようとするとか、異星人じゃあるまいし……でも、あれは怖いよね……何度もフラッシュバックするのはほんと怖いから止めて欲しい……そんな恐怖僕には耐えられないよ……


 僕はミレルを落ち着かせるため、背中をゆっくりとさする。

 ミレルは近付いた僕の服を強く掴んで、涙を流しながら僕を見つめてくる。


 僕はそのままゆっくりゆっくり背中をさする。

 子供をあやすように。

 優しく優しく。


 次第にミレルの嗚咽が落ち着いてきた。


「だいじょうぶ? ボーグがなんとかしてくれる?」


「大丈夫だよ。悪魔ぐらい簡単にやっつけるよ」


「わかった、しんじる」


 背中の手はそのまま、空いていた手でミレルの頭を撫でる。


 ミレルが僕を信じてくれた。

 抱き締めたいぐらいに愛おしく感じる。


 僕は今まで何をしていたんだ、全く。


 僕がこの世界でまずやらなければならないことは、このミレルを助けることだったはずだ。

 この世界で一番最初に出会い、一番お世話になっていて、一番近くに居る人。

 その人の状態を理解していないなんて愚かすぎる。

 一番近くの人を救えていないのに、他の人を救えるわけがない。

 ましてや村を良くしたいなんておこがましいにも程がある。


 いや、大層な理由や大義名分なんてどうでも良いな。

 好きになったんだから救いたい。

 何としてでも、何があっても救う。

 それだけ。

 それだけがシンプルで良い。


 魔法やエルフが存在する世界だ、もしかしたら悪魔もいるかもしれないし、魔法による精神汚染かもしれない。

 もし魔法による悪い効果があるなら、打ち消してやれば良い。

 もし悪魔がいるのなら、倒してしまえば良い。

 でも、実体を伴わないのなら、それはただの病気──精神障害だ。

 精神障害なら不安を取り除かないと。

 ミレルが僕を信頼してくれるなら、僕にもそれが出来ると思う。


 良し! 悪魔祓いを始めよう!


 まずは何か起こっても大丈夫で邪魔の入らない場所──地下室に移動しよう。


「ミレル、地下室に移動するけど? 歩けるかな?」


 頭と背中を擦り続けていた手を止めて、ミレルに問いかけた。

 すると、ミレルが少し悲しそうな顔をしてこちらを見てきた。


 んー……何となくふらふらしてるし歩くのが不安なのかな?


「分かった、ごめんね。じゃあ僕が運んでいくよ」


 そう言ってから、僕はミレルを横抱きで抱き上げた。


「きゃっ……」


 ミレルは可愛らしい声を上げたものの、抵抗はしてこないから運ばしてくれるのだろう。

 歩き出すとミレルが僕の首に腕を回してぎゅっと抱き付いてきた。


 反応が可愛い……

 よっぽど怖かったんだね。


 僕はそのままミレルを地下室へと運んだ。



 地下室に着くと、僕はミレルを抱えたまま作業を開始した。

 魔法で部屋の拡張をしてお風呂の横に寝室を作って、更にベッドと鏡を用意した。

 ついでに温度湿度を調節して過ごしやすいようにしておく。


 魔法って両手が塞がってても作業できるから便利だな。


 そして、僕は作りたてのベッドにミレルをゆっくりと下ろした。

 低反発マットレスに沈み込んだミレルは、不思議そうな顔でベッドを触っている。


 さてと、今からしなければならないことは3つだ。


 まずは検査。

 徹底的に調べて悪魔が居ないことと魔法の影響が無いことを確認する。

 それから治療。

 消えない痣みたいにミレルのストレス源が他にもあるなら、それらを全て消してしまう必要がある。

 そして悪魔退治。

 居なかったとしても居ることにして消し去ってしまう。これが不安要素を取り除くための一番良い方法だと思う。


「さてミレル。これから僕が悪魔退治を行うわけだけど、ミレルが気になっているしるしは痣以外にあるかな?」


 ミレルはすぐに首を左右に振って僕の服の裾を掴んだ。


「分からないの……わたしには分からないから、ボーグに異常が無いか見て欲しいの?」


 そう言ったミレルはベッドに身を起こし、服の裾に手を掛けた。


 え?

 それって?


 僕が疑問に思っているうちに、ミレルはベッドの上でワンピースを脱いで下着姿になってしまった。


 誰かの喉がごくりとなった。


 僕の喉しかないか……

 女性の裸を見るとか僕には……医者として検診や施術で見るなら大丈夫なんだけど……昨日も何人か見たし。

 でもやっぱり好意のある相手のを見るのはちょっと違う!

 せめて心の準備をしてからにして欲しい……


 その肌の手触りを確かめたくなる衝動を、僕は目を閉じて抑え込む。

 そんなことをしてる場合でも無いし、僕がミレルにして良いことでは無い。


 そして目を開ける。

 そこには下着も着けていないミレルが寝転がっていた。

 僕は手で目を覆って天井を仰いだ。


 心の準備が足りなかった!

 ベッドの上に裸体を晒すとか聞いてない!

 ちょっとミレルさん!!

 僕を殺す気で?!!


 ……そうだった。ミレルは元から僕を殺す気だった……

 そして何度も殺されたんだった……

 こういう殺され方までされるとは夢にも思わなかったけど。


 少し脱力感を覚えながら、もう一度、ゆっくりと深く深く深呼吸をしてから、これまたゆっくりと目を開いた。


「ボーグぅ、まだぁ……?」


 ミレルの甘えたような声が聞こえて僕はまた目を閉じた。


 僕の残機はもうゼロだよ……


 なんてバカなことをしてる場合じゃないよ!

 ミレルが待ってるのは不安だからでしょうに!

 僕はミレルを救うんだろ!!


 力一杯目を見開いて気合いを入れる。


「ごめんね、不安だよね。すぐ始めるから」


 ミレルはこくりと頷きを返してくる。


 何その覚悟は出来てるよ?みたいな目線は!


 ダメだ。ここは気持ちを紛らせるために喋りながら検査しよう。


「ミレル、まず君の身体を魔法で徹底的に調べる。痛みや違和感があったら言ってくれると助かる」


「分かった、言うようにする。だからボーグも、ボーグがおかしいと思うところは全部、ボーグが好きなように直してね? 他の子にしたみたいに」


 何か言い方に違和感を感じるけど、見付けたら隠すなってことかな?


「うん、分かった。全部治すよ」


 答えてから、僕は最初の魔法、閃術『身体精密検査カラダスキャン』を発動する。

 この魔法は、日本基準の医療で言うならエコー、CT、MRIをリアルタイムに掛けて身体の異常を見付けるための魔法で、データベース上の正常な状態──遺伝子情報も含めて比較してくれるらしい。

 データベース生きてるのか……?

 併せて僕の持つ知識内で画像診断もしておこう。


 魔法が示した結果は問題なし。母体は健康だと。

 子供の方は……表示されているのは人間だけど……流産の可能性が高いような結果が示されてしまった……

 産婦人科の知識は無いし、これは信じるしかないか……そうなると、お母さんの健康のために役に立ってもらうしか無いか。


 その他の病気に関しては、僕が見た感じでも問題は無さそうだった。骨格も内臓も問題無さそうだ。

 専門書に載ってる人体解剖図みたいに、カラー3Dで分かりやすく表示されたので見落としもないだろう。

 身体の内部は大丈夫そうなので僕は魔法を終了させた。

 悪魔はいない。

 魔法効果は……よく考えたら近くで魔法が発動してたら脳内にアナウンスが流れるので大丈夫だと思う。

 大体科学原理の魔法っぽいんだから、脳に作用するなら閃術の電磁波系か、析術の薬物系になると思うから、今の検査で分かると思うし。

 魔法の影響も無い。

 そうなると、やはり精神障害だ。

 ミレルの悪魔に対する恐怖が誘因となって身体的なトラブルが現れるのだろう。

 それならば対応する方法はひとつしか無い。


「身体の中は大丈夫そうだよ。後は外観だけだから、申し訳ないけど目視確認させてもらうね」


 断ってからミレルに色んな姿勢を取ってもらい、頭から順に下へ下へと確認していく。

 ミレルが言っていたように、確かに首の下部、服を着たら見えづらい位置に痣があった。

 治療ヒーリングを掛けたときに残ってるって思ったヤツだなこれは。

 それならあの時……余計な思考は押し出して、つぶさにミレルの全てを確認する。

 どれだけ頑張っても感情を抑えるに苦労する場所まで、全て確認を終えた。


「どうやらおかしいのは首元の痣だけみたいだよ」


「他の場所は大丈夫なの? 肌が黒いのとか大丈夫? 胸の大きさとか腰の太さとかは?」


 肌は健康的に焼けた色だけど、ミレルが気にしてるなら少し美白しておこうかな?

 胸と腰は……なにか悪魔的な特徴が伝承にでも有るのかな?

 女性型悪魔の特徴って言われたら、はち切れんばかりの大きい胸に、異様に細い腰とか?

 その基準からするとミレルのそれは別におかしなところは無いと思うけど……

 ここも気にしてるなら日本人基準にしておいたら良いかな? 彼女の望む方向性だと思うし。


「じゃあ、ミレルの言うとおりに治していくね。怖いかも知れないけどしっかり変化を──ミレルの身体の中から悪魔が出て行くところをしっかり見ておいて欲しい」


 不安そうにミレルの瞳が揺れる。

 恐怖しているものを見ろというのは酷なことだとは思う。

 でも、精神障害を克服するには完全に安心できる環境になることが大事なんだ。

 ミレルが内なる悪魔を怖がっているなら、それが身体から完全に消し去られたことを認識してもらわないといけない。

 悪魔が出て行って、更に身体が楽になれば、ミレルも安心出来るようになると思う。


 過信かも知れないけど、ミレルは僕の魔法を信頼してくれている。

 なら、魔法で治すなら大丈夫だと思ってくれるはずだ。


「ミレルは僕の魔法が悪魔に負けると思うかい?」


 そう尋ねると、すぐにミレルは首を左右に振った。

 良かった……それなら問題ない。


「それなら大丈夫だよ。僕が絶対悪魔を退治する。大切なミレルの身体だからね、必ず僕が守るよ」


 僕の言葉にミレルの瞳が潤んでいく。

 言ってはいけないことを言ったのかな……?


「ボーグがそう言ってくれるならわたしは嬉しい……怖いけどちゃんと見てるわ……」


 良かった……ミレルが強い女の子で助かった。

 これなら完全に払拭することが出来るだろう。


「ここからは一気に方を付けるから。まずミレルに施された悪魔の刻印を消す。そしてすぐにミレルの身体から悪魔を引き剥がして祓い去る。この手順で行くね?」


「わかった、お願いね」


 しっかりした答えが返ってきた。

 ミレルの覚悟は決まったみたいだ。


 この治療は魔法を重ねて発動させていく必要があるから、ここからは慎重にいかないと。


 僕はミレルの身体に手をかざして、まず彼女の要望通り、胸と腰の形をそれぞれ別の魔法でゆっくり丁寧に整形していく。

 更に重ねて痣を消すための魔法を発動させ、ゆっくりゆっくりと消していく。


 ミレルが目を見張って、じっと自分の身体の変化を見つめている。


 そう、しっかりと徴が消えていくことを見るんだ。

 確実に消え去る瞬間を見逃さないように。


 僕は魔法の速度を少しずつ変え、身体の変化を先に終わらせてから、少し薄くなった痣を一気に消し去る。

 そしてそのタイミングで、肌の色を変える魔法を発動させながら、更に追加で別の魔法を発動させる。


 析術『母体保護アボーション』。


 これは出産することで母体に危険が及ぶことが予想される場合に使うもののようで、母体に影響なく安全に中絶する魔法だとか。

 そして、その取り出す胎児の『形』を幾つかのパターンから選べるというのだ。

 ぬいぐるみや宝石、天使や悪魔など……

 次に繋げるために、その人の赤ちゃんに対する思いに合った『形』を選ぶんだとか。

 産まれて欲しかった命なら天使にしたり、望まぬ妊娠だったら悪魔にして破壊したりと……そう言う意味でも母体を保護をするらしい。


 当然今回選ぶのは悪魔だ。


 小さな命には申し訳ないけど、今回は検査の結果も危険があったし、ミレルが望んだ妊娠でもなかったようだし、彼女が未来を取り戻すために役立ってくれ。


 もしかしたら、僕が居なければ、産まれてきたかも知れない命に謝ってから、僕は母体保護の魔法を発動した。


 今までの魔法とは少し様相が違い、発動した瞬間にミレルのお腹──子宮付近に光が吸収されるかのように集まりだし、その光が徐々にお腹の表面へ、そして体外へと移動していく。


「ボ、ボーグ……!」


「大丈夫! もうちょっとだから! しっかり見てて、僕が悪魔を消し去るところを!」


 光がお腹から離れ空中で止まったと思ったら、すぐに光が収まっていき──そこには頭に捻れた角を持ち背中にコウモリの羽根を生やした、醜悪な顔の小さな悪魔の像が浮かんでいた。


「あぁっ……! ボーグぅ……」


 僕の名前を呼びながらも悪魔像から目を離せないミレル。


「大丈夫、すぐ終わるよ」


 僕はその像の下、ミレルのお腹との間に手を入れて、像に向かってまた違う魔法を発動させる。


 析術『塩精製ナトクロ』。

 ただの精製系魔法だ。

 素材指定した物を塩化ナトリウムに変えるだけの。


 悪魔の像は見る見るうちに白い塩へと姿を変え、僕の手のひらの上にこぼれ落ちていく。


 ミレルが目を見開いてその光景を凝視している。


 しっかりと彼女が見つめる中、悪魔像の全てが塩へと変化し、僕の手のひらに円錐状の山を作り上げた。


「悪魔は塩に還ったんだ。君の身体にもう悪魔はいないよ」


 言いながら更に魔法を3つ発動させる。

 1つ目はむくみを解消したり、血行を良くする魔法。

 これによって、身体をスッキリさせ、目の下の隈もキレイに取り除くことが出来る。

 2つ目は目を整形する魔法。

 これで目の形を少しだけ優しい雰囲気に変える。

 これら2つは他の子達にも使ったことが有る魔法だ。

 そして最後の魔法は──


 析術『回春リジュベネイション』。


 ハッキリ言って、この魔法は禁断の魔法だと思う。

 ヤマナカ級析術師マスターアルケミストしか使えない理由が良く分かる。

 その効果が若返りだからだ。

 少なくとも細胞のテロメアを戻す作用があることが、僕の持ってる知識でも分かった。

 それはつまり細胞の若返り。

 細胞が何度も若く出来るのであれば、肉体的な老化は無くなり、死ぬことがなくなる。

 だから、非常に危険な魔法だと思う。

 誰もが望んでしまうだろうから。

 老化によって衰えていく恐怖を感じたとき、そこから逃れたいと誰でも思うだろう。

 歴史上の為政者達も不老不死を求めたという。

 それは命が有限である以上、どうしても逃れられない欲望だと思う。

 こんな魔法があることが知れ渡れば、何としてでも手に入れたいと思う者が出て来かねない。


 それでも僕は、ミレルにこの魔法を使うことにした。

 なぜなら、ミレルに身体が元気を取り戻したことを実感してもらうために。

 そして『こいつ』によって失った時間も取り戻してもらうために。

 ミレルは『こいつ』を殺すほどに悩んだんだ。

 そしてそれにより、自分が悪魔なのかもしれないという恐怖に苦しまされてしまったんだ。

 それはすごいストレスを伴ったと思う。

 人はストレスにより早く老化するという。

 ならばそのストレス分、身体を戻したって良いじゃないか。

 ミレルだけがその責を──『こいつ』を殺したという罪を負う必要なんて無い。

 誰もが恨み憎んでいた『こいつ』を殺してくれたミレルが受けるのは間違っている。


 そこに僕のエゴが無いとは言わない。

 でも、僕はそれを選ぶ。


 そして、僕は回春を発動した。


 それで大きく見た目が変化するわけではない。

 時間が戻るわけじゃないから。

 でも、何となく若返ったように見えるのは、ミレルから昏い雰囲気が消えたからだと思う。


「終わったよ」


 僕は手のひらに載っていた塩に向けて別の魔法を発動し、それが空間へ溶け消えていくかのように吹き散らす。

 ただの塩だし、こうしておけばまた部屋を改造したときに勝手に無くなる。


 ミレルは放心しているのか反応がない。

 なので僕はもう一度声を掛ける。


「全部終わったよ? 悪魔はいなくなった。安心して良いよ」


 2回目でミレルに表情が戻り、彼女の頬に雫が流れた。

 ゆっくりと僕の方を向き──

 抱き付いてきた!


「ボーグ!! 怖かった!! 怖かったよぅ……」


 耳元で嗚咽が聞こえる。

 愛おしい声だ。

 この声が曇ってしまわなくて良かった。

 僕の肩に顎を載せるように抱き付いているミレルの頭を、ゆっくりと撫でて安心させるように囁く。


「ごめんね、怖い思いをさせて」


 今の状態で僕はミレルの他の場所に触るわけにもいかないので、頭だけよしよしと撫で続ける。


 暫くしてミレルの嗚咽が収まっていき、僕を抱き締める腕も緩んできた。

 僕は彼女の頭をぽんぽんと優しく叩く。


 ミレルが少し身体を離して僕を見上げてきた。


「ボーグ、ありがとう」


 ミレルはそう言って、僕の顔に自分の顔を近付けて来た。

 彼女の柔らかな唇が僕のそれに触れる。


 え??

 ええっ!?

 なんでぇぇぇっ!?!?


 ミレルが顔が離れたと思ったら、また抱き付いてきた。


「好きよ、ボーグ……大好きよ」


 耳元で囁かれた蕩けるような甘い言葉。

 その意味を理解するのに数分かかった気がする……


 いやいやいやいや……僕は恨みの対象でしょ?!?!

 どうして!?!?


 僕は現実を理解できず何度も何度も瞬きしてしまう。


 ミレルがまた離れて、満足そうな笑みを浮かべている。


 いや、あの、なんで??


「お風呂使っても良い?」


 僕の疑問には答えずにミレルがそう質問してくるので、僕は反射的に頷いた。


「……怖いから近くに居てね……」


 僕は理解できぬまま、下着と服を拾って風呂部屋へと消えていくミレルを見送った。



 えーっと……なんで??


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