第20話

「遺族を代表致しましてご挨拶を。妻の和代でございます。本日はお足元の悪い中ご会葬賜り誠に有り難うございます。

 故人……夫、誠は、まこちゃんは、あの人は……、あの人は……。突然の事故で……」


 壇上の老婦人は、涙を落としながら、二回、三回と深呼吸をする。

 ふい、と、参列者を見る顔は泣き笑いだった。


「ねぇ信じられます? 書斎の中で火の気も無いのに燃えちゃって。もうほんと馬鹿なんですよ。いっつもあり得ない事ばっかりしでかして。警察、科学捜査の方も、ね。びっくりされてて。人体発火というそうで、足首二つ残して消えちゃったんですよ。

 もう私は、びっくりして悲しいより驚いて。酷いでしょ? もう40年も連れ添ってるのに涙一つ出やしなかったのよ」


 夫人の話はしばらく続き、あっという間に終わった。

 慣れぬ喪服に着られながら、何とか焼香を終え、会場を出る。

 BGMは、もう随分クラシックなロックが大音量で流れている。故人の、『教授』の趣味だ。何度か訪れた書斎では、必ず同じバンドの曲がかかっていた。ロシアンティーにブランデー。徐々にブランデーの量を増やすのが作法なのだとうそぶいては最期にはブランデーをティーカップで飲み明かし、俺の下らん仮説を聞いてくれた物だ。


 葬儀場から出た俺を追いかけるように、リクルートスーツの男女が出てくる。喪服じゃ無い上に随分くたびれたスーツだ。ちっともフレッシュじゃねぇ。葬儀屋もよく入れたもんだな。

 ロビーでソファに座ってる俺を見つけると、二人は小走りに近づいてきた。


「……坂田さん、この度は、その」

「おう」

「深淵(アビス)越えってホントですか?」

「知らん」

「でも噂じゃ……」

「知らん。それしか言うことが無いなら、折角スーツ着てんだ。拝み屋畳んで、とっとと就職説明会でも行ってこい」

「「……」」


 協会の不出来な後輩どもは、棒でも飲んだような顔をして俺の視界から消える。

 深淵(アビス)越え。

 肉を持ったまま形而上の世界に足を踏み出す行為。概念としては仙道の羽化登仙などとも並び称される。

 過去、魔が来る前にも著名なオカルティストがそれを為したと称したことがあったが、真偽は不明だ。


 彼は、教授は。

 深淵(アビス)を超える事を望んでいたとは思えん。むしろ……


「お久しぶり」


 思考の海に入り込んでいた俺を呼び戻したのは、久しぶりの友の声だった。


「お、月。よくここが分かったな」


 月こと大月邦宏。俺と同じ三十オーバーの男性。性的嗜好は良く分からん。見た目はすっかり謎の美形だ。年齢性別不詳。

 今着ているのは深い緑のトレンチコートに鍔の広い魔女帽。華奢なブーツのつま先はちょっと反っくり返っていて、ハロウィン会場からやってきたように見える。

 これで若い女性に良くモテる。今日もちょっと後ろに和服の子とスーツの子がそわそわとしている。デートの途中だったのかもしれんな。


「うん。まぁ、ね」

「んだよ、お前まで下らんこと聞く気じゃ無いよな?」

「……ねぇ、坂田っちはどう思うのさ? 教授の最期の弟子(ラストサン)として」

「……そうだなぁ」


 俺は、月には話して良い気がした。


「教授は、彼はな。絶望していたんだ」

「この世に?」

「いや、神秘に、だ」

「神秘……」

「昔、話してくれたことがある。教授は魔が無い世界を術者として知っている。その頃渇望した魔を確認し、魔術は使えるようになり、天使と語らい……。絶望したってな」

「……何故?」

「分からん」


 ぶった切った。


「その時は教授にも分からんと言ってたよ」


 ただ、その時のとても辛そうな顔は覚えている。


「分かったから死んだ。俺はそう思ってる。だから深淵(アビス)越えじゃない。ただの凝った自殺だ」

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