第7話

 世界が変わったのは半世紀ほど前だと言われている。

 言われている、というのは諸説有るからで。

 黄金の夜明け団がイギリスで内輪もめをしていた時期には、既にそうだったと言うお偉方が居るが、さすがにコレに取り合う人は少ない。世界中でテロ事件が多発し始めた2000年前後からだろうというのが大方の認識だ。ベタなところではアンゴルモアの大王が現れなかった1999年第七の月に、何かがあった、というものだが。真実は分からない。

 まぁ俺生まれてないし。


 最初は、自然現象や偶然と区別が付かなかったらしい。ただ、長年オカルトに親しんでいた先輩達は気づいてしまった。

 魔術が、魔法が、呪いが、悪霊が、精霊が、タルパが、結界が、お守りが、神が、悪魔が。物理次元に影響を及ぼし始めたことを。


 さて、そんな訳で。

 夜八時。家から数キロにある住宅街。その中にある小さな公園に俺は来ていた。

 付近の道路は疲れた顔のサラリーマンが家路を急ぎ、薄暗い公園の中では学生カップルがいちゃついている。実に平和な光景だ。

 その一角にあるベンチの一つに、若い女が座っていた。薄暗い灯りでも分かるようなつややかな黒髪。真っ白の和服。

 異様なのは、そのたたずまい。

 ピンと背筋を伸ばして腰掛けたまま、何かを食べている。肉のような物を食べる音が周囲にくちゃりくちゃりと聞こえる。大きなトランクから何か取り出しては両手でハンバーガーを持つようにして食べている。


 とても綺麗に見えるのは何故だろう。糞尿のような匂いが強く漂っているのに。

 俺もかじられたいと思うのは何故だろう?血まみれの口には親指ほどの牙があるのに。

 彼女の顔が見えないのは何故だろう? 口は見えているのに。

 何故、誰も彼女に気がついていないのだろう? 座ったままでも俺より大きいのに。

 

「なぁ」


 俺が声をかけると、彼女はこちらを向いた。表情は見えないが、声をかけられたことに驚いたらしい。


「もう、帰ろうや。施設の遠藤さんも心配してた」


 彼女は、野生の動物が様子をうかがうようにじっとこちらを見ている。俺は言葉を続けた。


「田中さんも杖ついて探し回ってたぞ。野々原さんは、あんたを探す外出許可が出ないってんっで大喧嘩してた」


 困惑の空気が伝わってくる。彼女はアイドルだったのだ。本人はあまり気にしてなかったらしいが、男女問わず彼女は好かれていた。


雲母きららちゃん、泣いてたぞ」


 びくりと、彼女が身じろぎし。異臭が薄れた。


「もう、駄目ですよ。帰れません」


 彼女に相応しい。とても品の良い声がした。


「そうかもしれない。だが……」

「いいんです。もう、いいんですよ」


 彼女はトランクから袱紗に包まれた壺のような物を二つ、茶封筒を一つ取り出した。

 茶封筒を俺に差し出す手は、明滅していた。恐ろしく大きく毛むくじゃらの大きな手と、上品な小さな貴婦人の手。


「少ないですけど。これで何とかしてください。でも、なんでこの人は今頃……」


 彼女の顔は相変わらずうかがい知れないが、悲しいとも嬉しいとも付かぬ声色は伝わった。


「……そろそろ時間切れだ」

「そうですわね。


 ざわりと風が吹き、女性が消えた。

 残ったのはトランク。骨が幾つか見えていた。何かが囓ったように肉がそぎ取られていた。

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