第3話

 今日は朝一番で講座がある。九時開始。初回だから、受講者について話しを聞きたいし打ち合わせもしたい。なら向こうに八時半には到着したい。

 日課の修行に朝飯。駅までの移動時間を考えて六時起床。

 そう考えて計画したつもりが、今はもう七時半じゃねぇか! どうやってもヤバイ!


 日課も飯も抜いて、大慌てで資料の最終確認。着替えて、準備完了。バスはあてにならん。駅まで歩けば一時間は堅い。

 仕方ない。スマホで馴染みの個人タクシーを呼び出す。

 十分ほどすると、玄関のチャイムが鳴る。来たか。ちょっと憂鬱。

 しかし、もう八時を過ぎている。他の手段は無い。


 午前八時六分。

 数メートル先も見えない霧の中に馴染みのタクシーが停まっていた。

 霧と紛れそうな真っ白の車体に黒の行灯。「コウノタクシー」とある。今時珍しいLPガス車の排ガスが香ると、がちゃり。後部ドアが開いた。


「毎度、どーもー」


 車内に入ると艶のある女性の声が俺を迎える。中は、薄いピンクが基調の内装で、正直居心地悪い。


「朝早くからすまんね、ハルさん」

「いーえー、良いんですよ。あたし達、関係無いですから」


 のほのんとした様子で、ころころ機嫌良く笑うハルさん。ふわりと花の香りがした。


「急ぎなんだ。例の学校の五番校舎ビルまで、を使ってくれないか?」

「あらあらぁ。遠いですのね。あたしは儲かるから構いませんけど、今月もう三回目ですわよ?」


 ギクリとする。そう。は高い。ほんとにだから。


「色々有って、仕方ないんだ。やってくれ」

「はーいー」


 車はゆっくりと滑り出し、霧の中に溶けていく。

 溶けて。

 まっすぐ。まっすぐ。ひたすらまっすぐに。

 信号も無く、曲がり角も無く。

 誰ともすれ違わ……。


 いや。

 霧の中。時々、彼女の前を横切る影人が。

 俺の横で手招きする潮臭い鱗の手が。

 馬や駱駝で走り抜ける騎士達が。


 ふと気がつけば、車は目的地近くの交差点に停まっていた。

 霧は無い。

 最初から無かったのだ。


「毎度有り難うございますぅ。では、特別料金で十万円となります」

「くっそ。足元見やがって。領収書は?」

「うふふ、切ってもいいですけど、税理士さんにどう説明されますの?」

「くそっ! 持ってけドロボウ!」

「はーい、毎度あり。いつもニコニコ現金払い。お釣りが無くて御免なさいねぇ。今後ともご贔屓にー」


 車を降りる。近くを歩いていたサラリーマンが、一瞬こちらを見て驚いたがそれだけだ。

 午前八時十分。

 東京郊外の自宅から新宿の外れまで五分もかからない。非常手段としては有り難いが、どうにかしないとヤバイ。

 まぁでもしかし。

 お陰で近くのコンビニのイートインで何か腹に入れる時間は有りそうだ。

 俺は、歩道を歩く人の群れに紛れ込んだ。

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