第二十九話「選挙保険編・「『ガリガリくん』かっこいいぜ!!」
「いやあー、そう言えばふと二年前を思い出すねえ」
「二年前?でございますかでございます」
「そうそう、我々の中ではかなり革命的だった『選挙保険』だよおー。現坂上町町長である西井東野介さんのことだよ」
「あの方には『ファイナンシャル・ドリーム』の保険ではいろいろとお世話になっているでございます。お互いにウィンウィンの案件でしたでございます」
「そうだよねえ。町長の任期は四年だけど彼はまだ二十代だろ?これからも地盤を固めて我が社のお客さんである以上は我々も力になるし、まあ、彼もこの坂上町のことをよく考えておられるからねえ。彼が暴走してしまったり、我々とのお付き合いがなくなればそれまでだけど。彼の性格からしてこの関係は長く続きそうだねえ。僕も彼を信頼しているし、とても好青年だからねえ」
「正義の味方を地で行くような方でございますわでございます」
「それでも最初に我が社へ来た時には単なる普通のサラリーマンで学歴も高卒でガリガリ君のような印象がいつまでも抜けないねえー」
「あの時はまだ『選挙保険』は商品として我が社では扱ってなかったでございます。そもそもその発想がなかったでございます」
「そうだよねえ。そういう意味でも彼が我が社を訪ねてきてくれたのは何か運命的なものを感じるねえ」
「ほわほわほわほわほわーーーーーーん、でございます」
二人が遠い目で部屋の天井を見つめる。回想シーンに入るようだ。
現在から二年前。
ピンポーン
「『ファイナンシャル・ドリーム』へようこそ!ですがアポなしですね。我が社は保険屋ですがどのようなご用件でしょうか?」
「ぼ、ぼ、ぼ、僕は!あのお!そのお!」
「はっはっは、お客さんは神様だよ。とにかくお話をお伺いしましょう。どうぞこちらへ。君ぃ。ご案内して。それからガリガリな飲み物も頼むよ」
「どうぞこちらへ。おかけになってお待ちください。只今、ガリガリなお飲み物をご用意いたしますので」
「あ!ど、ど、どうも!」
「緊張されてますか?それとも人見知りか…、女性が苦手でしたり?」
「ぜ、全部です!」
「正直で素晴らしい!まあ、そういうのは全て簡単に克服できるもんですけどね」
「お待たせしました。ガリガリなお飲み物です」
そう言って、大山がグラスをテーブルの上に三つ置き、橋本の横に座る。
「あ、あ、頂きますです!あ、あのお…、ガリガリな飲み物は分かるんですが…。何故ガリガリな飲み物なんですか?普通はお茶とかコーヒーとか普通のものかと…」
「これはソーダ水にアイスの『ガリガリガリくん』を突っ込んだものです。まあ…、気分です。はい。それでご相談の前に自己紹介から始めましょう」
橋本と大山がそれぞれ名刺をガリガリ君にいつものように挨拶しながら手渡す。
「あ、あ、ありがとうございます!ぼ、ぼ、僕の名前は西井東野介です!」
「僕の名前はエンポ・リオですうううううう!あ、言いたかっただけです。西井様、あなたが今回ご希望される保険とは?リスクとは何でございましょう?」
「じ、じ、実は!今度の坂上町の町長選挙に出馬を考えておりますです!」
「なるほど!選挙はお金がかかる!当選すれば一気に偉い人!落選すればお金はパー。面白い!これはリスクだらけだ!実に面白い!!」
「そ、そ、そうなんですう!」
「それではまず最初に西野様。掌に『人』と言う字を三回、指で書いてそれを飲み込んでみてください」
「は、は、はい!え、えーと。『人』、『人』、『人』。ごっくん」
「これで緊張しなくなるんですよ」
「あれ?本当だ。なんか落ち着いた」
「でしょ?これ、結構使えるんですよ。緊張した時は必ずやるようにしてください。それで現在の坂上町の町長が屋琉木無男さんですよね。おじいちゃんの人で」
「もう三期、十二年ずっと変わらずです。選挙の時もいつも大体対抗馬が立候補しても一人なんです。それで一対一で屋琉木さんが勝ってきたんです」
「うーん。そういうのは大体町の有権者を何名か握っていて組織票を抑えているんでしょうねえ。少しデータを見てみますね。パソコンカタカタ。うーん、なるほど。坂上町の人口が十万五千二十一人。特に急激に増えたり減ったりはしてませんね。それで過去の投票率を見てみると…、五万から六万…。三万票確保すれば当確ですね。それで西井様、あなたが確実に握っている票はどれくらいありますか?」
「うーん、学生時代の友人や部活での先輩後輩、あとは身内の力で…、それでも百票ぐらいかと…」
「実は家が大金持ちで選挙資金が豊富でばらまくお金が腐るほどある…なら保険なんかかけないですよねえー」
「はい…。お金も何とか預金や退職金を搔き集めて三百万円が精いっぱいでして…。正直、身内に借金もしました」
「それでも町長になりたい、そしてなれなかった時の為に選挙資金に保険をかけておきたい、と。確か町長になる資格は…、パソコンカタカタ。二十五歳以上であること、坂上町の住人になって三年以上であること、供託金が百万円。なるほど…。残った二百万円で選挙活動を行うわけですね。事務所を借りて、宣伝をして、人も使いますよね。うーん、これは実に面白い!このリスク!是非受けましょう!西井様、こんな話を知ってます?ある中学校での生徒会長を決める選挙の話なんですがね」
「生徒会長、ですか?」
「そうです。三人の生徒が立候補しました。一人は学年で一番頭がよく成績は常に学年一番の秀才君。もう一人は野球部のエースでキャプテン、スポーツ万能でまあ面倒見もよく人気者です。そして最後の一人は勉強も出来ない、運動も出来ない。普通の帰宅部の子です。自分を変えようとチャレンジする意味で勇気を出して立候補したみたいです。さて、その三人。生徒会長に当選したのは誰だと思います?」
「うーん、帰宅部の子はないとして…、秀才君…よりも人気者のキャプテンの子ですかね?」
「不正解ですね。これは実際に現実にあった話です。当選したのは帰宅部の子です」
「ええ!?本当ですか?」
「それにはからくりがあったのです。分かりますか?」
「まさか…、お金をばらまいたとか…?」
「中学生の帰宅部の子ですよ。お小遣いもたかがしれてます。そんなことではありません。実はある組織票が動いたのです。実はその帰宅部の男の子のことが好きな女の子がいました。その女の子は一つ下の学年の女番長でした。その女の子は好きな男の子の為に同学年の女の子やさらに一年の女の子にも圧力をかけてその中学校の三分の一にあたる一年生、二年生の女の子の票をその帰宅部の男の子は獲得したのです。分かりやすく言えば六十人のうち、二十人を確保したということです。さあ、帰宅部の子に他の二人が勝つには残りの四十人の取り合いで少なくとも二十一人は確保しないといけません。まあ、帰宅部の子にも同じような帰宅部の子や友達もいますから五人はさらに確保するでしょう。そうなると帰宅部の子は二十五人確保してることになります。残りは三十五人。そこから勝つには二十六人確保しなければなりません。残った生徒から七十四パーセントの支持を得なければ勝てません。そしてその帰宅部の子が生徒会長に当選したのです」
「なるほどお…」
「そもそも西井様は何故、脱サラしてこの坂上町の町長になろうと思ったんですか?あと脱サラを僕は最近まで『脱サラ金』のことと思ってました」
「あ、僕もです。それで選挙に出馬を考えたのは今の坂上町を変えたいと思ったからです。高校を卒業してから普通にサラリーマンになりました。冷凍食品の営業です。今の仕事には不満はありません。それでも自分の払っている税金には不満を持っています。それから役所の職員の横柄な対応も見ましたし、実際にされたこともあります。僕らは平日に仕事をしているから役所になんか平日の普通の時間帯になかなか行けるわけないじゃないですか。それなのに土日は役所も休み。平日も九時五時で流れ仕事。やれここじゃない、あっちに行ってくれ、ここじゃあないと。僕の妹が職安に失業保険の手配に行った時に担当した係の人間が妹のことを忘れたまま窓口の向こう側で同僚とずっと笑い話をしていたと聞きました。妹は三時間以上も待たされてその職員に『まだですか』と大きな声で言ったんです。そうしたら『今やってますから待ってもらえませんか』と言われたそうです。そしてその後十分ほどで手続きは終わりました。妹は僕に泣きながらその話をしてきました。誰かが立ち上がらないといけないんだと思いました。それでも僕には学歴もお金も人脈もありません。今回用意したお金は自分の用意した分はいいです。しかし僕にお金を貸してくれた人にはどうしても返したいと思っています。そこで御社のことを紹介されて藁をも掴む思いでご相談に来ました」
「なるほど。分かりました。西野様、あなたは実に正しい。ここで少しだけ我々にお時間をいただけますでしょうか?」
二年前からすでにやっていたようだ。二人がソファーから立ち上がる。
「人生には常に!」
「そう!人生には常にリスクがある!!素敵な我が町坂上町!田舎だけどちょっと遠出すれば繁華街だってあるんだぜ!若者から高齢者までみんなが楽しく暮らせる町is坂上町!!しかーし!みんなが頑張っておらが町を盛り上げていこうと町おこし!レジャーランドにご当地名物『ろんろん饅頭』は全国各地からご注文が殺到中!わっしょい!わっしょい!な!の!に!腐った行政!やる気のない職員!頑張ったって給料はかわらねー!モチベーションも上がらねー!ボーナスは年二回確定―!年金暮らしのおばあちゃん!役所の窓口に頑張って行きました!『あのお…、こんな書類が届いたんじゃけんど…、わたしゃあさっぱり分からんでして…』『あー、おばあちゃん。これはうちの課じゃないから。受付に行ってくれる』『いや…、それをもう三回言われたんじゃが…』『とにかくうちの管轄じゃないんでね。そんなこと言われても困りますー』。あー!腐ってる!腐ってる!辞めちまえ!!!こんな腐った世の中を!この俺が変えてやるぜ!いよ!おっとこまええええ!でもお金もギリギリ!学歴もナッシング!人脈もヒーハーフ―!相手はベテランの現職の町長!こっちは経験もナッティングのど新人!きれいごとだけで落選はい終了――――!残ったのは借金と無職の自分のみ!あー!危ない!危ない!危なーーい!!はい、続けてー」
「ナッティング!危ない!危ない!危なーーーい!!」
それを真剣な表情で見つめるガリガリ君。この男の正義の心は本物である。
「実はこの案件、意外と簡単な案件だと私は思っているんですよ。これは次の選挙で三万票を確保すればいい話なんです。向こうの屋琉木さんが有権者を抑えるならそれ以上の有権者を抑えればいい、それだけなんですよ。我々は『ファイナンシャル・ドリーム』を創設する前も含めてこの坂上町で四年間保険屋として営業をおこなってきました。この四年間で実に四千人、二人で約八千人のお客様とお付き合いをしてきました。我々はお客様ひとりひとりと人間として向き合ってきました。その八千人は我々のお口添えで動いてくれるでしょう。そしてその八千人のお客様にもそれぞれ人脈がございます。社員数が百を超える企業の社長の方もいらっしゃる。ファンが千人を超えるバンドマンの方もいらっしゃる。アイドル活動をしているファンが二千人を超える素敵な女の子もいらっしゃる。この町で三万票を確保することはそう難しいことではないでしょう。我々が動けばの話ですが。それよりも私が心配だったのは、『西井東野介』様。あなたです。あなたは我々が担ぐに値するかどうか。それを見定めることが今回の案件では一番大事だと思っていました。大事なお客様に変な宗教を勧めることは出来ませんよね。怪しい商品をお勧めすることは出来ませんよね。西井東野介様。あなたは『正義』の人ですね。どうかあなたの『正義』でこの町をよりよい町にしていってください」
「ありがとうございます!頑張ります!それで、この保険の掛け金はどうなるのでしょうか?」
「そうですねえ。『選挙保険』は扱うのも初めての商品です。確率の問題の部分は金銭で全額我が社が負担します。そして当選した場合。これは金銭でいただくものではありません。その分、あなたがこの町の町長になった時に。この坂上町の住人が我々に相談事を持ちかけてくることがこれからも出てくるでしょう。その時に我々のご相談に耳を傾けていただけるとお約束いただければそれで充分です。それと、我々のお客様もバカではありません。あなたの選挙活動の姿をしっかりと見ていると思っていてください。あなたがその『正義』を貫こうと一生懸命頑張り続けることでこの保険は成立するのです」
「はい!僕は真面目だけがとりえですので!それに僕は常にみんなに助けられているから今の自分がいるんだと感謝の気持ちを持ち続けていますので。それを忘れずに頑張ります!」
「その気持ちを持ち続ければ大丈夫でしょう。信じてますよ」
その次の坂上町町長選挙で西井東野介はなんと五万票を超える支持を受け、見事に当選した。『ファイナンシャル・ドリーム』の「マイホーム保険」は彼の存在なしには成立しない。それと橋本は西井ともう一つ約束を交わしていた。大規模な陸上競技場の建設の約束を。
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