第二話「お受験保険編・『BUKU―TICK』って『バックティック』じゃないの?!

午前十時。依頼者が『ファイナンシャル・ドリーム』のベルを鳴らす。

「来たぞ来たぞ!いらっしゃったぞ!君ぃ!お客様だ!」

「サーイエッサーでございます」

 そう言いながら大山がドアを開ける。大山はトレードマークを中指で一回押し、表情を百万ドルの笑顔に切り替える。

「…あのお、本日十時でお約束してました…」

「田中様ですね!お待ちしておりました!どうぞこちらへ!」

 仕事モードに切り替わった大山は口癖を封印する。田中様は疑い半分不安半分な目で二人を見ている。

「お待ちしておりました。田中様。『ファイナンシャル・ドリーム』へようこそ。(ここは農協だぜ)あ、いえいえ。僕が代表の橋本、こちらが秘書の大山です。お名刺はのちほどにでも。それではソファーに座ってお話をお伺いしましょう。大山君。午前中だけど午後の紅茶を。あ!これでは勘違いしてしまいますよね。午後の紅茶と言っても我が社では安物のティパックではなく茶葉に拘った上品な紅茶をお作りしております。田中様、よろしいですか?」

「は、はあ…」

「それではすぐに午後の紅茶を午前中仕様でお作りしてきます」

「それじゃあどうぞお座りください。それにしても紅茶を朝飲む方も多いですし、日付が変わってから深夜に飲まれる方もいらっしゃいます。『古いーアルバムの中―にー♪隠れてー思い出がいいぱあーい♪』」

 そう歌いながらソファーに座る橋本と疑い七割心配三割な目で橋本を見ながら対面に座るミセス田中。

「この歌好きなんですよ。田中様、この曲をご存知ですか?」

「H2Oの『想い出がいっぱい』ですよね」

「はい!その通りです!ですがね、僕は最近までずっと『水』と読んでいました」

「は?」

「昔、これまた好きなバンドでですね。『バクチク』好きだったんですよ。『BUKU―TICK』。最近まで僕、『バックティック』と読んでいました」

「…あのお、帰っていいですか?私、くだらない話を聞きに来たわけではないので」

 疑い十割の目で橋本を見ながらミス田中がソファーを立ち上がろうとした瞬間。

「僕は昨年、偏差値五十にも満たない高校生を現役で東大に合格させてみせましたが」

 橋本の言葉を聞き、ミセス田中の目から疑いが消える。大山がボードに三つのカップを乗せて戻り、それぞれの場所にカップを置き、ボードを事務机に置き橋本の隣に座る。

「まあ、とりあえずお話をお聞かせください。相談料は無料ですしね。我々の仕事は保険屋です。保険とはお互いの合意により初めて契約が交わされるものです。それにうちの午前に飲む午後の紅茶はお客様にも評判が結構いいんですよ」

「それでは最初にお電話でお話しした田中様の資料を拝見させていただいてよろしいでしょうか?」

 大山がミセス田中にそう言うとミセス田中は持参したカバンから封筒を取り出し机の上に差し出す。それにしてもミセス田中は少し頭が固い方である。橋本は最初の会話で相手を見る。偏差値五十にも満たない高校生を東大に現役で合格させたの一言で態度が百八十度変わってしまったが、橋本は『東京大学』とは一言も言ってない。名前に「東京」がつく大学はごまんとある。嘘は言っていない。こういう人間は契約書を隅々まで見ないものが多い。困ったものである。

「それでは拝見いたします。こちらからご質問も致しますし、田中様もご質問がありましたらなんでもおっしゃってください。ほうほう、次男の博君が坂上高校志望ですか。あそこはこの辺では一番の進学校ですねえ。それでこちらが一年からの通知表。ほうほう。今のままでは合格率は六割強。一ランク落として坂下高校だと確実に近いですねえ。それでも坂上高校を希望されますか?」

「はい。やはり、坂上高校と坂下高校では大学進学率も偏差値もかなり変わってきますので…」

「田中様、坂上高校で普通の成績よりも坂下高校で常にトップ争いをしている方が大学進学率も偏差値も上がります。失礼な言い方をしますと坂上高校で落ちこぼれるより坂下高校で磨かれた方が先を考えるといいと思われますが」

「うちの子は長男も長女も坂上高校に進学しているんです。これで三番目の子が坂下高校だと周りからもいろいろ言われるんです」

「そうなんですか。大変ですねえ。試験まであと三か月。内申書での強みになりそうなものは…、特にありませんねえ。それで今までかけた費用が約百万円。進学塾もいい金額取りますねえ。現在は公立の坂西中。これで六割の確率の坂上高校、公立校を受験しもしもが起これば…。その時は私立を滑り止めでもちろん受けられますよね?」

「はい。私立は大手高校を考えています」

「大手高校は坂上高校より少し落ちますがそれでも坂下高校よりは上ですね。まあ、あそこはなんとかなるでしょう。問題はお金ですね」

「そうなんです。こちらの広告を見ましたら『受験保険』とありまして」

「そう!我々の仕事は保険屋!田中様、少しだけお時間をいただいてよろしいですか?」

「…はい」

 ミセス田中の返事で二人は立ち上がる。

「人生には常に!」

「そう!人生には常にリスクがある!頑張った!志望校の合格判定百パーセント!こりゃもう合格間違いなし!しかし試験前日に風邪を引いた!電車に乗り遅れた!受験票を忘れた!ばっちり出来たー!予想も的中!あと一分で時間終了かあー。今まで頑張ったもんなあー。しみじみ…。ん?ああああああああああああああ!!マークシートをずれて書いてしまった!危ない!危ない!危なーーーい!!!はい」

「危ない!危ない!危なーーーい!!!」

 あっけにとられ口をポカーンと開けて二人を見つめるミセス田中。そして冷静にソファーに座る二人。

「我々はあくまで『保険屋』であり、受験のプロではありません。また、どんな秀才であろうと試験当日実力を発揮できないことなどいくらでもあります。田中様の息子さんである博君がどれだけ頑張ろうと確実ということはないのです。しかし、公立と私立では学費は倍以上違ってきます。それは田中様が一番ご理解されていますよね?」

「…はい。本音を言いますと私も博を信じていますが…。六割強という数字ともし坂上高校に受からなかったことを考えると学費の面で…。坂下高校にした方がいいのかと悩んでいました。そこでそちらの…」

「『受験保険』に興味を持たれたと。まあ、他ではやってませんからねえ。大山君!電卓用意!」

「電卓入りまーす!」

「進学用の準備金として認められる金額が塾代の百万円。私立大手高校に進学した場合の学費が三百五十万円。公立の坂上高校に進学した場合の学費が百五十万円。差額二百万円。あ、これは大学受験への準備費用は抜きです。今回の受験でのあなたのリスクの金額は二百万円!ここに合格率を加味しまして…。見積もりを」

 大山がものすごいスピードで電卓をはじく。そして電卓を橋本へ手渡し、橋本はそれをミセス田中に提示する。

「この金額になります」

 提示された電卓を見てミセス田中が驚く。

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