第41話 試練の塔 第二の攻略 ~その2

 天にきらめく地図を手掛かりに荒野を進むと、夜空に星々の光を浴びながら、発光する球体が現れ始めた。

 それは木々だった。


 360度を覆うように、全方位に枝を伸ばし、葉を生い茂らせる。遠目に見れば、マリモのようにも見えるが、近づけばそれが網目のように、幹と枝を張り巡らせていることに気づいた。

 月光を浴び、淡く青白く葉が光り輝いている。


そう、浮遊樹と呼ばれる『浮遊植物』の一種だった。

 根を持たず、空を漂う植物があるとは聞いていた。

 星々から降り注ぐ魔力を糧とし、空気中の水分や窒素を吸収する。実際に、見たのは初めてだった。地球の環境には一切適応しないからだ。


 目的地に近づけば、近づくほどに浮遊樹が増えていく。肉眼には急に、それらが現れたかのように見えたが、それは錯覚である。

 浮遊樹には、幻惑の力が宿り、遠目には観測できない。その力は天敵から逃れるためだという。そんな浮遊樹の周囲に、蛍のような発光物が漂い、吸い寄せているにも見えた。


 それらをついばむように、小魚の群れが夜空を泳ぐ。

 浮遊樹と浮遊樹の間を行きかい、謎の発光物をついばむ。

小魚にとって、浮遊樹は隠れ家であり、えさ場でもあった。


 異世界では、空を浮遊し泳ぐ生物が数多く存在する。

 特に夜は、それらの生物が活発化し、人間を超越する生物たちが星空を支配するのだ。


 幻想的でありながら、人間にはどうにもならない隔絶した壁を悟らされる。

 魔術師として鍛えられた観測能力によれば、浮遊樹の全長は15m近い。


 そして、今まさにその浮遊樹を巨大なクジラにも似た牙を持つ生物が、小魚ごと一飲みに砕き、飲み込んだ。浮遊樹にとっての天敵は、その大きさすらも喰らいつくせるのだ。


 逃げ回る小魚の群れを、気にすることなく、雄大に巨大クジラは遊泳する。


 飛行魔術は、異世界では移動手段として多用されないという。

 それは、空は人類にとって危険地帯に他ならないからだろう。


「恐ろしい世界だ」


 私は、この試練の塔が嫌いだ。

 ここは幻想的で美しさすら感じる。

 だが、それ以上に、私にとってこの地球ですらも、異世界であることを思い知らされる。もう私は元の世界に、前世の世界に帰ることが出来ないことを実感させる。


 恐ろしいほどの孤独感、ひどい無力感。

 私は早く帰りたいのだ。

 こんな怪物だらけの世界から。魔術などという異端な力にあふれる世界から。


「あまり飲み込まれるなよ、陽介」


 テイラーがそう言った。

ネズミがしゃべるということも、非現実的ではあるのだが。

そうは思っても、テイラーの声に安心感を覚える。そんな自分自身が、嫌いになりそうだった。


 ああ、駄目だな。

どうも試練の塔の中は、私の精神を不安定にさせる。

 それはきちんと自覚したほうがいい、と己を見つめなおすことにした。


「そうだね、テイラー。 私は自分のなすべきことに集中するべきだ」


 たどり着いたのは、遺跡に見えた。

 石造りの階段が小高い丘を形つく入り、その周囲を加工用に鳥居のようなものが立てられる。さらに墓石にも似たオブジェや、朽ち果てた柱や壁が散在していた。

 スタート地点にも、よく似ている。


 だが、これは……。


「遅かったね」


 青い外套に身を包んだ男が、たたずんでいた。

 肌は浅黒く、ターバンのように巻かれた青い布から、漆黒の髪がわずかに見えた。なにより、印象的だったのが、その瞳もまた海のように深く、底の見えないような青さを有していた。


 違和感があった。

 満月が3つも並ぶ夜といえど、人の顔がこうもはっきり見えるものかと。

 そして、どこかで見た顔だった。長年のなじみを見たかのような、しかし、まるで名前が出てこないような奇妙な気持ち悪さがあった。


「……人間ではないな」


 テイラーがつぶやいた。

 亡霊の類のかもしれないと、直感的に思った。

 異世界では、死者は亡霊として力を有し、害をなす。


「おや、警戒をさせてしまったようだね」


 青い外套をまとった男は、かすかにほほ笑んだ。

 注意深く見なければ、わからない程度に、わずかな差異だった。


「ここに来たものは皆そうだ。 これから、何が始まるかを考え、己の出来ることを考える。 しかし、心配はいらないよ、私が君を傷つけることなどないのだから」


 試練の塔にきて、初めて人間のような何かに出会えた。

 少なくとも、言葉を交わせる存在は、この男が初めてだった。


「あなたは何者だ?」


 ありきたりな問いだった。

だが、独創性を発揮するより、目の前の男が敵かどうかを、はっきりさせておくべきなのは明らかだった。


「私は、この迷宮の管理者の一人にして、君の試練の案内人」


 その言葉に先に反応したのは、テイラーだ。


「迷宮の管理者だと?」

「ああ、そうだ。 『あお』と呼んでほしい」


 テイラーは考え込み、沈黙した。

信用に足らないが、疑う必要もない。私は理性ではそう考えた。

これを試練の塔における案内人として捉えたときに、罠として設定するのは、試験として不自然アンフェアだし、破綻が大きいように思えた。一方で、理性以外の、自分自身の何か直感というべきものが、蒼と名乗るこの男に不快感を抱かせた。


「あなたのような案内人が、全員につくのか?」

「ああ……。 まあ、そう言える。 少なくとも、正規の挑戦者には、ふさわしい案内人の役割を持つ幻影がつくだろう」

「幻影?」

「実態のある幻影。 それは過去にいた誰か。 あるいは、あったかもしれない出来事。 いたかもしれない可能性。 そういったものが、ここでは現れる」

「言っていることがよくわからない」

「ここは現実であって、現実ではない。 過去を再現しているように見えても、過去そのものではない。 言ってしまえば、ここ自体が幻のようなものだ」

「そんな馬鹿な。 暑さ寒さ、この喉の渇きが偽物だと? 前回来た時には、傷を負って治療まで受けたんだ」

「そうだ。 ここの幻影は人を喰らい殺す」


 蒼がそういうと、次々と巨大なクジラが夜空に現れ、浮遊樹を喰らいつくしたのだ。

 いつでも、人間ですらこのように殺せると見せしめにしたのだ。


 蒼は、その間、まばたきひとつしなかった。

 そうだ、先ほどからこの男は呼吸もしていない。

 作り物めいた人間なのではなく、人の形をしているだけの作り物なのだ。


「可能な限り、そうならないように我々管理者が存在する。 だが、あまり無謀なことはしないことだね。 我々とて、万能ではないのだから」


 私は、その蒼の言葉を鼻で笑った。


「今さら、死など怖くない」


 既に経験していることに過ぎない。

 ただ、また赤ん坊から意識をもってやり直すことは恐ろしかった。実際なところ、強がりは多分に含まれていた。


 結果から言えば、その強がりは無意味だった。


「だが、君はこれ以上、『前世の記憶』とやらを失うことを恐れているだろう?」


 私は、すぐに言葉を紡ぐのをやめた。

 心の中を見透かす仕掛けがあるようだと、そう考えたからだ。何もかも見透かしたうえで、会話をされているように思った。ならば、言葉を口にする意味などない。


 すると、蒼はその考えを否定した。


「厳密には違うよ。 こちらも全てを読めるわけではない、なので出来れば言葉を使ってほしい」


 やはり、蒼は不愉快な男だった。

 そこかで見たその顔と、人を人とも思わぬその態度が気に入らなかった。


「君の欲しいものは、この迷宮。 今は『試練の塔』と呼ばれるこの場所にある」

「……私の欲しいものだって?」

「そうだ。 君は『前世の記憶』と考えている、その頭の中に眠る情報が欲しいのだろう?」

「ああ、そうだ」

「ならば、この迷宮にそれはある。 迷宮は挑戦者の能力や精神に反応し、ふさわしい試練を与える。 誰にとっても、困難な道のりとなる。 同時に、その過程で眠る記憶にも共鳴することだろう」

「つまり、ここの試練をこなすほどに記憶がよみがえると?」

「深い階層であればあるほど、その効果は望める。 古き英雄や神々の血を持つ者は、この迷宮で力と記憶に目覚めた。 ……君の場合は、特にその『前世の記憶』として認識する情報に、影響が及ぶことだろう」


 それは、私にとって図らずも望み通りのことではあった。

 同時に、この『試練の塔』への疑問を深くすることにもなった。ここは一体、何のための施設で、なにによって作られたものなのか?


「だが、気を付けることだ。 死に近い状態から、回復することを続ければ、記憶や精神……情動がどんどん失われることになる。 行きつく果ては、何も感じなくなった抜け殻のような自分だ」


 私は、冷たい液体が血管に注ぎ込まれたかのような悪寒に襲われた。

 それは、本当の意味での死なのではないか。

 いや、死ぬことよりも、恐ろしいなにかだ。


「前回の挑戦で、君はマンティコアと戦ったね。 あの時の戦いもまた、君の記憶や精神を深く傷つけている」

「……じ、じゃあ、私の記憶に大きな欠損があるのは」

「すまないが、その先の真実は、君がその手でつかむべきものだ」


 蒼は、私を祭壇へと促した。

 それは、見覚えのあるものだった。

 うすうす感じていた。先ほどから、この遺跡の雰囲気に既視感があったが、その祭壇は、私が『試練の迷宮』に入るときの魔法陣が、よく似ていたものが描かれていた。


「この魔法陣に触れ、念じると良い。 『先に進みたい』とね」


 私の望みが、この先で叶う。

 重要な点は、もはやその部分だけだった。

 蒼とこれ以上話しても、有用な情報が得られるとも思えない。


 だが、私の肩に座るテイラーは、尋ねた。


「ひとつ、聞きたい。 ここはそもそも『塔』ではないのか?」


 蒼は、またかすかにほほ笑んだ。


「その問いには答えられない」


 やはり、ここではこれ以上、情報は得られないのだ。そう確信した。

 私は、自身の記憶を取り戻すために、歩みだした。テイラーもまた、蒼の返答に抗議することもなかった。


 私が魔法陣に触れると、輝きが辺りを包み込む。

 光が収まったと認識した時には、石造りに囲われた小部屋にいた。


 辺りを見回す、入り口は一か所のみ。ひび割れた壁から植物の根が突き出し、葉に覆われている。明かりが用意されているわけではないが、植物が淡く発光することにより、視界を確保できていた。

 どことなく、エジプトのピラミッドを思い出させるような内装である。

 

「フム、一瞬であったな」

「変に時間がかかっても、面倒くさいだけだからね」


 そう答えながら、転移による影響の可能性も踏まえ、体に変化がないか確認する。

妙な違和感があった。利き手を握りしめては、開く動作を繰り返す。いつもと何かが違う。そう考えていると、何かが頭に流れ込んできた。


『この階層では、死は訪れない』

『体の傷が限界を迎えるとき、この部屋に戻される』


 頭に声が響いたというよりは、その認識そのものを入力されたような感覚だった。

 なぜなら、その情報を疑おうとは、全く思えなかったからだ。


「これは……、ここで死んだとしても、リスクはない。 ということかな?」


 テイラーは、私の指示を待たずに解析を始めていた。

 自身の肉体はもちろん、私の装備にも目を向けている。いや、それだけではなく、周囲の物体にも目を向けた。

 解析能力や探知能力は、魔術における基礎中の基礎だ。私も単独である程度は可能だが、その能力は圧倒的にテイラーが勝っている。


「どうやら、魔力体アストラルに近い状態になっているようだな」


 テイラーが出した答えは、私と同じだった。


魔力体アストラル……、亡霊ゴーストとほぼ同じ肉体のアレか」


 魔力で再現構成された肉体。それが魔力体アストラル

 死者の魂が実体化した亡霊ゴーストは、普通の物理攻撃は一切通用しない。魔力を伴う攻撃でなければ、一切傷を負わせることは不可能だ。

 さらに、亡霊ゴーストは破壊しても、原因を取り除かない限りは時間とともに再構築される。故に不死身の怪物として、恐れられている。

 

 極端な話、魔術文明が地球を征服するには、大量の亡霊を連れてくればいいという話もある。実際、ヨーロッパやアメリカでは、亡霊ゴーストとの戦いが起きているという話もあった。


 そして、一定のレベルを超えた魔術師は、その肉体の在り方をほぼ再現できる。

 地球の文明・技術だけでは、魔術師を討伐出来ない理由の一つが、この魔術体アストラル化のテクノロジーだった。

 地球の兵器では、一定レベルを超えた魔術師に傷をつけることはほとんど出来ず、例えその肉体を破壊しても、時と共に再生を許してしまう。

殺傷せしめるには、やはり亡霊ゴーストに対してと同じく、魔力を伴う攻撃により、その魔術を発動させている核を破壊する必要がある。


 その魔術体アストラル化の技術は、私もぜひ習得したいものではあったのだけれど……。


「今の私は、幽霊みたいなものということかい?」

「フ―ム、どうかな。 余の見立てでは、一定の条件付けが行われているように見えるが」


 テイラーの情報分析能力は驚異的だ。その演算は、彼の脳だけで行われているのではない。支配下に置いているネズミの群れ全てを、計算に使用している。

 常に無数のCPUを利用しているコンピュータのようなものだ。彼は、ネズミの群れを計算機器として利用し、任意に必要な情報を処理させ、自身の判断に有効に活用しているのだ。

 それこそが、第二秘匿魔術『ハーメルン』の基礎となっている。


 私は遺跡の石壁を触る。

 どうやら、すり抜けることは出来ないようだ。


「ええと、魔力体アストラルだと石壁ってすり抜けられるんだっけ?」

「なぜ、其方はその知識をネズミが持っていると考えたのだ?」

「だってきみ、物知りじゃん」


ネズミに聞こうとする魔術師とは、間抜けな構図だが、プライドは頼りにならないので捨てた。テイラーの記憶力は、私の比にならない精度を持っている。


「……確か可能か不可能かで言えば、可能だ。 難易度は、厚さと材質、構造によるところではあったはずだが」

「ただの石壁なら?」

「少なくとも、表層部分にめり込ませるくらいは出来るのではなかったかな」

「でも、私にはできないね」


 石壁を何度か叩いてさらに確認をした後、地面の石ころを拾い上げる。軽く、その石をつまんで自分の腕に当てたり、離したりを繰り返した。


「これは……魔術を伴わない攻撃が通る肉体という設定で、作られている?」

「おそらくはそうなのであろう。 その辺の石ころでも、ダメージを負う可能性は残ったままだ」


 より現実的な生身に近い条件下での戦いを求められている。


「そんなことができるのか……。 いや、いまいち魔術体アストラル化の理屈をわかっていないので、それがどれくらい難しいのかわかってないのだけど」

「重要なのは、その肉体が破壊されたとしても、再生されてこの部屋に戻ってくるだけということだ。 先ほどとは違い、生命の安全を保障されたエリアというわけだな」

「……さっき、結構脅してきたわりに親切じゃないか」


 死ぬことが許されている迷宮。

 ……そんなことができるなら、なぜ最初からそうしない?


「さっきから意図がわからないな」


 『試練の塔』を作った人間は、いったい何を考えて、こんな構成にしたのやら。

 単純に死人を出したくないなら、最初から最後までこの状態にしたらいいじゃないか。

 大成した魔術師は通常の攻撃を無効化できるようになるのが、当たり前になるのだから、魔術師向けの試練なら、完璧な魔術体アストラル化の戦闘をさせてくれてもいいと思うのだけど。


「まあ、考えても仕方ないね」


 私は刀をいつでも引き抜けるように、警戒しながら歩きだすことにした。

 やや薄暗いが、私もテイラーも暗闇に不自由することはないのだ。

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