第40話 試練の塔 第二の攻略 ~その1


 私は、自身の装備を確認していた。

 愛用の魔導器セレクター達。片手剣の改造飛燕である『黒燕クロツバメ』、黄金の小手『死者の手デッドハンド』、空中を駆け跳ねるための『兎跳びバニーホップ』。それにルーンを刻んだナイフや、錬金術の触媒を圧縮した試験管など諸々。

 いざという時の、木製の触媒つえ

 そして、身を守るための戦闘防護服コート


 一つ一つ、最終点検を行っていく。

そんな私の姿を見て、銀髪の少年は顎に手を添えながら、いぶかしむ。

その涼し気な青い瞳を、細めながら私に問いかけた。


「ちゃんと主治医には許可をとってあるんだろうね」


 私は、はっきりと頷く。

 何も後ろめたいところはない。

 手を止めることもなく、答える。


「もちろんですよ、きちんと魔術医師エイルの定期診察も受けていましたし」

「隠れて魔術を使っていたり、過度な訓練。 それどころか、戦闘行為を行ったりしているひどい問題児と聞いていたけどね」

「あはは」

「いや、笑ってごまかせないからね」


 魔術による医療の発展は、多くの不可能を可能にしてきた。

 地球の医療技術だけでは、魔術による人体への負荷を回復する術はほぼない。強大な魔術は人間の限界を超え、脳を含めた神経を酷使し、時に重大な障害を残す。


 とは言え、一般人で有名なのは、人体再生技術や内臓を複製する技術だろう。

 たくさんの不治の病が、異世界からもたらされた医療によって、救われてきた。

一方で、違法な魔術治療を受けた人間が、とんでもない事故や事件を引き起こすことがあるらしく、必ずしも評判が良いわけでもない。

ルールに従わない人間は幾らでもいる。

私にとっては知ったことじゃないけど。


「そういえば、ウィスルト先輩は、学園の魔術医師エイルにまで顔が利くんですねえ」

「フォルセティと呼んでくれ、と何度も言っているんだけどなあ。 俺は本当に色んなところに顔を出しているからね」

「学園の孫だからですか?」

「それだけが理由ってわけでもないのだけど、ね」

「ふーん。 色々と事情があって、忙しいんですね」

「最近は、まるで話を聞いてくれない後輩が、まったく大人しくしてくれないので、すごい困っているのだけどね」

「確かに、ウィスルト先輩は、なぜか私と話すときは難しい顔してますねえ。 ほかの人には、いつも笑顔じゃないですか。 差別ですよ、それ」

「あれ? さては、まったく反省する気ないな?」


 いや、大変、申し訳ないと思っている。

 特に、同室のウィスルト先輩がいる中で、ファルグリンやマリンカとお茶会を開いて、のけ者にしたりとか。

私が、研究資料や機材を運び込んで、生活スペースをどんどん侵食していることに関して、特に申し訳ないと思っている。


「また何かやらかす気じゃないだろうね?」

「そんな、まさか。 私ほど、品行方正な人間はいないですよ。 問題なんて、起こそうと思ったこともありません」


 わざわざ、トラブルを起こして楽しむような趣味は、私にはないのだ。

 必要なことをして、問題が起きたとしたら、それは仕方ないとは思ってるけども。


「……『嘘ではない』と。 君、本気でそれ、言っているよね」

「そりゃそうですよ。 いちいち嘘なんかついてたら、めんどくさいじゃないですか」

「俺は今まで色んな人を見てきたけれどね。 嘘をつかない理由に、面倒であることを言い放ったのは、君が初めてだよ」

「私が知る限り、嘘なんて苦労に見合うものじゃないと言うだけですよ。 人生経験から、そんな結論に至る人は少なくないと思うんですけどねえ」

「……苦労ね。 君は好き好んで苦労しようとしているように見えるけど」

「そんなことはないですよ」

「これから、君はまた『試練の塔』に挑もうとしているのに?」


 ああ、そうだ。

 私は、また今日、試練の塔に挑む。

 前回の挑戦を糧にして、今までの遅れを取り戻す。


「ええ、必要なことですからね」

「死にかけたって言うのに?」

「そんなのもの、私にとっては別に過ぎたことなんですよ」

「……わかっていたけど、コイツは重症だなあ」


 ウィスルト先輩が、小声でつぶやきながら天を仰いだ。

 よくわからないけど問題児のお目付け役も、大変そうだなあ(他人事)

 私は、ウィスルト先輩に勉強を教えてもらったり、同室の人間に全く気を遣わずに、都合の良いように使わせてもらっているので、現状に何も不満はないから、別にどうでもいいけど。


「準備は出来たのか、陽介」


 そこに、ファルグリンとマリンカが現れた。

 私の迎えに来てくれたのだ。


「ああ、すまないね。 わざわざ来てくれるなんて」

「ふん。 今度は醜態をさらすなよ、僕の格まで疑われる」

「考えもなしに、ズタボロになってくるなんて、魔術師として恥以外のなんでもないからね!」


今回、二人は私が挑むのを見送るってくれるらしい。

本当に、心配をかけてしまったんだなと思う。

そして、良い友人に恵まれたのだな、と。


 ファルグリンは、その美しい顔を引き締めた。

ウィスルト先輩をにらみつける。


「ああ、そこの二枚舌に引き留められていたのか」

「二枚舌とは、ひどい言いようだなあ」


 どうも、ファルグリンはウィスルト先輩が嫌いらしい。

 いや、正確に言うとマリンカも、先輩が好きではないようだった。

 マリンカは、私の手を引っ張るように、先へと促す。


「ほら、行きましょう。 陽介、あなたには注意しておきたいことがいっぱいあるし」

「ええ……」


 それ、聞かなきゃ、ダメなやつですか。

 どうして、みんなして私を問題児扱いするのだろうか。


 私たちが、その場を去ろうとした時、ウィスルト先輩は口を開いた。


「なあ、運命へ介入する者ファルグリンよ。 君はどうして、人間にそこまで入れ込むんだ?」


 それに対し、ファルグリンは熱のこもらない目を向けた。


「黙れ、お前なんかに語るべき言葉などない」

君たちエルフにとっては、俺たち人間なんて寿命の短いネズミペットみたいなものだろうにな」


 そのまま、ファルグリンは無視をして歩き去る。

 私たちは、彼の後を追うように、試練の塔の入り口まで向かっていった。

 私は、彼らの種族間に隔たる強烈な壁のようなものを感じた。

 そこに、どんな背景があるのか、今の私にはわからなかった。


 さて、私が試練の塔への入り口が用意されている『試練の間』と呼ばれる部屋の前に付くと、マリンカはその入り口で散々『良い子がしてはならない、ダンジョン探索で100のこと(物の例えである)』をくどくどと幼稚園児にでも言い聞かせるように話し始めた。

 私が返事をする度に、マリンカはそのみつあみが舞うように跳ねるほどの勢いある剣幕で、詰め寄る。いい加減、疲れて他の事を考えようとすると、むきになって耳を引っ張ったりするものだから、本当に参った。


 ほかの挑戦者である生徒が、何とも言えない表情で横切っていくのを見るたびに、保護者が受験会場で応援している姿を見られたかの如く、恥ずかしかった。


ファルグリンに助けを求めるも、その都度、彼が家畜を見る目でめんどくさそうに鼻で笑い聞き流すので、この世の友情の実在性について疑う。

君たち、私の友達だよね?

さすがに嫌になって抗議した。


「あの、こういうのって、純希くんの時にはしてなかったじゃん。 なんで、私はこんな扱いなの?」

「当り前じゃないか。 純希アイツが、大けがをして帰ってきたことなんて一度もなかっただろう。 どこぞのバカと違ってな」

「……なにも否定できない」


 私のチームメイトである吉田純希くんは、すでに出発している。

 純希くんは、私よりも数回挑戦回数が多いだけあって、準備も早いし迷いもない。決して明言はしなかったが、攻略も相当進んでいるであろうことが予想された。

 「先に行ってるぜ」と、さらっと私に声を掛けて、ためらいもなく当たり前のように挑む彼は、以前よりも頼もしくすらあった。

 実際に戦ってみても、近接戦や心理戦では私が上を行くが、距離をとっての戦闘が始まれば、最初に必ず優勢になるのは、純希くんの方である。


 私がため息をつくと、マリンカは眉を吊り上げて一層不機嫌そうに口をとがらせる。

 あ、もうちょっとわからないように、ため息をつくべきだった。油断した。


「なに、そんなに迷惑?」

「迷惑ってわけじゃなくて……ほら、人前でこんなに叱られながら出発するの、恥ずかしいじゃないか」

「なら、わたしにこうやって言われるのが嫌なら、きちんと反省して」

「いや、反省してないわけじゃないんだよ?」

「全然、態度に出てないし、振る舞いも変わってないのが問題なの!」

「そ、そうかなあ」

「わたしだって、口うるさく言いたくない。 でも、いつだって、あなたは自分がボロボロになるようなやり方しかしないんだもん」

「……好きでそうしてるわけでもないだけどね」


 たまたま、そういう手段でしか目的が達成できないだけである。

 それでも、多少の犠牲で済むなら、それはそれでよい気がしているのだけど。


「言い訳なんかいらない」


 ああいえば、こう言う。

 女子のこういうところが、昔から苦手だ。


「じゃ、私にどうしろってさ」

「結果で示してほしい」


 とたん、彼女は不安そうな表情を見せる。

 そのメガネの奥にある瞳を、潤ませる。


 それを見て、息が詰まった。胸のあたりが重くなった。


「どんな技術も万能じゃないの。 人間はいつ死んじゃうかわからないし、取り返しがつかないことなの。 あなたの世界だと、あまり死は身近じゃないのかもしれないけど……」


 そんなことはない、私の世界でだって人は死ぬ。

 そりゃ、戦争のある国とは全然ちがうかもしれないけど。


「死んじゃったら、もう話せないんだよ」


 仮に、生まれ変わりがまたあるんだとしても。

 マリンカとも、ファルグリンとも、純希くんとももう話せないのかもしれない。

 もう会えないのかもしれない。


「生きてても、元の通りに話せるかどうかもわからないんだよ」


 そりゃそうだ。

 そんな保証もない。


「だから、もうこんな心配は必要ないって、わたしに思わせて?」


 そんな顔されたら、何も言えない。

 これは、そう、確かに、間違いなく、私が悪い。

 人生をリセットされて、ひどい目にあったって、それで誰かを悲しませて良いわけでもない。それは当たり前のことだった。

 私は、居心地が悪くなった。今、この世界に存在していることに対して、落ち着かない気持ちになった。

 ここにいることが嫌なんじゃなく、ここにいることに対して、投げやりになっていたことに、前世を踏まえても、遥かに幼いはずの子から指摘を受けて、どうしようもなく罪悪感に向き合わされた。

 私はやるせない状況かもしれないけれど、誰かの気持ちを傷つけていいわけじゃなかった。


 マリンカはいつも私を、まっすぐに見る。

 その後ろにいるファルグリンも、素直じゃないながら、私をまっすぐに見ている。

 みんなそうだ。斜に構えているのは、いつだって私の方だ。


「わかったよ、もっと真剣に考える」


 私には、これくらいの約束しかできなかった。

 心配かけないなんて言えないし、絶対無事でいるなんて、出来るかどうかもしれない約束なんてできない。

 だって、たぶん前世の私はなにかの理由で死んだんだから。

 死のうと思ったわけでもなく、きっと唐突に何かの理由で、やりたいこともあったし、積み上げてきたものもあったのに理不尽に死んでしまったのだ。


「気を付ける……くらいしか言えないけど、真面目に気を付けるから。 だから、今はそれで許してほしい」


 そんな弱弱しい私の返答を、ふん、と強く弾き飛ばすマリンカ。


「だめ! 許さないから。 だから、ちゃんと帰ってきてね」

「せいぜい戻ったら、お茶係としてこき使われることを覚悟しておくんだな。 僕にこんな手間をかけさせたのだから」


 そんな戦場に友人を見送るみたいな、仰々しい雰囲気で見送らないでほしいな。

 私達だけだよ、そんなことしてるの。

 私は、やるせなくて頭を掻いた。


「それじゃ、行って来るよ」


 見計らったように、テイラーが駆け寄ってきて懐に潜り込む。

 相当待たせてしまったことは疑いないので、急いでその場を発つことにした。


 私は、再びあの燃えるように暑い、灼熱の荒野へ戻る。


 強烈な太陽の光。顔の表面が熱くなる。

すべての色彩を真っ白に奪い去り、目が慣れてきたころに広がるのは、果てしない青い空と、カゲロウに揺れる地平線。

果てしない荒野が、私を待っていた。


「しばらくぶりに戻ってきたな」


 テイラーはそれに答えない。

 私の独り言を聞き流した。

 ずいぶん長い間、またここに来られる日が来るのを待っていた気もする。


 私が、遠くを眺めている時間を、少しだけ与えてくれたテイラーは、問いかけてきた。


「今度は、覚悟は決まっているのだろうな」

「ああ、決まっているよ。 ここがどんな所であろうとも、生きて帰って見せるとも」


 怠けたりなんかしないさ。

 同じ過ちを、無意味に繰り返したりはしない。


 私はさっそく背後にある、石で作られた鳥居に似た何かに向き直った。

奥を見れば、枯れた木々の間に、巨大な石碑が据え付けられている。


「其方、あの地図の謎は解けたのか」

「ああ、たぶんね」


 改めて、石碑に近づき、刻まれている様々な文様を観察する。

 手早く、それをノートに書き写していく。以前のメモは焼失してしまって残っていなかった。私が持って帰ることが出来たのは、穴だらけの記憶くらいなものだった。

 だが、それだけでも、考察する余地はあった。


「ここにあるものだけで、ここの謎は解ける。 君の言う通りだよ、テイラー」


 私は、自分の考えを反復する。

 一つ一つ再確認するように。


「これは、あくまで生徒の力を計るための装置。 ある種のゲーム。 そして、ゲームはクリアされるために存在する」

「ああ、余が前回、言った言葉だな」

「そう考えたとき、事前に何かの知識が必要となることは、基本的には考えにくい。 状況によってはクリアできない挑戦をした生徒も出てきてしまう」

「フム、その通りだな。 知識を知るために戻る必要があるとなると、さらに2週間再挑戦までの期間を無意味に開ける必要がある」


 無駄な挑戦が発生してしまう状況を、試練と言う生徒の力量を試すための内容で発生させてしまうのは、私に言わせてみれば造りが甘いゲームであると言わざるを得ない。

 よって、前提条件として基本的に、間違いを犯さない限り詰みの状況はなく、途中で期間を選ぶ形でギブアップすれば、いくらでもやり直せるはずだ。


「さて、まず書き写した地図を見直してみよう」

「おや、それは地図と言うことでよいのか」

「まあ、そういう仮定で話をさせてくれ」


その地図は、記号のように見えた。文字ではない。

それらは様々な形をしていて、山を表しているように見えるし、あるいは谷を表現しているようにも見えた。そう言った色々な形ものが、広い面積にちらほらと彫られている。

 その中に一つだけ、階段のような記号が見て取れた。


「一見して、まず言えること。 ここに書いてある階段の記号は、他の記号のようなものよりもはっきりとそれが『何か』であると……つまり、階段であると認識できる形だけど、他のものはいまいち何がなんだかさっぱりわからない」

「その通りだな。 ほかの線は、それがなんであるかさえ、いまいちつかみどころがない」

「でも、私はこれに似たものを見たことがある」


 実は、前回の冒険である程度の考察までは、行きついていたのだと思う。

 考えに至らなかったのは、時間が足りなかったのもあるが、ひとえに考えに時間を回すための安全確保と、エネルギー配分を前提に動いてなかったからだろう。

 もう少し、ゆっくりと周りを見る時間があれば、解けたはずだ。


 日が傾き始めている。

 この試練の塔の内部は、日の傾きが早い。


「よいのか。 このままだと、夜になってしまうぞ」

「いいのさ、私はそれを待っているんだ」


 焦ることもなかった。

 最初のスタート地点では、妙な気配が周囲に感じ取れない。

 ここは安全である可能性が高そうに思えた。


 私は適当な場所に腰掛け、試験管を一つ摘まんで取り出すと、金色の小手『死者の手』が嵌められた左手をかざした。

 この小手は、触媒つえとしての機能をも併せ持つ、利便性の高い魔導器セレクターだ。


 発動したのは、『水精の羽衣ベール』の魔術だ。私はこれを錬金術のよる圧縮した素材を用いて再現する。

 これは、魔力を伴う水膜が術者を覆い、守護する魔術である。

炎への対抗手段でもあるが、実際のところ、外気の熱量や光を遮り、快適な温度や環境を維持するために使われることが多いものであるらしかった。

ベールとは名前がついているものの、羽織る日傘と呼ぶ方が、実態を表しているのかもしれない。非常に完成度が高い魔術で、他の魔術による干渉に弱いことを覗けば、維持コストも低くて使いやすいものだった。


今回の私は寒さ対策も、暑さ対策も準備万端だった。


「この場所が奇妙なのは、昼夜の概念があること。 特に、こちらに来て、そう時間が経たずにすぐに日没することであることが不思議だった」

「日が暮れるのが早いことに、疑問を抱いたのか」

「まあね。 それが何のために必要なんだろうって思った。 暗いと地図も見づらいしさ……サバイバルをさせたいのかなとも思ったけど」

「そうではない、と」

「それなら、昼間と言う時間を長くとらせるんじゃないかな。 朝とかから始めさせてさ、夜になるまでに準備をさせた方が、試験としてはフェアだよ」


 私はおしゃべりしながら、喉の渇きを感じた。

カップを取り出すと、適当に圧縮した物質から水を生成する。

 魔術師の強みは、持つ荷物の量に対して、使用できる物資が多い事なのかもしれないな、と今更ながらに思った。

 普通の人間だったら、こうはいかないだろう。

 水と言うのは、持ち運ぶとなったら、重くてかさばる。端的に邪魔だ。


「まず、この荒野と言う場所は、あまりにも手掛かりも少ないよね」

「そうだな、謎解き……其方の言葉を借りれば、『脱出ゲーム』だったか? それをする材料としては不足している舞台だ」

「ああ。 地図を使おうにも、目印になるものもなくて何の機能もしなかった。 だから、私は空を見て、太陽で方角を知ろうとしたり、星空を見て役立てようとした」


 考える材料が少なすぎて、私は前回困惑した。

 なんて意地悪な試練なんだと思った。


「でも、逆だったんだ。 材料が少なく見える事こそが、答えへの誘導だった」

「つまり、出題者の目線に立って考えてみれば、合理的な舞台設計だったのだな」

「その通り。 これが森であれば、木々や植物に一層目が行ったかもしれない。 謎の記号と地形を勝手に符合させていたかもしれない。 それが出来ない荒野であるからこそ、謎解きが成立した」


 日が暮れていく、だんだんと星々が空に露になる。

 白い強烈な光で覆い隠されていた、小さな煌めきたちが浮かんできた。


「古来より、船乗りたちは大海原で星々を頼りにし航海をした。 何もない海の上では、空こそが方向を指し示す、地図でありコンパスだった」

「仮に、ここが木々生い茂る森の中であれば、空を見上げるには支障があったであろうな」

「空を見上げるまでは、正しかったんだ。 重要なのは、何をもとにして見上げるかだ」


 私は前回、異世界での星空に関する知識を基にして、夜空を見上げた。

 だけど、記憶には何一つ合致せず、戸惑うばかりで、結局自分の知識があいまいで間違っているのではないか、と結論をつけた。

 だが、真実は違う。


「この夜空は……本物とは違う」


 私は、手元にある手帳に書かれた地図と見る。

 そこに描かれていた記号は、この夜空……試練の塔一階『荒野』の星々と合致していた。

つまり、意味不明にしか見えなかった地図の記号は、全て星座だったのだ。

私は石碑に描かれていた天体図をもとに、夜空を見上げて方向を確認する。


そして、階段の形を記号の位置……そこに星はなかった。

その階段の方向に向けて歩みを進める。

それが、この階層から脱出するための答えだ。


「さしずめ、この荒野の階層で問われていたのは、知識に囚われずに『ありのままを見よ』と言うことか」

「私には、難しい試練だったよ」


 ずっと、過去に囚われ続けていた自分にとって、ありのまま世界を見るなんてことは出来ていなかった。

 だけど、ここに来た若き魔術師たちにとっては、そう難しくない試練だったに違いない。

 私は、暮れてきた空を見ながら、歩き出す。


「荒野で夜空を見上げながら歩くか……」


 前世の私では、考えもつかない経験をしている。

 いや、そもそも、ゆっくりと空を見上げながら歩くなんてことを、したことがあっただろうか。忘れているのかもしれないが、自分がそういったことをしていたようには全く思えない。

 日々の忙しさに忙殺されていたんじゃなかろうか。


「陽介、正しい方向へと歩む分には、危険性はそれほどないようだ。 獣たちの気配をあまり感じない」

「……前回のは、間違った方向に進んだ場合のペナルティでもあったのかもな」


 ほかの生徒も、道を間違えただろうが戦闘を避け、安全な道を探しながら謎を解こうとしたに違いない。

 危険に飛び込んで、目的を達成しようなんて、魔術師にはありえない思考だろうから。


「陽介。 今度は、休息と栄養補給を忘れるなよ」

「わかっているよ。 ……消耗した時には、特に気を付けるようにする」


 風と共に、砂塵が舞う。

 いつもより、気持ちが落ち着いている気がした。


冷気漂い始めた荒野は、息が白くなるほどに寒い。

だが、『水精の羽衣ベール』はその冷たい外気からすら、私を隔ててくれている。前回の失敗はちゃんと生かされている。

それを実感すれば、いっそう自信にもなった。

そうして己の感覚を確かめてから、手の力を抜いた。


暗くどんな危険が待っているかもわからない、この迷宮。

決して油断が許されることはないだろう。

それでも、私は確かに今回は前へと進んでいる。


 遠くに小さく見える青白い月、さらに小さいほのかに赤い月。

白く、大きく輝く月。

そんな幻想的に美しくたたずむ、星々のきらめきを導きとして歩くのだった。

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