第22話 ネズミの王降臨
都市伝説と言うものがある。
人々の中で、噂になっている信じられない嘘みたいな出来事。
「知り合いから聞いた」と言う程度の信憑性しかない、妙なストーリー。
ニュースにもなってもいないが、ここ最近、何件か起きていることがある。
ある男は、自身に与えられた魔術で、何か騒ぎを起こしてやろうと思った。
女にフラれた復讐か、はたまた社会へに不満をぶちまけたいのか。
理由はどうでもいい。
偶然、手にすることが出来た人を傷つける手段。
魔術の素養をわずかでも持っていたからこそ、使える凶器。
それを彼は手に入れることが出来た。
そして、彼は信じた、それが証拠が残らない凶器であると。
夜道、それを振るうべく、彼は公園に潜んでいる。
今か今かと、凶行の時を、そのチャンスの瞬間を待ち望んだ。
そんな中、まだ冷たい風が吹く、春の夜、灰色のローブを着た男が降り立った。
「……お前か。 この辺りで悪さをしている者は」
「誰だ!」
「いや、なに。 『魔術の残り香』に気付いてな、居てもたっても居られなかっただけの一般市民よ」
不敵に、灰色の男が笑う。
「『魔術の残り香』だと?」
「なんだ知らんのか、無能なだけでなく脳が貧困なのか」
灰色の男は、呆れたように言った。
「ふむ、魔術師にとっては常識なのだがな……。 どんな魔術も必ずその痕跡を残すのだ。 調べれば一目瞭然、指紋のように犯人の見分けはつくのだよ。 『魔術の残り香』とはそれを指す、物の例えよ」
「そ、そんなものがあるだと。 アイツはそんなこと一言も!」
「貴様もどこぞの馬鹿に騙されたか口か、下衆め」
灰色の男は、当てが外れたというような世数を見せた。
犯行に及ぼうとした者の動揺する姿に、うんざりしてこめかみをさすった。
「魔術で行われた犯罪に、完全犯罪はあり得ない。 むしろ、明確な証拠となる。 なにせ、誰の魔術からすら特定できるのだからな。 大方、魔術を使えば誰にも罪には問えないなどと、適当な妄言を鵜呑みにしたのだろう?」
「う、うるさいっ。 お前に何が分かるっ。 オレは何も悪くない、悪くないんだ!」
灰色の男は、侮蔑の目を罪人に向けた。
これからどんな凶行を犯そうとしたにせよ、そのたくらみ。既にそれ自体が罪である。
「罪に問われないと考えて、喜び勇んで他者を傷つけることを選んだか。 それほど醜い行いはそうあるまいな」
「くそ、正義の味方気取りか」
「全知全能を気取る犯罪者よりはよかろうよ。 しかし、あれか。 魔術と言う力を得ても、することはその程度か。 つまらん人間よな」
「なんだと……」
「与えられた力を使って行うことが、憂さや恨みを晴らす程度。 他者を傷つけて、悦に至る。 愚劣蒙昧無知なのを許したとしても、あまりにも見苦しいとは思わんか?」
「オレは選ばれたんだっ!」
激高した男は突然、ナイフを振るう。
その瞬間、刃先から見えない風の刃が飛び出した。
見えない刃が、雪や泥を巻き上げ、空を裂き、木々を切り裂き、凄まじい勢いで灰色の男に迫る。
人体などたやすく、紙のように真っ二つにできる力があるのは明白だった。
だが、その刃は灰色の男には当たらない。抵抗もなく、逸れていく。
「は……?」
一瞬、呆けたような様子だが、すぐに気をとり戻し、何度もナイフを振るう。そのたびに風の刃が放たれ、公園の木々が切り刻まれる。
飛び散る葉が舞う。解けかけた雪やぬかるんだ泥に、舞った葉がふわりふわりと上積みされていった。
灰色の男は平然と立っているだけである。
傷一つ負うこともなく、その服に汚れすら見あたらなかった。
「なぜだっ! なぜ当たらねえっ」
「……そもそも風の刃など、そう簡単に当たるものでもあるまい?」
「そんなはずはない、そんなはずはないんだっ」
灰色の男は、当然のように佇むだけ。
「術者の身から離れた魔術は、他者からの干渉を受けやすいものだ。 特に、手元で起こした風を対象に上手く当てるなどと言う曲芸はな」
灰色の男はため息をつく。
いざ成敗しようと向かってみれば、思った以上にお粗末な敵だった。もう少し、手ごたえのある敵であればよいものを、と。嘆いていたのだ。
「やはり、その力……もともと持っていたものではないな。 知識も技も伴っていない。 いや、かえって朗報か?」
灰色の男は何かを思いついたようだった。
もしかしたら、利用価値があるかもしれないと見出したのだった。
運がよかったか悪かったのか、愚かな悪党は即座に殺されることを免れたのだ。
「どうやってその力を得た? 素直に言えば、生かしておいてやる」
しかし、悪党はそれが理解できない。
「ふざけるな、オレは選ばれたんだぞ! 特別な力を振るうことが許されたんだ!」
「選ばれた……か。 何のリスクもなく、代償も努力もなく、新たな力を得ることなど本当にあると思うのか」
「なんだと?」
「人格の変容、理性の欠如……少なくとも、その副作用は間違いなくあるようだな。 思い返せ、元からこのようなことが出来た人間ではあるまい」
「オレはオレの望んだことをしているだけだっ」
「そう、それよ。 それが問題よな、力を与えられた者は例外なく力に酔うものだ。 余も例外ではないが……」
噂はもう一つあった。
スマホのアプリで『不思議なチート能力が得られる』と言う。
何の代価もなしに、苦労もなしに、簡単に力を得るのが当たり前だと思っている人間にとっては、なんと甘い蜜だろう。
無料より高いものはないと言うのに。
自分が支払った代償よりも、良いものが簡単に手に入るなど、詐欺以外の何物でもない。そう思うのが当然だろうに、自分がいざその身になれば、冷静な判断など出来ないものだ。
人間は、幸運や運命を信じたがる生き物なのだから。
「いいや、お前に聞いても時間の無駄か。 重要なことは知らされていないのだろう、それに殺すための覚悟が見えん」
「うるせぇ、殺すくらいがなんだ! もう何人も傷つけてきたぜ、覚悟なんて馬鹿にするな」
「いいや、そうではない」
灰色の男はとうとう一歩を踏み込んだ。
「結果を背負うという覚悟だ」
灰色の男、その目が赤く輝いた。
その冷たい双眸が、悪党を射抜く。
迷わず悪党は、その場から逃げ出した。
踏み込んできた灰色の男には、容赦と言うものが抜け落ちていたのだ。
「ああ、まてまて。 逃げるな」
逃げようとした男の足に何かが一斉に、黒い影がとびかかる。
悪党はたまらず、その場に倒れこんだ。
「ぐあっ」
痛みと共に、反射的に男の視線は足に向かう。それはネズミだった。
ネズミが男の足に食らいつき、その肉をむさぼっているのだ。
「あああああっ、オレのっ。 オレの足があああ」
「あまり騒ぐな、足の一本や二本くれてやれ。 どうせ、また生えて来るのだろう? ……人間とはそういう生き物ではなかったか? 違ったかな?」
「やめろっ、やめろおっ」
「よせよせ、暴れるな……暴れるだけ無駄だ。 殺すなとは命じてあるが、反撃するなとは命じておらん。 より深く傷つくだけだぞ」
しかし、悪党は必死なあまりネズミを追い払おうとして、より深い手傷を負い始めている。
理不尽への怒りの叫びか、あるいは悲鳴か。
払いのけようとした、手のひらまで食われているのだった。
悪党はパニックに陥り、もはや言葉が通じそうにない。
「……聞いてないか。 なぜ、こうも人間と言うのは話を聞かないのか。 特にすぐに攻撃的になる者は、警告に耳を傾けない者が多いな。 知性が足りないから暴力に走るのだろうか。 ネズミとて、機会をうかがうためならば耐えることを知ると言うのに」
「そこまでです!」
そこにローブを着込んだ、10代の若者たちが立ちふさがる。
先頭に立つのは、アンジェリカだった。
灰色の男は、薄く笑う。
「ようやく来たか、
灰色の男はネズミに命じて、悪党を黙らせた。
一層強烈な悲鳴を上げて、悪党は泡を吹いて大人しくなる。
ネズミたちも、どこをどのように噛めば、痛みが強くなるのか十分に心得ていた。
「ネズミ使い! 今夜こそ、捕まってもらいます」
「ふむ、また
呆れと感心が混じったような声色で、灰色の男は呟いた。
「何度言えばわかる? 余はネズミ使いではなく、ネズミの王なのだ」
灰色の男はため息を吐いた。
人間は本当に物分かりが悪い、とそう言いたげだった。
「だが、余が名乗らぬことにも責任はあるか。 だが、名乗ってやっても良いが、魔術師とは力を秘匿し、時に名すらも秘するものと聞く。 であれば、余がここで名乗るのは無粋だろうな」
「ふざけるな!」
一番、若い騎士が憤る。
「ああ、そういえば。 この悪党のことだが。 確か魔術師が犯した罪は、より重くなるはずだったな。 聞きたいのだが、この場合は死刑でよいのか?」
「お前に刑を執行する資格はない!」
「今は、な。 ……まあ、良い。 この悪党は貴様らにくれてやろう、せいぜい治安の維持に励めよ」
「偉そうにぬかすな、犯罪者め」
「余が罪びとだと言うのならば、何の罪もない人びとを、悪人から守ることのできなかったお前たちはさぞかし立派な正義の味方なのだろう。 いや、まさか、いつの間やら犠牲者を多く出すことがこの世の正義になったのかね? ならば、さすがに余が謝罪せねばならないが?」
「まさか俺たちを馬鹿にしているのか!」
「わかりにくかったかね? おお、やはり謝るべきだった。 すまんな。 馬鹿にされていることを確認せねばならないほど、白痴だったとは気づかなんだ。 お前たちに知性がひとかけらでもあると過信していた、余の痛恨のミスであることをここに認めよう」
憤る若い騎士を、眼鏡の騎士が差し止めた。
「冷静になれ、オグレナス」
そして、眼鏡の男は、灰色の男に話しかける。
「いいか、確かにそこの男の罪は重い。 罪もなき人々を、魔術で傷つけた罪がある。 しかし、お前自身にも、許可なく他者に魔術による攻撃を仕掛けた罪がある」
「正当防衛……とやらにはならんのかね?」
「それを判断するのは、捕まえて話を聞いたうえで、だな。 ここは大人しく付いてきてもらおうか」
「それはごめんこうむる。 余はそれほど暇ではない。 悪を見逃しのさばらせた挙句、新たな犯行をするまで出遅れ、さらに既に犯人が無力化された後で駆けつける。 ……そのように生活しているわけではないからな」
眼鏡の男は皮肉に対して、無反応だった。
ただ、冷静であることに努めた。
「……では、大人しく同行する気はないのだな?」
「当然だ」
「では、私たちが相手をしましょう」
アンジェリカが前に出た。
眼鏡の男も、オグナレスと呼ばれた若手の騎士も武器を構える。
眼鏡の男は燃え盛る槍を構え、オグナレスは電撃が迸る弓を構えてみせた。
そして、最後にアンジェリカは剣を構え、名を告げる。
「我が名は、アンジェリカ・スキルヴィンク。 今代の『
「ふむ。 さすがに名乗られたら、名乗り返すが礼儀か。 しかし、本来の名を明かせぬことは許せよ」
わずかに考えて、灰色の男は告げた。
「……そうさな、今まで通りネズミの王とでも呼ぶがいい。 あるいは、そう、
そして、戦いが始まった。
オグナレスが弓を構え、電撃を纏った矢をたちまち三連射してみせる。
「まさかそれで余を殺せると思っているのか? その矢弾は、少々軽すぎる」
だが、そのすべてを灰色歩きは回避した。いや、矢が彼に命中しても、すり抜けるように貫き、一切の損傷を与えない。
「くっ、幻術の類か!」
オグナレスが叫ぶ。
一切、攻撃が通用しないのだ。
眼鏡の槍使いは燃え盛る炎を、己の得物と共に叩きつける。
だが、それは灰色歩きに片手で弾かれた。
「いや、幻術などではない。 そもそも保有している
二度三度と連撃を叩き込むが、片手で弾かれる。
灰色歩きは、さらにもう片方の手を、眼鏡の男に振るう。
眼鏡の槍使いは己の武器で、攻撃を受け止めたがそのまま吹き飛ばされてしまった。
「人の子が一人で挑めば、例外なくこうなる」
「なら、これならどう!」
アンジェリカが、光輝く剣を魔力により生み出す。その剣は意思があるかのように、灰色歩きに向かい、飛びかかる。その軌跡に残光。
「ふむ、これは避けられんか」
灰色の男が手をかざすと、公園の樹木が幾重にも伸び、硬質化した盾となる。
光る剣は、盾を貫通するが、数枚を貫き勢いが止まった。
「剣を飛ばすとは、いつ見ても変わった曲芸よな」
「曲芸じゃない! 魔術よ!」
眼鏡の槍使いと、アンジェリカが連携。剣撃と槍を叩き込む。
それが命中したかと思えば、灰色歩きの身体はネズミとなり、全てがすり抜けてしまった。
そして、灰色の男は笑う。
「ほら、まずは一人目だ」
オグナレスと呼ばれていた弓使いが倒れた。
いつの間にか、その後ろに灰色歩きは立っていたのだ。
「仲間が静かになったことにも気づかぬ。 だから、付け入られる。 貴様たちは自分が冷静でいるつもりだろうが、事実はそうではない」
残った眼鏡の槍使いが構えるが、動けない。
目を離したつもりはなかったのにも関わらず、完全に出し抜かれたのだ。
アンジェリカは、それでもなお剣を構えなおした。
より、深く踏み込むために。
「本当に、人間は理解できん。 なぜ、か弱きものを虐げるものを殺さない? その悪党は力を使い、多くのものを傷つけた。 己の欲望を満たすために、か弱い婦女子を襲うこともあった。 なぜ、それを許す?」
「許したわけじゃない! ただ、私には裁く権利がないだけ」
アンジェリカは剣を振るう。光の剣を繰り出し、幾重にも追撃を行う。
それらがすべてすり抜ける。時に、片手で弾かれる。
「隙を見せたな!
背後から、眼鏡の槍使いが奇襲をかける。
「隙だと? 笑えるな、道化」
槍使いは無数にはい出る樹木の蔦により、手足を絡めとられた。
「ミハイル!」
アンジェリカが、眼鏡の槍使いに向かって叫ぶ。
完全にアンジェリカに目が向いていたはずなのに。
「すべて見えている。 わが眼は数百にも及ぶと知れ」
「くぅ…… う、動けんっ!」
「いくら炎の槍と言っても、手足が使えなければ振るえぬだろう?」
アンジェリカの視界が真っ赤に染まる。
そして、その身体に衝撃が走り、空中へと吹き飛ばされた。
いつの間にか、灰色歩きは目前にいたのだ。さらに、空中で殴られ地面へと叩きつけられる。アンジェリカは反射的にシールド魔術で衝撃を緩和するも、倒れた先に大量のネズミたちが待ち構えていたことに、抵抗する意思を失った。
動いたら、殺される。
ネズミの群れからは、殺気が、強い意志が感じられる。
それぞれが、なにかのモンスターであるかのようだ。
「そして、余の姿が見えていると思ったならば、それは勘違いだ。 余の姿を捉えているのではない。 余がその姿を晒しているだけなのだ」
灰色歩きが手をかざすと、ミハイルを縛る蔦はさらに強烈に縛り付けた。
ミハイルの身体はミシミシと音を立てると、彼は呼吸が出来なくなり、意識を暗転させる。
「だが、不敬な者たちよ、余はお前たちを許そう。 余は寛大ゆえにな、いずれはお前たちは余の臣民となるのだから。 いやはや、今夜は思った程度には楽しめた」
そして、灰色のローブを男は翻す。
「せいぜい励めよ、街の治安を守るがいい。 そこの悪党はお前たちに任せよう」
灰色歩きは、全身をネズミに変えた。
そのまま、ネズミたちは街のどこかへと、木々の茂みへと消えていく。
あとに残されたアンジェリカたちは、無力をかみしめた。
「どうして……。 どうして、私達はあの男に勝てないの?」
アンジェリカは、それでも立ち上がろうと力を振り絞った。
街で広がりつつある、都市伝説。
それは「悪党を懲らしめる、ネズミの王が存在する」と言うものだった。
悪事を為す者は、ネズミに食われる、と。
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