第15話 試練の塔 最初の挑戦 ~その4

 絶体絶命の危機である。

 しかし、思いのほか私は冷静だった。安全弁が存在するとはいえ、強烈に死のプレッシャーを感じる状況。本来であれば、いつパニックになってもおかしくない。


「単純にパニックになれるほどのまともな神経が、私に残っていないだけだ」と言われたらそれを否定することはできない。

転生などと言った、拷問ともいえるほどのストレスを、強制的にそれも年単位で与えられてきたのだから。


だが、私が冷静でいられたのは、この状況下でもそれなりの自信があったからである。


 ここは既に私の陣地である。

 キャンプ地と定めた時に、施した数々の仕掛け。

無計画にそれをして消耗することになってしまったことを考えれば、ある意味では窮地の原因ですらあるのだが、今やそれが私にとっての希望であり、アドバンテージである。


 事前に仕掛けを施した地で戦うことが、どれほど魔術師を優位にするか。

今の私が不調で、仕掛けに限りがあるとはいえ、ただの獣風情に苦戦することなどありえない。


 それにもう一つ、私が得意とする錬金術で作り出した秘蔵のポーションもある。

錬金術は本当に幅の広い学問だ。当然ながら肉体改造のためだけではなく、ドーピングや治療を目的とした薬品にも備えがある。

 副作用が強いため常用は出来ないが、最悪の場合はこれを飲んで、万全の態勢で迎え撃てばよい。


 そういった根拠があるからこそ、自分自身に勝利を信じ込ませることが出来た。

私は意図的にわざとらしくも余裕めいた態度を演出する。そう、全力で虚勢を張ったのだ。


「来るなら来てみろ! 犬ッコロが!」


不安がないわけではないが、弱みを見せたら負けである。

少しでも自信を持てる要素があるのなら、それを信じるしかないのだ。


 だが、予想と違い私を囲う人面犬たちは、唸るばかりで襲ってこようとはしなかった。

 試しに私が一歩前に出れば、急いで飛び退く。


それを見て私は、彼らが戦うのを躊躇っているのだとわかった。

どういうわけか人面犬たちは、私をただの子供とみなしていない。

ある程度の知性があることは明らかだ。どこかで見ていたのか、先ほどの戦いで見せた私の魔術が、彼らにとって恐怖に値したのかもしれない。

使っている側からすれば、制限だらけで使いづらいものなのだが、はたから見ていれば摩訶不思議な万能兵器に見えるのは事実だろう。

人間に限らず、得体のしれないものを恐れるのはいわば生物の本能である。


 なるほど、それは好都合。ならば、脅かすだけでよいかもしれない。

 相手のやる気をくじくことが出来れば、仕掛けを無駄打ちすることもないし、これ以上、消耗せずに済む。


 もし、この時、私の判断がもうすこし迅速であれば、そこで話は終わっていたのかもしれない。だが、そうはならなかった。


 瞬間、遠い丘から影が飛び立つ。

それは巨体に似つかわしくなく、軽やかに木の葉が落ちるかの如き静かな着地音をたてた。降り立ったのは、柔軟でしなやかな漆黒のシルエット。

……それを一言で言ってしまえば、巨大な化け猫のようだった。


 途端に、人面犬たちは怯え出した。尻尾を体の内側にしまい込むように動かし、姿勢を低くしながら耳をも伏せだした。その上、ガタガタと震えてすらいる。

 そして、それを見たテイラーは慄き、動揺を隠せず叫び出した。


「悪夢の具現化、まさに殺戮と邪悪の化身か! 禍々しいほどに底知れぬ深淵に等しき漆黒の毛並み! 試練の塔はなんと過酷で、恐ろしく冒涜的で残虐なのだ!」

「……テイラー、君がその反応をするのは本当に今ここでいいのかい?」


 猫を恐れ過ぎだろう、今にも発狂しそうな勢いじゃないか。

 私はそこまでプレッシャーを感じずにいる、正直なところ想定していたほど恐ろし気な相手ではない。怪物染みているにしても、単なる巨大な黒猫にしか見えないのである。


 私が無警戒に佇んでいるのを見て、巨大な黒猫は吠えた。

 それを号令として、人面犬どもが私に襲い掛かる。

が、私が手をかざせば地面に仕掛けられたルーンが光り、熱を伴う閃光を放ち、人面犬の眼と毛皮を焼いた。続いて足を踏み鳴らせば、地面から隆起した鋭い矢のごとき岩石が一頭を串刺しにする。


ルーンとは、力ある文様を刻むことにより発動可能にする魔術の形式である。

私の世界にも同じ名称で伝わるこの魔術は、異世界においても古き時代に、わが身を犠牲にして賢者が神から授かったとされている。


 当時のものとはかけ離れているほどに発展したため、多くの手法・技術に分化されたが、直接的になにかに刻む手法ですら、今もなお手間さえかければ、初心者にも失敗しづらい類の確実性のある手法として重宝される。


欠陥魔術師の私ですら、あらかじめ罠として仕掛けることで、他の魔術師の真似事すら可能にできる。『馬鹿には見えない服コモンセンス』を使用せずに、仕掛けたルーンを消費して、それに応じた力を発揮することが出来るのだ。


「欠陥品でも、下等な獣を相手取るには十分だ!」


そう自分を鼓舞しつつも、結局のところ私は剣を振るう。触媒つえを鋭い刃に変え、突進する相手を牽制する。私が敵をひるませたうえで、適度に間合いをとると、冷静に観察するテイラーがいななきルーンを発動。強烈な衝撃により吹き飛ばす。


パートナーであるテイラーはその身に宿す力こそ弱いが、私と同等以上の魔術が使える。ガス欠が私より早いことにさえ、気を付ければ十分な戦力である。ルーンを仕掛けた私が、あらかじめコストを先払いしたことを考えれば、テイラーとルーンを使った戦術の相性は良いと言える。


 剣で人面犬の頭をかち割るも、見た目ほど深く刃が通らないのか、そいつは再び襲い掛かる。すると、テイラーは私のいる地面を隆起させて打ち上げる。人面犬は隆起した岩に激突し、私は体をひねりながら落下したエネルギーをそのまま剣に与えて、一閃。その首を斬り飛ばす。その首は敵の群れの真っただ中に飛んだ。


敵にとって予想外の動きを繰り返しつづけることで、動揺させ混乱させ続けることで、無理やり隙を作る。同胞の首に注目するのは、獣も一緒か。それこそが隙である。


服の汚れも気にせず、隆起させた岩の影に私は伏せる。途端、群れの中心地、地面が破裂する。岩石のツブテが大量にまき散らされ群れはそれを浴びた。さながら破片爆弾フラググレネードの爆発、無慈悲にツブテに身を引き裂かれる人面犬たち。さらにそこに、畳みかけるように私は切り込む。


こうした乱戦に近い戦いだと、破片が飛び散ったり、爆発力ある攻撃は自分をまきこむ恐れがあるので使いづらい。かといって、狙いを定めようとすると計算に時間がかかる。

それを私たちは互いに分業することで、凌いだ。簡単にまとめて始末することが出来ない以上、結局のところ身を守る必要なのは近接戦闘、剣と杖を使った肉弾戦だと言うのは魔術師としては皮肉な話ではある。


 自分たちの使う魔術の余波で、額が切れた。

頭部からの血は浅くとも、思った以上に激しく流れる。


「ネズミのように地面に這いつくばり、血を流しながら戦うのも悪くなかろう」

「こんなの100年に1度すれば、十分だ。 早くシャワーを浴びたいね」


 少しでも冷静さを保つために、軽口を叩きあう。

 戦いに、興奮に飲まれたら、まともに魔術が使えなくなる。怒りと熱に任せて、戦えるならなんて楽だろう。でも、少なからず興奮しているからこそ疲労感を感じずに済むわけだ、だからそれをコントロールしないといけない。

 魔術師は感情を失くすのではなく、自分の都合の良いように制御する。


そうして何度かいなすと、予想通り再び人面犬どもは臆病な様を見せた。

それでも逃げ出すさまを見せないのは、さきほどから私を観察しているあの化け猫のせいだろう。なぜか安全な位置から観察し続けて、攻撃しようとしてこないが。


「ふん、手下に襲わせて高みの見物か」

「大方、其方そのほうの様に不快感を抱いて近寄りたくないのであろう」

「私は猫にすらドン引きされてるのか。 にしても、コイツ……猫のくせに、犬のような遠吠えをするのか。 ちょっと面白いな」


 一方で納得できるところではある。

 猫は本来、単独で狩猟をするが故に、他の生物よりも体臭を抑え、獲物に悟られないようにすると言う。遠吠えは、単独で狩猟をする生物はしないものだろうが、強力な怪物モンスターであるほどに、高い知性を有し、さらには他の怪物モンスターを従わせることが出来る支配能力を持つことが多いとされる。


「……だが、毛並みが赤くない」


 先ほどの黒ヤギを観察した時に得た情報とは違っていたことが気になった。


「悠長なやつだな。 陽介、もっと警戒しろ」

「そうは言っても、いくら巨大と言っても猫だしな」


 口でそうは言うが、言うほどもう余裕はない。

 仕掛けたルーンは使い切りつつある。体力が残っているかは怪しい、ここで退いてもらえないのなら、後先考えずにドーピングするしかない。


 私は剣を肩に担ぐように構える。

別に恰好を付けているわけではない、腕の握力がそろそろ落ちることが心配だった。子供の身で長く戦い過ぎている。重さを肩にかけて少しでも、負担を減らしたかった。

私の体力が尽きた段階で戦ったのだ、余力などすでにない。


 その時、化け猫が。

 にやり、と笑ったような気がした。


 奴はいまだに私が扱えるルーン魔術の安全圏から、私を見ていた。


 それなのに背筋がゾクッとした。鳥肌が立つ。

 来る! 来る! 来る! 絶対に来るっ!


 私はすぐに自作の合法魔法薬デスマーチを飲み干した。残るルーンをほぼすべて起動、試験管も使い潰す、周囲を『馬鹿には見えない服コモンセンス』と悪臭放つガスで覆う。あの化け猫を、目も潰し、鼻も潰し、動きも止め、そのうえで仕留める。それが必要で最善だとしか思えなかった、この時の私はそれしか考えてなかった。

 『馬鹿には見えない服コモンセンス』を伴うガスは、どんどん周囲を覆っていく。だが、屋外で使った以上これはそんなに長く持たないだろう。

 私自身、こんなに大量の『馬鹿には見えない服コモンセンス』を掌握維持し続けることはできない。


 人面犬たちはとうとう逃げまどい、この場から離れていったようだった。それでもなお、化け猫は悪臭を伴うガスの、あくまで外にいる。それがわかった。

 ガスの中には入る気がないようだった、それは私の予想通りである。


 しかし、これは化け猫には予想しようがないはずだ。

私の『馬鹿には見えない服コモンセンス』はその目に見えるガスよりも、広い範囲に散布されている。私が『馬鹿には見えない服コモンセンス』を使い、意図的にこのガスを抑え込んだのだから。そして、私の『馬鹿には見えない服コモンセンス』は肉眼で不可視にすることも出来る!

 私の服の中にいる限り、お前の行動や位置はすべて私に筒抜けだ。ぎりぎり安全な位置を測りいつでも攻撃するつもりでいたんだろうが、それが間違いだ!


 残った試験管はたったの二つ、これで終わらせてやる。


「待て、陽介! なにをするつもりだ!」

「あとは任せたよ、テイラー!」


化け猫の背後に気付かれないように、試験管を飛ばす。落下音をほとんどさせないように正確なコントロールで私はそれを動かした。『馬鹿には見えない服コモンセンス』の中だけのみ、私は精密な魔術動作を可能にする。


私は錬金術を発動する。

私が使えるなかでは、もっとも強力なパワーを持つ錬金術を。


金属でできた強度の頑強なイバラ、巨大なそれが化け猫の退路を覆うように出現する。鋭い槍を無数に蓄えたイバラはしなり、大地ごと化け猫を叩き割ろうと動く。

不意打ちを背後からされた以上、とっさに逃げるには前方しかない。背後を防がれた以上、左右に柔軟に動くのは、あの骨格構造上は難しいはずだ。


イバラが強烈な一撃を地面に叩きつけ、そのまま暴れ出そうとするさなか、最後の試験管が破裂。悪臭を伴うガスと交じりあい、化合し酸素と結びつく。それは人間が観測できるほどの時間を伴わない。すなわち、瞬きする間もなく発火。そのまますべてを焼き尽くす。おそらく、とてつもない爆音がしただろう、すべてを吹き飛ばすほどの衝撃と火力が発生したに違いない。私はそれがどれほどのものか、ロクに計算もしなかった。


私はイバラが命中したかも知らないし、その爆発に化け猫が巻き込まれたかも知らない。

 それでもなお、私はそれが確実に生物を殺すのに十分な破壊力があると確信していた。


 この魔術に名前などない、ただの爆破だ。いつでも私個人の手持ちで使え、爆破範囲を制御できると言う点以外、何の価値もなく、そんなものネーミングが必要ほど高等な技術も一切ない。そも使った時点でその場にいた相手を全員殺すつもりなのだから、名を与える必要もない。


 確実に今ここで死ね、化け猫。

 私がリスクを侵してでも、ここでお前を消す意味はある。


 そうして、私はすべてを吹き飛ばした。

 真っ暗な荒野、そこにあるのは静寂のみ。

 地面がわずかに盛り上がる。手足が地面から生え、なにかがそこから起き上がる。


 そう、私は土の中に埋められていた。

 わずか残った最後のルーンを使い、テイラーが私たちの安全を確保したのだった。


 ぺっ、ぺっ、と口の中の土を吐き出す。


「こんなモノ食べるくらいなら、ファミレスでハンバーグでも食べたい」

「……貴様ぁあああっ! 最初にいうことはそれかぁああっ!」

「え、なに怒ってるの?」


 なぜかテイラーがブチ切れた。

 なんで怒ってるんだ、このネズミ。


「なにだとっ!? よくもまあ、そのような口が利けたものだ。 馬鹿だ、愚鈍だ、低能だと思ってはいたがな! 死ぬなら、余を危険に晒さず勝手に死ぬがよい! 最低限、こんな方法をとるなら、相談せんか!」

「いや、テレパシーで繋がってるし全部わかるでしょ。 それに私が死んだら、君も死ぬし」

「余は、其方そのほうの策を了承した記憶は一切ないがなっ」

「了承なんていらないでしょう、テレパシーあるんだから。 それに猫、怖がってたし、始末するなら喜ぶかなって」

「そういう問題かぁあああっ!」


 ネズミに怒鳴られた。

 目的は一致しているはずなのに、げせぬ。


「まあまあ、安全は確保できたんだしいいんじゃない……ぁ」

「あ?」


 奴は現れた。

 漆黒の柔軟でしなやかなシルエットではなく、真っ赤な硬質化した毛並みがハリネズミのように逆立ち、全身を覆っていた。

その頭部で逆立つ毛並みは、さならがたてがみのようですらあり、真っ赤な獅子とも思える様相ですらあった。


奴はにやりと笑う。

無力になった獲物を見て。


「……マンティコア」


 私はようやくわかった。

 ネコなんて可愛いもんじゃない。この今の状態が、伝説に伝わる本来の姿。

あれは人食いの怪物、マンティコアだ。


 いつもは口うるさいテイラーが、絶句していたのが滑稽だった。

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