第12話 試練の塔 最初の挑戦 ~その1

 生前は、文字通り命を仕事に捧げた身だが、命を賭けて何かを為そうとするなんて考えたこともなかった。そんなことを考えなくても人は死ねる。

 人生とはわからぬものである。


 試練の塔に入った時の、最初の記憶は真っ白だった。


 私がまず目にしたのは、斬りつけてくるような鋭い真昼の太陽だったのだ。

 肌をじりじりと焼く熱を伴って、強烈な眩しい光。

 それがすべての色彩を奪い取って真っ白にした。


 自分の放り込まれた状況を、認識することが出来なかった。

 いったいどうなっているのか?


「これが本当に試練の塔……迷宮(ダンジョン)だって言うのか?」


 慣れた目が見たのは、燃えるような青空だった。

果ては地平線が揺れ動いている、陽炎に映りかえる広大な荒野があった。


 何の現実感も伴って来ない、単調に砂漠にも似た光景が、果てしなく何kmとも続いている。遠い熱霧のなかにぼやけた様子の低い丘陵だけが、味気のないアクセントだった。


 乾いた草がカサカサと揺れた。

 まるで湿気のない熱風が、荒々しく頭を撫でてきた。


「こんなことに挑戦するなんて、やるんじゃなかった……」


 現状を把握する前に出てきた言葉はそれだった。

 現状なんか把握したって良いことがないのは、すでに見えていた。

 私がわかるのは、最初の試練ですらこの果てしないわけのわからないもので、それに単身で挑まないといけないということだった。


「見苦しいぞ、陽介。 見苦しいのは普段からだが、覚悟を決めてみせろ」


 マントの中に隠れた一匹のネズミが、胸のあたりから私に説教をした。

 私のパートナーであるテイラーだった。なお、これは愛称であり本名ではない。


 試練の塔に、使い魔を連れてくるのは許されていた。今回の冒険は彼が唯一の仲間であり、あるいは嫌味な姑である


 ちなみに、さきほど生前とは言ったものの、今の私は幽霊ではない。過労死した挙句に、二度目の人生を歩んでいるだけである。いわば来世ともいえるだろろうか。

 なぜ、過労死するまで働かされて、生まれ変わったらネズミに説教をされるのか。


「少しくらい現実逃避しても許してくれないかな、テイラー。 普通、迷宮と聞けば、屋内を予想するものだろう?」


 にしても、自分が傷つくことや、死ぬことなんてもう怖いとは思わなかったのに、苦境に立たされると足を踏み出すことに躊躇いたくなるのは、私が臆病だからか?

 いや、そうかもしれないけど、それだけじゃないと思う。

 きちんと常識が備わっているからだ、と思う。


 これのどこが試練の塔なのか、最低でも1時間は問い詰めてクレームを言いたい。


「フム? ……別に屋内ではない、とも言っていなかったがな」

「いや、『塔』と聞いて『屋内ではない可能性もあるな』と考えるやつがいたら、もう言葉が不自由な狂人(バカ)だと思うんだ」

「では、ここは塔の中なのだろう」


 荒野の熱さが、剥き出しの刃のように襲ってきている。有無を言わせない拷問。

 ここが、塔の中? そうとはまるで思えない。


 この大空の下でそう思える人間は、既に発狂している。

 正直なところ、私自身が既に発狂しかかっている気がした。


 ここには魔法陣で転移させられてきた。

 学院の地下に、試練の間があり。挑戦の意思を再確認する簡単な問答をしたあと、およそ5分おきに1人がそれによって転移させられた。

 最低限の心の準備は、その時に済ませたつもりだった。


 しかし、こう来るとは全くの予想外。

 とりあえず、辺りを見回してみる。


「ストーンヘッジ……?」

「それに石碑だな、かなり大きい」


 石で作られた鳥居のようなものが背後にあった。

 その奥には枯れた木々の間に、巨大な石碑が据え付けられている。街中で見かける2tトラックほどはあろうかという、巨大なものだった。

 調べようと思う前に、日陰になっているから少しは涼めるかもと思ってしまった。


「其方(そのほう)の怠け癖を直す方法がある。 余の観察によれば、人間はネズミに足をかじられると居ても立っても居られなくなるようなのだ。 とても忙しく動き出す」

「それを有用な研究だと思ったら間違いだよ、テイラー。 かじればかじる分だけ人が勤勉になると思ったら大間違いだからね」

「いや、かじり過ぎると動かなくなる」

「聞きたくない、聞きたくない」


 恐ろしい実験をしているな、このネズミ。


 近づいて調べてみると。石碑に彫られているのは文字ではないように見えた。

 記号は彫られているが、それは山を表しているように見えるし、あるいは谷を表現しているようにも見えた。様々な記号、そう言ったものが、広い面積にちらほらと彫られている。

 その中に一つ、階段のような記号が見て取れた。


「これは地図?」

「そう見えないこともないが……はてさて」

「試練の塔は100階層からなる塔だ、上の階を目指さなければならないはず。 となると、この階段を昇ればいいんじゃないか?」

「しかし、どこぞの欠陥魔術師が『ここが塔の内部とは信じられない』と主張していたような気がしていてな。 うーむ、余にはわからんなー」

「いやいやいや、すこしは協力的に考えてよ。 なんでそんなにやる気がないんだよ」

「さっきまで怠けていた人間のセリフとは思えんな」


 ああ、まったく。ああ言えばこう言う。

 困ったネズミだ、まったく。誰がこいつに言葉を教えたんだ。


「仮に地図だと仮定しよう。 だとすると方角が不明になる」

「そう? 太陽の位置からわかるさ」


 方位磁石(コンパス)は手元になかった。

 と言うよりは試練の塔では、普通の方位磁石は正常に働かないらしかった。

 迷宮の中で正確に方角を把握することに、困難さを感じていた身としては、かえってこれで良かったのかもしれない。


「つまり、今、この上空にある照りつける太陽を見ながら方角を知る、と?」

「他に良い方法があるかい?」

「……まあ、やってみせるがいい」


 偉そうなネズミである。


「ただ、心配なのはこの地図が偽の情報なんじゃないかと言うことなんだよな」

「それはなかろう」

「どうして?」

「試練の塔は、達成困難な試練ではあるだろう。 しかし、達成不可能にはしていないはずだ、そうでなければする意味がないからな。 あくまで生徒の力を計るための装置であるはずだ。 ある種のゲームだな、ゲームはクリアされるために存在する」

「……それは、まあ、さすがにそうだろうね」

「だとすると、だ。 これが仮に地図だとすると、それを嘘の情報にしてしまえば、クリアは不可能となりゲームが成立しなくなるわけだ。 少なくとも、余はこれが手掛かりであることは確定だと考える」

「なるほどね、そりゃそうか」


 私は納得して、紙とペンを出した。

 多少時間がかかったとしても、その石碑の内容を書き写すことにしたのだった。


「ほう、準備が良いことだな」

「迷宮をマッピングする可能性も考えていたからね、内部構造を全部書く必要があると思ってたし」


 まさか、それがこんな風になっているとは思わなかったけれど。

 ここにスマホがあれば、石碑を写真で撮影して一発で終わったところなんだけど、通信したり、映像を残せるものを持ち込むのは許可されていなかった。


「石碑の裏には何かないのか?」

「……ああ、そうか。 そうだね、その可能性も見ておこうか」


 石でできた鳥居のようなものにも、石碑の裏にも他に変ったものはなかった。ただ、転移に対応するためであろう魔法陣や座標を示す印は存在していた。いわば、舞台装置になるもの以外はなかった。


「ある意味では、脱出ゲームというやつかもしれないな」

「なんだそれは」

「密室に閉じ込められてね、いかにパズルめいた仕掛けを解いて脱出するかと言う遊びさ。 実際にやったことはないけれど、パソコンでそういうゲームをしたことがある」

「其方(そのほう)は……いや、人間は実に奇妙な生き物だな、そのゲームのどこが面白いのだ?」

「さすがにネズミに面白さを伝えられる自信がないね、強いて言うならパズル出題者との知恵比べが面白さにつながっているのかもね。 謎を解くことは、快感だから」

「ネズミの日常は、人間との命を賭けた知恵比べだが」

「人間はそこに命を賭けたくないんだよ」

「ネズミだってそうなのだ、生きるための延長線上に必要と言うだけだ。 人間がそれを楽しめるのは、十分に知恵を使わずとも生きていけるからではないのか? 普段、全力で知恵を振るい真摯に生きていないから、パズルなどと言う遊戯に戯れるのだろう?」

「パズルに興味がない人間もいるよ」

「なお、愚かだ。 生きるために必要ないからと、知恵を絞ることすらも忘れたのだ」


 私はそれには答えず、紙に黙々と書き記すことにした。

 すでに10分は経過しているが、私の後に続いて他の生徒が来る気配はない。

 送られてくる座標が違うのか、それともそれぞれ別の空間や試練を用意されているのか。はたまた何か仕掛けでもあるのか。

 謎は尽きることがないが、考えても仕方ないことを考える必要はないだろう。


「なるほど、知恵を絞らずとも生きていけることが、豊かであるということかもしれん」


 ぽつり、とテイラーが思いついたことを呟いた。

 だとすると、私はまるで豊かではない。困窮しているわけではないのかもしれないが、余裕があるとはまったく言えない人生を送っているように思った。


「テイラーは謎を解くことに快感を覚えるかい?」

「余か? 当然だ、知的生物の業であろう。 『好奇心は猫をも殺す』と言うが、好奇心は死ぬのに値する理由だ。 まさに、知りたいこと知るためならば命を賭けても良い」

「そうか、ならテイラーもパズルを楽しめるんじゃないか?」

「全力で生きることはパズルより面白い。 それは、常に解き明かすべき問題に立ち向かうことと同義であろう。 そんなことよりも余は『好奇心で猫を殺す方法』を知りたいものだ」

「……左様でございますか」


 テイラーとは分かり合えそうにないな。

 私はこう見えて、知恵の輪が得意だった。

 前世では、父に秘蔵の品を何点か譲られて、何度も難しいパズルに繰り返し挑戦したものだった。パズルが好きだったというよりは、何かに黙々と集中するのが好きだった。


 じりじりと熱気が迫る。

 分厚いローブを羽織り、直射日光を避けるがひどく暑い。いや、熱いと言うべきか。

 

 ダラダラと汗をかきそうなものだが、まるでそんなことはなかった。

 乾燥しているせいか、あっという間に蒸発しているのかもしれない。

 ただ、喉の渇きがひどかった。


 昼間に出発するべきではなかった、と後悔する。

 そして、すぐに思いなおす。現実の時間と、この試練の塔の時間は連動していないのだ。

 たまたま昼間に出発して、この試練の塔もそうだっただけ、だ。


 ふと気が付いて、空を見上げる。


「太陽がさっきよりも傾いている……?」

「そのようだな」

「まさか夜になるのか」

「ずっと昼間であるよりは自然だろう」

「試練の塔の内部なのに?」

「陽介よ、その問答はもはや無駄ではないか。 わかっていながらも、確認せずにはいられないか。 なるほど、其方(そのほう)はよくわかっている」


 夜はおそらく危険だ。

 直感的にそう思ったし、知識もそれを裏付けた。

 この空間は、異世界の土地である『どこか』を再現している可能性に思い当っていた。向こう側の世界は、人間の生存域は狭い。そして、夜はこちらの世界よりも危険だった。


 私は急いで地図を書き写した。

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