第2話猫を逃がす人。

その少女と出会ったのは暑い夏の昼下がり。勤め人や学生さんは会社や学校にいる時間・・・・つまりその子はニートで俺は仕事にあぶれたフリーランサーだ。今日日、雑誌のコラムと写真撮影だけで食っていくのは大変で、仕事が無いなら無いでネタを探して街をうろつく。とは言っても今日はネタ探しと言うよりはただの散歩みたいなもんだ。小さなデジカメを首からぶら下げて近所を散策して気付いたら結構遠くまで歩いてた。


怒鳴り声が聞こえた。とてもカタギにゃ聞こえない罵り言葉だ。

「またお前かっ!邪魔するな、俺たちはコイツ等のためにだなっ!」

中年と思しき女性の声も交じる。

「貴女はこの子たちが可哀そうだとは思わないの?」

ピンっと張り詰めた若い声が抗する。

「何がNPOよ、殺処分ゼロよ。あなたたちがやってることこそが虐待じゃないのっ!」


怒号が交差して俺の足元を野良猫が走り抜けた・・・



少し散歩を続けてから目に留まった自動販売機で缶コーヒーを買う。確かこのあたりに公園があったはずだから、少し休憩して帰ろうと思った。

公園のベンチには先客がいた。転んだんだろうか?白いシャツが少し汚れていた。ぼんやりと公園を眺めている少女のベンチを避けて、その隣のベンチに座る。チラリと少女の横顔を見る。まだ幼く見えるが大学生ぐらいの年齢だろうか?ふと思いついて公園の傍にある自販機でスポーツドリンクを買って少女に差し出してみた。びっくりしたような瞳は大きくて綺麗なアーモンド形だ。そう、猫のように綺麗な顔つきだ。


その猫少女はぺこりと頭を下げるとスポーツドリンクのタブを引いた。

ドリンクを飲む白い喉がまた呆れるくらいに美しい。そして彼女は腰をさすった。

「腰、痛むのかい?」

不審者だな、俺。

少女は俯いて呟くようにこう言った。

「野良猫を捕まえに来る人にとっては、邪魔する人間の腰は蹴ってもいい場所みたいね」

ああそうか、さっきの小競り合いの主はこの子か。殺処分とか可哀想とか色々聞こえたことから、この子が捕獲された猫を逃がしていたってことも察せた。

「ねぇ、こっちに来ない?ここからいいものが見えるよ」

少女は俺を隣に誘う。お言葉に甘えて俺はこの美しい少女の隣に座ることにした。思わず匂いを嗅ぐ。少女の匂いは日向の干し草の匂いと・・・女の匂いがした。


「ほら、あそこ」

少女が指差す先にある植え込みの中で子猫が2匹蹲っている。その横には母猫だろう、柄の似た成猫が周囲を警戒しながら休んでいる。

「あたしね、こうやって野良猫を遠くから見てるのが好き。近寄って来る ”人慣れした子” も好きだけど、やっぱり野良はあのままでいて欲しい」

「君、さっき暴れてた子だろ?」

「うん。おじさんさ、地域猫って知ってる?」

まだおじさんと呼ばれるには早いよなと頭の中でぼやきながら答える。

「アレだろ、野良猫を地域で保護して見守ろうって運動だろ」

「虐待だと思わない?」

「何がだい」

「おじさんがさ、今日みたいに平日の昼間を無職で歩いてたら捕まって、去勢された上に、こいつはもうセックスが出来ないんだぞって印に耳を切られたらどう思う?」

いや、無職じゃない。

「あの人たちはさ、猫のためって言いながら野良猫を無差別で攫っては勝手に手術して目印に耳の端っこを切り取ってまた町に放すの」

「それが地域猫じゃないのか?」

「だからね・・・どう言えばいいのかな・・・そうそう、何で避妊や去勢手術をしちゃうのかってことかな?」

「手術しなければ増えるから。そうじゃないのか?」


「この町にあの人たちが来るようになったのは3年ぐらい前。活動団体の人の自宅がこの町にあるからって理由でさ。でね?すぐにたくさんの猫が捕まって手術されちゃったのよ。猫にしてみれば訳分からないよね。捕まって怖い思いをして、お腹を切られて、狭いケージの中で食べ慣れないキャットフードを与えられて。やっと傷が癒えたなと思ったら放り出されて。猫ってね、オスは最初の盛りを迎えると、去勢しても毎年「サカリ」がつくの。メスはね、子宮や卵巣が無くてもオス猫に襲われるの。そんな虚しい行為を続けるのよ」


俺は返す言葉を探した。そこまで考えたことが無かったから。そして少女は呟くように続ける。


「野良猫の寿命、知ってる?」

知らないが、5~6年は生きるんじゃないだろうか。

「野良猫の寿命は平均で3年以下よ。ほら、あの子猫たちを見てあげて。きっと今年の冬には死んでしまう命だよ」

「君は子猫を助けたりしたいとは思わないのかい?」

「野良猫は町に住む”野生動物”みたいなものだから。人間が干渉する必要は無いの。そうやってどうにか最初の冬を越した子だけが翌年に子供を作る。だからね、避妊手術とかしないでも猫は増えないの」

「増えない?」

「そうよ、地域猫運動をしてる人たちは「猫のために」って言うけれど、3年前と言えば、もうその頃の野良猫は幸運な一部を除いて死んじゃってる。そしてね、地域猫に ”しなければならない” 猫を増やしてるのは人間の方よ」

「捨て猫ってことかい?」

「ちょっと違うかな。この地域では野良猫を保護する活動が盛んだから、ここに放り出せば誰かが地域で保護してくれるってことで”捨てるよりはいい”って考えで安易にここに置いていくの」

「君はずっとそんなことを考えているのかな?」

「私は猫が好きだから。地域猫が可哀そうで可哀そうで・・・完全な野良猫の寿命は3年って言ったでしょ?地域猫は怖い思いをして繁殖を許されずに、代わりに与えられた寿命はたった1年延びるだけなの」

「ほとんど違わないってことか」

「そうよ。見た目が可愛い子とか人に慣れてる子は寒くなると誰かが家で保護するけれど、人をますます信じられなくなった子とか不細工な子、病気の子は寒くなると死ぬのよ」

「勝手だな、人間って」

「そうね、結局はペットに出来ないから地域猫を作り上げて愛玩してるだけ。殺処分ゼロって話は全部嘘ね。地域と言う檻の中で死なせてやるってだけ。里子だって似たような感じよ?誰だって綺麗で可愛い猫が欲しいからいつまでも保護施設に残される子もいっぱいいて、大抵は病気になって死ぬの。ペットだったから地域猫としてデビューさせることも出来ないから」

「で、君は地域猫活動を妨害してるわけか」

「そうよ、人の手を離れた猫は野生動物と同じ。ただ見守ればいいと思うの。適正な個体数はいつだって変わらないから」


少女はベンチから立ち上がると伸びをしてから、俺に後ろ手で「バイバイ」しながら公園の外に消えていった。

この話は面白いが仕事のネタには出来ないな・・・地域猫の否定なんざやったらすぐにクレームが来て、その雑誌か新聞からは2度と仕事を貰えなくなる。


でも、地域猫の活動団体に潜り込んでみるのも悪くないか。

またあの少女に会えるなら・・・


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