8-2/3
……それが、俺が選んだ作戦だった。
奴がバカで助かったと思う点が二点ある。
一点目は、彼が竜口寺の境内で待たなかったこと。
竜口寺の本殿を拝めるためには、途轍もなく長い階段を登らなければならない。もし、その途中で出会っていたら、俺は死神から走って逃げきることは不可能だったかもしれない。
そしてもう二点目――取引と言っておきながら、バイクを対向車線へ向きを変える動作になんの疑いを持たなかったことだ。
目的地の竜口寺に向かうには正面とは別に裏口が二つ、左右に存在する。まるで、阿弥陀クジ。この三択問題のうち、俺は、消去法で正面右側にある裏口へと向かうことにした。
理由は簡単だ。
彼は、俺の存在に気付いた。
正面で待機していれば、俺が来るに違いないと考えているハズ……更に付け加えるのであれば、この左右の裏口を知る者は鎌倉に暮らす者でさえまず少ないだろう。それは高校時代の写真部の活動で偶然見つけた通り口だからだ。
裏道を通るため、国道103号を疾走していく。江ノ島入り口の境橋に差し掛かった。
だが、そこで俺は自身の甘さに気づかされる。
それは、あの時なぜ死神がこんな道中で俺を待っていたか、単なる馬鹿だから――という理由ではない。
彼のコードネーム『死者の魂を運ぶ者(Grim Reaper)』。
彼の能力を一度も見もせずに殺傷能力だけと見落としていた。
――ッ!!
健二はいきなり俺の前へと現れると、突如、目の前が真っ暗になった。
横転したバイクが火花を散らしながら回転し、ガードレールか何かにブつかると物凄い騒音が鳴る。地面叩きつけられた身体を健二は器用にも鎌の先で救い上げた。そして、彼と対面させられると
「『死神の鎌』から逃げられると思うなよ? ガキがぁぁぁぁぁぁぁ?」
大鎌を振り回し、そのまま身体が宙に舞う。
俺を殺す価値さえないと踏んだとか、それとも同業者の情けか――投げられた先で放物線を描きながら境川へと放り投げらされた
――ドボンッ……
水へ落ちる音――先ほどバイクから摺り落ちた激痛で四肢が上手く動かない。
どうにか、生きないと……
もうミッションとか、そういう騒ぎではない。ただ、身体をこの緑色の液体は冷たく締め付けていく。呼吸もできなければ、目を開けても、ただ死の方向へと向かう自分を再確認するだけだ。そして、この川がタダの川ではないことを忘れていた。水中で何かの影が蠢いている。
――それが、水の中の巨大なモンスターであると確信した。
あ……俺、死んだわ。
濁った水で、この化け物の姿はよく見えない。
そのことが一層自身に恐怖を植え付けていく。
俺はコイツに食べられて、一生を終える。この緑色の塩水を赤色に染めて、冷たさに締め付けられる以上の灼熱がこの身体を裂いていくのだろう。
――水中の化け物に背中を突かれた。
ココナッツのようにデカく尖った嘴のような部分が愛撫のように軽く啄んでくる。もう、ここまでになると、生きることに諦めがつく。
痛みに怯えながら、ただ時間が過ぎるのを待つしかない。だが、そう思った矢先だった。
――急激に押し当てられた胸元から水中を飛び出した。
思い切って掴んだ手元には、この汚れきった緑色と違って純白。その大型魔獣はそのまま空高く天へと昇っていく。
「……こ、こいつは?」
これは……おそらくは羽毛だろうか? 見たことのないほど巨大な
爬虫類と鳥類はとても近い存在だというが……おそらく、その大きさは翼竜最大のケツァルコアトルスを凌駕する――かもしれない。
風抵抗で、髪の毛の湿り気がぶっ飛ぶほどの急上昇、そのあと水平にしばらくの間、空中を彷徨い続けた。大きな風が吹き溢れる中、俯瞰した街を見下ろすと、今まで見たことのない街、鎌倉市内すべてを見渡すことができる。
鎌倉駅周辺にいたあの巨大モニュメント――ユミルの化身とやらは既に姿を消していた。アヤカと古河はうまく事態を解決したらしい。
……あとは、俺だけか。
こんな生死を彷徨う事態に、生きてしまった俺が今やるべきことを思い出す。古賀に頼まれた一件を早く解決せねば……でも、いったい俺は――
「どうやって降りりゃいいんだぁぁっ?」
誰もいない古都鎌倉の街中に、この声は響き渡っただろう。
もはや、死神のことも忘れかけていた。
「――おいおい、お前にこんな能力があったのか?」
健二は、あの筋斗雲のような乗物で翼竜の背後を追っていた。
それとはいざ知らず、俺を背に乗せた翼竜は平塚辺りまで数十秒、捻り回転からの江ノ島へと舞い戻る動作を何度も繰り返している。それは、恰も戯れるように繰り返されていた。
その度に――バイクの比にならないぐらいの風圧。この純白な翼にしがみ付くので精一杯。呼吸さえできない。鼻で呼吸ができず、思いっきり口を開けたが、滝を飲み込むぐらい歯茎が震える。
『クエェェェエ――?』が、奴(翼竜)の泣き声だ。
――し、仕方ねぇか……
死神の口元が微かに動いた。もしかしたら――何かの魔術発動の詠唱だと気づいていた時、思わず、翼竜から飛び降りようかと考えた……が無理! 怖い‼
死神の手から混沌とした闇が
そして、詠唱を終えた死神は叫んだ。
「大いなる死の番人ハデスの力にを借りる。死を逃れようとする者に最大の罰を与えん。奴らを捕まえろ!『
死神は右手を翼竜へと翳す。
彼の足元からは、闇を帯びた人間の手にも似た触手――そして、それがアメーバのように俺へと飛びつくにじりじりと距離を詰めてくる。
だが……翼竜にとって避けるのは容易い。
ここでも楽しそうに、得意な捻り込みからの――翼竜の嘴から青白い閃光が地平線へと伸びた。
箱根方向の山中から拡張器が壊れたような衝撃音。こりゃ、破壊光線だ……。
間一髪、健二はこの光線から逃れることはできた。だが、タダでは済まない。御気の毒だが、乗っていた筋斗雲のバランスが崩れて、大海原へ急降下していく。
「アジャパァァァ……」虚しく、死神の奇声が轟き渡る。
落ちた先が、海だったのが幸いと言うべきか、落ちた先で大きな水飛沫があがるのを確認できた。
またしても、運よく健二を撃退……が今回も少しばかし同情する。
そんなことより……
「もういい。はやく、下ろしてくれ――!!」
思わず本音が口元から溢れる。
翼竜は、それに気がついたのか――目的地の竜口寺本殿へと降り始めた。心を読み取ったから……というかは、おそらくこの竜口寺が羽を休めるのに適した形をしていたからだろうな。
ポケットにクシャクシャになった古河式守護方陣術札を本殿の適当な場所へ貼りつける――すると周りから何か透明なリフィルが形成されていく。
これは初めて知った。トンボの目のように鎌倉市内には透明なガラス板のようなバリアが何枚も重なっていく。鎌倉市街は、こういう形であらゆる穢れから守られていたのだ。
それを眺めながら、一件落着だと大きな息を吐く。
やり終えたとかそんな感情より今は休みたい。そして、あの一種なユーマ的な翼竜をもう一度見た。翼竜を確認したとき、この全身真っ白な羽毛に包まれていた翼竜が怪鳥だと確認した。
この純白な白に、赤い嘴、眼の縁取りも赤い鳥を俺は知っている。
――これは、巨大化した文鳥。
その米のように暖かい生物の匂いが、とても昔飼っていた文鳥と瓜二つ……
「お前……ぶん子なのか?」
その問いかけにも怪鳥は『ギュルルゥゥ。クエェェェェェー?』
何言っているか分からない……。
――まるで超音波と変わらない音声だが、それはともかく、ここまで連れてきてもらったんだ。だが、何故かこの子? を見ると、昔飼っていた文鳥を思い出してしまう。
それは間違えだとしても、ともかく俺は彼女に助けてもらう義理なことは一つもない。だって、俺はこの子を苦しめてきたのに、どうして今こんな形で現れて俺を助けてくれるのだろうか?
そして、彼女が『ぶん子』と同じ――羽の先のが黒い文鳥
唖然としていると、その嘴が俺の腹へとじゃれるように擦り付けてくる。死んだはずの彼女は、この世界で、こうやって生きていたのだろうか? 俺が彼女を一羽にしてしまったから。ずっと、ここで主人の帰りを待っていたのかもしれない。
罪悪感が脳裏に浮かんでくる。
俺は飼い主として、彼女を殺してしまったことにに罪を感じ始めたのは最近だった。
生きることが大切だと知ったのは、本当に最近の事だった。
「――お前はずっとここにいたんだな」
この嘴にしがみ付くと、嬉しそうにジャレてきた。
……なんでこんなにも動物は無邪気なのだろうか。俺のせいで死んで、俺は彼女をごみ箱に捨てた。本当にごめんな。本当に、苦しかったんだと想像は付く。おそらく、鳥籠で空腹で倒れ、そのままきっと亡くなったのだろうから、この痛みはきっと計り知れない。
こんな俺を許して欲しいだなんて言えない。だけど、あの時お前に殺されるんだったら俺は本望だっただろうな。それが因果だと認めることができる。
――そのときだった。
完全に俺は油断をしていたのだ。背後に立つ何者かに、俺は気づいていなかった。
「――
その声に、俺は踵を返した。
その魔術師はその掌をぶん子に向けた瞬間だった。ぶん子は光の粒のように消えていく。その大切なモノを奪われていく怒りや悲しみ――すべてを握りつぶすように拳から血が滲む。
そこには、あの死神とやらと同じ黒いローブ、手に備えられたわざとらしくも長い
「安心しなよ? この魔法はその触れた生命体に対して元あるべき世界に返すだけ。サンダーバードなんて暴れさせられたら僕が困るからね」
そして、俺が張り付けたばかりの呪札へと向かい歩き始めた。
「ヤメロ‼」思わず、俺は叫んでいた。
魔術師はちょっと詰まった表情を見せてから、話し始める。
「まだ、この結界を貼られると困るんだ。邪魔をするなら、僕は君を排除しなければならない。ここは一先ず、引いてはくれないか?」
どうやら、この魔術師が死神に結界を解くように命令を出した奴だというのは把握した。脳裏に……もしかしたら、彼が『天使抹殺派』のひとりなのか? という余念が湧いてくる。
「……お前は、誰なんだ? そんなの断るに決まっているだろ⁉」
そう、唯一の切り札を失くした最弱の俺がいくら叫んでも、負け犬の遠吠え以下なのは百も承知――だがそれでも、奴に刃向わなければ、この街はおそらく……
「ひとつだけお前に教えといてやろう。魔術師は身勝手に自分の名前を名乗るようなもんじゃないよ。名はその人を縛り、
そう、呆れたように魔術師は話し続ける。
「まあ、今回は教えましょう。別に僕と君は敵ではないですよ? 僕は天使保護派ローマ
一度背けた背が翻り、俺へ対面すると、モリスは三角形の紋様が描かれた首飾りを高々と持ち上げた。この紋様が意味するモノ……俺にはまったく理解はできないが。
ある目的……? そのことはあまりに簡潔だった。
「この街に現れた天使……コードネーム『
その言葉に――思わず脳裏が漂白しかけた。
モリスは淡々と目的を話した。が、それはあまりに聞き伝ならない。
「待てよ、聞いてりゃ勝手なことばかり言いやがって……雨香李を保護するだとか、天使だとか、彼女の気持ちはどうなんだよ?」
「……君は彼女の友達なのですね? それなら尚更、彼女が狙われていると知っているハズ――さあ、早く。ここを退かないのであれば、それなりの対処をやらざる負えない」
モリスの目の色が変わる――それは完全に魔術師の眼だ。古賀や死神健二のような、それだけの力を秘める者が魔術を行使する際に現れる、言わば自身の力を過信するかのような眼差しだ。
だが、それはもはや過信ではない。彼らは確実に――俺を上回る能力を保持しているのは確かなんだ。
そうだ。
雨香李が俺たちより強い組織に守られることはけっして悪いことではない。むしろ喜ぶべきことなんだ。
――だが、ここには素直に喜べない俺がいた。
自分の我儘かもしれない。
心の中に、ふと蘇る感触。――大切なヒトが連れていかれる風景。
それが驚くほど冷たくて、哀しくて、胸が苦しくなる。――なんなんだよ、この抑えられない感情が全神経を中枢して、危険信号を発している。
声が反射的に叫んでいた。
「おぃ、やってみろ! 今の俺じゃお前には絶対勝てない。だがら、ひとつだけ言わせろ! 雨香李は俺の大切な人なんだよ。そんで、この鎌倉が大好きで、いつも海を眺めている普通の女の子なんだ! でな、雨香李は……今やっと家族を見つけられて、これからも明日からも、そんで明後日もこの街で暮らしたがっているんだ!
俺は、それを壊そうとするお前らを絶対に許さない! 今回俺が負けたとしても、殺されたとしても、どんな形でもお前らを倒しに行くぞ!」
だが、その言葉に反したのか……モリスはなぜか一歩下がる。
「……あなたの魔力、いったい誰なんですか?」
そう語るモリスの理由が俺にはわからなかった。が、俺は……そのとき、いかなる理由で頬から涙を流れていたことさえ気づかないほど――この上司のニコッとした表情に……始めて惚れてしまったもんだ。
「――よくいいましたね、林くん」
古賀とアヤカは、モリスの背後に忽然と姿を現したかと思うと、
「それ以上動かないでください。先に、私の部下に手を出したのはアナタですよね」
「――っなぬ」
モリスは気がついた――彼の周りには透明のリフィルが包み込む。
「指一本でも動かしてみなさい。その部位だけ亜空間に消滅したければ、ですがね」
そう、こんな残虐的なことを語りながらも古賀はモリスへと微笑み治す。アヤカは後ろから、三人の争いをつまらなそうに眺めていた。
古賀は話を続ける。
「そういうことです――モリス家のお方。今回は……お下がり願えますか?」
「陰陽師古河家の御曹司が本当に見方だなんて、一本取られました。ただ、コレはローマの決定……検討願えませんか?」
「以前、天使保護を失敗した組織がよく言うわね」
アヤカは顎をしゃくり上げていた。
モリスは、そんなアヤカを睨むように眺めた。しかし、彼は何かを悟った――らしい目へ一変する。
「古賀、ひとつ提案があります。『天使の事案』についてです。古賀家の強さは僕もよく知っている。しかし、今のは……完全の不意打ち。油断していた僕にも非はありますが――そこで次は刺しで魔術師の決闘をしてみませんか?」
古河は頷いた。「いいでしょう。……ただ、条件は分かっていますよね?」そして、モリスの提案を受けるため、空間箱の結界を解いた。
「もちろんです。ローマ魔術結団には私が責任を持って伝えましょう」
古河は歩き始める――ぎこちない足取りで、俺の方角へ一歩ずつ。古賀の表情は微かだが硬直し、僅かに手足が震えていた。それは武者震いではない。能力依る副作用に耐えているのだ。
「モリス家も落ちたもんね……」その乾いた高い声が響く。「能力超過の魔術師に決闘を申し込む。アンタみたいのを日本ではゲス野郎っていうの?」
「……ふっ」自由の身になったモリスは未だに背後にいたアヤカを見向きもせずに「これでも、日本語はマスターしたんです。ゲスの意味分かりますか?――身分の低い人間のことをそう呼ぶんだとか。これこそ、あなたにふさわしい言葉」
感情のまま、モリスは言葉を吐く。
この言葉の意味が分からない。なにか卑しい理由があるような怪訝とした魔術師の眼がアヤカに注がれる。
古賀の――あの微笑み。
「……モリス、忠告です。それ以上の言葉は君の尊厳を保証できなくなる」
「そんなのは怖くない。あの『混血』、魔力ゼロがなんて言おうと――――」
――ドシュウゥゥゥ
振り向きもしないモリスのもみあげあたりが霞め獲られる――地面に淡いシュークリーム色の髪の毛が何本も散らかっていた。
「……それ以上言ったら殺すわよ」
言葉を遮る。このデザートイーグルが握られた掌は中枢反射さえ通過していないような速度で銃口がモリスへと差し向けられていた。冷徹の女の視線はすべてを凍らせるかの如くい、それは既に人の目ではない。――悪魔の目だ。
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