7-過去7~おわりのはじまりへ3

 幾何学模様きかがくもようの魔法陣を特殊な粉で描き、その陣の中心に召喚魔術書を置いた。魔術師を名乗る青年が言うには、この魔術書グリモワール自体が召喚を行う際に掛かる代価の代わりになるらしい。


 本当は、天使でも悪魔関わらず、召喚の対象となる何かが必要だとか。青年はそんなことを漏らしながら、布陣を描くのを手伝った。


「よし、描き終えた」

 描き終える時には、既に何時間も要した。


 そして、準備が終えると、刻を待つ。

 召喚には、術式以外に幾つかの条件が必要。時間、太陽の傾きが主であるが、そのために、一年のうちに一度しか使用が許されない術式も存在する。


 もちろん、その精密な角度について俺が分かるハズがなく、青年が一遍変わったネックレス式のアナログ時計で時を見計らっていた。


 そして、すぐに時は訪れる。

「残り、一分前。悪いが準備はできたか?」

 頷くと、青年は話を続けた。


「……今更だけど、本当にいいのか?」

「ああ…」

 というか、今更だとしか言い様がない。


 まるで、死刑執行を待つかのようだが、俺にはもう逃げ道は残されていない――というのは、間違えだ。俺は戦うしかない。


 それに、今から召喚する悪魔はアカリからのお墨付きがある。

 怖がることは何もないハズ……。


「残り、十秒」

 そして、カウントダウンが始める。7、6、5、4、3、2、1


 0と同時に太陽の傾き、円に作られた陰陽の角度が重なる。瞬間に目を瞑り、手に添えた刃物を逆の手の甲へとこする。痺れるような痛みと共に、赤い血が陣へと落ちた。


 その水滴が術式に触れると、赤い血が緑色へと光り始め、それが輪になる。そして、その円陣から旋風が大きく辺りに吹き渡り始めた。思わず、風を防ぐように手が前に出た。


 衣類が激しくなびく中、魔術師が大声で叫ぶ。

「アザゼルは風の四大要素を持つ悪魔の一人だ。その風が消える前に、詠唱を始めるんだ! 召喚に失敗するぞ⁉」


 とにかく、何が何だか分からないまま、暗記した詠唱を唱え始める。


「――『現世の贖罪を受けるモノよ。悪の名を不名誉に与えられたその姿を我は認めん。我が名は林フミ。鎖に導かれた運命に逆らい、今、我が名に従え!智天使ちてんしアザゼル!!』


 詠唱が終えたと同時にだ。

 もう一度、爆発したような旋風が自身へと襲う。青年は、その旋風にとうとう脚を滑らせて、宙へと舞う。俺はしゃがみながら、吹き飛んでくる小石や砂利を受け応えた。


 そして、あの大男は現れた。

 記述通りの般若のような角が二つある大男。だが、あの地獄辞典の姿とは似ても似つかないほどに、彼は凛々りりしく立っていた。


 その口が動き始める。

「俺、こんな偉い者じゃないから、頭下げられても困るんだけど……」


 気付けば、風が強くて伏せていだが、退座みたいになっていた。そして、第一言目がこんなのじゃ、彼は本当に悪魔大将? 智天使の位のアザゼル……でよろしいのだろうか? どうしてよいのかアドバイスを貰うために魔術師のいる後ろを振り向く。


 青年は、畏れ敬って、物陰から俺を伺う。そして、どこから出したのか分からないが、プラカードをこちらへと向ける。

『契約!』


 そりゃそうだけど、どうやって契約すりゃいいんだよ?


「ああ、契約ね? どう言った理由で契約?」

 アザゼルさんにもこの文字は見え見えである。


 ……そういや、こんな漫画があったような。

 それにこの聞き方は海外旅行で空港の外に出るときのアレだな……一度も海外行ったことないんだけどね。

 とにかく……ちゃっちゃと終わらせるべきか?


 俺は一度唾を呑む。

「俺の中にいる悪魔を追い払ってほしい。そのために少しの間だけ力を貸して欲しいんだ」


「ほほう……」アザゼルは頭を掻きながら、さらに尋ねる。

「んで、その悪魔の正体は分かっているのか?」

「それは、バフォメットという悪魔らしい」

「……バフォメット?」


 アザゼルはその単語を知っているのは不思議なことではない。

「こう呼ばれる奴が、ルシフェルの部下にいたのを覚えている。しかし、奴は不思議な奴だった……そいつがお前の中を支配しているのか?」

 ん……? と何かが違和感があったが、話を続ける。

「そうらしい」

 そうか……とアザゼルは蟹股のまま、俺の元へと前進する。


 目の前に立つと、アザゼルのガタイは俺より頭一つ分以上デカい。彼は天使の中で最も大きい存在であることが理解できる。


「ちょっと失礼」

 彼のゴツゴツとした手が俺の頭を包み込む。この手は完璧に俺の頭に覆い被さってしまうほどにデカい。おそらく、彼は叛逆天使という名があるだけあって、それなりの超能力を持っているのかもしれない――この手は俺の頭にある何かを探っているようだ。


「――確かにソナタの脳裏に悪魔の姿が見受けられる。これがバフォメットか?いや、これは……」


「そうだ!こいつが彼の記憶媒体を阻害している」

 話を区切るように、青年が姿を現した。


 アザゼルの手が離れるとさいなむような目で、この魔術師を睨む。青年の口元は三日月のような悪戯な笑顔を作る。


「俺はこの中にいる悪魔に用事がある。智天使アザゼルよ。僕は彼を助けるために行動をしている。そして、召喚士のリー・フミもそれを望む。なあそうだろ?」


 その口車がそう告げると、アザゼルがこちらを見る。

 俺は「そうだ。彼には封印を頼んでいる」話を通すしかなかった。


「それでいいのであれば、そうしよう」

 そして、アザゼルは、もう一度頭に手を置いた。


「今、ヤってやる。お前の中にいる悪魔を我が能力である『身代わり』を使って、追払う。だがその瞬間、悪魔がこちらへと飛び出してくるだろう。そしたらその衝撃で、お前は一度気絶するかもしれない。そのあとは私に任せるのだ」


 手の隙間から、魔術の顔が見た。

 その顔はどんな顔をしていたか、――俺はもっとよく見て置くべきだった。俺はアザゼルの問いに小さく頷くと、この大きな掌が俺の頭を包み込む。


 そして大きく一言

カァァァァァァァッツ!」

 ――まさかの仏教用語じゃねえかよ!?


 そして、その能力はアザゼルの風要素とは関係なく、どちらかと言えば大地の力。脳震盪に近い感覚で、目に白い電撃が走る。そして、気絶はしなかったが、そのまま手が離れた瞬間に倒れ込んだ。


 ……?


 その倒れ込む瞬間、顔にある穴と言う穴から黒い煙が登り始めた。

 口だけでなく目から鼻や耳かも何からも吹き出ていて、頭上に一つの影が一つの精霊を形成していく。


 その姿は、ローブを着た女性、背中には大鷲のような大羽。そのスレンダーな曲線は――バフォメットが女性なのか? そして彼女の特徴として、その端麗たんれいな身体の美しさを潰すように角の生えた山羊の骸を被っている。


 だが、アザゼルの言葉に一瞬、事の重大さが理解できなかった。

「――正体を現したが、こいつはバフォメットじゃないぞ?こいつは一体……?」

 アザゼルは、何かの武道のように手を前に出し、この形成させる悪魔を見届けていた。


 魔術師があざ笑うような悲鳴を遠くからあがた。

「マジかよぉ? 凄えなオイ? 本当にこいつが非常最強で最古の悪魔なのか?」

「おい、それはどういうことだ? コイツの正体は悪魔将軍、バフォメットじゃないのか?」

 俺は魔法使いに聞き直した。


 そして、悪魔が居なくなったというのに――俺には嫌な胸苦しさが消えない。

 それは身体的、どうしようもない途絶えることのない痛みが体中に入り浸る。


「ああ、バフォメットさ? だが、こいつはただのバフォメットじゃない」

 ……ただのバフォメットじゃないって――って


 現れたバフォメット?が手を翳すと、その部分から亀裂が走った。

 何が起こったのかは分からない。

 それをアザゼルは間一髪避けると、アザゼルも掌を叩き落とすように下ろす。


 バフォメットと呼ばれた悪魔は、それを読めずに地面へと潰れた。

 ほんの一秒も掛からず、アザゼルは女悪魔を倒して見せた。


 女の――嗚咽のような甲高い声が響き渡る。

 俺は重力によって、這いつくばる悪魔を見た。


 ――だが、次の瞬間

 俺に対しても物凄い重力が降り注いできた。その圧倒的な力に地に伏せるしかない。


「な、何が起きたんだ?」

 アザゼルにも起きていることが理解不能だったようだ。その答えは全て、あの魔法使いを名乗る青年は知っていた。


「そりゃ、魂と魂が繋がっているんだ。封印術式の些細なズレで脳に障害が起きていただけ――じゃなくて、アンタの契約者リー・フミはこの悪魔に契約をしたことで脳を正常に保たされているんだよ。

 コイツの正体――アレウスター・クロウリーが作り出した『人工天使』――ある偉大な女性魔術師の身体を媒体に……サンダーバードなどのキメラ体の幾何学生物に、ある王族の魔術魂まじゅつこんを埋め込んである……偉大な魔法使いの命が二つも融合された赤石レッドストーンを遥かに凌駕する化け物さ⁉。」


 ……ということは、一体なんなのさ?

 俺は、あの悪魔によって生かされていた?


「……お前、最初から騙すつもりで彼に私を召喚させたのか?」

 アザゼルは、まるで目を真開いて、青年を見た。

 その青年の三日月に似たあの口元が満月へと変わると、より一層高らかに不気味な笑い声が響く。


「もう遅い!」

 それと同時にあの封印をすると言っていた藁人形を俺へと向ける。


 這いつくばった『人工天使』はこの藁人形へと霊体が吸われていくように砂埃が吸われていくように姿を消し――その瞬間に俺にも異変が起きる。

 今までに感じたことのない激痛が身体へと広がり始める。それが、痛みを通り越し、魂や身体すべてが失われていく感覚……。


 アザゼルは、魔術へと、掌を向けた。その瞬間、衝撃音が走る。だが、青年の周りの見えない壁が、青年を守っていた。

 舌打ちついでに、瞬きもない合間にのアザゼルの巨体が魔術師の胸元に入り込んでいたが――その瞬間、天から大きな十字架が落ちてきた。


 魔術師の小さな声がどうにか、耳へと届いた。

「『天界からの十字架(Himmlische Kreuz)』対叛逆天使用の神の創造物」


 灼熱とした炎が燃える十字架、その奥からどこからともなく鎖がアザゼルを縛り付ける。

「……ふう、アブナイなぁ。アザゼルを捕まえるのは天使の能力さえあれば朝飯前だっちゅうのに」


 そして、アザゼルの逆襲は虚しく、打ち止めされる頃には隣にいたバフォメットの姿は既になくなっていた。それと同時に俺の死は確定していたと思われた。


 だが事態に――この理を制するあの少女が……気づかないハズがなかった。

 俺が改めて、魔術師を拝めてやろうした時――夢か幻想のような……アカリは俺の前へと現れていた。


「……ッたく」

 すぐさま魔術師の詠唱が始める。

 だが、アカリの脚力が速かった。


 その平手が、青年に当たると、慣性の法則を無視した衝撃で一直線に飛んでいった。そして、アザゼルの十字架が解かれる――即座にアザゼルが何かの詠唱を始める。


 青年は、天へと手を伸ばすと、空一面が、暗い雲に包まれていった。

「アザゼル、魔法使いは私に任せなさい! すぐさま林ふみと共に遠くに逃げて」

 微かに漂着したままの人口天使の記憶が、胸騒ぎを起こす。


 この呪文は禁忌魔法の一種である『体罰の雷(Strafe-Blitz)』。

 これを喰らった天使は、天使、叛逆天使はんぎゃくてんし問わず、命が滅びると言われている。

 特に、汚名を着せられた叛逆天使のアザゼルには、二度と再起することはないだろう。


 それを止める方法。

 それは、あの魔術師をいち早く気絶、又は殺害すること。だが、それに失敗したとき、アザゼルにまで被害を及ぼさないためのアカリなりの配慮がこの命令だったのかもしれない。


 そして、それを阻止する方法を選ぶため、アカリは魔術師の懐へと飛び込んだ。その動きは、まさに神業。と、言いたいところだが――魔術師の目の前にして少女の手は止まった。

 

 アカリの手が震えていた。そして、青年の手には先ほどアザゼルを召喚するのに使用したナイフ。逆の手には、バフォメットが封印されている藁人形があった。


 腰が抜けて転んだ魔術師は、命を乞うようにこの藁人形を人質にした。

 その藁人形はおそらく俺の命……なのだろう。


「とっとと、この場から離れろ……悪魔が!」

 魔術師は、見上げるようにアカリを見ていた。


 今尚、天からの天罰がアカリに差し当たるか分からない……そして、それが油断取りになったように轟音が目の前に破裂した『この世の終わり』かのように響き渡る。


 天から伸びた光は確かに、アカリへと追撃した。

 ……しかし、倒れたのはアカリではなかった。


 俺が召喚した大男は、アカリを庇い丸焦げになった体は膝から崩れ落ちて、頭からうつ伏せに倒れた。それに対して誰も見向きもできないでいた。


 アカリはその青年を見た。

「人工天使なんかより、本物が目の前にいるじゃない……?」

「そ、それがどうした?お前は何が言いたいんだ?」

「私の力をすべてあげるわ。だから、彼を救いなさい?」

 アカリの澄んだ目が青年へとぶつかる。


「は? 何言っているんだ? アンタ、それがどういう意味か分かっているのか?」

「分かっているわ。私は天使としての力がなくなれば、理の天使としての役目ができなくなる。だけど、それであなたは欲しがっている力は手に入れることができる」

「――狂ってやがる。じゃあ、この中に自ら飛び込めよ?

 そしたら、彼を戻してやる」


「待って」


「なんだよ?」


「此処に入ったら、私が林ふみが救命したところを見ることができない。それは約束に反することが可能」


「――アンタ、やっぱり神と疑われるだけあるよ?それだったら、ほれ?」

 藁人形が投げられる。


「僕は封印ができても、それを元に戻す方法は知らない。やるなら勝手にやってくれ」

 俺の元へそれは投げられた。


 そして、それを拾った理の少女は苦しむ俺に何かをした。

 彼女はその後、彼へと奪われていった。


 身体が上手く動かせない。その中、彼女は俺の目の前から、砂くずのように消えていった。


 そのあと、青年は俺へと向かい、呪文を掛ける。

「ホント散々だけど、まさか本物が手に入るとは思わなかったよ。……ただね。アンタは力が強過ぎる。二度と僕に逆らえないように、ここの記憶だけは消させてもらうよ? 恨まないでくれよ?それも我ら日本の魔術師の安泰のためなんだから」




 その日、目が覚めたとき、俺は何かを思い出した。

 この白い天井を眺めながら、目からは謎の涙が溢れていた。なぜか、今まで苦しみ続けた過去が全て思い出したように体中を蝕んでいく。

 胸を絞めつける感覚、それが今まで忘れていた喜怒哀楽の感覚が自身の意思と関係なく流動し、身体に入っていくような不思議な感覚がとても言葉で表せない劣等感だった。



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