7-過去6~おわりのはじまりへ2
理の世界に戻った時、自然とこの足取りは例の魔法使いとやらの待ち合わせ場所へと向かっていた。
魔術師の黒のロングコートからフードが飛び出た容姿は、恰も彼が本物の魔法使いなのではないかと考えるほどよく作られた風貌ではあった。そして、手に備えられたわざとらしくも長い
思えば朝の話だ。
彼は現実へと目覚めた俺に対して一種のテレパシーのような真似をしていたのだ。それは、彼が所持する『超』がつく能力に間違えない。
鳥居に寄りかかっていた彼は俺を姿を見つけるや否やある話を始めた。
「まずお前のことから説明しよう。お前の障害は事故のせいじゃない。自身の
魔術師は俺の後遺症のことだけでなく、『事故』についても知っているらしいが。――いったい何者なんだ?
「お前は、俺のことをどこまで知っているんだ?」
妄想が広がる。
医者の推論によれば、小学生の事故のせいで過去はすべてリセットされているとのことだが、それは間違えなのか?
だが魔術師の戯言が真であるならば、彼はおそらく俺の過去の『事実』を知っているのかもしれない。目の前にぶら下げられた自身の正体に――興味を持つのは当然のことだった。
「まあ、話は最後まで聞けって。何も騙すためだけにここに連れてきたワケじゃない。等価交換……ってのは無理な話だがな。言っておくが、アンタの記憶媒体に潜んでいる者……それは、人々から『悪魔』と恐れられる代物だよ……さらに言えば、邪神――とでも言っておこうか」
そう淡々と魔術師は語った。にしても邪神ねぇ――随分と気色の悪い御神体を選んでしまったようだなと、思わず鼻で笑ってしまった。
「そうか、そうだな。あはは――じゃあ、どうすれば邪神を取り除いて……俺は普通に戻れるんだ?」悪ふざけも大概にしろ。
魔法使いは、顔色を変えた。
「――そうだよ。脳みそから取り除けばいいんだ。だがまあ、そう簡単にできないから困っている。大抵だったら
――ッチ
その焦らすような
「――ちょ、ちょっと悪い冗談だって? 僕は、アンタの頭からそれを取り出す方法を知っている。率直に言えば、毒には毒を――邪神にはそれに該当するだけの力を持った悪魔、それか邪神に頼めばいい話じゃないか?」
「邪神に頼む……だと?」
「この世界にいる理由さえ忘れてしまったのか? もう、説明なんかしてらんねぇよ。ほらっ! コレを貸すから、その中から好きな悪魔を選べよ?」
魔法使いは一冊の大層大きな本を投げた。
「本来……なら、アンタのコードネーム:悪魔召喚(devil samon)でちゃっちゃと終わらせたいところだけどな。これは
地面にへばり付いた一冊の大型本を俺は拾い上げた。
その中身を確認したとき――確かに、俺の中に眠る記憶が騒ぎ始めた。デジャブ……とは何か違う。それは、恰も既に備えられた記憶が俺の中から蘇ってくるかのような感覚。
「なにやら……思い出したみたいだね」
その発言に、俺はおそらく彼が言っていることが本当だと信じてみたかった――のかもしれない。
「……俺の中にいる悪魔ってなんなんだ?」
「バフォメット――という邪神だね」
その聞き覚えのない悪魔の名前には、正直関心はなかった。
ただひとつだけ、それに関わる事案を確かめる必要があった。
「バフォメットが居なくなったら――俺は普通の生活ができるんだな?」
「そりゃ当然だろ? ただアンタが所持する超人的能力はバフォメットの異能力に依る力だ……という自覚はあるかな? 対価は勿論、この悪魔を頂戴したい」
それは……願ったり叶ったりだ。
しかしそれはつまり――
「俺はもう、
魔術師は無言で、それを推定した。
そのあと、彼は呆れたように、元の話へと戻し始める。
「選ぶのはアンタの自由だよ? 僕は君から這い出た悪魔の力を借りたいだけ。それでアンタは今の現実を変えられる。毎度変わらない入院生活を繰り返すよりはよっぽどいい提案だと思うけどな」
少し考えた。だが、答えは既に決まっていた。
「分かった。一応は信じよう」
そして、魔術師とまた明日、同じ場所で逢う約束をしてこの場所を去った。
今日、少女にだけは会いたくなかった。彼女のいない海岸のベンチに座ってこの魔法式典に目を通す。
不気味な色に廃退した海から現実と似た波の音。緑の斜光でも、本を読むことに慣れてしまうほど、ここでの生活は長くなっていた。思えば、もう三年以上はこの世界で暮らしていた。
もし、俺は悪魔を追い払うことに成功したら、どうなってしまうのか? 変わり続ける現実の変化に、俺はうまく生きていけるのだろうか?
そう考えると、少しだが天秤の重さが傾く。だが、すぐにその天秤をまた反対側へ指で押し込む作業が長らく続いていた。
どう考えても、自身の今ある記憶をすべて失ってでも、これから先に得るモノがあるのであれば信じたかった。何も記憶を得ることができない人生と、書き直していくことができる人生だったら――全てやり直すことになってでも、今の人生をやり直したかったのだ。
……どうせ、苦しい事しかなかったんだから。
だが、いくつか気がかりはあった。
それは、もう理の少女に遭うことはない、ということだった。
――手元から、長い黒髪が垂れる。
「なにやっているんですか?」
「うわっ!!」思わず声を挙げてしまった。
それは、『理の少女』と呼ばれるアカリ。今一番会いたくない人物が目の前にいた。というか、少女は俺がいるとこならドコでもお見通しなのは確かで……。
「――この本どうしたんですか?」
「ああ、コレ? 前から持ってたいんだけど、改めて読むと、面白い本だなって……」
少女の何でも見通すような透明な眼差しが、その本へと刺さる。
「……変なことは起こさないでください。召喚術にはきちんと契約した代償以外はそれなりの対価を取られます」
やはりというべきか、少女にはその本がなんなのか一瞬でバレていた。
彼女には嘘を付けない。自身の感情に嘘をつきながら、どうやって彼女にバレずに済むか考えた。ただ、平然と好奇心で見ていることをアピールする。
「……なんか、俺も召喚士だし、それなりに召喚術式は覚えるべきじゃないかなって思ったわけだ」
アカリは目を細める。気を悟られないように閉じた本をまた開いて読むフリをして彼女の
少女は大きく嘆息をつく。
「ドコで自身の能力を聞いたか知りませんが、アナタの能力はそのためにあるのではありません。ただ、興味本位で見ているのであれば、今からヤるべきことはとても危険です」
確かに――アカリの言葉は一理ある。
どのページの悪魔もそれが本当に適しているのかは判断が不明。術式や詠唱が簡易であるにも関わらず、図から見える召喚獣がとても危険に見えるのがあれば、その逆にこれだけ長々とした複雑な条件に関わらずヘボッちい毛虫みたいなのしか召喚できないのは、マジで
それで……一つ
アカリだったら、適切な召喚獣が分かるのではないか? それは自身のリスクを少しでも減らす手掛かりになるのかもしれない。だが、逆に彼女に考えていることが露になる恐れもあるのだが――いずれにしても、背に腹は代えられないと決心せざる負えなかった。
「だったらさ、何か練習で召喚するとしたら、何がいいか教えてくれない?」
隠していた分厚い辞書をアカリへと差し出す。
唾を呑む音が自身の耳にまで聞こえるくらいそれは賭けに近かった。
アカリは本に手をやると、パラパラ―っと本を捲り始める。そして、まず適当なページに指を挟んだ。そして、このページを俺へ見せる。
「ゴブリン……ただ一度、彼らと会う必要があるわ」
それは
彼女は話を続ける。
「当たり前だけど、彼らは見返りが少ないけど、それなりに認めた人間としか契約はしないの。
それって、オススメと言ってよいのだろうか?
ゴブリンには悪いが、召喚する側からして魅力がない。しかも、面倒そう……思わず、口を歪ませた。
「
「却下したい所存だ……」
そして、アカリは掌で自身の頬を叩きながら考え事に至った。それなので、
「できれば、強そうなヤツから選びたいんだけど……その意見を聞けないか?」
思考に本来の判断が鈍っている少女に、さりげなく本心を尋ねた。
その甲斐もあり、彼女は一人の――それなりの悪魔を選んでしまった。
「この中で一番安全かつコスパが良い悪魔はコイツですね。というか、悪魔とも言い難いですが、アザゼルというヤツがいます。彼は人類の監視者として私と同じ仕事をしていた同胞です」
彼はその図に書かれた醜い男性を示した。
「彼は悪魔なのか? こんなのを召喚したら、危ないんじゃないか?」
「いえ、彼は叛逆天使と言って、天から追い出された天使です。悪魔と言うほど悪い者ではありません。ただ……頭脳を持った者として最悪なことをしたことは変わりませんので。私は彼を見つけたらブっ殺したいです」
アカリは倫理的な考えですぐに他人に物理的処罰を与えたがる。
あの頃の俺がそうされたように、アザゼルという叛逆天使もそれなりに悪態をついたのかもしれない。何をしたかについて……怖くて聞けるはずがない。
「じゃあ、彼はそれなりに召喚しても、大丈夫な逸材なのか?」
「それは彼との契約にもよりますが、彼は人間思いなので問題ないと思います」
ということだ。
分厚い辞書を閉じると、アカリに軽くお礼をした。
それから、お互いに海を眺めていた。
ただ退屈つぶしに過ごしてきた時間であったが、俺には――もしもの時のために彼女には伝えなければならないことが沢山あるような気がした。
「もしさ?」俺は言葉を繋げた。
「明日から俺が現実の世界で、ちゃんと生きたいって決めたって言ったら、アカリは悲しむか?」
それは、もしも……とはほど遠い言葉だった。
本当のことは、言えなかった。悲しい顔をする、アカリのことが見たくなかった。
アカリは少し黙ったまま、俺の顔を見ていた。そして、目を横へと翳めた。
「そんなことは考えたことなかったわ。でも、どんなに悲しくても私はここにいます。それだけは……忘れないでください」
『忘れないでください』というのは、今の自分には応えられない問い掛けあって、俺は胸の奥に骨が埋まった気分になった。
ぎこちない笑顔は見通される。だから、俺は真意でアカリに真実を伝える必要があった。
今から言う言葉は、俺が心から思っていた言葉で相違ない。
「もし俺がいなくなっても、それは俺が決めた事なんだ。どんなに苦しくても、現実での俺は生きている。それは
まるで、オンラインゲーム依存者がリタイヤするときの理由だなと思ったが、この世界での日々はそれに近い存在だった。
誰とも違う能力を与えられ、身体が動く限り何をしても自由。
この上ない優越感を感じながら、日々を過ごしていた。だが、そんな日々にも終わりを与えなければならない。
それが、明日でも明後日になろうとも、俺は羽ばたかなければならないのだ。
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