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 朝こんな早く起きたのには理由がある。

やっとで元の住処である茅原教会に戻る約束を雨香李――そのあと彼女と散歩部という定義でこの街で開かれるお祭りを見に行こうということになった。


 今日は、この鎌倉で最も有名とも言える『鎌倉祭り』の初日。詳しくは前夜祭であるが――そんなことは関係なしに、この日から一週間ほど鎌倉に訪れる観光客は日本有数のお祭りを見ようとアホみたいに増殖する。


 早朝、由比ガ浜で前夜祭が執り行われ、そして今日から一週間はよくも変わらぬ祭儀や能演舞、ミスター鎌倉選手権、流鏑馬などで大賑わいを見せる。


 祭りだと言うが、鎌倉市民のためというよりは最近は観光客を呼ぶためのイベントに近い――実際にここらの学生や会社員からすれば、交通が不便になりなぜか住宅街にも観光客が溢れたり有難ありがた迷惑も甚だしい限りだ。ただ、観光業を携わっている住民も多いため、白昼堂々と観光客失せろなんて言えるはずがない。


 ちなみに今現在、俺たちは湘南モノレールに乗車し、隣で大荷物を抱える雨香李と鎌倉市街の風景を眺めていた。思った通り、祭りをひとめ見ようとする観光客で俯瞰された県道304号線は多種多様な車で覆い占めつくされていた。観光協会がいくら電車での来場を推薦しても、車で訪れる観光客が多いのは毎年のことだが。


 それを眺めている雨香李は、眠気に勝てずにガクっと経たったデコがガラスへ貼りついたままだ。赤く痕にならなきゃいいが……。

「やはり、こういう日は車が増えますね……」

 額をガラスに付けたまま雨香李は言う。

「毎年、学習しない人間が多いんだな……彰、大丈夫かな」


 本当は彰も一緒に祭りに行くように誘ったのだが、今日みたいな日は刑事も忙しいんだとか。そりゃ、あちらこちらに交通課の警察たちが散漫と配置されている。もしかしたら、祭場のどこかで職務に没頭する彰を拝めるかもしれない――と淡い期待をしているが……ちゃんと仕事してんのかちょっこら心配でもある。


 ジト目の雨香李が、話を変えてきた。

「……にしても、私たちの教会でお祈りしたいなんて、どんな心変わりですか?」

 ……言葉が詰まる。

 実は――雨香李には今から茅原教会に向かう本当の目的は秘密にしている。

 信頼していないワケではないが、それを説明することで雨香李が思わぬ思案をすることを恐れたからだ。


「まあ、こういう日ぐらいお祈りをしてもいいんじゃないか?」

「そうですね。なんか林ふみが神の教えに従おうって、とうとう私の教えが届きましたか?」

「俺は何にでも許しを乞う日本人だよ。ってか、カエルも一神教の割には日本の文化が好きだよな……」

「それは勿論!」

 ――って、問題発言! とはツッコまない。

 こちらの宗教関係は下手にツッコみづらい。


「私たちはこの国日本の神奈川県鎌倉市に暮らしているのです。その鎌倉文化を、この街を愛しちゃ駄目ですか?」

「いや、いいんじゃないか? 俺は観光客ばかりのこの街を好きだとは言えないけどな」

 それに、この街はよい事ばかりではなく――嫌な思い出だって沢山あるんだ。

 高校生卒業以前は幸せなこともあった。だが、それ以降の生活はただの骨肉の争いになってしまった。また、東京での生活費も何もかも失くした俺に手を差し伸べてくれた紀人のりひとオジさんには感謝している。だからと言って、この街がまた好きになれたかというと……別問題であった。


「では、もっと知るべきですね。林ふみは散歩部でありながら、この街を知らな過ぎです」そう言うと、雨香李は誇らしくもない胸を張った。


 知らなすぎか……。

 この街――鎌倉を毎日のように見てきたつもりだが、正直に全く分からないのも事実だ。自身が知っていることは写真部の時に回った鎌倉市内の観光名所や自宅から湘南モノレールや江ノ電に向かう際の裏道ぐらいなもんだ。まだ、雨香李よりはこの街の魅力を知っているつもりだが……当の本人の俺がこの街に対して負の遺産しか抱えてなければ、そう宣伝のしようもない。



 ちょうど、次が茅原教会の最寄り駅。

 俺たちは降りて、茅原教会へと向かう。


「もしかしたら、教会はまだ閉まっているかもしれません」

 そう、裏門に廻ろうとした雨香李を――俺は引き留めた。

「いや、空いている」

 雨香李はキョトンとした顔――だが、俺はこの教会の扉が開いていることを知っていた。

 そして……思惑通り、その扉は既は施錠はされておらず、俺はドアノブを捻るだけで開けることができた。


 開いた扉を不思議そうに雨香李は十字架が見える奥へと歩いた。

 礼拝堂は既に天蓋は明るく染まり――そこに私服のおさげな女性が椅子に座って待っていた。その容姿は、まるで年頃の小柄な女性にしか見えない。紺色のカーディガンを肩から掛け、振り向いた素顔からはその女性が、この教会のシスターだとは誰も想像がつかないだろう。


 静香はこちらに気がつくと、目視で挨拶をした。

 その姿に……思わず声を漏らしたのは雨香李だった。おそらく、雨香李でさえ静香の私服を見るのは初めてだった――のかもしれない。


「……ベールがない。 私服……ど、どうしたのですか?静香?」

 雨香李は、久しぶりの姉との出会いよりも宗教的立場の指摘をした。静香はそれには動じることなく俺へと一度目を配らせた。

「ここまで連れてきてくれて、ありがとうございます」

 そして、ゆっくりとこちらへ、静香は雨香李の前へと向かう。


「雨香李さん、今まで黙っていた事を本当に悪いことをした思っています。どうか、私の話を聞いてください」


 静香は雨香李へとニコっと少女のように一度微笑んでから、その過酷で悲惨な遠い昔話をし始めた……。


 この真実の是非に対する言い争いは、既に昨日――あの日記を鍵に、俺と静香で繰り広げられていた。俺は、この真実を受け合わせるため一芝居打ったのだ。

 あまりに偉そうに語っているが……それに気が付いたのは幾つもの偶然が重なることになる。



 それは、昨日の話。

 古書堂バイト前に俺は、ある物を返すために茅原教会へと向かっていたのだ。


 そこで待っていたのは、静香という雨香李の姉。

 家出騒動も解決し、お借りしていたバインダーと挟まっていた鍵を返すと、静香は教会の隣にある擁護施設の中へと俺を案内しようとした。

 「詳しい話も聞きたいですし、一度中でお聞きしてもいいでしょうか?」

 しかし、俺はそれはあまりよろしくない――と考えていた。

 今から話す事――それは静香たち茅原家の沽券やプライバシーに関わる発言であり、孤児たちがいない場所で話すべきだ、と考えた。その場所に相応しくも、消去法とでもいうべきか、語るべき場所はココしかなかったのだ。


「できれば、子供たちがいないところ。教会でも構いません。こちらで話しませんか?」



 正面扉から礼拝堂に入ると、静香は必要以上にも立ったまま俺がこの場所へ訪れるのを待っていた。

「雨香李が大変ご迷惑おかけしました」

 静香は、プライドさえ捨てるように、年下である俺に対して深々と頭を下げた。

「いいえ、元を言えば俺のせいでもあるんで……静香さん、頭をあげてくれませんか?」頭を下げるシスターを俺は止めた。


 そんな懺悔をするような静香に不似合いにも、礼拝堂のステンドガラスを透過した光は壮麗な雰囲気を醸し出す。



 昨日から今日に掛けてあの朽ちた養護施設である『森の孤児院』と茅原教会別荘地での出来事を順を追って説明した。


「……結局竜二さん渡された鍵の別荘地、そこで見つけた雨香李さんと思われる赤ん坊の写真を見つけて納得して帰ってきました」

 俺は、バックの中から雨香李に持ち帰るよう頼まれていた茅原教会で発見したアルバムを取り出した。それを見た静香は、薄らと目を細めた。このアルバムには見覚えがあるのは変えられない真実、と俺は睨んでいた。


 わざとらしく、「このアルバムには見覚えがありますか?」と尋ねると、静香は「はい」と答えた。


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