六章

6-1/3:雨香李という少女

 一仕事が終わり、目が覚めると何か暖かい感触が右半身に感じた。

 昼時に陽ざしが窓から入りこみ、目が覚めた。暑いせいか、布団が開けてしまっているし、ヤケに重みのある、しかもズッシりとした抱擁感。


「――っておい!」

 彰が腕に抱き着き、さらに俺の手が股で挟まれている。

 腕が胸に当たっているだけでなく掌がちょうど女子のアタリに埋もれている。


 ――ヤバい、ヤバい

 彰の髪がちょうど鼻孔あたりに……そこから、女性のトリートメントの匂いがする。しかも、手の感覚がつるんとした…これは肌の感覚……


 ――お前、下着も着てねぇのかよ!

 と、同時に、彰は寝ぼけながら何かを語り始めた。


「いやぁ、雨香李ちゃんに布団渡したら、炬燵ぐらいしかなくて……って、アンタと雨香李ちゃん、未成年とアンタを一緒に寝かせるわけにはいかないでしょ! ウオゲェェッェ――吐きそう……」

 吐くな! それに……

「このアホッタラ!!違う布団で寝るに決まってるじゃねぇか??」


「同じこと言ってんじゃんじゃねぇ!!仕方ないから、ワタシとあんたで一緒に寝てるんじゃん!!」

「お前は帰って寝りゃいいだろ?家がお隣なんだからさ?」

「だって……」

「どうした?」

「家の鍵どこか行っちゃったんだもーん!」

「あ……もういいよ。とにかく、服貸すから、今の全裸だけはどうにかしろよ?」

「え……?」


 その時、彼女は初めて自身の失態に気付いたらしい。

「キャーーーッ!!フミちゃんのエッチぃぃぃ!!!ギャラアアアア」

「――うわあ」

 ワケの分からんことを言いながら、物を投げる彰から逃げるため、俺は急いで自室を出た。


 仕方がなく門扉の前へ行き、彰が置きっぱなしにした煙草に火を付ける。

 女子が吸うには少しばかし強いニコチン濃度の煙草。


 昨日は――というかもう今日なんだが、帰宅後した俺たちは古書堂の例の一件と深夜労働の件を伝えた後、そのまま深い眠いについたのだそのまま疲れと疲労のせいで風呂にも入っていない。汚れた服装を軽く叩いたが、取れない汚れが幾つもある。

「もう、洗うしかないな……」

 生地が悪くなるから、なるべく下着以外は洗いたくないんだが、ここまで冒険してきたのだから洗うしかない。


 ポケットには、煙草の箱とは違う凹凸がある。

 昨日、古賀が興奮のあまり急ブレーキをかけた原因でもある、あの日記だ。


 あの廃墟の図書室で偶然見かけて、ポケットに入れっぱなしになっていた。

 ここまで大事なモノという自覚はないのか、ポケットに入れっぱなしなのを忘れていた。そのまま、洗濯していたら、どうなっていたやら……。


 それを取り出すと、俺は改めて中身を確認。

 他人の日記を覗くとは如何に不道徳な気がするが好奇心には勝てない。既に暮れかけた夕日ゆうひに、文字を透かしていく。手で見やすい角度に合わせて、煙草を口に加えたまま交換日記に目を通す。


 そこの内容には二人の少女たちの施設に対する悩みやら軽い愚痴、宗教観について語られている。改めて見ると、やはりこの擦れた字には見覚えがある――気がした。


 それはともかく、少女と二人は仲が良いのだなと改めて考えてみたが……最初の頃は左側の少女は、れない『森の孤児院』での生活に対する悩みが綴られて、逆のページの少女はそれに対して神の御言葉を通して彼女への悩みに応えていた。

 ページを捲るごとに左の少女は神の言葉を信じ、この教会の司教様を信じていたことが伺える。

 そのような内容が続くと思った……だが、あるページをさかいに彼女たちの様子が一変とする。


『なんで、私のほうが神様を信じていたのに』

 意味が理解できたのは次のページだ。


 ……どうやら、左のページの少女は神からの子を授かったらしい。


 相手は記載されていない。

 教会内で妊娠した……ということか? まさか、天から子を授かったとかそういう事じゃないよな? そうであれば、アヤカたちが探している天使とはこの赤ん坊という可能性は高いのだが。


 アヤカは語っていた、天使は天から降ってくるんだとか……だからというか、神から子を授かるというのは胎児した、ことに違いないとそう推察するほかにない。

 アヤカを見習って、魔術以外を疑うべきだ――といずれにしても、この赤ん坊の物語は『雨香李の仮設』と一致している。


 そして、間違えがなければこの左のページの少女は雨香李の母で間違えがない。

 だがそれっきり、左の少女は日記を書かなくなった。


 この少女が書かなくなってからも、右の丸文字の少女は日記を辞めなかった。

 そして、それは……とてもエグイと言えるほどの恨み辛みが込められていた。だが――最後は自らの贖罪を責めるように、神と友への許しを乞いでいたのだ。


 それは、あまりに意味不明で奇怪だが……


 ――そうか…

 俺は思わぬところで、苦虫にタバスコを掛けてしまったようだ。


 しかし、証拠が少ない。

 いくら予測がついてもそれが裏付けの証拠に至るまでは何かが足りない。

 そのひとつのピースは……おそらく自分で埋めなければならない。それが、雨香李たちが家族して生きていくために必要な事ではないかと考えた。


 その時、ひとつ案が閃く。

 それは、昔読んだ推理小説の真似事に過ぎないのだが。

 それが、イケないことと思いながらも、俺は日記に何かを付け足した。なんか… こういう仕事はアヤカさんの仕事だと思っていたが、まあいいか。



 だが結論から言うが、あの赤い日記は抽象的な表現ばかりで、それが画然たる証拠と呼べる代物ではない――と店主を含む古賀とアヤカは決めつけた。

「どこでも子供は生まれる。それに……例の誘拐に関しては一言も記述がないのう」店主はあくまでも上の空のまま応えた。


 しかし、古河はどこか踏ん切りがつけずにいた。

「アヤカ、アレを頼めないか?」

 そ古賀が尋ねると、アヤカは意味深に日記を睨み付けた。

 そのあとなぜか、俺をチラ見。


 しばし考える様子を見せたが、やがてアヤカは目を瞑り片手を日記の上へと置く。俺は何が起きているのか分からずに、古賀に目を配る。


「アヤカの『あの世に供え品を届ける者(Bedivere clan)』は、物に残った残留思惟を理へと持っていく力。言うなれば彼女にとってサイコメトリーはおまけのような能力……。さらには日記に残された文字というのは強い記録力が芽生えていると聞いた……だから、もしかしたら能力で記憶が取り出せる……はず」


 ……はず?と、説明を加えて、しばし静かな時間が流れる。

 そして、静かに眼を開けると、アヤカはふたりを真顔で見渡したが

「すまない。できない」そういうと、アヤカは眼を下に向けたまま素顔はそのままだ。


 古河はいつものキレ腰ではなくそれを軽く受け流した。

「仕方がないオヤジ、頼めるか…?」

「あぁ……これで納得するのであればな」


 一緒に炬燵にいた山田店主は炬燵の上にある日記へと手を振れた。

 そして、反応は早かった。

「もぅ、完全に記憶が抜かれ取るわい」店主は両手を宙に浮かべた。

 それを見てたアヤカの顎が天井をを仰ぐ。


 そして、急に古賀は炬燵を叩いた。

「ちくしょう!!こんな、記憶がない物を提出したからって、魔術結団が動くハズがない」


 その様子は……いつもの冷静沈着な古河らしくない態度だった。そして、炬燵での会議が終了すると、当たり前のようにチリチリに各々の場所へと帰っていく。


「まぁ、書いていた奴が証言してくれれば、少しは変わるのかもしれないが……」

 山田店主が言ったところで、俺はヨソ見。


「どうした、林?」古河は尽かさず話しかけたが、黙って誤魔化す。

 時期に古河は大きく溜息をついて、本屋へと消えていった。

 俺は……例の日記の持ち主を知っていた。だが、知っていたのは俺だけでなかったのは驚きだ。


「あの事ならもう知っているから大丈夫だぞ?」

 アヤカは皆が見えないのを確認して言った。


「……まだ、盗聴していたんですか?」

「ああ」

 そういうことだろうとは思っていた。

 まだ教会に盗聴器を仕掛けてるのかよ。神へと冒涜だけでなく、悪魔への冒涜も許されないのか。


 それはとにかく――

「アヤカさんも優しいところもあるんですね」

「私を人じゃないみたいな言いぐさね。でもそうね。彼女の記憶を見たところで、『森の孤児院』の司教がどこへ逃げたか分からなければ意味がない。無駄なことはしたくない質なの」アヤカは冷たい目で語った。


 この事件について気になることがもう一つあった。

 それは、いくら事件の一件だとしても、古賀はあの事件について詳しすぎるほど語っていたこと。そして、彼がアヤカ以外の理由でキレるというのはとてもじゃないが、彼らしくない。


 あれだけ真面目で優秀な古河がこれだけ用意周到なまでに調べていても何も不思議なことではない。そう、不思議がる俺に――山田店主は気がついたらしい。



 そして、例の事件を語り始めた。

「……彼の能力を見たのか?」

 尋ねられた俺はそれをていした。あの『空間転移くうかんてんい』によって、俺たちは迅速に雨香李の元へとたどり着くことができたのだから。

 そうすると山田店主は、あるヒントを俺へと与えた。


「彼の能力。そして、『森の孤児院』の証拠品の行方。それで何か思いつくことはないか?」

 証拠品の行方?……それは、恰もそれだけを選び抜いて移動したかのような……ッハ? 

 それを裏付けるように店主は一言付け加えた。

「この空間移動を使える能力者は彼の親族だけじゃよ」

 俺は、やっとのこと掴みかけた証拠に思わぬ罠が仕掛けられていた。

「ってことは、古河の家族が……何らかの関係がある――ということなのか?」


 ニカッとした店主。

「あまり語り過ぎはよくないのう。……だが言っとく。古賀家はもう、彼一人しかいない」

 その後、何も語られることがないように、店主は古書堂の外へと足を向けた。


「どこいくんですか?」

 その時ばかしは、真面目な話をたぶらかす店主に対して、一種の苛立ちが芽生えていた。


「ちょっとだけワシも仕事じゃ……。明日の祭りは――お主も鎌倉市民なら、分かっておるじゃろ? ただ、この日は……魔術師にとっても特別の日じゃからな」

 その後ろ姿、何か圧迫した緊張感が店主から感じ取れた。

 そのまま古書堂の扉を開きながら、ひとりの男に注がれる。一目瞭然にも古賀がいつもの脚立きゃたつでタヌキ寝入りならぬ、タヌキ読書をしていたのは、店主にとっては……お見通しだった。

 

「古賀……聞いとるんなら、説明しといてくれんか?」

 そう、年寄りによく見られる大きな加減の知らないしゃがれ声が古書堂に響く。

 古河の表情は嘘か真か――少しだけ解けた。

「……仕方がないですね。りん君? ……客もいないようですから、コチラで説明しますよ」

 その発言が店主に対する妬心のひとつだと――明確なほどの叩き口。

 思えば、そのときの古河は微笑みながら、店主に対してキレていたのかもしれない。 


 その話を聞くため暖簾を潜るとき――

「ゴメン、私はもう寝るわ」

 そうかい……。

 こんな空気の中でも、アヤカは身勝手にも独断とも取れる行動は正直呆れを通り過ぎて、もうどうでもいい。


「スミマセン。大人げないところをお見せしましたね」

「いや……」

 山田店主の発言――それを深く考えなくても、あの『森の孤児院』の犯人が古賀の家族が関わっていると疑われている……その真実は確かではないがどちらにしても、それ以上、古河から真実を聞くことはなかった。


「さてと、オヤジに頼まれてしまったので、簡潔に説明させていただきますか。まずは、明日は何の日かは分かりますか?」


 初歩的な質問であった。

 それは……俺と古河が寺社巡りをしている際に、その準備をしているところはお目にかかっていたはずだ。

「鎌倉祭りの……前夜祭があるな」

 それは鎌倉市民なら一度は訪れたことのあるお祭り――俺も一度か二度、彰とともにそこで行われる『静の舞』を見に行ったことがあった。


「そうですね……。ですが私たち魔術師にとって、その先にある五月一日――その日は……まあ、一言で言えば『ワルプルギスの夜』と呼ばれる魔術師集会があるんです」

 その聞き覚えない用語……

 古賀は俺のポカン顔に気づいた。

「ワルプルギスの夜――それは魔術師の魔力が最大限にまで向上する日でもあるんですが……実は陰暦ではありますが、ここ日本でこの時期に菖蒲しょうぶよもぎで毒気が払う風習も、魔力によるけがれを取るため……そのためでもあるんです」

「……ほう」そう、日本の風習に合わせながらも古賀は説明をした。

 なんとなくだが、言いたいことは理解した。が――

「じゃあ、なぜ気をつけろと……?」

 そう、言われなくても気づくべきだった。

「悪い人間がしそうなことを考えてください……もし、五月ワルプルギスの夜に最大級の破壊工作を計画しているとしましょう……。その準備は、明日みたいな街中がお祭り騒ぎになっているときにコッソリとしたい――そう、思いません?」


 とにかく……事は納得した。

 それと序に、既に『天使の事案』というワードが頭に過ぎってくる。そして、どうしてもそれにはあのアヤカと死神の超弩級魔術バトルが脳裏を過ぎる。


「あの死神みたいの奴が、なにかしてくるっていうのか?」

「場合によっては――私たちと対になる組織:『天使抹殺派』と呼ばれる組織がコードネーム天使(enjel)を狙っている可能性は高いですね」



「そこの説明も必要ですね……。天使を巡る争いは、あらゆる宗派が違うように『天使保護派』『天使束縛派』『天使抹殺派』の3つ別けれるとしましょう。我々はこの鎌倉市街の天使保護派19支部に配属されています。

 もちろん、中には人間の中立を尊厳に天使は抹殺するべき……そう考える魔術師はこの鎌倉市街にも多くいるのは確かです」


「雨香李は……、ここにいちゃマズいんじゃないか?」

 それは、雨香李と――彼らが遭遇することがただただ怖かった。

 どう考えても、俺じゃ守ることができるはずもなかった。


「そのために我らがいるんじゃないですか?」

 は――?

「大丈夫ですよ? なにかあればすぐに向かいます」

 古賀はいつもの憎たらしいほどの笑みをみせた。

 だがその時ばかしは――あの疑いようのない自信に俺は正直、安堵していた。


 古賀のその言葉には何か裏がある――それぐらいのことは彼と出会った短い付き合いでも理解できた。魔術的に雨香李の居場所を突き当てたように、古河にはなにか秘策があるに違いない、と――信じることで少しばかし胸に抱えた重しが軽くなる。


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