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 図書室の虫になっていた雨香李を捕まえて囲いの外へ出た。

 俯瞰で確かめた『あの家』へ向かうのはそう、難しいことではなかった。


 その道の奥にもう一軒、洋館の建物があるのを知る由もない。

 俺にも雨香李にも、そのことは秘密裏にされていたからだ。だから、その門扉口の『茅原教会』という表札を見つけたとき、俺たちふたりにはぎこちない笑みが零れていた。


「ここ、私の教会と同じ名前ですね……」

「カエル、どういうことかな?」

「私も初めて知りました。あのふたり、今すぐア●カバンに行ってもらいたいです」雨香李は、ジト目で表札を睨む。


 睨む気持ちも分からなくもない。ここが雨香李の住んでいた故郷というなれば、ここまで隠す理由は正直さっぱり分からん。


 雨香李は、我先に跳ねる犬のように家のドアノブを手にした。

 あの荒らされた養護施設と違って、ここの『茅原教会』洋館は、壊された箇所は見当たらない。だが、日々の経過による苔や、蜘蛛の巣などがあっちこっちに無造作に広がっている。

 そしてやはり、ドアノブを引っ張るが開くことがなかった。

「アァァァァァァァッ!!」


 何か壊れたように雨香李が嗚咽おえつにも似た叫び。まるで壊れた猿の玩具のようにガチャガチャと扉を引っ張り続ける。まあ……無理もない。

 そんなことだったら竜二たちは隠さずに言ってくれれば良かったのにと思う。


 というか、先ほど俺が雨香李に黙って煙草たばこを吸いにいったせいもあるが……図書館に戻ると、雨香李はチワワのように震えていたのは言うまでもなく……。


 雨香李は、普段は大人しい性格だが、日々の生活で自身の怒りを抑え込み隠す性格だというのは知っていた。抑えられない極限まで上回るとこのように壊れる。抑えるだけ抑えといて、発散の方法がマジ下手くそ。という解説は置いといて――


「ちょっと待ってくれ」俺は例の鍵を鍵穴へと差し込んだ。


 全てが収まり、半周回すとガチャッという聞き心地の良い音が静かな洋館玄関に響く。


 その時、雨香李は、俺の行動を見逃さなかった。

「どうしたのです? この鍵」

「……説明が必要か?」

「そうですね、少なからず想像できます。林ふみには、ご迷惑をおかけしましたね」

 相槌。

 キレると思ったが、雨香李は逆に謝ってきた。

「でも、隠す理由にはなりませんよね?」って、やっぱり少しは憤慨ふんがいしているようだ。


 隠していたつもりはこれっぽっちもないんだが、この鍵の謎が解けていれば雨香李はそこまで怖い思いをせずに済んだのだろう。



 茅原教会別荘地はあの廃墟と違い電気が通っていた。

 

 ――あ

 雨香李は、この建物内に侵入したとき、何かを思い出したのだろう。この足が前から知っていたかのように二階へ吸い込まれていく。そして、寝室と思われる部屋、雨香李は物置棚から分厚いアルバムを取り出した。

 そこには、幼き頃のあの男と、年老いた男の写真。


「お父さん……」

 明らかに老人と思われる男を見て、雨香李はなにかを画然たるものを思い出していた――のかもしれない。

「私を養子に受け取ってくれた方です。今の茅原教会の前の司教様で、私が幼い頃に亡くなってしまいましたけど――」

「じゃあ、このガキってもしかして……」

 そう、その頃から図体の見立がそのままの男。

「竜二ですね。風格と木偶の棒っぽさは昔と変わらないのですね」

「酷い言われようだな……」


 ページを何枚も捲っていく。

 そして、ページの最終頁近くに一枚、赤ん坊の写真があった。

 なぜか、ガキだった頃の竜二がこの子を抱え、二カッと大きな笑みが零れている。

 その赤ん坊は、明らかに生まれたばかりの髪も毛も生えない風貌で、その手は、曲げたら折れそうなほどにか細い。

 雨香李は疑うような目で、この赤ん坊を見た。


「……まさか、これが私じゃありませんよね?」

 次のページへと捲ると、そこから何ページか幼き子供の成長期のように、赤ん坊の写真が繋がる。

 その赤ん坊が立って、歩ける時期になると、静香の写真もあった。


 初見、それが姉の静香だと気づかなかった。

 修道服で、身を包んだ静香は、とても名も無きひとりの少女にしか見えない。彼女が教会をバックに写る写真、あの頃はおそらく子供が嫌いだったのか――雨香李に何かをせがまれてしかめ面である。まるで、今は教会で子供を預かっている彼女だとは思えない。


 そして、最後の一枚は、元司教と竜二、静香、その時には三歳ぐらいの雨香李がこの教会の前で、神父に肩を寄せ合い笑っている写真。

 もっとも、笑っているのは年老いた老人と雨香李だけ。歳相当の羞恥心からであろう、竜二と静香は恥ずかしそうにお互い睨み合っている。


 雨香李はこの写真をずっと見て、しばらく黙り込んでしまった。

 そして、感情が頂点に達したときにはその瞳からは涙がにじみ始めた。


「私、ずっとここで育てられてきたのに……」

 おそらくこの写真は雨香李が求めていた答えとは違うかもしれない。だが、その写真はまるで彼らが昔から『家族であった証拠』のようだった。


 泣いたまま、その視線がこちらへ向けられる。

「なんか、彼らに騙されましたけど私、昔を思い出しました。司教様がご健在だった時から、ずっと私たちは年の離れた兄弟のように育ってきました。そして、今もずっと、司教様の教えに沿って生きていたのに――

 自分が愛すべき者が貶されたとき、戦える人間になりなさいって。

 自身で解決できなかったら神に祈るだけでなく仲間に相談しなさいって、もう兄の竜二と一緒よ?

 でも、本当に私、ずっと怖かったのです。彼ら静香や竜二と戦うことが……。本当の家族じゃないってことが、悔しくて溜まらなくて――だったら、私が結婚して、別の家族を持ちたいって。

 だけど、私たちの教えはそれを許さないって知った時……本当に苦しかったのです。だって、私は一人じゃ生きられないのよ。本当の家族が欲しくて、子供さえできちゃえばこの子は私と血の繋がった家族になるのじゃないかって。

 それでも、自分の口からは、そんなこと言えるわけなくて。いっそ、神様も私の人生も、この場所で終わらてやろう……って考えていたのですもの」


 雨香李の溢れ出す感情はその後も止まることがなかった。

「でも、なんであなた来るのですか? ストーカーなのですか?私とヤル甲斐性もないくせに、こういうときだけ男ぶります?

 私、思い出したのです。

 幼い頃に、疑似的に暮らしたこの司教様との暮らしが幻じゃなくて……私、ずっと、彼らの家族だったのかもしれません。でも、どうして……」


 その後も長々と、俺や、家族である竜二や静香、今は亡き神父様への罵声や愛を醜くも語って止むことがなかった。


 俺は、その背中を摩ってやることしかできなかった。




 泣きながら語り始めた彼女を止めるのには、それなりに時間を要した。

 完璧の解決にはならなかったが、俺はどうにか雨香李の説得を終えて、古賀が待つ車へと向かう頃には、お日さまが薄明かりを照らしていた。


 古賀は仮眠を取っていたらしく、着いたとき、腕を組んで目を瞑っていた。

 ドアを叩くと、彼は眠そうに車から這い出る。

「はじめまして。ふみ君の優しい上司の古賀はじめと言います。今後とも林くんを頼みますね」

 古河はニコッと雨香李へと握手を求める。


 そういや、初対面だったな。

 この時には古賀の能力による後遺症は綺麗サッパリなくなっているようで安心した。


「あ、お待ちしてたんですか? も、申し訳ありません」

 身体が先に前のめりに、モーゼにでも許しを乞う村人の構えで雨香李は古賀へと謝罪。

 俺は思わず、「本当だぞ?」と、野次を送る。

 雨香李は俺を睨む。が、見ていないフリ。


 その目線は、今まで泣いていた彼女の目とは思えない狂犬染みた目。

「こらこら、林くん? 何より無事で良かったです。

 もう、遅いから早く帰りましょう」

 と、俺は助手席に、雨香李は恥ずかしながら後部座席へと乗った。


 山道を降りて、下道を走っている最中には完璧に陽は登り、朝が訪れようとしていた。

 後ろの雨香李は、今まで貯まっていた疲れを開放するように倒れこんで小さな寝息を立てる。


「何か発見はありましたか?」

 そう、雨香李が寝たのを確認した古賀が俺へと問いだ。


「まぁ……本当に探していたモノは見つかりませんでしたが……なんて言えばいいんだろう、茅原教会の別荘が近くにあったんですよ」

「ん?――ということは、雨香李さんは元からあの孤児院の子供ではなかったっという事ですか?」

「いや、茅原教会の竜二司教や静香さんが言うにはあの『森の孤児院』だって……」

 で、なにか忘れていたことに気がついてしまった。

 あの孤児院にあった日記を勝手に持ち出したままだ。


 あんなオカルト施設からモノを勝手に持ってきてしまっては、あのエジプトファラオの呪いのように殺されるんじゃない? と言っても、ファラオの呪いの正体は、菌の一種だったということが今現在明らかにはされているが……この行為、人徳的とは言えないだろう。


「どうしましたか?」その様子に気が付いた古賀が訪ねた。


「……俺、あの孤児院の知らない日記を勝手に持ってきちゃいました――あはは」

 何故かお得意になってしまった苦笑いを古賀へと向けた。

 ――瞬間、古河は急ブレーキを掛けた。まるで、イケないモノでも見せられたような眼差しが俺へと向けられる。


「これはどこにあったんです?」

 古河のこの変わり果てた形相に思わず、仏のような上司も怒るのではないかと思った。

「え……あ、いや、図書室で間違えて……」

「図書室の資料はすべて荒らされていたはずです」

「本棚の間に挟まれていました。日記に彼女の母の事が書かれいないか気になったんで……」


 という会話の途中だが古賀は急遽きゅうきょ壊れ始める。

 その口元は大きく開かれ、腕を組んだと思いきや、天を仰いだ。


「あ……あはははは」

「ど、どうしたんですか? 何かツボに入りました?」

「林くん、探偵に向いてますよ? サイコメトリーが使えない今、何も証拠になりえる物はないと思っていましたから」

「ってどういうことです?」

「どんな結末でさえ、あの事件についての証拠が記載されているかもしれません。これによっては、ここの元悪者を国際指名手配まで、もちあげることができるかもしれない……」


 その真実が分かるのは、これまた先の話になる。

 古河は上機嫌のまま、ワンボックスカーを山岳地帯の奥の奥にある神奈川を目指したのだった。




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