四章
4-1/2:説得
異世界を巡る冒険を終えてから何日か過ぎた。
四月になった今も尚、山田古書堂スタッフルームに炬燵が放置されたままの状態になっている理由を知った。スタッフルームに炬燵があれば、理の世界に行っている最中に風邪をひくことがないからだ。
目が覚めると、炬燵カバーに包まった状態でアヤカと抱き合って寝ていた……。アヤカは既に目が覚めていたにも関わらず、この醜態を放置していたのだ。
「……」
「トイレ行きたいから放して」それがアヤカの一言目だ。
ある意味、エロティックないい思いをしてしまったワケだが……。
未だにアヤカの怒りの
気が付けばそんな日から一週間程。
仕事はというと、ほぼいつも読書会で、また未だに雨香李との男女共同生活は続けられている。まあ、他にもいろいろあって、神経をすり減らしてはいたが、時間は流れるように過ぎていったな……。
そう考えている俺は仕事をサボって、ある神社の椅子に座ってアイスを齧っていたのだ。
いや、サボってはいない。
俺はというと、古河との寺社巡りロードワークの続きを課せられていたのだ。
それは古賀がいつもと違う早い時間に訪れたある日のことだった。
「
そう言った彼とふたりで、ありとあらゆる自社へと俺を連れ廻した。理由は今でも理解不能。
観光客に交じって、あたりには土木関係のお兄ちゃんやら、親方がそこら中で歩いているのが見受けられる。
四月の中旬、この神社では毎年この時期になると大きな祭りが行われる。その隣には、口が達者な上司である古河はじめ、大学院生、山田特殊探偵事務所の探偵のひとりが缶を斜めに煽っている。缶は赤く筆記体が特徴な炭酸飲料水。
今日の古河のファッションはそれなりにセンスはあるほうで、レッドウィングのブーツに暗めなジーンズパンツ。トップスは、カジュアルな黒のジャケットを着ている。肉質な身体ではあるが、身体のラインに合わせて揃えているためスタイルもよく見える。パーカージャージ族、底の低いスニーカーの俺と大違いだ。
このように、ここ何日か見回りと称して色々な神社や寺を巡っては、こうようにおサボリな営業マンのように日陰のある椅子に座っては人間観察へと陥る日々が続けられている。
俺にはこの職務の理由が判らない。
目の前には、お祭り準備でせっせと足場を作る
そんな邪念を感じてはいたが、俺は古賀に対して、ひとつの相談をしていたのだ。残念ながら、俺の周りには彼以外にマシな人間がいなかったのも確かだ。
「修道女として教会を継ぐかですか……。よい話なのかは彼女の信仰の強さ次第と言ったところでしょうか?」古河は話を続ける。
「今の時代、
「そりゃそうですけど……」
ソレは推定なのか、否定なのかイマイチ分からない。
「宗教のことは、結局は自分で決めるしかありません。それでですよ。林くん? あなたは彼女のことをどう思っているのですか?」古河は返す。
なんと語るべきか。
俺は、一度天を仰いで、彼女との関係を考えてみた。
そして三秒後、「綺麗ごとかもしれないが、誰かが迷っていたら助けてあげたいというのは当然のことだと思う。それがどんな人でも。俺はこんな宗教だとか、生まれとかはあまり興味がない……って言ったら嘘になるけど。だけど、問題が問題なんです。彼女が求めていることはどうしようもできないから」という結論に至った。
ほんと不甲斐ないな俺……。
天を仰いだ先――宮大工が汗を垂らして働いている。
でも、そうだな。
どちらにしても、二択。
宗教の教えを守り神様に身を委ねるか、彼女が言う幸福を選ぶかのどちらかだ。雨香李もそのことを悩んでるに違いはないのだが……。
そして、俺らがそれのどちらが「地獄」か「天国」かは把握できないように、雨香李にもその行先は分からないのだ。
フフッと漏れたような笑みが古賀から零れたのが分かった。
「もっとも日本人らしい考えですね。私が思うに、誰かがきっと背中を押すべきです。そうですね。この仕事を
……ん
結局、一周回って帰ってきたような話だな。
苦虫を齧った事はないが、おそらく齧ったらこんな顔になるであろう顔を古河へと向けると、彼はイラつくほど微笑みを見せる。
話し過ぎたせいで、日陰の縮んでしまい、座った時は日陰の中だった椅子は既に日が差していた。
それに気が付いたように、古賀はスマホへと手をやる。
「まぁ、とにかく恋愛相談はさておき、一度古書堂へ戻りましょう」
と茶化すように言って、古河は座ったらなかなか離れない腰を上げ始めた。
結局、そのあと俺は古河の言うとおりに、帰りの電車で雨香李の背中を押すべくスマホに文字を打ち始めた。
古河にとっては先刻承知だったのか、とにかく俺は彼女へとメールで夕方、海辺で会う約束をした。
そんな彼女も、俺が何を語るのか先刻承知だったのは言うまでもなく、彼女の反感を喰らうことになるのは……あとの話だ。
こんな感情を顕とする彼女を見るのは、おそらく実際には初めてであった。
正午過ぎ、一仕事を終えた俺らは山田古書堂に戻った。今日の古河とのロードワークは近所だったので、昼食はスタッフルームで取ろうと思っていた。
スタッフルームへの帰路に着くと、カウンター入り口には、店長代理ではなくて山田店主が店番をしている。店番と言ってもカウンター端に丸椅子を置いて、窓から煙草を吹かしているのを店番と称しても良いのかは甚だ問題。
古書堂店内には客がひとりもいない、毎度のことだ。
振り返り店主を見ると、やはり彼がよく煙草を吸う窓側の天井だけが緋色く黄ばんでいるのが際立って目立つ。
「もぅ昼か?」
山田店主は俺たちを腹時計の代わりとしている。
そう呟いた山田老人も立ち上がり大欠伸をかきながらスタッフルーム暖簾へと続く。
いつもの暖簾を潜ると、俺はスタッフルーム内に掲げられた鎌倉周辺地図から今日赴いた神社の場所を確認、大きな赤いマルをつけた。
俺が来る前からある鎌倉周辺地図には、アチコチに赤い丸が付いている。その場所は古河が訪れた場所であろう。
「あと、三十か所ですね」後ろから近づいてきた地図を眺める古賀が言う。
古河は少しばかし俺より背が高く、俺の肩あたりから地図を眺める。
目線は今日赴いた神社辺りに向けられていた。
「三十か所って?」
「私たちが鎌倉中の寺社を全部回るのがってことです」
「これってどうして回っているんですか?」いつも疑問に思っていることを尋ねてみた。
前回はあやふやな答えしか返ってこなかったが、今のこの流れなら違う返答が返ってくるかもしれない。まあ、ダメ元でと思ったが、今日の古河は生返事を残してポケットを漁り始める。そしてポケットから白い封筒を取り出された。
「ああ、これですよ」
それは今日、彼と共に訪れた神社のロゴが映し出されてた封筒。
コレがなんだか、大体の日本人は知っている
「また、お守り買っていたんですか?」
「そうですね」
彼の微笑みが俺へと刺さる。そろそろ、この笑顔も苛々してきた。
毎回寺社へ到着すると当たり前のように自由時間を設ける。
そこで、何度か古賀がお守りを購入する姿を見掛けていた。(詳しくはお供えなんだが)
だが、すべてがそうでもない。
そして、まさか今日も購入するとは思ってもいない。
なんでよりによって、お守りを毎度購入するんだろうか? 俺も別にお守りを買わないわけではないが、毎度買うほどの金銭感覚を持ち合わせてはいなかった。
「来年は
「……はあ」
なんか、上司っぽいこと言われちゃったな。
だから、古河にカマ掛けのつもりで、とある質問をすることにした。
「もしかして、寺社に結界貼ってたり、ジハードに備えて鎌倉周辺の守りを固めてるんじゃないですか?」そう、ネタだった。
「お!、いい線イッてますよ? 林くん」
少し、古賀は驚いた顔を見せた。が、それが真実か分からないが、続けて古賀は話し始める。
「今はコレだけわかっていれば十分ですね!」
「――っておい!」思わずツッコミ。
古河は尚、言ってやったぜと風なムカつく表情をみせた。
そのまま古賀はニタニタと俺を
ブシュっと炭酸飲料の缶を開ける音が古賀の頭から聞こえた。
それと、同時にコンパスを回すように古賀が横へと倒れる。
「るっさいわね!! もうちょい静かにできないわけ!?トンチキ?」
トンチキとは俺も言われたことがあるが……。言葉の先は古河。罵声の先の名前は誰でも関係ないのだろう。
以前この言葉の意味を調べたが……彼女が言いたい意味として的を
アヤカは椅子を蹴飛ばし、溢れ出す感情を抑えるように肩を上下させた。投げたのは、彼女が常備武器やツールとして使っている――『如意自在』という妖怪らしい。
如意自在とは器物の霊――元は僧侶が持つ如意のことであるが、人の意思で形を自在に変えることができる妖怪だ。とりわけ、『如意自在』との意思疎通を図れるようになればの話だが……。
以前、何も知らずに渡された俺は、この白くて筒のような形状からSWに出てくるライト●ーバを想像した。だが、何故か結果として、爆弾へと変化した。
アヤカ曰はく、「あなたの心臓が爆発しそうになってたからよ……」なんて、意味不明なことを言っていたが、要は持ち手の心情によって変化するため、扱いは非常に難しい。
古河は思いのほか早くに腹筋の要領で身体を起こすと、ブチ切れた。
フォームがナイフになった如意自在は刺さったまま、そこから血が垂れて顔を赤く覆う。
「お前がこういう態度だから、従業員がどんどん辞めていったんじゃないか!!?」
「何よ!?私のせい??」
痴話喧嘩は犬も食わないとはこのことであろう。
彼らが、キレるとなかなか収まらない。
ふたりが物を投げあう距離から被害が少ない辺りまで炬燵を動かして中へと足を沈める。どちらも反射神経は抜群でボクシングの試合のような華麗な危機回避をみせる。
それを眺めながら俺はバックの中の弁当を取り出して置いた。
その時、丁度いいタイミングで携帯に一通のメールが届く。
受信ボックスの新着に『カエル』と文字が
そのメールの内容、文には短く『承知いたしました。』と短く記述されている。
尚も喧嘩は続行中。
投げられた物の大きさによって、地面が揺れる振動や壁をぶち破る破壊音が一種の音楽に聞こえるようになるが……。
炬燵の隣に山田店主が腰を降ろす。
その手には、昼飯代わりの総菜パンとカップ麺が置いてある。店主の昼食はいつも300円掛からない。麺が伸びるのを待つ間に総菜パンの袋を開けて、それを如何にも平然と食べ始めた。
「あのふたり、本当に仲が良いな?」店主が呟く。
「いや、仲が良いとか、そういう加減ではない争い様ですけど?」
「犬猿の仲って言うじゃないか?」
「まさに、今の状態かと……。このふたり、昔どんな仲だったんですか?」
ふむ、そうじゃな……山田店主は考え始める。
「見たまんまの関係じゃよ。フミは古賀かアヤカからは例の話について聞いてないのか?」
例の話とは……おそらく。
「天使の事案とかの理の世界についてですか?」
「一応には、天からの役職についても……聞いたことがあるんじゃな」
ええ、一応ですが……と相槌を打った。
「まぁ、ワシら山田家と古河家は元はライバルじゃったんだ。しかし、この通りお互いに仕事ができなくなってもうてのう……。それにアヤカには欠点がある。ワシの後を継がせることができないのじゃ」一度店主は天井を見た。
この先、一瞬だけ店主はボケたのか、悩んでいたのか、言葉を繋ぐのにしばし時間が掛かった。
「そうじゃの。ワケあって両者ともに廃業寸前だったから、ワシが古賀の
……そんな理由がおそらく本当なのかは知らないが、食事時を終えた山田店主はそのままガレージに続く出口から外へ出ようとした。
いや、仕事をサボろうとしていた……のを俺は見逃さない。
「そういや、今日は逃げないでください」
この日に限って、雨香李との大事な約束を店主の私情で遅れるワケにはいかない。
「……え? 何のことじゃ?」
「惚けないでください。今日は外せない用事があるんです」
「んむ、ワシも愛ちゃんと約束があるのじゃが……」
そのとき俺の頭の
「分かった、分かったから。でも、そんなふみがヤケになる用事って何かのぅ」
「俺だって、色々大変なんですよ」
「貧乏暇なしって奴か?」
「それもそうですね。
俺みたいなお人好しは誰かのために動きたくなるんですよ」
「そうか。お主、尻に魅かれるタイプじゃな…?」
「…んな、ワケ、ないんじゃ」何故か、気が動転して山田老人の口調を真似てしまう。
思えば、オナゴという響きほどエロティックではないが、女の子と会うというのは変わらないワケで、それはオヤジと同じことをしている? いや、違う。だが、言いワケができない状況だ。尻に惹かれている……惹かれていないワケがないワケだし……。
「まあ、若いうちに楽しんどくんじゃな。だが、ワシみたいに、他人の人生を自分の人生にしちゃならんぞ? 彼女が好きだからって、如何に大事にしたところで、それは彼女の人生だからのぅ」
そうケタケタと語っている山田店主は……やはり昔は俺みたいに誰かを惹かれ合い、恋愛という事柄を経験したに違いないが――彼が言っていることはこの時の俺にはまだ難しすぎたのかもしれない。
他人の人生を自分の人生にしてはいけない…? 哲学染みているが、要するに惚れすぎるなってことだろうか?
曖昧な生返事を返すと店主は俺の肩を叩いた。
「まあ、そのうち分かるわい」
俺は店主の言葉の真意を咀嚼するように考えたが、やはり分からない事柄は理解できない。
そう――忘れていたが、喧嘩は古賀が男らしくもなく負けると、猫が遊び飽きた小動物の死骸ように転がっていた。
アヤカはそのまま疲れて二階へと帰る。
こういう日は彼女は下に帰ってくることはもう少ない。
そんなこんなで、昼食の約束通り店主はこの日はキャバには行かずに閉店を引き継いでくれた。できれば、毎日そうして欲しいもんだが。おかげで、時間通りに雨香李に逢いに行くことができたが、毎度ながら売り上げが気になる一日だった。
国道から海沿いを眺めていると、ひとりの少女が歩いているのが見えた。
雨香李は自分の足元の砂を眺めながら、一歩また一歩と踏みしめるように歩いていた。
背中にはどこかに出かけていたのか、通学用の布のバックが背負われている。それでも、聖ミカエル学園の文学少女風セーラー服だからすぐに分かった。約束の時間にはまだ早いが、俺は彼女の元へと向かった。
彼女の察知能力は犬並みだ。嬉しそうに笑って見せると、雨香李はこちらに長い裾を持ったまま、この手を俺へと振り始めた。
「よくわかるな」
「そりゃ気づきますよ?」
こんなことを言った雨香李といつもの中間地点まで歩き始めた。
彼女に話すことは、決まっていた。
それは別に家で話す内容でもよかったのかもしれないが、今話すことにした。
「昨日、静香さんに会ってきた」
「――え?」
そう、彼女はなにかを察していたが、俺は雨香李に真実を伝えるためにここに来たのだ。
思えば……俺も、何度も嫌なことから逃げてきたかもしれない。自分のことをこうやって語るのは間違えかも知れないが、逃げていたら何も解決しないというのは知っていたんだ。
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