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 そして、何もなかったかよように、三人は鍋をツッついていた。


「それで、本題があります。どうして、お若いお二人がこの家に仲慎ましい夫婦生活をしているのかな?」


 なにやら楽しいワイワイとした雰囲気に気を取られていたせいで忘れていた。

 今日の朝、彰が食事をしようと言い出したのもこんな理由だった。ドコから話すべきやら考える前に、雨香李が顔を赤らめながら反論をした。


「いえ、まだ夫婦じゃないですから!」

 熱弁するときは、彼女はどうしても身体が前のめりになってしまうのか、手を炬燵の端にやって、頭から彰へと異を呈した。


「か……変わった子ね」それには、彰は彼女から遠のいていた。

「あ、すみません。身体が勝手に」

 大丈夫、大丈夫と彰は近所のおばちゃんが井戸端会議で嫌だわぁ~ というような手つきで雨香李を慰める。

 聞き流していなかったが、『まだ』ってなんだよ!


 いやでも、それ以上詮索するのはやめとこう。

 ボロ屋で愚図ぐづつかれるのは堪ったもんじゃない。きっと口が滑ったのだろう。


「あの、私がシスターと喧嘩をしてしまって……」

 少し落ち着いた雨香李は語りだした。

「捨て子の私って本当に、今の茅原教会のシスターとしてふさわしいのか……だってもしかしたら――もしもですけど、生みの親は茅原教会にとって邪教だった知れない。それを知っているハズの静香は黙っていて……。それが許せなかったの」


 雨香李は抒情的に言葉を発してしまう。

 一息つくと、それでも心に溜まった憤りが抑えられないと言った感じで胸を押さえた。

「ん……、そっか」と彰は相槌を打つ。

「親を知らないのってそんなに苦しい事かな? だって、私は生まれてこの方、親は海外赴任で会ったことがなければ、ずっとひとり暮らしをしてきた。雨香李ちゃんは、今は誰かと住んでいるのかい?」

「一応、兄と姉と……子供たちがたくさんいます」

「それってとても嬉しい事じゃん? 私にとって兄妹って……いなかったしね。結局は今いる場所が自分の場所なんだよ。それを雨香ちゃんが受け止めれば、みんなはそれで雨香李ちゃんのこのを認めてくれるんじゃないかな?」

 ――違う。その雨香李の身体はまたしても浮き上がる。

「そんなことない!! みんなと違うってバレたらどうしようとか、もしかしたら騙しているかもしれないのに――それはとても耐えられない――きゃ」

 突如となく、彰は雨香李を引き寄せる。

 そのままムギューッとぬいぐるみを抱くみたいに彰は優しく雨香李を抱きしめた。そう、ワケの分からない雨香李は、ポカンッとした表情が治らない。


「私ね。結局はこんな歳まで本当にやりたいことが分からなくて、とにかく正義! 公務員! って考えた結果が警察官だった。だからってワケじゃないけど、その人の心次第でなんにでもなれるんだよ? それは私が決めた一存だから。雨香李ちゃんも大丈夫だよ。親がどうこうじゃない。今、目の前の大事な人をどうしたいかだよ」

「え、それは……でも……でもぉ……」

 彼女も彼女なりの理由があるのは確かだが、彼女はとにかく口下手だった。

 

「――でもさ、グヘへぇぇ……」彰は急遽、片鱗を見せ始めた。

 というか、高校時代から、彰は変わった性癖を持っていた。


 彰はエロオヤジのような目が雨香李のシャツの中を覗き込む。

 さすがの雨香李もそれに気がついて、紅潮していくのが分かる。 


 それにトドメを刺すように、俺に聞こえないように口元を隠しながら、彰は雨香李の耳元でひそひそ話を始めた。

「共同生活でさぁ? 下着とかって……どうしているの」

「――ッひぃ……」


 雨香李は俯いて、その顔は薬缶そのものだ。しかも、彰はひそひそ話ができないくらいに声が大きいのも確かで……。

 少女のおデコには汗が滲んでいる。


 そういや、全然俺も考えていなかった。破廉恥はれんちな気まずい雰囲気に押し潰されそうだ。よし、聞かなかったことにしようと、俺は目を反らして鍋をつつき始めた。


 そのあとのもちょっとだけ気まずい鍋会は続いたのだが、まぁそれなりに楽しい晩餐ばんさんにはなった。

 だからというワケではないが、今日一日だけはあの『特殊探偵』のことさえ忘れて、彰との過去の精算をしたいと考えていたのだ。

 

 だが、うまくはいかなかった。

 あの悪魔は、俺が今何をしているかなど一切関係がないのだ。



 食器を洗い終えた雨香李は目をしょぼつかせて階段を逸れた奥へと消えていった。そこには元祖母の部屋が存在する。ずっと炬燵で包まれているのも困るので、雨香李にはこの部屋で寝てもらっている。


 俺らはというと、いつの間にか縁側で酒を煽る約束をしていた。この庭を眺める彰の横顔は、僅かながら不意に故人のソレと重なった。よくばあちゃんも、ここから見る四季の花が彩る景色を眺めるのが好きだった。


 適当に手に取ったコップを片手に正座する彰の隣にじかに座ると、彼女は横目で俺を追っていた。春先の風は冷たく身体を冷やす。庭にはもうすぐ咲きそうな蕾の花木が、大きく屋根辺りまで伸びている。


「随分ここで話すのも久しぶりになっちゃったね。病気はなんか、順調って感じ?」

「おかげさまで。ひとり暮らしもできるぐらいには回復したのかな」

「そりゃよかったな」

「まあね」

 なんとなくだが、彰の口調はどこか俺と似ている。そりゃ、中学からの高校卒業までの六年間、良くも悪くも一緒に過ごした時間は祖母といた時間より長いのだから無理もないことだ。


 彰は俺の病状を聞き終わると、この後は学生時代の話や祖母との昔話を長らく語り合った。開ききった溝を埋めるようにふたりはお互いに会話を楽しみたかった……んだと思う。


 そんな中、彰はとにかくコップを仰いだ。何かヤケになるように、何かを忘れようともしているようでもあった。

 そして、ふたりの会話はもっとこの先も長く続く――と思われた。


『ピィィ……ピピィィィィ』

 いきなりの着信。それは俺が所持していた携帯電話だった。

 急に鳴り出した液晶を確認すると、『山田古書堂』という文字が浮かび上がっていて嫌な予感がした。

 スマホを眺めていると、「メール? 誰から?」と顔を赤くした彰がこちらへと顔を寄せた。そこからは、酔っ払いの死臭のような酒臭さがムンムンと広がる。コイツ、バカなのか知らないのか、とにかく飲むペースが速すぎるんだよ!


 無造作に近づいた彰の顔を避けながらメールを確認。すると、その内容には『今すぐ来い』と他に理由もない用件だけの文章が綴られている。さすがに……人間性を軽蔑する他ないが、逆に、引っ掛かる理由があったのだ。


「ごめん、ちょっと仕事先で問題があったらしい。俺の布団使っていいから……。でも、吐くなよ?」

「え?うん、わかったけど、どうしたの」

「分からない……。でも、寝てていいから、雨香李のことをちょっとだけみててくれないか?」

 そう伝えると同時に、彰との会合を中途半端に抜け出して、この足で山田古書堂へ向かったのだ。



 古書堂は既に閉店しており、店ガラスから見える店内は既に真っ暗になっていた。

 そんな中、俺は古書堂のガラス扉を押すと、扉には鍵が掛かっておらず、誰かを待っていたかのように鈴の音が鳴り響く。


 スタッフルームへの暖簾を潜ると、そこには炬燵の中で古いラジオのようなものを聞いているアヤカの姿があった。

 口頭一番にがめついてやろうと思ったが、彼女の一言目でそれはあやふやになってしまった。

「アンタ、雨香李って何者なの?」

 それが、なんのことをなのかは、教会の一例で少しは理解したつもりだった。

 あの教会でアヤカは雨香李のことを『命を狙われている』や『天使の事案』と語っていた。少なからず、俺がこの『特殊探偵』に選ばれた理由も赤ん坊が毛が生えた程度であるが理解しているつもりだ。

 

 アヤカは手招きする。

 炬燵に入ると、このラジオのようなモノから伸びるイヤホンの片方を渡された。


「これって、ラジオですよね?」という当たり前の疑問だったが「いいえ。違うわ」アヤカは即答した。


 その真意を確かめるため、片方のイヤホンを耳元へと近づける。

 そして、音声に幻滅する……。さすが自称探偵を名乗るだけのことはあるのか。

 白のプラスチックから流れる声、それは雨香李と静香の会話――おそらく、あの教会のミサに参加をした際にさりげなく盗聴器を仕組んでいたのかもしれない。


 だが、幻滅した理由は盗聴したアヤカに対してではない。

 原因は、その音声の内容、天使の仮面を被った小悪魔の醜悪に……だ。


『アンナは子供が産めないからって、私の権利を奪う義理はあるのですか? 神様と結婚? そんな言葉まやかしで、ずっとこんなところに居たら、私きっと……』

『私の事はいいですから、神に謝りなさい』

『そんな人の幸せを奪う神様なんていらない。まだ、太陽に溶けてしまったほうがましよ⁉』


 思考停止……。

「――ってなんだよこの修羅場?」

 これは明らかに雨香李とシスター静香の喧嘩で間違えない。ないのだが、この女同士の泥沼な会話のせいで、アヤカの許可なし盗聴なんでどうでもよくなった。


 夕食での会話が蘇る。だが、どう話せば、このような会話に繋がるのかが頭が痛い。よくオブラートに包み隠した会話をすることがあるが――


 そのあとも、『長々と神に対する罵声や冒涜』やら、『地獄の在りかは此処だ』とか、色々と繰り広げられていたが、アヤカは途中ではテープを切った。と同時に「分かった?」という疑問を問いかけた。


 俺の耳は悪くはない。が、それ以前にこの修羅場。

 いや修羅場だと仏教だからこの場合は聖戦ジハードとでも称するべきか。にしても、んな言い争いを聴かせて、何が分かったなのか、アヤカの思考は理解できん。


「ア ン タ 、それでも魔力持ち?」と、アヤカは冷たい目線を向ける。


 ――俺が魔力持ち?

「待て。俺が魔力があるとか、そういうオカルトは一切知らないぞ?」

「まぁ、いいわ。今から私と一緒に寝なさい?」

「は?」

 妄想が一気に広がる。

 アヤカのスレンダーで小柄の身体……。


「なに豚のような目線でこっち見てんの? ゲス野郎?」

「いやだって」

「二択あげるわ。薬で寝るのと、気絶させられるのどっちがいい?」と、いう言葉には聞き覚えがあった。


「バイ油かSMか。どっちかって事ですよね」と、聞いた瞬間には何もかもが真っ暗になっていた。



 目覚めると、ここは山田古書堂のスタッフルームの炬燵の中。

 隣で、ヨダレを垂らしてるアヤカを起こすかどうか考えていると、この世界の色彩がオカしいことに気づく。


 暖簾から伸びる光の屈折がカラーフィルムを通ってきたかのように緑色へ拡散している。それは間違えなく、現実以外の世界だということに気づくことができた。


「そりゃアンタ、神の領域よ」

 いつの間に目を開けていたアヤカは、起きたばかりなのか炬燵にへばりついたまま。時期に身体をゆっくりと起こし始めた。

「……ってどう意味ですか?」

「仏教的に言えば三途の川の手前、この世の裏の姿とでも言っておこうかしら? 私たち、いえ、私の先祖は代々、『理(ことわり)』と呼んでいる世界。人の意識や抒情の干渉が許された神の領域よ」

 さっぱり俺はアヤカがなにを語ろうとしているのかがわからなかった。


「説明は後」アヤカはガレージから出口へ向かう。


 深夜の高架下を現実と同じ街灯が照らしている。そこらには微生物の管のようなものが宙へと浮遊している。そんなモノには触れようとはせず、アヤカは慣れた足取りでスタスタとこの妖怪世界を歩き始めた。


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