三章

3-1/3:刑事になった幼馴染

 眼が覚めたとき驚いた。

 炬燵で寝ている一人の少女を見た時、俺は一体どんな罪を犯してしまったのか神に乞いだ。別に俺は、キリスタンではなければ、プロテスタントでもカルヴァン派でもない。いや、確かプロテスタントとカルヴァン派は一緒だったけ?


 そんなことはどうでもいい。

 問題なのは、ひとりの少女がここで眠ていて、俺が手を出したか、そうでないかだ。事によっては俺は彼女に訴えられても仕方がない状況。さり気なく彼女に事の真相を聞くしかない。

 炬燵に気持ちよさそうに眠る少女の顔を確認した。その時、ここに眠っているのが、雨香李だと気づいた。

 少しだけ安心する。彼女なら、示談でどうにか許して頂けるかもしれない。

 って、なんかコレじゃ神に対する冒涜的な気がするが、そう思うしかない。

 だってね。一緒に海にダイブした仲だもんね。

 と、心に無理がある持論を展開していると、雨香李の目がパクリと開いて不思議そうにこちらの眺めているのが分かった。


 某RPGゲームだったら、仲間にしますか? と表示される状況でありそうだが、俺の頭の 中浮かんできた言葉は、

 謝りますか?

→はい。

→シラバックレル の二択だった。



 どうにも、俺の心には三割がた悪魔が住み着いている。

 悪魔の理性を振り払うと……残っているのは『退座一択』らしい。引っ張り出された炬燵の布団に包まっている少女の前で、正座をすると両手で三角を作り深々く頭をさげた。


「理性が抑えられなかったのです。どうか許してください」

「は?」


 同時に昨日の俺を恨んだ。

 雨香李はそんな俺を見て「どういたしましたか、林ふみ?」と、きょとんとした顔。


 なにやら様子がオカしいと尋ねる前に、彼女を無視して自身の部屋へと帰った。手帳を取り出す。


 俺は事故の後遺症で記憶力が曖昧なのだ。その弱点を補うために毎日の日記と目覚まし時計、メモ帳は欠かせない。それらは東京でのひとりぐらいの際に画一した、自身が一般人同様に暮らすための知恵でもあった。東京での暮らしは惨敗で終わったワケですがね。


 昨日の日記を見直す。

『昨日、家出をしたカエルちゃん(本名:茅原 雨香李)を家で預かることになった。宗教上の問題は大変だな。彼女も沢山のことを……以下略』

 うん。そういうことね


 階段を降り、雨香李が寝ている居間で気を誤魔化すためにテレビを付けた。

 炬燵の温もりを引っ張って取り返すと、雨香李から「フギャっ」という鳴き声が漏れた。


 朝食はフレンチトーストでも作ってやろうか考えていた。それと、なんとなく彼女の様子が気になったので、「今夜は冷えなかったか?」と尋ねてみた。


「ええ、大丈夫です」の後にしばしの沈黙。


 この沈黙に耐え切れず、一度外の空気を吸いたい気持ちに襲われた。

 立ちあがり、居間に掛けてあった散歩用の部屋着(意味わかんね)を着ると、雨香李は潰れた冬眠中のカエルのように炬燵に萎んでいるのが見えた。おそらく、まだ眠いのが一目で分かる。


 冷えた短い廊下を過ぎ、玄関でスリッパから下駄サンダルに履き替える。部屋着にはいつも煙草が常備されている。


 門扉を出て、祖母の残した一軒家を見ると、塀の後ろには祖母が趣味で育てていた何種類もの木々にが緑色の葉をつけていた。

 この木は夏が近くなると牡丹によく似た花が咲く。そして、冬が近くなると葉を落とし、一度真っ裸になる。だから、こうやってつぼみを付けると春を実感させられたもんだ。


 それを眺めながら、俺はポケットから一本煙草を取り出すと、それに火を付けようとした。火を着けようとしたんだが……


「アレっ」

 火がなかなか付かないので、ライターを見ると、中のガスがほんのちょっぴりしか残っていない。俺は仕方がなく一度部屋に帰ろうとしたが、そこにいた女性が声を掛けてきた。


「ライター、貸そうか?」

 その声の主へ目をやると、そこにはよく知っている女性が塀に寄りかかっているのが分かった。彼女とは会うのは、おそらく三年ぶりになる。


あきらも帰ってきていたのだな?」

「……まあ、最近ね」と、彰は俺の元へと下駄を鳴らし始めた。

 既に片手には吹かし始めた煙草を手に添えていて、逆の手でライターを施す。


 フルネームでいうと鳳凰彰ほうおうあきらという、少し大袈裟な名前。彰も寝起きなのか、高校時代の赤いジャージを着ている。

 それにオヤジのようなグレーのシャツの肩から下着と思われる紐が見えた。だが、昔の慣れのせいで女性らしさもエロさも一切感じない。


 足元は俺と同じ下駄サンダル。これは中学生のときの体験学習で作ったモノで、ふたりとも同じものを所持している。凛々しく、天真爛漫てんしんらんまんなところが彼女らしいとは言えなくはないが、少しは女性らしくして欲しいと思ったことは一度や二度でない。


「そんなフミちゃんは、この家に戻って……来れたんだね?」と一瞬、そう尋ねた彰の顔に陰りが見えた。


 そういや、彼女はこの家は売却されたと思っているのかもしれない。

 この祖母の家は、元々親類が金は欲しいという理由から売却されるハズだったそのことは隣人の彰の耳にも渡っていて、俺がここから居なくなった理由もそういう理由だと思っていたハズだ。

 久しぶりに見た幼馴染はポニーテールを解いたおさげな茶色く長い髪以外何も変わっていないように見えた。だけど、その一瞬葬式で見た悲しい顔が脳裏に浮かんでくる。

 祖母の葬式の日に、彰からの顔面ビンタで親戚共どもの羞恥しゅうちに晒されたことがことがあった。別にそのことについて、彰に言及する気も蔑視するつもりは甚だない。完全に俺も彼女もバカだったのだから。


「親戚のオジサンに、この家の管理を任されたんだよ」

「え、そうなの?」

「一応」

「じゃあ、長くこの家に住むの?」

「ん、一年は居ると思うよ?」

「そうなんだね……。それじゃ、またご近所同士お願いね」

「それってどういうことだ?」と、俺は彰に尋ねた。


「って、フミちゃんは知らないんだっけ? 私も長い間ここには居なかったの。

 まぁ、警察学校が一件落着して、失礼ながらゴールデンウィークの五連休の前借りで実家にまた帰ろうかなって。あはは」


 そう言えば、こちらに帰ってから彼女の事を一度も見かけなかったことを思い出す。家族のいない彰の事だから、既にどこかへ引っ越したのでと考えていたぐらいだ。


「へえ、どこ住んでたの?」

「元は横浜の学校。一度引越をしたのだけど、今は鎌倉警察署に勤務するとになったから。また、こちらで暮らそうかなってね。それに――」

 彰は少し考えるように天を眺めたが、時期に口をわざとらしく ニコッとさせた。

「いやあ、なんでもない。お隣さんが幼馴染ってのも安心だよね」


 彰の父はいつも海外へ赴任する仕事だった。頼れる親戚もいないということは知ってはいたがそれ以上の事は踏み込もうとしなかった。

 だからというワケもあって、祖母は隣人の彰を食事によく誘っていた。自身が預けられた当初は祖母の孫が彰で、俺がお邪魔していた気分でもあった。が、それはさておき。


「あれでも……昨日の夕方、この家に中学生の女の子を見たけど、アレなに?」

「ああ、アレ見てたのか?」と、少し嫌なところを見られたな。

「もしかして、変なことしてないよね? さっきも言ったけど私、警察」

「待て待て? 何も怪しい理由はない」

 と、必死の弁明もしたが……


「青少年健全育成条例、十八歳未満の不純異性交遊、不健全性的行為は……」と、長々とお経を読み上げるように、話し出した彼女の眼は何か汚物を見るような細く曲がった目をしていた。


 思わず、止めに入った。

「だから待てよ? 理由を話すと長くなるから、あとでちゃんと説明はするから」


「ん――」と、彼女は顎へ手を当てて何かを考えているようだった。

「わかった」と彰は身を引いたと思いきや

「今日の夕食は、私も手伝うから、その時にでも教えて?」

 ――って、どうしてこうなるんだ!?


 前へとコケそうになる。しかし、にんまりと笑う彼女の顔から逃れることはできない。諦めて、その場で大きく溜息をつかざるおえなかった。


「わかったよ……」

「よし! じゃあ、今夜は好き鍋でパッーとしましょう?」

「いや、そんな金ない」と、冷静に対処。


「ん? 私それでも刑事をやっているの。公務員よ?」

 そういや、卒業手前に警察学校に通うって聞いたな。でも、この歳で刑事だと?


「ってワケじゃないけど引越預金も余っちゃったから、私が奢ってやるわ!」

「しゃぁぁぁぁぁぁッ!!って引越預金ってなに?」

「あ……」

「え?」

「いや、なんでもないから! 心配しないで!?」と、彼女笑いながら自宅の門扉へと小走りに逃げていく。


 そういえば、彰には笑って何かを誤魔化す癖があったな。

「あっそう」

 ちょうど煙草を一本吸い終えたので、部屋に帰ろうとした。


「じゃあ、今日の夕方約束ね」

 また大きな返事が帰ってきた。




 この日も、相と変わらない読書日和でバイトを終わらせると、肌寒い夕暮れ時の湘南モノレール沿いを自転車で疾走していた。ある場所で待ち合わせをしていたのだが、彰はというと喫茶店で暇を潰しがてらコーヒーを飲んでいた。


「おい、もういたのか?」

 そう俺が尋ねたのも無理はない。約束の時間にはまだ早すぎたのだ。

「えぇ?フミちゃん? もう終わったの? ちょっとまだ飲んでないよ!」

 そんなことから、喫茶店で長話をしすぎた結果がコレだ。


 玄関には何時間も待たされた雨香李がプンスカと立っていた。

 約束の時間からおよそ一時間ほど待たされた雨香李は、なにか鬼嫁のように玄関で待ち伏せをしているのが分かった。玄関口にはアカリのシルエットが視える。


「彰、頼みがある」俺は彰の後ろに隠れてから、玄関を開けた。


「――遅ぉぉぉぉい! ってアレ、あ、その……」

「こんばんは、鳳凰彰です。いや~ゴメンね? 買い物長引いちゃってさ」

 どの口が言うか! とキレたいが俺もある意味同犯だしな……。

「こんばんわ。何日かこちらでお世話になっています。茅原雨香李(ちはらあかり)です」と、深々と頭を下げて挨拶をする。

 思わなかった来客に、雨香李は態度を改める。知らない人と知人とで態度は変える社会性は持ち合わせているらしい。


「茅原って、あの教会の司祭様と同じ名前だよね? あれ、親戚だとか」

「あ、その、兄をご存じなのですか?」

「え、嘘? 私、司祭様にはよくお世話になっている者でして……」

 てな感じで、玄関で二人は長話を始めた。

 女三人寄れば姦しいというが、ふたりでもこれだけの長話。正直うんざりする。


 当たり前な前置きはさておき、姦しいふたりと俺は、炬燵のある居間へと向かった。彰と食事をするのも祖母の生前依頼だから三年ぶりのことだった。


「いやさ、節約しようと思って実家に戻ったんだけど、女性のひとり暮らしって心が冷えるね」彰はガハハと笑うと、目が細くなり口角が耳元ほどにあがる。


 小顔のわりに口がデカい。高校時代からのポニーテールは刑事になった今でも健在だ。

 昔の彰もそうだが、相も変わらないアルファ社のモスグリーンジャンバ、動きやすそうなカーキ色のガーゴパンツは昔流行りのボーイッシュファッションを彼女は好んで選んでいた。


 三人で居間にある炬燵の上へ食材を並べていく。

 雨香李は食材を見るたび、隠していた餌を見つけた犬のように目を輝かしている。思えば、昨日の肉一枚で豪華だと語るぐらいだ。この贅沢三昧は野犬に餌でもちらかしているようなもんだ。


「ガスコンロってあったよね?」

 おぼろげな記憶を頼りに俺は廊下反対側の物置小屋へと向かう。すぐ隣にはガス管があったのであったので、それを持って居間へと戻った。


 しかし、問題はここからだ。

「あれ?」

 ガス缶を刺したが、どうやら古すぎて点灯しないらしい。

「あぁ、それだったらうちのを持ってくるよ?」

 彰はスラっとした猫が伸びをするように立ち上がると、跳ねるように一度家から小走りで出ていく。


 彰が出ていくと同時に背後から悪寒を感じた。

 しまった! とお思うがもう遅い。雨香李のジロリとした横目がこちらを向いていた。

 

 口頭一番「可愛らしい方ですね」だったので、内心ドキッとした。

 彰はカワイイというかはお茶目ちゃめな子なんだけどな……。そういや、アヤカの時も同じことを聞かれたが、実際なにがいいたいのかさっぱり分からない。


「ん、あの彰はは俺と同級生で中学以来の付き合いの友人だ」

「また下の名前……。それに先ほども同じサンダル履いてましたけど、仲がよろしいのですね?」

「いや、アレは中学の時の体験学習で一緒に作ったんだよ」

「え……あ、その、そうなのですか?」見当違いだったのか、雨香李はあからさまに困ったように首をくしゃげる。


 それが終わった後、雨香李は続けて言葉を返す。

「でも、雨香李さんって刑事の方ですよねぇ?」占師がビシッと答えを当てるような物言いだった。

 そういや……今日の朝、彰が自ら語っていたが、なぜ彼女が知っているんだ?

「よく知っているな」

「以前に色々あって……。その時に彼女に一度だけご挨拶をしたことがありますの」

「色々ってなにか、嫌なことでも――」

「……あ」

 おそらく怒りに任せて口が滑ったとでも言うのか、雨香李は思考停止をしてしまった。

「いや、気になるじゃん?」と、粘る俺に雨香李はもう一度根強い睨みを利かせたが、「他言は無用ですよ?」と前置きをして、例の事件について語りはじめる。


「……彰さんの上司が、ここ茅原教会の信者だったのよ」

 そう言うだけでその後、雨香李は少しだけ黙りこくってしまった。が、小さな声で言葉を繋げる。

「彼の葬式、私の教会でやったの。その上司はある有名な事件での殉職だったから。彼女のことはよく知っているわ」

「それって……どういう意味だ?」

 と尋ねた時には、もう遅かった。


「いや、遅れたね。ビデオ予約するの忘れていたよ」

 勢いよく、彰は玄関の引き戸を開ける音が鳴り響く。

「きゃあ!!」

 雨香李は何に驚いたのか分からん具合で肩から上へと飛び跳ねた。

「あ、っそう」

 彰へ返事を返すと、彼女はガス缶でコツコツと肩コリを正していた。


「本当に昔から素っ気ないのは変わらないな」と、彰は呆れ顔で溜息。

「悪かったな」と、言いながらも彰からガス缶を受け取った。


 さすがに、この事件のことについて、彰の前で訪ねてはならないというのは察してしまった。三年もすれば刑事昇進などの片鱗を見せても驚きもしないが、その裏には彰が耐え忍んできたドラマが存在するのは確かのようだ。

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