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午後一時から、ニ時間ごとに学年別に教科書の販売を行い、午後六時が近くになると既に誰も来なくなった。
だが、問題発生。いや、詳しくはずっと前から発生していた。
全部売れるはずの教科書が何冊か余ってしまった。そして、封筒の中には、受け取った生徒の名前を記入するための用紙が存在した。
これは、連帯責任だろうか……そもそも、なぜ封筒の中身を彼らは確認しなかったのだろうか? 隣に初めからいた山田店主を睨め付けるが、天井を見上げて口笛を吹いている。
アヤカと古河は休憩から出て来ない。
仕方がなく、気が幻滅しながらもズラリと並ぶ名前を眺めると、二年生の欄に知り合いの名前があった。
「茅原雨香李(ちはらあかり)……」
俺は余った教科書を纏めると、ちょうど二年生のひとり分の教科書と資料集が完成した。おそらく、受け取っていない生徒は彼女で間違えない。既に二年生の受け取りの時間は過ぎてから何時間も経過している。
一応その場合、後日受け取りになるはずだが……。
「たぶん教科書を取りに来れなかった方の友人なんですが、届けてもいいですか?」とダメ元で隣にいる山田店主に尋ねた。
「そりゃ、構わんよ? いつまでもココを片付けられないのは嫌じゃ」
こんな理由かよ……。
とにかく、纏め合った教科書をスタッフルームへ持っていくと、古賀が炬燵の中でうつ伏せになっていた。おそらく、アヤカの鉄槌でも喰らったのであろう。
俺は教科書をバックにしまうと、そのまま帰宅し始めた。
仕事終わりには、既に日が沈みかけていた。
春先の夕日は街を赤くすることもなく、青く暗くなっていくだけの街並み。
途中、
その途中、スーパーで夕食の買い足しへと向かう。今日の夕食は少し奮発して豚の生姜焼きにしたい気分であった。スーパーの豚肉のスライス(強いて言えばかなりの肉厚)につい手が止まる。値段も3パック千円と届く値段だ。
これで夕食三日分のおかずに困ることはない。千円の消費は少々痛手ではあったが、身体と心に栄養という安らぎを与えてくれるならそれなりの出費だ。
だからというワケではないが、家に着いたときに少女が大荷物を背負って、玄関の前で半べそになっているのを見た時は少しばかし考えが変わってしまった。
「買い物、多めに買っておいて良かった」
雨香李は、布でできた通学用のリュックに多くのの荷物を詰め、じっと玄関の前でしゃがんでいた。
どうせなら荷物を降ろせばいいのに。
彼女の涙目が
「スミマセン……私を、何日間か家に泊めてください……」
理由を尋ねようにも、彼女はそれ以降俯いて辛そうな表情をしていた。
仕方がなく春先まで出しっぱなしの炬燵に彼女を仕舞い込むと、夕食の支度を始めた。
流石に自分だけが食べるワケにはいかないと考えたが、雨香李は昨日拝見したミサでのシスターのひとり。宗教上口にしてはいけない食べ物は少なからずあるはずだ。特に肉関係は、ダメかもしれない。とりあえず尋ねる他にない。
「あの、カエルさん?」
「……はい」
「一応ですが、豚肉は食べていいのか?」
「ええまぁ、そこまで食べ物に煩い宗派ではないです。お気にならずにお願いします」と、弱った
だが、そのあと、「どうせ神様見てないですから、なんでも構いませんよ?」
なんて事を言うから、なんてツッコみを返せばよいのか分からなくなった。
「一応、シスターなんだから、気にしろよ?」と少し強め、少し気をつかった返答をすると、雨香李は「ん……」と頭を振って項垂れた。
「分かっているのです。ですけど、私なんかがこの教会の後継者になるのはオカしいです」
「なんでだよ?」
「私、前にも話しましたが孤児なのです」
「ん……聞いた」
彼女は物心つかない頃に、この教会のチルドレンとしてやってきた。それまでの経緯は雨香李自身も知らない。そのことを話すと、また項垂れたように頭を振って、時期に動かなくなった。
動かなくなった雨香李を確認してから、すばやくフライパンに豚肉を乗せて生姜で適当に味付けを加える。お椀に米を盛ると、白皿に焼きあがった豚肉と野菜(キャベツの千切り)を乗せた。10分少々でふたり分の生姜焼き定食が出来上がる。
それを炬燵の上に並べると、雨香李は横目で豚肉を追いかける。
「ひさしぶりです。こんな豪華な食事」
「あまり肉は食べないのか?」
「私以外は魚食のほうが好物な方が多いですからね。すみません、明日は私も手伝います」
「ん……、まぁ」
何日間ここにいるつもりだろうという疑念を思うが、とりあえず短い食事を取った。
両手を合わせて「頂きます」と俺がいうと、雨香李は迷ったようにこちらを見たので、何度か顎で食べるように示唆をした。
彼女はそれを受け取ったのか、両手を合わせて眼を瞑って「頂きます」と言い、お椀手前の箸へと手を付けた。
食べている最中は、何も聞くことなかった。
「食べ終わってから食器洗いは私がします」と、利かなかったので止む負えなく雨香李に食器洗いをさせている。
その最中、現状況の危険な予感が頭を過ぎる。
それは、雨香李は未成年ということだ。
もしかしたら、今頃教会側が警察の大勢力を要いて、必死の捜索活動しているかもしれない。そして、俺は二十一歳。この年齢は未成年ではなく成人年齢。ここまで語れば通じると思うが、これは保護の部類でなく、誘拐として扱われる可能性が大いにある。
だからって身寄りなく頼ってきた彼女を追い出すわけにはいかない。また、彼女から家に連絡させることもちょっと悪い気がしたんだ。
そうなると……
「ちょっと、煙草を吸ってくる」と伝えると、「わかりました」と雨香李は手を止めて振り返った。そして、また手が食器に伸びたのを見計らって玄関の扉を開けた。
結果的に彼女にバレないように教会側に事情を話すしかない。
すばやく自転車に跨ると、駅までの下り坂を駆け降りる。教会までの数分の道程を夜風に吹かれながら向かい始めた。
教会に着いて尚、どう事実を伝えるべきかを考えていなかった。
『娘さんを預かっています』だと如何にも犯罪者のセリフだしな。だからって、『家出少女がウチに来てます』とそのまま話すワケにもいかない。彼女を家に帰るように
教会に帰って欲しいワケではないが、何の解決もないまま家に戻れというのは
俺には親がいないが、人様に迷惑を掛けるなというよくも分からない判断材料で解決させるのは教会側にとってもよくないことに思えた。と考えているうちに俺は悩むのを止めて、教会裏口にあるインターホンを押していた。
「はい」と、年頃の女性の声。
「すみません、雨香李さんの友達の者です」と伝えること数秒後、暗かった玄関に明かりが灯り、そのから
「……静香さんですよね?」
「どうも、ご迷惑をおかけしています」黒髪の頭が垂れると、反射的に「いえいえ」と申してしまう。
彼女はミサの時、雨香李に紹介されたシスター、そして、彼女の姉である静香という女性。
「こちらへ」と施されるまま、俺は教会の裏に隣接された一軒家に入ると、テレビのあリビングへと連れてこられた。
その部屋には子供たちがテレビを見ていたり、キッチンでは中学生ぐらいの学生服を来た女の子が小さな男の子と食器洗いをしていた。
「みんなごめんね。お客さんと話さなくちゃいけないから、この場所を貸してください」と静香が言うと、みんなは大きく「はーい」と言ってぞろぞろと部屋を出ていく。
何が起きたか理解できていない幼児が静香の元へ近づくと、「あっちでお兄ちゃんたちと遊んでもらいなさい」と施した。
不慣れな足がドタバタと扉の向こうへ向かっていく。みんないなくなると、不自然に扉が閉まる。
「すみません。他には個人部屋や隣の教会しかないので。教会で話を聞くとどうしても
お互いにテーブルを挟んで椅子へ座った。
その反対側に静香は腰を降ろすと、俺は雨香李の事を話し始めた。
「あの、もうお分かりだと思いますが、雨香李さんが大荷物を持って自宅まで来ました。どうしても帰りたくない様子でしたので、そのことを伝えるべくこちらへお邪魔したのですが……」
〈ガビーン――‼〉このような音が静香の頭から聞こえた気がした。そして、分かりやすくも大袈裟な表情……
なんとなく雰囲気が兄の竜二同様に静香の仕草は雨香李と似ている。おそらく雨香李は幼い頃からこの母親代わりで姉のシスターと暮らしてきたのだろう。
「な、なんて謝罪の言葉を申したら良いのやら……。お邪魔させてしまって申し訳ありません」静香は歳相当でない戸惑いを見せる。その瞼には涙が溜まっていた。
女性の涙には弱いのだが……思わず目を背けそうになるが、俺には
「……それは構いません。ですが、家庭の事情にツッコむのもどうかと思いますが、できればどうして、んなことになったか尋ねても良いですか?」
「――え?」の後に少し考え込む静香。
顔が十一観音のように変化しながらと
要するに、宗教の人生観に関わるイザコザで雨香李がシスターになることを嫌がったという。だがさすがに詳しい理由は話さなかった。
雨香李自身はいつも私なんかがシスターになるべきではないと語っていた。その真意は分からないが、ひとつだけ言えるとしたら彼女の過去に関わる事象がある。
「それは彼女が捨て子であった事と、関係あるんですか?」
「ん……」と彼女は少し驚いた顔を見せた。「そんな事も話していたんですね」
静香は小さな溜息をついてから、一度伺うように俺を眺め始めた。
「雨香李さんは、小さな頃に……そうです。この教会に預けられたのです。でも、そのことを話したということ、あなたのこと信頼していたのね」
「そうだと良いのですが」
「雨香里さんの家での理由は、おそらくですがシスターになりたくないからだと思うのです。私がシスターになることがどういう意味かを強く叱ってしまったのです」
海辺で彼女が話していたことを思い出す。
その時はなりたくないというよりかは、自身の生まれが相応しくないと言っていた気がする――ちょっとした違和感を感じたが――
俺はとにかく頷いた。
「それから雨香李さんは変わってしまった。今までは、なれるものならなっても良いと仰っていたのに」
「雨香李さんに、どんなことを話したのですか?」失礼も承知で尋ねてみた。
それを知ることが、今はとても大事な気がした。
「そ、それは……所謂戒律のことです。シスターとして皆を導くためにはそれなりの覚悟が必要ですから。ですが、ごめんなさい。詳しくは言えません。今日そのことについて私は少し強く雨香李さんに言い過ぎました。全部私が悪いのかも知れません……」
「要するに……戒律の問題ですか」
すると、静香は話を変え始めた。
「あなたは確か、えーと」
「林です。昨日はお世話になりました」
「あ… 失礼しました。林さんは雨香里さんとどのような関係ですか?」
「それは…」そんなことを聞かれると思っていなかった。
頭を抱えた挙句、絞り出した言葉は、「良い相談相手だと思っています」だった。
その言葉に静香は悪戯っぽく上品に、ふふっと笑みを零す。
「そうですね。彼女、人の話は聞くけど、自身の悩みはなかなか言わないでしょ?」
「確かに言われてみれば……」
「ごめんなさい。話が変わってしまいましたね。それで林さんにひとつ大きなご相談があるのですが……」静香は一度言葉を整理した。
「私も雨香里の気持ちがよく判っているつもりなんですが、強情で頑固だってのも知っています」
俺は相槌を打つ。
「なので、気が済むまでどうか彼女を傍に置いてくれませんか?」
「そ、それはその――」
「当たり前ですが、出費はいたします。なので、彼女に何日間か彼方との生活をさせてあげたいのです。と言うのも親代わり失格ですが、彼女に普通の生活をさせてあげたいのです」
「普通の生活って……」一瞬自身の自堕落な生活が浮かぶ。
「もし彼女がこちらの道を選ぶとしたら、普通の人間としての幸せを捨ててしまう場合があるからです」
静香は微笑みながらも少し翳りのある顔をしていた。もしかしたら、そのことが自身の体験談なのかもしれない。俺は宗教という存在に詳しくない。しかし、戒律は食事はおろか多々の事柄が規制される。とくにシスターとなれば尚更だ。
俺は片手を後頭部に回して髪の毛を毟った。静香は御承知かもしれないが、一応俺と雨香李は男女なのだ。俺がいつ手を出すか判らない状況にひとりの少女を置いて良いのだろうか? いや、出さないけどさ! 理性が保てる自信がない。
雨香李の幼児のような甘い匂いが思い出される。なぜ彼女がこんな匂いをしていたのか、この場所に来た今なら理解はできる。彼女はこの空間で、今までここに居た男の子や女の子のお世話をしていたのかもしれない。
それはともかく、この家に入る前には勝手ながら雨香李の家庭問題に踏み込む次第であったが、実際に関わってしまうと、押し留まる具合がある。だが、結局俺はここで『はい』と言ってしまうのだろう。
一呼吸置いた後、「とりあえず、一週間はウチで様子をみませんか?」
という、提案をしていた。
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