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 調べてきた通りの道に違和感を感じていたのは何を隠そうそこは住宅街だったからだ。その路駐、何も突拍子もない住宅街に一件、ここいらでは珍しいが東京では馴染みが深い薄汚い雑居ビルが突如となく現れた。


 その看板には昭和風味の筆記体で『山田古書堂』と記載されてるが、その近くには同じ筆記体で『たばこ』という看板も立ち並ぶ。


 そして、それらが同じ店の看板と思われる建物に添えられていることから、妙な違和感である。本屋で煙草たばこを売っているなんて類を見ない。勝手な想像であるが、昔は居酒屋かコンビニのような別の商売でも開いていたのであろうか?


 駐輪スペースがないから客の迷惑にならない端に自転車を停車させた。

 まあ、こんな立地じゃ客も少なそうだが……。


 古書堂の扉の前へと向かう。

 店ガラスから見える内装からは風変わりな本屋には見えないが、先ほど見えた『たばこ』の看板の下側、入り口右側にガラス戸があるのはどうみてもオカしい。

 今は煙草の商売はしてないらしく、そこのガラス戸付近には煙草のカートンは見当たらない。


 しかし、そこから白煙がひょろっとあがっていた。

 そこに顔を出したぬらりひょんのような男が、立ちあがった煙を追いかけるように、何かに耽るかのような表情で空を見上げていた。


 勤務中に煙草を吸う人間を好きにはなれないが……。

 東京の人間どもは煙草を理由に一時間に一度は休憩をとる。それをサボりと言いたかったが、先輩に対してそんなことを言えるはずがない。


 俺は霹靂へきれきとした感情を抑えながらも、この浮世離れでもしそうな老けた顔を睨むように眺めていた。


 それに気づいたのか、老人はこちらを横目で見る。

「フミか?」

 彼は最初から自分の事を知り合いといった風な口調で問いかけてきた。


「……はい」

 不意を突かれたため、返事にごもりながらも頷いて返事をしていた。

 老人は「まあ、中に入れ」と馴れ馴れしい言葉で俺を店内へと誘導した。


 老人はその手で音をたてながらも丁寧にガラス戸を閉める。

 このガラス戸は何年も使われて滑りが悪くなっているのかガタガタと不安定な音を立てた。


 やはり店舗は意外にもごく一般的な古本屋。

 本棚が何列も連なって、日本小説家、時代作家、古書欄と上からプラスチックが吊られている。


 客はいない。まあ、本屋に午前中から来る人間もそういないだろうが。


 入り口付近、さっきまで吸っていた煙草を吸殻入れに捻じ込んでいる老人。 その上の黄ばんだ天井。それを眺めていると、やがて老人は目も合わせないまま手招きのみで一階の左奥へとぎこちなく歩いていく。


 そこには暖簾のれんが掛かっていた。俺はその奥へと向かう。そう踏み込んだ瞬間だった。


 ――突如となく、身体からだ全体に重力が掛かったような重みが圧し掛かるのを両足で踏ん張り、支えこむ。


「ジイさんわりぃ……」

「どうしたんじゃ、ふみ」

「ちょっとだけ助け……」


 ――バタン

 ――ぐぎゃ


 と俺は暖簾を潜ってすぐに『気絶』をして倒れこんでしまった。

 突如となく痛みが広がるとともに、ここが自分の妄想の世界であることを確信した。


 俺の病気は癲癇てんかん記憶障害きおくしょうがい

 そのふたつは、交通事故などの後遺症ではよくみられるケースなのだが、俺の病気はいっぺん変わっている箇所がひとつあった。


 俺は痛みに耐えながら、夢の中の自分の身体を起こした。


「あ……俺、面接落ちたわ」

 と独り言をボヤキながら、スタッフルームの内側へとスタスタと歩いていく。


 真ん中には春先だというのに炬燵が出されていることに感心しながらも、《ひとりだけ》になった世界で俺は現実の自分が目覚めるのを待つことにした。


 俺の癲癇てんかんという病気、なぜか気絶した先にある妄想という名の夢の世界が現実の鏡写しのようにクッキリと広がっている。


 それに扱けた時の顔面殴打の痛み、炬燵の綿の感触、そこから感じる温かみそれらすべては現実のソレとまったく変わらない。


 ただ、違うとすれば……コレだ。

 透明の管のような物体がこの世界のありとあらゆる広がっている。

 現実では在りえない非科学的な物質が多種多様な形で宙を浮いている。


「『不眠行為』忘れちまったな……」

 とか考えながら、炬燵で暖をとる。なぜか既に暖かい……。さては爺さん煙草吸うのに消し忘れたな。

 中に足を入れて、ふぅ~と一息する。


 何を隠そう、この病のせいで学生時代の授業中の半分ほどは睡眠学習で過ごしている。ただ、寝ないで済むまじない的なモノも存在するのだが。が、気づけば今日、いそいでいたせいでその処置を忘れていたことに気がつく。


 それに、痛みを伴う処置なので『不眠行為』と称したこの行動はなるべく避けたい儀式でもあった。まあ……最近回数が少なくなったことによる油断もあったのかもしれない。

 

 発作が起きてしまったが最後、俺はこの世界を何十時間か彷徨うことになる。

 目が覚める条件、それはおそらくだが現実の自分の体力が回復するまで現実の俺が寝続けること。それまで俺はていたらくな時間を過ごさなければならない。

 

「あとで爺さんに謝らなければな」


 そう言って、一度立ち上がり、給水機へと行く。

 お茶を飲みたい、そう考えていた。


 先ほど説明したが、この夢世界に存在するのは現実のモノとほぼ一緒。

 誰がどうやってどのように配置するかは知らないが、俺がコチラの世界に訪れるたびに元通りに修復される。


 たとえば、今からコチラの壁を壊したとしよう。

 だが次の日、俺がもう一度この世界に戻るとあら不思議。

 壁は元通りに戻っている。


 この応用で、俺がコチラでお茶を飲んでも、誰のお咎めもなければ、次の日にはこちらの世界も元通りなのである。


 だからというか、起き上がるまでの間は好き放題させてもらおうと考えていた。

 俺は給水機を高温蛇口を捻ってから、お茶か何かを探すため、ちょうど上にある吊戸棚つるしとだなを開いた。


 ――バタン

 すぐ閉じた。

 ちょとワケ分からねぇ……が、と今の状況を脳裏で整理。


 扉を開けたのだ。

 そしたら、ここにはおそらく、身体を屈折して押し込めたような形でひどく華奢な女性が挟まっていた。

 明確に言うと、彼女の鋭く、艶麗えんれいで冷たい目線が俺と重なり、一瞬だが生物同士のアイコンタクトが成立をしたのだ。


 このような事態は……今までに一度たりとも起きたことがない。

 まず、夢の世界だというのに関わらず意識のある人間の存在に寒気を覚えたが、それを打ち消すほど女性の目には身の毛がよだつような恐怖を感じていた。


 だが、彼女も隠れていたということは、なにもこちらに危害を加えるつもりはなかったのでは?


 そう考えた矢先だった。

 とりあえず、この気色の悪い女性から離れよう。

 なんも挨拶もせずに休憩室の出口へと向かった時だ。――何かが米神こめかみあたりを擦れていった。


 ――ドゥシュ……

 目の前の薄汚れた黄色い影から蜘蛛くもの巣のようなひび割れが完成した瞬間、俺の思考は一旦停止してしまった。


『待ちなさい……。炬燵の中にはいりなさい。この豚野郎』

 その甲高い発声は女性でありながらも、悪魔を感じさせるほど冷ややかで強い脅しが含まれている。


 そう冷静になれるワケもなく、あ……俺死んだわと思った瞬間だ。

 キュルルルと錆びついた緩い音をたてながら、先ほどの吊戸棚つるしとだなが開いていく。


 そこには先ほど発砲されたと思われる銃を片手に備えられていた。

 そして、まじまじともう一度、女性と目を合わせる。


  華奢であるが妖美に整った顔立ち、なぜか薄い桜色のエプロンに赤いセーター。その艶麗えんれいで冷たい目を誇張するかのように彼女は目を細めた。


「降りれないの」

「は?」

「いいから力を貸しなさい?」


 その今までの緊張感が嘘のようなセリフに俺はなんとも気が抜けた思いをさせられた。

「いやだ!」

「な…なんでよ? 下僕げぼくのくせして生意気言うと次は殺すわよ!」


 そう、気性を荒げて銃をパタパタとさせた瞬間だった。


 ――あ

 バタンっというズッシリとした音を立てて拳銃が落ちた瞬間だった。


 今だ……と思ってしまったのは一種の気の迷いかもしれない。

 この拳銃を拾い上げると、脊髄反射のごとくこの山田古書堂から飛び出していた。

「待ちなさい! 外には……」

 そう女性の声は途絶えた。


 住宅街を滑走する途中、あまりに急いでいたせいか自転車を忘れたことに後悔をした。

 と言っても、目が覚めるまでの辛抱、残り9時間ほどをドコかで隠れていれば必然的に目が覚めて脱走成功ということにはなる。


 あまりの拳銃の重量に息を呑みながらも、よくこの銃を観察した。

 銀色でハンドガンとしては大型のこの銃をドコかのホビーショップで見掛けたことがあった。通称:「デザートイーグル」。その威力はかつては世界最強のハンドガンと呼ばれていたというマグナム弾を撃つことができる自動拳銃……。


 だが、その威力と反動だけに銃愛好家からは汚い銃と言われるだけでなく、ましては女性の使用にはかなり覚束おぼつかない拳銃でもある。てか、現実に存在するなら銃刀法違反だしな。


 そう眺めていると、自動拳銃の銃口のフレームにはマジックでなにか落書きがされていた。

山田やまだアヤカ……」

 その名前を見て思い当たる節が一つある。

「確か……」

 そう確かこの名前は、ドコかで見たことがある。


「山田アヤカ、彼女はあの古書堂の孫娘です」

「あぁ、そうなんですね? 俺が今日面接受けてた……」


 眼鏡、男、背が高い、以上。

 それ以上の観察はできぬまま、俺は足腰が抱えるオーバーロードを走り続けるしかなかった。


 全力で腕を振り、走ったのはいつぶりだろうか……。そう思うや否や、その隣にはニコッと華やかなあの眼鏡男が並行するように走っていた。


「んげっ! なんでさっきから俺にまとわりつくんですか?」

「まあ、落ち着いてください……」

 そうゆびで、何やら後ろをしめしていた。


 だから、ゆっくりと後ろ振り向く。その足元、黒くうごめく影が最初何なのか理解できなかった。だからというワケかその気色悪い空を見上げた時、世界の絶望が間近に迫っているのではないかとという、絶望感を覚えた。


 後ろから這い寄る細々とした黒い影の正体、空一面に黒い翼を持った人のカタチをした何かが無数に此方こちらへと急スピードで滑空してきている。

「私の名前は古賀はじめです。またの名を空間転移じくうてんいとでも名乗っておきましょうか?」

 は? 古河はじめ? 空間転移? んなのどうでもぇぇ!

「そ……そんなことはどうでもいい! あ、あれなんだよぉ!」

「鑑賞者、覚えがありませんか? いいでしょう。教えてるのはよいのですが、おそらく説明をする前にまずは逃げるための提案があります」 

 そう言うと、古河と名乗る男の手から黒い布切れのようなものが出てきた。

 マ…マジックか? と思いながらも、その布を受け取った瞬間、こんな状況に関わらず己の癇癪玉が爆発したのうな、血管が膨れ上がる音がした。

「あぁ? 目隠しマスク? どうして?」

「まあ、騙されたと思って付けてください」


 しばし目隠しマスクを疑うように眺めてから、俺はもう一度古賀を見た。

 どうやら、エラく自信あり気の古賀の態度からは人間を騙そうとかそういうたぐいとは別の雰囲気を感じてしまったのは確かだ。マジでムカつく笑みではあるが……。


「わかったよ……」

 そう目隠しをした瞬間――ふぎゃ

 いきなり重力に身体が吸いつけられた。その理由は衝撃により外れかけた目隠しマスクですぐに知ることになる。


 ただ単に走って壁にぶつかったのである。

 が、そこでひとつ、大きな違いに気づくことができた。


「ここあ……ふぉこ……(ここはどこ?)」

そう、朦朧とする意識の中ではどうも愕然としないが、確かに俺は最初にいたあの山田古書堂のスタッフルームへと戻されていた。

 

 だが、そこにはまだ問題が残されていた。

 あの大群から待逃れた安堵感に、一人の小悪魔を忘れていたのだ……。


「――ゲホォ!」

 女悪魔はつま先で転がって立ち上がれない古賀の腹を容赦なく抉る。

 その背が中学生のように低いが、おそらく俺より年配だ。

 女性は肌で年齢が……

「あんた、失礼なこと考えていない?」

「いえなにも?」なんて観察力だ……。


 そして、アヤカはあることへと話を戻した。

「あんた……、よく私を見捨てたわね」

 その言葉の矛先は蹴られた古賀ではなく、俺に向けられているのは確かだが……なぜ古賀は腹を蹴られる必要があるのか不思議だった。

「ヤメロ、アヤカ。今は反則だろ」

 古賀は動けずに呟くが……。

「……気分よ」 

 そんな理由かよ……。


 おそらくこの女、正気じゃねぇ……と考えた矢先だった。


――クックエェェェェ

 それは、あの先ほど空を滑走としていた一羽。

「あら、来ちゃった?」

 

 どうやらもともかくもない。騒ぎすぎてバレたのであろう。

 黒羽が生えたヒトガタは間近まぢかで観ると、その口のあたりは尖がったくちばしがあるその姿は……。

鴉天狗からすてんぐ……」

 この姿は、俺でも知っていた――どんな理由かは確かではないが、学校の図書館で調べた妖怪図鑑に載っていた妖怪。


「そうね……。だけど、ことわりの世界で彼らは『鑑賞者』と、言うのよ」

 そう語った刹那せつな、アヤカは瞬時に俺の元へと近づいていた。

 その彼女から溢れる淡い香水の匂いが鼻孔にさわった。――が、目的は俺が手にするあるモノだった。


 ほそい指さきで手慣れたようにマガジンを変える。

 銃先が鴉天狗からすてんぐに向けられると、そこから放射状の繊維が飛び出してきた。

 その繊維はおそらく糸――だが、それは既に蜘蛛の域を達して綱……とでも、言うべきか? 鴉天狗ならぬ鑑賞者は絡みつく粘々とした綱に足掻いていたが、時期にその声さえ聞こえなくなった。


 その弱り果てる様子を眺めながら……あのアヤカという女性はご機嫌だったのは言うまでもなく――

「この子、絡新婦じょろうくものさくらちゃん。カワイイでしょ?」

 そういって、アヤカは頬にデザートイーグルを擦り付ける。

 なぜかそのときのアヤカは悪魔のような面立ちはなく、背が低いひとりの女の子に見えるが……。


 その今までの不機嫌な態度とのギャップがありすぎて、正直素直に笑みを向けることができそうにない。そもそも、このアニメキャラのようなネーミングセンスの前に語ったあの『妖怪』のような名前はなんだ……?


「あら、絡新婦も知らないの?」

「この……拳銃の名前か?」

「そうわよね、このマガジンだけ見せられても困るよね……この中には私の友達がいるのよ?」


 そう言って、マガジンを取り出して、俺へと軽く投げてきた。

 それを手に受け取った瞬間――その金属の筒の中からは脈を打つような鼓動をしていた。それは、このマガジンが何かの生物の証にも見えた。


「あなた、サクラちゃんに気入れられたみたいね。少しでも卑しい人が触ったら、こんな形でも平気で餌付えづくのよ?」

「え……はぁ」何考えてんだよ!

 それを聞いた瞬間、この女が俺の身に降りてきた非常最悪の悪魔、ミルトンの失楽園でいうところのサタンなのではないかと考えていた。


「おう、揃ったようじゃな」

 もう一人、背が低く、皺れたぬらりひょんのような男が立っていた。


「じ、ジイさん……ってことはここは現実? いやだけどさっきのは……」

「そうじゃよ、これはことわりの世界――んで、コレも実はバイトの面接じゃ」

 そう、ぬらりひょんがニタリとした笑みが零れる。のちに、俺が山田店主と呼ぶことになるジイさんはその表情を誇示したまま……寝ぼけたようなことを言ったのだ。


「ふみ、最初から決まっていたんじゃが、バイトは合格じゃよ。ようこそ。ここは山田古書堂、またの名を――『天使捜索保護派19支部、山田特殊探偵事務所やまだとくしゅたんていじむしょ』じゃ。よろしく頼むぞ?」



 そんなことから、無職というある意味非日常的で非生産的な生活は終わりを告げて、鳥山 石燕先生が描いた妖怪記や古来の人々の想像でしかない神話体系の世界へと俺は迷い込んだのだ。


 そして、この夢世界の構造や世界の在り方について改めて知ることになる……のはずっとのちのことだ。 


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