天使を失った世界で 明後日を取り戻すカタワレたちの物語

はやしばら

天使を失った世界で 明後日を取り戻すカタワレたちの物語

一章

1-1/3:ようこそ、我らが山田特殊探偵事務所


   第一章


 バイトの面接日当日に遅刻をしそうになっていた。目覚まし時計が何度も鳴っているのに、寝伏せを決め込んだのだ。


 理由としては簡単だ。

 今日も変な夢を見たせいでバイト面接があるなんて忘れていた。

 起き上がり、ドアの張り紙に面接場所の名前『山田古書堂やまだこしょどう』面接時間(13:00)とのメモ帳を確認してから、慌てて飛び起きたのだ。


 乱暴に着替えを済ませる。投げた服は洗濯籠から飛び出し今でも落ちそうなのを無視し、玄関を開ける。軽くバックの中身を確認しながら、自転車を取り出すと転がるように走行し始めた。


 急斜面の湘南深沢駅しょうなんふかざわえきの高架下を颯爽と通り抜ける。

 その奥、地域発祥のスーパーマーケットを通り過ぎた先にある富士見町駅ふじみまちえき手前の小道を右へと曲がると今日面接予定の山田古書堂という古い本屋があるらしい。

 

 この懐かしい道程を走行途中、ふと昔のことが蓋を外したあのホロ苦いシャンパンのように蘇ってきた。


 

 事故で記憶を亡くしてすぐのことだ。

 白い部屋でひとりにされていた俺をある男が引き取りに尋ねたところからこの物語は始まる。


 オジさんは俺を芳香剤の匂いがする車へと乗車させてある場所へと向かった。

 夏目漱石に似ている髭。そのオジさんが父の弟を名乗る『紀人のりひと』と知ったのは、中学二年の夏休みに祖母の家へと遊びに訪れたときだったと思う。


 そのまま、いつの間にかに海の見える街へ訪れた。

 俺は初めて見る海に、何か唖然とした趣を感じていた。


 だが、俺に待っていたのは牢獄のような入院生活。そこで、自身が交通事故にあい、記憶が曖昧あいまいになっていることを残酷ながら医者から宣告されたのだ。


 だからというか……両親のこともすっかり忘れて思い出せない。

 また、亡くなったと知らされたのはそれから半年後、通学もせずに小学校を卒業し、中学生活が始まった頃だった。


 退院してすぐにオジさんは山中の村のような場所にあるボロボロの一軒家へと連れて行った。

 あとから、この土地だけが鎌倉市街でも異端いたんなド田舎だと知ることになるが……まさか、その時はこんな土地で暮らすことになるとは思わなかった。


 そして、今住んでいるボロ屋の元頭首、祖母の文子ふみこばあちゃんと対峙することになる。んで、それからは高校を卒業間際まではただ平凡な日々だった。


 だが、話が変わるのはここからだ。

 高校の卒業間際、病気で床にせていた祖母が久しぶりにパチンコに出掛けたと思ったら、次の日には眼を覚まさなかった。気づいたのは、朝食の支度を終えて、祖母を起こしに寝室へと立ち入った時だった。


 祖母は既に蒼ざめており、眼は閉じて苦しそうに動かなかった。

 人間というのは死んだ後、極楽浄土ごくらくじょうどへ運ばれると聞いていたが、その顔はいつ思い出しても悪夢から覚めない人間の顔だったと思う。


 救急車は、亡くなっている人間と分かりながらも、律儀に一度は近くの病院へと向かう手立てを組んだ。だが、死亡断定時刻はすぐさま決められ、霊安室へと運ばれた。


 血相を変えたオジさんが、祖母の眠っている部屋へ訪れて、そのあともうひとり、祖母の近所に住んでいた女の子も狂った面立ちで飛んできた。女の子とは、ボロ屋隣の一軒家に住む女の子で俺と同級生、昔から祖母とは仲が良かった子だった。


 その後、葬式。

 そこで、初めて会う親戚たち、なぜかそのあと相続争いというテレビドラマの定番的骨肉の争いが勃発した。その矛先が向けられたのは――俺であった。


 祖母が暮らした住宅地は、あんなド田舎でも高級住宅地らしい。

 また、その周辺は区宅整備が行われて、都市開発が近い未来に進められる予定の地域でもあった。


 親戚共々からは「遺言書はないのか」とか「相続の分担について話したい」と葬式中だというのに構わずに尋ねられた。

 相続の件に詳しくない俺は、共に暮らしていた唯一の人間の死を受け入れられずに、この場にいたのに。


 心が逃げていたのかもしれない。

 棺桶かんおけの婆ちゃんに花を幾度となく備えても、悲しくなることがなければ、涙が流れることもなかった。

 簡単に言えば、なんかどうでもよくなっていた。


 そんな態度でいると、俺は葬式の帰り、木箱に入った小さな壺を、学校帰りの学生のように自転車カゴにいれて、そのまま帰ろうとしていたら、近所の女子がいきなり目の前に歩み出た。

 その頬は真っ赤に晴らしながら、俺に仇を見るような目つきを向けた。

 そして、言葉より手のほうが早かった。


 ――彼女の平手が頬を捉えた。

「な、なんだよ、彰……」

「ふみちゃん、おばあちゃんなんだよ。コレ!」

 コレ呼ばわりする人間にお婆ちゃんと言われても困るが、そのときは確かにと認めて、自転車を漕いで帰宅するのをやめて、押して帰ることにした。


 それが、正しかったかったのか正しくなかったかと言えば、おそらく間違っていたのだろうが、自転車で葬式会場に赴いた以上そうするしか他になかった。

 それから、女の子は俺を咎めようとはしなかったが、その事件があったせいか彼女と話す機会は大幅に減っていった。


 今の走行ルートは、祖母の遺骨を渡された葬式会場へと向かう時の方向と重なっていた。



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