第21話 Leurs conclusions semblent correctes pour eux. - Partie2

 下になった彼女の腕が背中に伸びる。


「離れたいんだけど。」

「キスしてくれるまで離さない。」


 俺にその気がないことは日笠も気が付いているはずだ。

 それでも誘惑のようなことを言い続けられるのは、健全な男子高校生としてはきついものがある。

 八月の夕方、冷房のかかっていない部屋、汗ばむ身体、甘い匂い。

 青春と呼ぶにはどこか歪な状況。


「もう二度とこんなこと言わないからキスだけ。」

「それはダメ。」

「お互い初めてじゃないんだし二回も三回も変わらないって。もう一回だけ。」

「それは歯止めが効かなくなる時の梨沙と同じセリフだ。」

「歯止めなんていらないのに。」


 今の日笠は精神的に安定しているはずなのに、一周回っておかしくなってしまったかのような言動。開き直っているかのような態度。

 二人に呼び出された目的がこんなことだとは思えなかった。

 そもそもこの段階になっても部屋の持ち主が顔を見せないことが疑問だった。


「梨沙はどこ?」

「知らない。」

「そんなはずはないでしょ。」

「家の中には居ると思うよ。」

「探してくる。」


 ベッドに彼女の押し倒し、マウントを取った体勢から立ち上がろうとするが回された腕の力を強められ、逆に引き寄せられる。


「ダメ。」


 鼻孔をくすぐる生肌の匂い。

 耳元で感じる呼吸。

 お互いの心音が耳に入る。


「今だけは私を見てほしい。」


 その声は真剣だった。

 彼女の本心からの言葉。

 それにどう応えたらよいのだろうか。

 逡巡する俺の背後から光が射した。

 それがこの部屋のLED電灯なのだと気が付いたのは声が聞こえてからだった。


「時間切れ。」


 久しぶりに聞いた恋人の声に鼓動は跳ね上がる。

 第三者が見れば浮気現場を抑えられたようにしか見えない構図。



 今になって思う事なのだが、柊も日笠も抱え込んでしまうタイプの人間だった。だから、お互いの考えていることや悩んでいることを想像するのは難しくなかったのだろう。

 俺よりも先に柊の変化に気が付いたのも、日笠の想いに気が付いたのもよく見ていたというだけではなく、二人が似ていたからなのかもしれない。


「私と恵は話し合いました。」


 正座させられた俺と日笠を前にして、柊は話し出す。

 彼女の声が戻ったのは良いとこだが、単に戻ったというにはどこか無理をしているように言葉を紡ぐ。

 いや、言葉は続かなかった。

 言いかけて躊躇い、語るべきことを失ったように見えた。


「そして、こうなりました。」


 説明はなかった。

 本当は彼女自身の口で全てを語るつもりだったのだろう。

 でも、今の彼女にはできなかった。


「私からちゃんと説明する。梨沙は無理しないで。」

「お願い。」


 じゃあ、と一呼吸おいてから、俺を真っ直ぐ見据えて話す。


「どんな話があったかは詳しくは言わない。全部メールかチャットだから見てもらえるんだけど、それは私たちとしては好ましくないから。どこから話せばいいのかな。まず、湊を騙すような形になってごめん。騙してはないんだけど、さっきみたいに後ろから襲ったことはごめん。でも、その説明をさせてほしい。あれは本当に梨沙の許可をもらってのことだったし、あの場で私も選んでくれたならそれはそれで私たちの望んだ結論の一つだったんだ。世間に認められなくたって、私たちが幸せならいいんじゃないかって。」


 告げられる内容にそれ程驚かなかったのは今更だからだろうか。


「それが最初に思いついた方法だった。私たちもどこかおかしかったんだろうね。どちらとなく思いついて共有した途端に、二人して『この方法なら皆が幸せで正しいんじゃないか。』って喜んだのを覚えてる。でも、途中で思い直したんだ。これではいけないんじゃないかって。それなのにこのアイデアを捨てきれなくて、結局、試すことになったんだ。今思えば馬鹿みたいな話。」

「そんなこと言いながら……。」


 何かを言おうとした柊の言葉が詰まる。


「本気で迫ってるように見えた?そうかもね。馬鹿みたいだなって思いながらも、好きな人とそういう関係になれるかもしれないって思ったら、少しは期待と言うと変だけれども、どこかで湊がこの案に食いついてくれることを願っていたのかもしれない。」


 柊が言えなかった言葉をついで語り、わざとらしいため息をついて、日笠は笑った。

 それは無理に造った表情ではあったが、数日前に病院で見た時よりは幾分か落ち着いているように見えた。


「今日呼ばれたのはその妥協案を俺に提示するため?」


 果たして「妥協」などとあいまいな言葉で呼んでいいものかと迷ったが、それ以外に適切なものが見つからなかった。

 彼女たちの結論は三人がどこかひっかかりを覚えながらも幸せを感じ、誰もが完全な幸せからは少し遠い。一歩踏み込めばバランスが壊れるかもしれないからそこにいるだけの妥協のように感じた。


「違う。」


 柊が答える。


「違わないでしょ。さっきのアイデアだって私たちの出した答えの一つなんだし。ただ、あれが主目的じゃない。ふざけたこと言うと、ああいうの男の夢かなって思ったから最初に実行したってのもあるんだけどね。」

「今日呼んだのは――。」


 やはり言葉は続かなかった。

 先ほどから柊の言葉は不自然に途切れる。

 本人の石とは関係なく心が拒絶したような状態。


『誰かにかけた言葉で相手を傷つけてしまったことへの後悔などがきっかけではないでしょうか。』

 ふと、医者の言葉が思い出された。

 おそらく今の彼女は言葉によって誰かを傷つけるかもしれないと思った時に言葉に詰まっているのだ。だから、当たり障りのない導入は言えても核心は声にできない。

 日笠を精神的に追い詰めた原因が自分の言葉ではないかという疑念が彼女の中で大きく膨らんで言葉を口にできなくなったのだろう。

 少しは回復したとはいえ、日笠が入院してから考えてもそこまで日が経っていない。柊にしても日笠にしても元通りとはいかないのだろう。


「湊が言ってたよね。『向き合う』って。その言葉を信じて、私たちも向き合うことにしたんだ。梨沙にもその話をしたんだよね。こっちから連絡する前に梨沙から連絡が来たんだ。それで話し合ったんだ。その時久しぶりに、ううん、もしかしたら初めて梨沙とちゃんと向き合ったかもしれない。おかしな話だよね。親友のつもりでいたのに何もわかってなかったって。特に最近なんて好きな人の彼女だったからわかろうともしてなかったしね。」

「私も恵のことわかってなかった。」

「梨沙もまだあまり声には出せないけど、文章とかだと饒舌でね。お互い想いのままに話し合ったんだ。向かい合って、ありのままのお互いで、たまに喧嘩とかしながら。それで出した結論は三つ。」


 日笠は指を三本立て、それを一つ折ってから口を開く。


「一つはさっきの『共有する』こと。二つ目は『元通りになる』こと。これはわかりやすいよね。この前みたいなギクシャクは解決したから前みたいに仲良くしましょうってこと。三つ目は――」

「『前に進む』」


 柊が言葉を奪う。

 どうしてもそれだけは自分の口で言わなくてはならないと主張するように。


「それはどういうこと?」

「この数週間の出来事を、それだけじゃなくて今までの私たちの積み重ねをちゃんと受け止めて元通りになるかはわからないけど、新しい関係を築いていこうって思ったの。何事もなかったかのように前の関係になるではなくて、湊が言った通り、お互いを受け入れてやり直そうって。雨降って地固まるじゃないけどさ。良い機会なんだと思う。」

「それを俺が選ぶのか?」

「悠だけが選ぶわけじゃない。私たちも選んだ。」

「残りは俺の答えだけってことか。」


 考えるまでもなかった。


「選ぶのは――」

「待って。」


 遮ったのは柊だった。

 答えを迫りながら止めるその意味が分からなかった。


「悠が何を考えているかはわからない。今から何を言おうとしているかもわからない。」

「湊。梨沙の言葉に答えてほしい。答えなんて決まっているんだろうけど、それでも私に答えを出したように、梨沙にも言ってあげて欲しいんだ。」

「何を?」


 柊が近づき、俺の手を彼女の手が包む。

 緊張しているかのように震えるその手は昔の彼女を思い出させた。

 ゆっくりと何かを確かめるかのように俺の目を見る。


「湊悠さん。あなたは私とずっと一緒に居てくれました。」


 一言一言を選びながら、大切に声に出す。


「私はそんなあなたことが好きです。あなたは私のことをどう思っていますか?」


 柊から想いを言葉にするように求められたのは初めてのことだった。暗示的に求められ、答えることこそあれども、はっきりと聞かれたことはない。

 自分の中に在る彼女への想い。

 一言でなど言い表せられないそれを言葉にする。


「俺は柊梨沙のことを――。」


 全て伝えた後、柊からは何物にも代えがたい笑みが零れた。

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