第17話 à propos de moi - Partie 2

「おそらくですが、過度のストレスにより『言葉を口にする』ということを拒絶している状態なのでしょう。筆談はある程度可能だという事ですから、会話そのものへの拒絶ではないと考えられます。あくまで推測でしかありませんが、誰かに言われたことで傷ついたというよりは、誰かにかけた言葉で相手を傷つけてしまったことへの後悔などがきっかけではないでしょうか。もちろん、それだけが原因という事はないでしょうが。たまたま同じようなことが重なり、強いストレスを受け続けていたところに何か決定的な事が起こった。そう言ったケースを見たことがあります。ご承知の通り、即時的な解決策はありません。今はゆっくり自分と向き合う時間が必要だと思います。」


 久しぶりに会った先生はそう所見を述べた。

 「言葉」を失った柊を連れて、俺たちは昔お世話になった大学病院へ来ていた。

 最後に来たのは中学生の頃だったので一年以上は経っていた。

 彼女と出会った場所ではあるものの、単純に思い出の場所と言うには好意的な場所不ではなかった。

 本来ならば飛び込みで行ける場所でないものの、今回は融通を聞かせてくれたようだ。


 普段なら家族だけしか同席しない診察室に今回は俺も付いて行った。

 今回の原因を当人以外でわかっているのが俺だけだったからという理由だ。

 いや、日笠のことを考えれば、親たちも想像は付いているのかもしれない。俺たちの関係性が引き金なのだと。


 診察室を出た後も会計が終わり、エレオノールさんの運転する車に乗り込むまでの間、会話はなかった。

 言いたいことがないわけではない。

 言わなければいけないことがあるから言えない。

 彼女もそう感じているのだろう。

 そう考えすぎているからこそ、口に出せなくなったのだ。


「悠君。」


 彼女の家に向かう途中、エレオノールさんに声をかけられる。


「なんでしょうか?」

「私の娘は知っての通り、昔から無口だったの。君に出会うまでは私たちともあまり話すことが多くなかったくらいに。子供を持つのが初めてだったからその時はあまりわからなかったけど、瑠依を育ててから思えば、おかしなくらいに静かだったの。」


 三人しかいない車内でそんな話が始まった。


「他の子どもたちとは少し違うって気が付いた時には、心を閉ざしていて、私たちと話すことさえ難しくなりつつあったの。そこを何とかしてくれたのが悠君だよ。だから、私たちにとって娘があまり話さないってのは普通の状態。君がそこまで重く考えすぎる必要はないよ。それに梨沙も話したくなったら話すと思ってる。君と初めて会ったあの日のように。まあ、先生はああ言ったけど、自分と向き合う時間をかけ過ぎると余計に自分が嫌になるだけ。必要なのは他人と向き合う時間なのかなって私は思うの。」


 流暢ではあるがどこか芝居がかったような話し方は母国語ではないからだろう。この人の話し方はいつもそうだ。

 その口調に今日は安心さえ感じた。

 俺に話しかけてはいるものの、その言葉は娘にも向けられたもの。

 親として娘を想う気持ち。

 後部座席に座る俺からは柊の表情は伺えない。


「難しいことはまだわからないですけど、俺は梨沙ともっと話したい。」

「それでいいと思うの。梨沙にいつも通り話してあげて。きっと梨沙も悠君の話を聞きたいと思ってるし、本当はこの子からも話したいと思ってるはずだから。難しいことは私たち大人に任せてさ。」

「ありがとうございます。」

「だから、もし恵ちゃんとも何か問題を抱えているならそれについても彼女としっかりと話し合わないとダメだよ。もちろん、梨沙が嫉妬しない程度にね。」


 親は大人なのだと感じた。

 そして、自分たちはまだまだ子供なのだとつくづく感じた。

 俺の家の前まで送ってもらって車を降りた。

 最後まで柊に言葉をかけることはできなかった。

 家に入り、親に返ってきたことを伝えると、また出かける準備をする。

 考えはまとまってないけど目的地は決まっていた。


 帰りの時間だけ伝えて家を出る。

 変速機も付いていない所謂ママチャリを高校生の脚力で走らせる。

 夏の暑い日差しに耐えながら坂道を上り、平坦な道を進み、坂を下り、また上る。

 そんなことを二十分くらい繰り返してたどり着いた病院。

 昨日も訪れたそこには俺の、俺たちの大切な友人がいる。


 アポイントも何もなしで面会ができるものなのかと考えながら入り口をくぐったところで日笠の母親と出会った。

 驚いた顔はされたが、何も聞かずに一緒に付いてきてくれた。

 そのおかげでスムーズに病室まで上がることが出来た。

 昨日同様、少ししたら来ると言われ、ノックと声掛け日笠の母親がして、俺だけが病室に入る。

 ベッドにもたれる日笠は昨日よりやつれた顔をしているように見えた。

 泣きはらしたように腫れた目元が彼女の精神状況を表していた。


「一人なの?梨沙は?」


 そんな顔を見られたくないのか、こちらを向かずに俺に問いかける。


「今日は俺だけ。」

「どうして?」

「日笠に話があるんだ。」


 そのために来た。

 俺たちの話をしに。

 お互いがお互いと向き合うために。

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