第16話 à propos de moi - Partie 1
失声症。場面緘黙。
俺たちが幼い頃から悩まされてたものはそう呼ばれることが多かった。
正確には幼少期に見られるその症状に似ていたからカウンセラーたちがその名前で呼んでいただけなのかもしれない。
原因は偏に精神的なもの。肉体の健康とは全く関係がない。
だから治療となると厄介で特効薬があるわけもない。
多くの場合は成長と共に解決していく。
柊も俺も何をしたわけでもない。お互いの心を許せる相手を作っただけ。
後は時間だけが解決してくれた。
日笠の見舞いから帰った後、何も話さない娘を親として不審に思ったエレオノールさんは我が家に連絡を入れた。
何があったかなど言えるはずもなく、疲れたのだろうとテキトーな話をしてその日をやり過ごした。
翌朝、母親に叩き起こされた俺は何の説明もなく柊家へと連れていかれる。
迎え入れてくれたエレオノールさんについてリビングに行くと瑠依もいた。
彼女以外の人がいる彼女の家は久しぶりだった。
昔はよく遊んだ瑠依も中学二年生になっていて、長身の姉に似て、俺よりもはるかに身長が伸びていた。「彼女の弟」として会う事は少なかったため、お互いどう接するか迷っているとエレオノールさんが口を開いた
「急に呼んでごめんなさいね。」
「いいのよ。どうせうちの息子が絡んでいることなんでしょうから。」
「それでも忙しいのに朝から時間取ってもらってごめんなさいね。早速なんだけど、悠君は梨沙と話をしてきてくれるかな。部屋に籠って出てこないから、連れ出せるなら連れ出しほしいけど。まずは二人で話し合ってほしいの。」
「全然、話が分からないんですけど。」
「いいから、悠は梨沙ちゃんの部屋に行ってきなさい。」
促され彼女の部屋へと足を向ける。
何度も訪れたこの部屋が今日は固く閉ざされていた。
ノックをしても、名前呼んでも、メールを送っても、かけられた鍵が開くことはなかった。
中に柊がいるのかどうかさえ疑わしいほどの静寂。
嫌な予感が脳裏を横切る。
昨日、自殺を図った友人を思い出したからだ。
今朝の段階で生きていることは確認されているとのことではあったものの、精神的に追い詰められた人間がどういう行動をとってしまうのか知ってしまったから。
速まる鼓動と焦る思考を落ち着かせるために息を吸う。
深くゆっくりと。
あらかじめ借りていた鍵を差し込む。
その気になれば、こうして鍵を開け乗り込むことが出来る。柊もそれをわかった上で閉じこもっているのだと思う。
「何も返事しないなら入るぞ。」
「――。」
声になっていない声が聞こえた。
何かを言おうとした音。
違和感を覚えながら鍵を回し、扉を開ける。
「梨沙。」
扉の前に座る彼女を見る。
ぼさぼさの髪、腫れた目元、半分脱げた寝間着。
一目見て精神状態は正常ではないと判断できた。
「大丈夫だよ。梨沙が心配することなんて何もないんだ。」
そう言いながら柊を正面から優しく抱きしめる。
力なく俺にもたれかかる彼女。
ここまで追い詰めたのは日笠ではなく、俺なのだろう。
だから、俺がここに呼ばれたのだ。
「俺はここにいるから。梨沙が辛い時は俺が傍にいるから、一人で抱え込まないで。昔みたいに話そう。どんなことでも、いつまでも話そう。」
「――。わ――っ、――。」
彼女の口が動いた。
声は上手く聞こえなかった。
続いて聞こえてきたのは涙が流れ床へ落ちる音。そして、咽び泣く音。
抱きしめる腕に少しだけ力を入れて引き寄せる。
柊が泣き止むまでそうしていた。
泣き止んでからもそうしていた。
どれほどの時間が経っただろうか。
泣き疲れたのか、子供のように眠ってしまった彼女をベッドに運ぶ。
部屋から出るわけにはいかなかった。
先ほど言ったことを嘘にはしたくない。
リビングにいる母親たちにはメールで説明をして、彼女が起きるまで傍にいることを伝えた。
寝てから一時間もしないうちに柊は目を覚ました。
「おはよう。」
「っ――。」
寝ぼけているのか俺を見ても状況を掴めないように驚き、そして少し考えるようなそぶりを見せ、照れるようにうつむいた。
普段なら起きた後顔を洗いに行ったりするのだろうが、しばらく彼女はベッドの上から俺を見下ろすだけだった。
そして、ベッドから降りたかと思うと机へ向かい、スマートフォンを取り、操作する。
少して俺の携帯が鳴った。
『悠に聞いてほしい話があるの。』
柊からのメッセージだった。
「いや、この距離にいるんだから直接話してくれたらいいのに。」
『話せないの。』
「口にすると辛いこと?」
違う。
きっと彼女が言いたいのはそういうことではない。
今日、会った時の状態が異常だったから気に留めていなかった。
感じていた違和感の正体。
柊は今日、一言も「言葉」を発していない。
『昨日から声がでないの。』
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