第15話 la folie
その日、病院に行こうと思ったが、まだ精神が安定していないという理由で断られた。
大人しく家で待機していたものの、自責の念と心配を抱えながら眠ることは難しか
った。
寝不足気味で迎えた翌日は生きている心地が薄かった。
部活には休みの連絡を入れ、ただ待つしかなかった。
本人は自殺を図った理由について「失恋のショック」と語っていると、今朝、彼女の親から聞かされた。
その上で「他に心配事はなかったのか」「学校には馴染めているのか」「人間関係は大丈夫か」などを尋ねられたが、問題ないとしか答えることができなった。
失恋の相手として俺を候補に入れていたであろうが、日笠の母親から掛けられる言葉はどれも優しく、娘を心配する気持ちが前面に押し出されていた。
日笠と同じく精神が不安定になっている柊と合流し、彼女の部屋で二人とも無言のまま抱き合っていた。こんな状況で恋人と互いを慰めあうしかできない自分を恨むことで、心を落ち着かせようとした。
日笠との面会が叶ったのはその日の午後。
本人の希望により、親たちや医者は立ち会わない。
俺たち三人だけで話をしたいとのことだ。
広いとは言えない個室の病室。
半分起こされたベッドに横たわる日笠は昨日会った人物と同じだと思えないほどやつれて見え、まっすぐ前を見る目は虚ろに近かった。
俺たちにゆっくりと向き直り、一瞬険しい表情をした後、彼女は静かに涙を流す。
突然の反応に当惑する。
柊は日笠にゆっくりと近づき、胸元に彼女の抱き寄せる。
「ごめん。私、ダメみたい。」
俺からは顔が見えないため、どんな表情をしているのかわからない。
ただ、その涙声はとても辛そうに聞こえた。
「私も感情的になってあんなこと言ったからさ。お互い様だよ。」
「違うの。違うの。私は、私はもう貴方達の友達ではいられない。」
「そんなことないよ。こういうことを言うのはきついかもしれないけど、同じ人を好きになれて嬉しかった。」
日笠の腕が柊を強く抱きしめる。
「でも、ダメなの。私はもう、悠や梨沙と一緒にいる資格がない。」
「どうしてそんなことを言うんだ?」
二人に近づき、ベッドの傍に置かれた椅子に座る。
「私の中がぐちゃぐちゃなの。二人が来てくれてることが嬉しいのに、その一方でやっぱり二人で来るんだって嫉妬してるの。なんで悠の隣にいるのが私じゃないんだろうって。そんなこと考える私が悪いのに、悠だけで来てくれたら考えなくて済んだんじゃないかって梨沙を恨む気持ちもあるの。」
心が締め付けられる。
きっと日笠はそんな生ぬるい言葉では足りない苦しみの中にいるのだろう。
柊が彼女の頭を撫でる。
子をあやす母のように。
「昨日、あんな方法を取らなかったらこうして自分を追い詰めてしまう事もなかったんじゃないかなって後悔してるのに、そのおかげで悠とキスできたんだって思うと嬉しい。」
吐き出される言葉は全て本心なのだろう。
顔を柊の胸にうずめたまま、手を彼女の首へと添える。
「梨沙がこうして抱きしめてくれてるのがとっても嬉しいのに、梨沙の優しさに救われているのに、なのに、今ここで梨沙の首を絞めて殺せば悠は私のものになるのかなって考えてしまうの。梨沙さえいなければ私はこんな風にならなかった。」
背筋を冷たいものが走る。
さすがの柊も頭を撫でる手が止まる。
彼女の発言内容が原因ではない。そのことを嫉妬の話とトーンを変えずに、さらっと口にした彼女の状態に恐怖のようなものを感じたから。
自らの手首を刃物で切れるような精神状況が一日で普通に戻るはずもない。
そのことを実感させられる。
そもそも、普段の日笠は俺のことを名前で呼ばない。
日笠の手が柊の首から離れる。
「二人に迷惑なんてかけたくないのに、今の私なら悠も同情で抱いてくれるんじゃないかって、それをどうやって梨沙に見せつけようかって考えてるの。馬鹿みたいでしょ。こんなこと言えば二人に嫌われるかもしれないのに、それでも梨沙に面食らわせるために口にしてるんだよ。悠は優しい人だからきっと離れていかない。むしろ私がおかしくなればなるほど、悠は心配して近づいてきてくれる。手首を切ったのだって、こうすれば悠が来てくれるんだって考えてたからかもしれないんだよ。ただ構って欲しいだけの哀れな女の子だよ。見捨ててくれたらどんなに楽なことか。私みたいなかまってちゃんは優しくされると勘違いしちゃうの。二人はとても優しいから、もしかしたら、頼んだから悠を譲ってはくれなくても貸してはくれるんじゃないかなとか。そんなことをずっと考えてた。私が一番じゃないのは嫌だけど、それでも好きな人が手に入るんだったらいいかなって。勝手にそんなこと考えて、勝手に梨沙に嫉妬して、考えれば考えるほど悠のことが好きになっていく。苦しいの。辛いの。助けて、助けて、助けてよ、ねぇ、―お願い助けて。」
淡々と語られた言葉が次第に感情を帯び、懇願へと変わる。
柊はこちらを振り返ると日笠を離し、目で俺に何かを語る。
彼女が立った席に代わりに俺が座る。
日笠は依然として涙を流したまま、こちらを見ているようでどこか焦点の合っていない瞳で俺を捉える。
複雑な感情を映したその目に心をつかまれる。
今の彼女を落ち着かせる冴えたやり方なんて持ち合わせていない。
柊がそうしたように俺も日笠を抱きしめる。
これは解決ではないと思いながらもそれしかできなかった。
「悠。やっぱり優しいね。」
「そんな顔されて、あんなこと言われて、友達を捨てられるはずない。」
恋人の前で他の女の子を抱きしめるなど浮気に近い行為だが、今はそうするのが最善に思えた。
「だから私はダメになる。」
でも、それは間違えていた。
唇に柔らかいものが触れるのを感じ、少し遅れてそれが彼女の唇だと気づく。
「どうして?」
苦しむ日笠を慰め、和解へと向かっていると感じたのに。
「好きな人に抱きしめられて我慢できるわけないじゃん。」
未だ至近距離にある唇から言葉が漏れる。
呼吸すれば息がかかり、動けば髪の毛が触れる。まるで恋人同士のような距離感。
狂気。
中学生のあの日、柊が持っていたもの。この数日の日笠が抱えていたもの。
その目に宿るものを俺はそうとしか呼べない。
飲み込まれて何もできない俺を彼女から引きはがしたのは柊だった。
「今日のお見舞いはこれで終わりにしましょう。」
「ありがとう。また来てね。」
「自分を追い詰め過ぎないようにね。」
「梨沙こそね。」
何事もなかったかのように交わされる会話。
その心中は察することができない。
柊に促されるがまま、病室を後にする。
日笠の母親には軽く世間話をしたとだけ伝え、また来ますと言っておいた。
一人で帰りたい気分だという柊とはそこで別れた。
考えることが増えた。
考えても解決しないことが増えた。
この時の俺はまだ二人の女性に想いを寄せられていることをどこか嬉しく感じていたのかもしれない。
だから、事態を軽く考えすぎていたと後になって痛感する。
その日から、柊梨沙は再び「言葉」を失った。
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